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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第3章 ヘイトフル・エイト
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第20話 震撼

 俺たちは再び御所に向かって歩き始めた。俺とミーグルの後ろではボブカットのクリーム色の髪の女がしずしずと付いてきている。

 バニタステラ……、略称はバニラだったか。これもまた微妙な距離感の相手だ。顔を合わせたのは多分二、三回しか無いと思うのだが……。俺はちらりとバニラを振り返る。向こうは暗い瘴気も漂わんばかりの不満顔でこちらを睨んでいる。……どうも恨みを買っているらしい。

「あのー、バニラさん? 僕何かしましたっけ……」

「白々しい。貴方はクロウ様をたぶらかし夷を壊滅に導いた張本人。その後も獄門院の勧誘を蹴り帝側の陣営として大きな貢献を見せた……」

「不服そうな物言いだな。その帝が目の前にいるのだが?」

 帝が混ぜっ返すように前方から声を伸ばした。「今は行き掛かり上協力しているだけです。貴女を恨んでいることにも変わりはありません!」バニラがつんけんして言い返す。

「その割にこちらのことを覚えていない風なのが腹立たしいのです! 何なのですか、真白雪!」

 確かに成り行き上と言うか、バニラは俺が協力した陣営とことごとく対立する側に付いている。……そして敗けている。東国の夷、獄門院、地底回廊に囚われていたなら、この間の殲滅戦で警察隊と交戦したはずだし……。

「いや、そうは言ってもな。こっちからすれば個人的な接触はほぼないわけだし……」

「む、私はその他大勢というわけですか」

 バニラが拗ねたようにむくれる。「気にしなくていいの。バニラちゃんそういうとこあるの」獄門院の配下で一緒だったミーグルがざっくりといなした。


 御所が遠目に見えてきたところで俺たちは二回目の小休止を挟んだ。帝が息を整えるように岩場に腰かけ、シェクリイがかいがいしく額の汗を拭う。

 バニラが何か言いたげな様子でこちらを見ている。俺は一同から少し距離をとり、頬を掻きながら応じた。

「バニラズテラ、意識してなかったのは悪いが、今は……」

「いえ、さっきの件はもういいのです。それとは別に、聞いておきたいことが」

 なんだ、こちらの杞憂だったか。たしかにさっきとはバニラの雰囲気が違った。妙に張り詰めた感じだ。

「あの……、ユダちゃんはどうなりましたか?」

「……! ユダ……?」

 意外な名前が出てきて驚く。ユダ……、あるいはイスカリオテ、ヘルダーリン……。様々な偽名を持つアサシンの少女……。一度は裏切られ、一度は助けられた相手だが……。

「ユダちゃんから聞きました。あなた、東国遠征ではユダちゃんとパーティを組んでいたんですよね。あなたならユダちゃんのその後の行方も……」

「その後……って言っても、地底回廊に収監されたとしか……。お前たち、接点があったのか?」

「その回廊で知り合ったんです。囚人の子供たちと一緒に地底の化け物から逃れて……。ユダちゃんは私たちを守ってくれました。でもあの侵攻作戦で別れてから、何の情報も……」

「そうか……。だが悪いが俺もつい最近まで籠ってて、あの作戦については……」

 俺が申し訳なさそうに言うと、メルが隣に歩いて来た。それから無表情に俺の肩に手を置いて告げた。「ユダなら回廊で死んだぞ。……私が殺した」

「……‼」

 バニラの眼が大きく見張られ、口を開きかけた。だがそのまま何も言わず肩を落とした。「……そうですか……。残念です……。教えてくれてありがとうございます」

 バニラは沈んだ声で言って、緩やかに踵を返して他の者たちのもとへ戻っていった。

 バニラの丸めた背中からメルに目を移した。バニラと同じように言葉に詰まった。

 メルも眼帯をつけていない方の眼でこちらを冷たく見返した。

「なんだ? 確かな事実だ。言い訳はしない」

 肩から手を離し、メルはこちらを見ずに歩き出した。「行くぞ。帝たちが出発なさる」

「あ、ああ」

 俺はずんずんと進んでいくメルの後ろに従った。「言い訳」か……。俺はメルの言葉を反芻しながら思った。……それは十字架を背負った人間のセリフだ。


 御所のすぐ手前まで着くと、俺たちは壁の隙間から城門の周りを観察した。近衛兵は人手不足なのか、警察隊が門番として見張りについている。内外を巡回している隊員もいるようだ。

 メルが身を隠しながら小声で説明した。「帝が姿をくらました後、信の篤い近衛兵たちの何名かが出奔し、捕まりました。御所の守護は警察隊の数部隊が交代で担当しています。カミラタ隊長や私は担当外ですが……。今は副隊長(べリサリウス)の部隊が警備しているようです」

「我々が襲撃してくる可能性も考慮しているか……。警備はそれなりに厳重なようだな。包囲の穴はつけるか?」

 帝の問いかけにメルは肯いた。「私も准長官として、警備計画書には目を通しています。巡回のタイミングと警備の手薄な所……、そこに帝と近衛兵長の持つ御所内の情報を加えれば」

 垣根の外を帯刀した隊員が歩いていく。俺は気になって尋ねた。

「お前も参加するのか?」

 メルは不服そうにこちらを見返した。「何か不満か? 私は警察隊の准長官だ、戦力面でも情報面でも力になる。ここまで来て無関係というつもりもない」

「そりゃ、戦力にはなるだろうが……」俺は自分でも困惑しながら言い淀んだ。相手はメルだ、リリやアテネじゃない。警察隊員として、いつでも戦いに巻き込まれる覚悟と自衛力を持っている。止め立てする理由はないはずなのだ。

「ボクとしては、残ってほしいけどねえ」翁が呑気な口調で言う。親父は黙っていろとメルが口を曲げる。

「いや、それで行こう」帝が口を開いた。「メルトグラハ、貴様はバニラたちとここに残り、我々が作戦に失敗した場合の脱出ルートを確保しておけ。突入は目立たないよう必要最低限の人数で行う。……二人を警護する人間も必要だからな」

「……! は……、帝が仰せなら」

 帝の合理的な支持にメルは素直に引き下がった。御所の屋上に目を光らせ、帝が俺たちに号令を発する。「それでは、行くぞ」


 〇


「『超大陸に四つの冠あり』と噂には聞いておったが……」クラマが波の下から顔を出す。「まさか貴様がその『四大君(したいくん)』の一人か? アグダとやら」

 船を引き倒した波の一画はヨモリによって制御されており、そこから漏れ出た水の飛沫はクラマの炎で蒸発させられていた。積みあがった流氷の下に身を潜めたクラマとヨモリが老父を見上げる。老父は老境と呼べる歳の割に筋肉逞しく、豊かな白い髭を蓄え、触れる者全て捻じ曲げるような鬼気迫る迫力を身に纏っていた。

「先の将軍を遥かに超える力……。汎国を率いる大将軍の肩書……、伊達じゃなさそうだね」

 ヨモリが珍しく真剣な表情で呟く。クラマは沖に向かって氷塊と瓦礫を引き連れて引いていく潮を見た。「一応聞くが、今のレベルの大波、そちに起こせるかの?」

「できるわけないじゃん。ボクにできるのが河川の氾濫、洪水レベルだとするなら、あっちのは正真正銘の大津波……、というかそれ以前に、その津波を引き起こす大地震……‼ あれを人為的に起こせるのだとしたら、その戦闘規模は軍や隊じゃない、『国』だ……!」

 もはや人や国家ではなく、国土そのものにダメージを与えるほどの規格外の破壊力……! さすがの二人も肌が粟立つのを抑えずにはいられなかった。

「どうする? (わらわ)らでやれるか?」

「どうするも何も……、逃げる一択でしょ。帝はここに居ないんだ、戦う必要がない。やり合えば死ぬか、確実に大怪我する」

 ヨモリの冷静な判断に、クラマは黙ってアグダを睨みつけた。「……敵が本体ならな」

 クラマが飛び出す。諸手に巨大な炎の幕を噴出させ、両側から挟み込むように敵に放つ。「ちょっとクラマ⁉」「相手は分身体じゃ! 脆弱性は本体より遥かに高い! 一撃入れれば勝てる‼」

「死地に活路を見出すか! 豪気だな」

 アグダが両腕を振るう。空気の波が生まれ突風となって火の幕を薙ぎ払う。衝撃波が続いてクラマとヨモリを吹き飛ばした。「ッ……!!!」

 地面を跳ね転げるクラマをアグダは遠くから指さした。「そいつの判断は正しい。儂の攻撃範囲を前にして満足に逃げも隠れもできはせん‼ それならばいっそ攻勢に出る……。蛮勇でも弱腰でもなく、ただ冷徹に目的の達成をのみ考えた合理的な選択よ」

「ちょっと聞き捨てならないなぁー。その言い方じゃボクが逃げ腰みたいに聞こえるけど?」

 ヨモリが眉を(ひそ)める。「ボクは益の無い戦いに命を懸けるなって言ってるの。君に尻尾巻いて逃げようってわけじゃないんだけど……」

「分かっておらんな……。儂のいる戦場で、その命に指の懸からぬ敵はおらん!!」

 アグダが拳を船底に打ち付ける。物凄いスピードで亀裂が走ってゆき、地面に到達する。ヨモリは咄嗟に波を下敷きにする。海水が弾けて、ヨモリの体が宙を飛んだ。地面を伝って伸びたアグダの拳の衝撃がヨモリの体を正確に捉えていた。

 高く飛んだ体が波のクッションの上に着水する。クラマが近くで焔を構える。アグダが拳を突き出す。衝撃波が炎を掻き消しさらに二人を吹き飛ばした。ヨモリが波の盾をつくってさらなる追撃を防ぐ。

「きっついねぇ、あの人……! さっきの将軍はただ斥力を発するだけだったけど、この人は衝撃波で直接ぶん殴ってくる! 本人に衝撃耐性があるとすると、さっきと同じ爆発技も効かないかもよ」

「分かっておる! 遠距離攻撃は掻き消される。至近距離から最大火力でぶち込む!」

 クラマが海水に手を浸ける。「ぬしは隙を作れ!」

 再び蒸気が辺りを包み視界を遮った。「小癪な……」アグダは柏手の一撃のもとに霧を払う。……と、目の前を巨大な影が覆った。

「ぬう⁉」

 天を衝くほどの砂の大波が目前にあった。砂の頂に立ってヨモリが叫ぶ。「波が操れるなら……、流砂も同じ!」

 アグダの衝撃波が砂を撃つが、波は形状を変えただけで止まることを知らない。「衝撃も吸収する!」

 砂の波がアグダを飲み込んだ。窒息するレベルの密度と、クラマの火炎を吸い込んだ高熱の砂。これは抜け出せまい! とヨモリは勝ち誇る。

「隙を作れって言われたけど……、何なら倒しちゃっても構わないよね?」

 ずしん、と足元に音が響く。巨大な縦揺れが直後に続いた。ヨモリが目を剥く。「まさか⁉」

 地面を突き上げる激しい揺れが起こり、砂の大地を宙に巻き上げた。砂の隙間から皮膚を爛れさせたアグダが睨む。「やるではないか、(わっぱ)ァ‼」突き出した衝撃弾が空中の砂を弾いてヨモリを捕える。岩壁に激突しヨモリが血を吐く。

「貴様ただのカルキノスではないな? 波の威力や圧力の高さ……。イクテュエスの血も混じっておるのか。くく、混種と闘る機会は稀だ」

 ヨモリが伸ばした手の先で、琵琶の奥土器が粉々に弾ける。腕、胸が続いて衝撃波に押しつぶされる。眼にもとまらぬ速さで撃った連続の拳が、衝撃波となってヨモリの生命を跡形もなく奪う。猛スピードで翼竜を駆ったクラマが敵の懐に灼熱の掌底を差し込む……。

 アグダの柏手が一瞬速く空気を叩いた。クラマは翼竜ごと宙を舞いアグダもまた砂の雨の上に逃れる。押し寄せた津波がクラマを攫った。

 アグダは波に乗って、押し上げた砂の真下から逃れた。同じ場所に留まっていてはまた砂に埋もれることになる。

 あたりは地形を巻き込む激しい戦闘の後で壊滅状態になっていた。もともと何もない砂漠ではあったが、あちこちに形成されていた岩壁が崩れ、海船の残骸があちこちに突き立っている。

 引き潮の一画が沸き立つように蒸発した。気絶したヨモリの首根っこを引きずったクラマが疲弊した目でこちらを睨めつけていた。

「なかなかしぶといな」

「殺したくば汎国の全軍を率いよ。新興国『夷』が新皇クラマノドカを舐めるでない……!」

「! ほう、クラマノドカ……。……お前が?」

 アグダはクラマの名前を聞いて興味深そうに立ち止まった。「……?」クラマはアグダの反応に疑問を持ったがすぐに臨戦態勢を整えた。

「くく……、しかし()なものよなクラマノドカ。遠き列島が小国ジパング、そのさらに分国の主にすらなり損ねたお前が、この儂に『王』の格を語るか?」

 アグダがほくそ笑み、腕を回す。

「教えてやる必要があるな、小娘が。世界の広さを、そして治者たる者に求められる強さの資質を!」

 クラマが構え、アグダが腕を突きだそうとしたその時、上空に鋭い飛来音が走った。

「……⁉ なに……⁉」

 烈しい閃光が上空で炸裂する。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。旧世界の核という最終兵器が、破壊の光で一帯を包み込んだ。


 〇


「エゾル西湾岸にて高エネルギー反応を確認。勾玉は無事に起爆したようです」

 報告が上がり、テラスの元老院たちは重い溜息をついた。小石の庭を横切って、アテネが机にやってくる。「ごめんなさい、少し遅れたわ。状況はどうなってる?」

「事前の決定通り……。勾玉をエゾルに発射しました。帝の隠遁先はエゾルではありませんでしたが、翼竜の(カメラ)の映像からも、四大君とヨモリ・クラマの接触は確認できました」

 ドッペルフェルトが答える。翼竜の瞳を通して投射された幻燈は既に砂嵐に覆われていて、現状は確認できなかった。眼を負傷したか、翼竜ごと勾玉の巻き添えを食ったかだ。

四大君(したいくん)の一角を始末するためとはいえ……、神聖な禁則地に勾玉を撃ち込むことになるとは……」

「決を採り決まったことです。奴ら汎国は自身の戦争のために我が国の禁則地を侵し……、あまつさえ秘密裏に軍事拠点を建設さえしていた。思わぬ発見とはいえ、見過ごすわけにはいきませんよ。アテネ嬢の提案通り、勾玉を撃ち込むことが正解です」

 イクテュエスの老婆が言う。アリワラが顔をしかめる。「エゾルが汎国に侵略されている恐れがあると、その確認も兼ねた今回の派兵でしたが……。将軍はおろか大将軍まで……! 彼は実質的統治者ですよ、戦争になりませんか」

「アグダ大将軍は超大陸の四つの冠、世界最強と謳われる四大君の一角。その大君を失った汎国など恐るるに足りませんよ。仕掛けるなら仕掛けさせればいい」アテネが何でもないという風に答えた。「それに汎国は他の四列強と戦争中です。低下した国力で、古代兵器の恐ろしさを見せつけた我が国と戦う余力はありませんでしょう。いずれにせよ東の小国と侮られる状況は終わりです。これからのジパングは世界に名立たる列強として力を示していく」

「アテネ嬢、それは一元老院として、いささか不遜な発言では?」アリワラがおずおずと言う。「第一まだ次の帝も決まっていない状況で……」

「その通り。この国の未来を握るのはお前ではない」

 一同の目線が、一斉にテラスの天窓へ向く。と同時、ガラスの天蓋を突き破って、帝を抱えた近衛兵長が長机の上に着地した。

 シェクリイの腕から帝がひらりと降り立ち、元老院たちを見下ろす。

「審判の時だアテネ。真実を白日の下に曝そう」

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