第22話 証人
「……私が……、ユードラ……?」
少女は強い困惑の表情で瞳を揺らした。馬鹿な! 俺は狼狽える。彼女は最初から自分がミーグルだと認めていた。偽るメリットもない……!
「容姿はよく似ている。髪色も再構築の過程で変わってしまったようね……。でも私には分かる。あなたの肉体はユードラのものよ。恐らくは精神も……。自分をミーグルだと思い込むようにプログラムされているのね?」
「そんな馬鹿なことがあるか! 自分を他人と間違えるなんて……」
「その馬鹿なことを言っているから問題なのよ。この子はさっき『体を真っ二つに割かれて』『姉妹二人とも殺された』と言った。でもおかしいのよ。モリアの指摘を受けて行われた検死の再報告によれば、あの時姉妹の死んだ順番はミーグルが先、ユードラが後ということだった。ミーグルは姉の死に方について知らないはずなのよ」
「……っ、記憶と人格を獏鸚の一部に複写してたんだ、獏鸚の目を通して見ていたのかもしれない」
「人格の移植後はしばらく意識の混濁状態になるわ。もちろんあなたたちがユードラの死に様を語って聞かせていれば別だけど……、そんなことをしたの?」
「それは……」
話してはいなかった。話したと嘘をついても良いが調べれば分かることだ。それに咄嗟の逡巡が答えを白状してしまったようなものだった。
「やはりね。思うに、妹の死を目の当たりにしたユードラは自身が死ぬ間際、自身の記憶の中からミーグルに関する情報を集めて残したんじゃないかしら。恐らくは自責の念……。妹を守れなかった思いと彼女を蘇らせたいという願いが、思い出の中で一つの人格を形成してしまった。……つまりあなたはミーグルではなく、ユードラの名残なのよ」
「そ、れは……」
少女は頭を押さえて苦し気に呻きだした。「ちが、う……、ミーグルは死んでない! まだ死んでない‼ だってここにこうやって生きてるんだから!!!」
「いずれにせよ……、あなたたちは死んでいるのよ。どちらの人格にせよ、当人の記憶の残り香でしかないわ。期限付きの生命擬きでしかない」
アテネは低く呟いた。「紛い物の人生に意味はない。消えて」
「ちょっと待ってください、アテネさん!」
ズルキフリ=アクアライムが立ち上がった。「彼女は事件被害の証人として呼ばれたんです。この際彼女がユードラかミーグルかはどちらでも良いことではありませんか? 重要なのは彼女のオリジナルが事件当時その場にいて、あなたに殺されたと語っていることなのですから」
「その発言の信憑性を問うているのですよ。彼女がユードラの歪められた記憶なら、当然認知の歪みが生じている可能性が高い。何しろ自分と妹を取り違えるくらいですからね。さらに妹は生前私を殺そうと画策していたのです。その恨みが転じて私に殺されたなどというありもしない幻想を抱いたとしても、おかしくはありません。どうです皆さん、信頼できますか? 彼女の証言が!」
アテネは手を広げた。立ち上がっていた三人の元老院たちが、賛成票(帝退位)を投じる。これで票数は同率となった。残すはカミラタの票に委ねられた。カミラタに全員の視線が注がれる。
「カミラタ、お前が最後の一人だぞ」
帝が厳かに告げる。
「警察隊隊長として見極めよ。真実はどちらにある?」
カミラタはひどく沈黙して、やっと口を開く。
「此度の法廷……、数々の証言はあれど確実な信頼性は認められず……。だが、私は……、私は……」
カミラタは目をぎゅっと瞑り、投票用の金の札を掲げた。「この一票、棄権する! 警察隊隊長として、このような曖昧な情報の下で裁を下すことは信条に反する!」
カミラタは金の札を無効にして盃の中に入れた。票数は五分。帝が溜めていた息を吐きだし、アテネが頬を伝う汗を拭った。
「元老院代理として迅速な判断を求められる議案にたいしこのような選択をしたことを申し訳なく思います。しかしこの棄権票、後日預かりとさせていただきたい。此度の件、疑惑も浮上してきたことは確か。全力を挙げての再捜査によって近日中に必ずや真実を暴きます。その時に下される警察隊の判断が、私の票であると解釈いただきたい」
「つまり今回の議題、再投票でなく警察隊の最終判断に委ねろと? 妥当な落としどころと言えばそうだが、民族の代表者としてその判断はどうなんだ?」
「良いんじゃないですか、どこかの元副隊長みたく、自民族の利益のために警察隊を動かされるよりはるかに」
一同の意見も収束してきたようだった。カミラタが疑いの目を持って本腰を入れて捜査するとなれば、これだけの規模の事件だ。必ず証拠は見つかる。後は時間との戦いだ。
「カミラタ、大丈夫なのか? 帝に対する強制退位の権利が発生するまでにあと6日しかないんだぞ?」
「それだけあれば十分だ。手掛かりはあるしな」
ミーグル、改めユードラの方を見て言った。それから視線をアテネに移した。「それまでの間、帝とアテネは我々の監視下に」
盃から爆ぜるような音がして、一枚の金札がはじき出された。一同が驚いてそちらを振り返る。床の上で焼け爛れたカルキノス族の札が左右に揺れる。反対票……、帝の退位に反対する表明だったものだ。刻印が刻まれ宣誓に偽りありとの結果が示されている。イクテュエス族長の老婆は信じられぬという風に我が手を眺めていた。右手が微かに異様な有様で震えている。催眠……? だがなぜ帝に有利な反対票に?
「おやおや」皆が呆気にとられる中、アテネが焼け落ちた金の札を拾い上げた。
「ここへ来て無効票とは。どうやら帝の復帰を望む何者かが、票を操作しようとしたようねえ」
「馬鹿な! この盃に催眠や脅しが効果ないことなど、ここにいる全員が知っている。誰がそんな……」
俺ははっとした。それに気づいたように、アテネがこちらにだけ分かるように笑みを見せた。
まさか……、既に仕込んであったのか? 最後のカミラタが棄権か反対票を投じると読んで……、反対票を削るための一手を?
「いずれにせよこれで票数は3対2です。帝の譲位に賛同する者が過半数……。当初の取り決め通り、帝には退位していただきましょう」
シェクリイが憤る。「ふざけるなっ!! このような茶番誰が認めるか!! やりなおしを……」
「シェクリイ、もう良い」
帝が静かな声で諫め、シェクリイの肩に手を置いた。「仕方のないことだ。何度やり直したとて同じことだろう」
俺は呆然とする。あの帝が、諦めるのか? こんな結末を受け入れて?
「諦めよう」
帝は静かに言い、シェクリイの肩から手を離した。
「話し合いで解決するのはな」
「なに……⁉」貴族たちがどよめく中、意を察したシェクリイが素早く雷の矢をつがえた。
「滅せよ緑衣の鬼・アテネ‼ この雷、神意と知れ!!!」
止める間もなく、巨大な雷の矢がアテネに放たれる。
「アテネ‼」思わず俺は叫んだ。
もうもうと煙る白煙の中、アテネの前に立つ黒いシルエットが浮かび上がった。天狗の仮面をつけた異形の野風……。それだけではなかった。テラスの天蓋を囲むように、いつの間にか現れた3人の男女がこちらを見下ろしていた。
「……⁉ 警察隊? ……いや、何者だ?」
「クク……、貴方たちがいずれ来ることを分かっていて……、何の備えもしていないはずがないでしょう」
仮面の男の背後から、アテネがゆらりと進み出て呟いた。現れた四人の男女を紹介するように腕を広げる。
「ヨモリにクラマ……、我々が解放した『八虐』は二人だけじゃない‼ 収監されていた6人の『八虐』全てをここに集めてある‼」




