第26話 輝夜(かぐや)
落雷から背中を守った如意宝珠を、俺は後ろ手に持ち替えた。くるりと長い朱色の棒を回転させて手前に持ち直す。振り返ると首のないルジチカの胴体が水晶玉サイズの黄色い宝玉を片手に持ってこちらを向いていた。
予知に反応して直撃を避けたは良いが……、目の前の光景に目を奪われ一手遅れた。宝珠を盾にしたものの、受けきれなかった電流で背中が灼けている。
「良き反応ぞな。いや、反射ではなく予知で動いているのだったか。アテネの言うところによれば……」
後ろから生首が語り掛ける。情報を整理するのに時間がかかりそうだ。胴と首を離すトリック、は俺も使ったことがあるが、それは時空間能力ありきだ。俺の狂花帯がこれは別物と言っている。
「どういうカラクリだ? 肉体を別の物質に変えるやつはいたが、あんたは生身のままに見えるぜ」
「ふむ、種も仕掛けもない。その前に、見下ろされるのは気分が悪いな……。アンドロシー! 」
梁の上に腰を下ろして愉快気にこちらを眺めていた貴族令嬢が、やれやれという仕草でテラスに降り立った。「人使い荒いわねえ」生首を持ち上げ、俺の横を素通りして胴体の方へ向かう。首を胴の上に載せ、触手のようなものを出して首に縫い付けた。
「ふう」ごきごきと首を鳴らしルジチカが復活した。
「礼を言ってやってもよいぞ。おかげで動きやすくなった」
「随分と御大層な物言いだこと。もうくっつけてあげませんわよ?」
ドロシーはにっこりと笑って再び間合いから退いた。
「……元通りか? 見たとこ、再生し繋げたようでもないみたいだが……」
「これで元通りなのだ。我は不老不死。首を刎ねようと心臓を貫こうと死なぬ」
不老不死……⁉ 平然と言ってのけるルジチカに、疑念を顔に出す。
「そう驚くこともあるまい。太古の神話によれば、12民族の祖である12神将は、それぞれに固有の不死性を持っていたと聞く。それと同じことぞ」
「俺はサジタリオ族の先祖だけど、別に不死身じゃねえぞ」
12神将……、おそらくは俺たち「12人の怒れる男」のことを指しているのだろう。俺はその一人だが、歳もとるし心臓が止まれば死ぬ。
「なんと。……いやそうであったな、アテネが申しておったわ。まあ12神将の不死性は、何も完全な不滅性を意味するわけではない。現に神代から生き続けておる者はネヴァモア一人だ」
「ネヴァモア……! やっぱりあいつは23世紀の生き残りなのか‼ ……なぜお前がそれを知っている? お前も旧世界からの生き残りなのか?」
「いいや、神託ぞ。夢枕に神と言葉を交わしたことがある」
神。まさか、あの「女神」のことか……? 例の精神世界の女を思い浮かべる。。
「神は言っておった、ネヴァモアは12神将の一人。そして、我は月からの使者、とな」
「……おいおい、まさかその不死の肉体、宇宙人ってオチじゃねえよな?」
すわ宇宙戦争かと身構えたところで、ルジチカは愉快そうに首を横へ振った。
「いや、月に人は住んでいなかろう。神は月を司る女神。その神が神託を与えた我は月からの使者、ということであろう」
ルジチカは袖を振った。
「話が逸れたな……。我の不死性は生来のものではあらぬ。これもまた奥土器に変えた者の力」
「奥土器……」俺は奴の手にある光玉に目をやった。珠の枝……、雷の宝玉、火鼠の皮衣。それから地面に引き寄せるやつ。これで5つ目だ。一体いくつ奥土器を蓄えてやがる?
「我は我を愛し身も心も捧げた人間を、生きたまま奥土器に変える力を持つ。この光玉やこれまでに見せた奥土器たちは、皆我に愛を誓った者たちの成れの果てよ。我が奥土器に変えた者は6人。……その一人は、我が夫であった帝」
ルジチカは顔をうつ向けた。白い顔に影がさし月のように翳った。
「……夫を奥土器に変えたのか?」
「左様。病床で死期を悟った帝は、生きたまま奥土器となることで我と一つになることを望んだ。自らの命を惜しんでではない、残される我を独りにしないためだった。……帝は『時軸の実』となり我に永遠の生命を与えた」
ルジチカは光玉を握りしめ掌に電気を纏った。
「時軸の実の力で……、我だけではない、我の造り出した奥土器も永続性を手に入れた。何度破壊されようと、近似した物体を依り代に復活する。我は不壊の奥土器と不死身の肉体を手に入れたのだ。誰も我を滅ぼすことはできぬ」
もしかして……、こいつが死刑にできない囚人(『八虐』)なのって……、皇族だからじゃなく、物理的に殺せないからか?
光玉が激しく明滅する。「後悔しても遅いぞ!」
激しい雷撃が放たれる。その光の柱の正面に、俺の拳は空間ごと亀裂を入れた!
雷の直進が止まる。「むしろ安心したよ」目を剥くルジチカの前に俺は言ってのける。
「実はこの空間破壊の技……、まだ力のコントロールが難しいんだ。狙いより余計なとこまで壊しちまう。実際、さっきあんたの首飛ばしちまったし」
俺は拳と掌を合わせ軽快な音を立てさせる。「死なないってんなら遠慮はいらないよな。思い切り殴らせてもらうぜ」
「この……、不遜の猿めが……ッ!」
ルジチカが鉄柵の破片を金の枝に変える。電撃の連続を潜り抜けて俺はアッパーをかました。
『蓬莱の玉の枝』が折れ「裂け目」がルジチカの左腕を吹き飛ばす。まだだ! 光玉のフラッシュと轟音で目と耳が劈かれる。咄嗟のルジチカの反撃、だが視界・聴覚が奪われたのは奴も同じこと、狙うなら今! 俺は全身の毛を逆立て野生の闘気を呼び起こした。野風の細胞が沸き立ち体表に現れる! 閃光弾の余韻で互いに目と耳が鈍る中、俺は獣化し研ぎ澄まされた野生で敵の位置を正確に把握する。
「『死なない』ってのは……、『敗けない』ってことじゃないぜ、后妃様……!!」
俺はルジチカを無力化する全力の一撃を放った。
刹那、ぞっとするような悪寒が俺の本能を突き抜ける。
正体不明の一撃が俺を吹き飛ばした。空間破壊の逸れた一撃がルジチカを傷つけながら周囲の空間を皹割る。
「やっと見せてくれましたわねぇ、貴方の獣性」
降り立ったドロシーが、妖しい光を帯びた目でうっとりと俺を見つめる。
いや。
見ていない。その目は俺ではなく何か別のものを俺の中に見出していた。ドロシーは俺の猜疑の視線を遮るように目を細め、薄い笑みを浮かべた。
「嬉しいですわぁ。貴方も狩って(ハントして)差し上げます」
首から下の筋肉が強張って感覚が麻痺していた。体の自由が利かない。俺は辛うじて動かせる左腕を肩に沿わせた。
首の裏に根の張り付くような感触がある。後背部と眼前の空間に「窓」を作って状態を確認する。茸のようなものが脊柱の上から生えていた。
「なんだこりゃ……っ!」
「マユリカダケですわ。私が独自に研究し品種改良を重ねて造った特殊な茸ですの。脊髄から貴方がた野風の神経組織を支配しコントロールする優れものですのよ」
不意に息が詰まる。右腕が俺の意志とは無関係に動いて喉輪を絞めつけていた。「っ、こんなもの……」
「無駄ですわよ。貴方の体は既に私の支配下にある。直に根が完全に癒着して引き抜けなくなりますわ」
涼し気な顔で告げるドロシーを、俺は額に汗を浮かべながら笑った。「ぺらぺらと余計なことまで口にしてくれたな。それは逆に言えば、今ならまだ間に合うということだ」俺はどうにか制御の利く左腕を「窓」の中につっこみ、唸り声を上げながら茸を根元から引きずり出した。
手足に痺れるような感覚が走り、それから全身に血が通ったような温かみがじんわりと戻ってきた。驚いたように口元を押さえるアンドロシーの足元に、俺は茸を投げ捨てた。
「俺は脊椎に人工骨格を埋め込まれてる……。エデン製薬の改造手術でな。おかげで充分に根を張れなかったみたいだ」
「まあ、なんて大胆な……。脊髄から躊躇なく根を引き抜くなんて、後遺症が怖くありませんの?」
「俺の能力を忘れたか。予知で安全は確認済みだ」
とはいえさすがに無理をしすぎた。猿化状態が解除され人間の姿に戻る。
「どうする、これで条件は五分だ。あんた、肉弾戦には向いてないタイプだろ。搦手が失敗したとなるとここからキツいぜ」
「ふふ、そうですわね……。たしかに拘束されていない貴方とやり合うのは分が悪い……」
ドロシーが悠然と笑みを浮かべる。気品すら漂う余裕の表情だ。さすがは八虐、まだ何か策を隠しているのか……?
「貴方に良い言葉を教えて差し上げますわ。こういった状況に相応しい戦場の教訓ですの」
「……! へえ、聞こうか。どんな教えだ?」
じわりと汗を滲ませた俺にドロシーは言い放った。
「『逃げるが勝ち』ですわ‼」
ドロシーは蔓を伸ばしてテラスの端へ絡めると、屋上から飛び降りてそそくさと下の階に姿を消した。おほほほほと絵に描いたような令嬢笑いが聞こえてくる。「勝てない戦はしない主義ですのよ!」
俺が「えぇ……」と呆気に取られていると、死角から石礫が飛んできて俺に刺さりかけた。片手で受け止めて俺はルジチカを睨む。裂け目のできた肩を押さえたルジチカが立ち塞がった。
「……まだやるのか。さっきので優劣は付いたと思うぜ。ドロシーが妨害しなければ、あんたはやられてた」
「抜かせ……。我はまだ立っている。それが結果ぞ若造……‼」
俺は無言で『石鉢』を握りつぶす。ルジチカが『枝』を繰り出す。左に捌いて負傷した肩の方へ回り込む。そのまま空間破壊の蹴りをルジチカに叩き込んだ。
空間に亀裂が入り、ルジチカの体がばらばらに裂ける。空間ごと引き裂いているので内臓がぶちまけられるようなグロい事態は免れている。それでもつながるべき部位に肉体が繋がれていないのでルジチカは戦闘不能に陥った。並の人間なら死んでいただろう。
「ぐっ……、おのれ、この我を……」
胸から上だけになったルジチカが不死身らしく身を起こす。既に両手が吹き飛んでいる。物を握れなければ奥土器化の能力も発動できない……、はず。
「あんたはそこでじっとしていろ。俺はアテネに用がある……」
俺はルジチカを置いてテラスの入口へ踏み出した。
「ここまでコケにされて……、終われるか……ッ」
ルジチカが床に落ちた帳面を咥える。重力操作の奥土器に変化した瞬間、何もない場所から突然現れた帝が大剣でルジチカを突き刺した。
ルジチカは陸に引き上げられた魚のように、急に苦しみ出してもがいた。床に爪を立て目を剥いている。
「こいつの不死性の仕組みは時空間操作系奥土器に由来するもの。不死の仙薬を飲んだ時点での肉体を本体として時空間上に固定し、精神活動は全てそこから行われるようにしていた。こいつの本体は過去に存在している。ゆえに現在の肉体をいくら攻撃しても死ぬことがない……。だから過去からの連続性を断ち切らせてもらった。この『三明剣』でな」
「『過去を斬る刀』か……! 帝の……仙薬の力が……ッ」
「時は流れているのだ、ルジチカ后。あなた方の時代は終わった。時の帝は私一人」
帝が刀を抜くと、ルジチカは音にならない音を立てて息を吸い白目を剥いた。近寄って確認すると、脈は止まり既に絶命していた。
「敵を始末するならきちんと殺せ。……禍根は残すな」
「不死身の敵を殺せるのはあんたくらいだよ。……こいつの不死のタネを知っていたのか?」
ルジチカは長い間『空中楼閣』に収監されていた。能力の詳細の記録があってもおかしくはない。
「お前が落とした、こいつの腕……、から、血を摂取させてもらった」
そういうことか。帝は他人の体の一部を取り込むことで、その遺伝情報を詳細に解読することができる……。敵の能力のカラクリや弱点も見抜くのにも使える、というわけだ。
帝は壁に穴の開いた庭園の入り口を指さした。
「ルジチカにドロシー……。敵は充分に減らした。残りの刺客はこちらで抑え込む。……お前はアテネを追え、ましら」




