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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ザ・レイヴン
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第16話 落胤(らくいん)

 頭から被せられていた布を剝ぎとられ、急に視界が明るくなる。

 モルグシュテット=アクアライムは、両眼を突き刺す光に(くら)みながら、何度も瞬きして目を慣らした。思いのほか、部屋は暗い。狭い密室、窓はなく灯りは手元にあるランタンの火のみ。その明かりを目の前に突き付けられていたのだと分かった。

 ランタンが目の前からどく。机を挟んで向かい、見覚えのある顔がそれを持っていた。モルグはほっとして息を吐いた。「アテネさん……。(おど)かさないでくださいよ」

 警察隊の隊舎を出てすぐに、頭から袋を被せられ意識を失わされた。不意打ちに抵抗する暇もなくモルグは連れ去られた。アテネが直接催眠を掛けたのか、誰か協力者がいたのか……。いずれにせよ犯罪者でなくて良かった。

 腕が後ろ手に縛られている。モルグは状況を理解しようと周囲を見渡す。しかし部屋には何もなくそれ以上の情報は得られない。強いて言えば逃げ出せないくらい頑丈な扉が背後にあることと、アテネの表情が厳しいものであったということくらいだ。

「この雰囲気……、元老院からの呼び出しですか?」

 椅子に座らされたまま、モルグは尋ねる。それくらいしか思い当たらなかった。アテネは布袋を机に置き、向かいの椅子に座りなおした。

「よく分かってるじゃない。心当たりがあるということよね?」

「いや、思い当たる節は何も……」

「真白雪」困惑するモルグにアテネは名前を出した。モルグは身を固くする。

「手配されていることは知っているわよね? 帝を匿っていた咎で……。帝が御所から脱走した日、診療所の区画を捜査していたのはあなたよね?」

「……それは、ええ……、はい」

 モルグは歯切れ悪く答えた。口の中が乾いてくるのが分かった。

「ましらの家も尋ねた?」

「はい……、しかし、怪しんでのことではなく、情報共有のため……」

 アテネは椅子の上で足を組み、沈黙する。妙に時間が長く感じるような数秒間だ。ランタンの炎が闇の中で揺れる。

「……ましら君のことは疑っていませんでした。彼が何かをできるような精神状態とは聞いていなかったし、僕らは仲間だと思っていた」

「仲間だから……、帝との繋がりを隠した?」

「とんでもない!」嫌な予感が的中したという風にモルグが身をよじる。

「帝の足取りを考えた結果……、帝はあの時点でましらと合流し、匿われていた可能性が高いと出ているのよ。つまりあなたが訪問した時点でね。あなたはましらが帝を匿っていると知らされながら、それを隠蔽したのではなくて?」

「違います! たしかにあれは俺の手落ちですが……、知っていて隠したわけじゃない!」

「身の潔白を証明できる?」

「それは……、ヴァルゴー族でも自白剤でも使っていただければ」

 モルグははっきりと答える。アテネは値踏みするような目でこちらを見つめていた。

 アテネが立ち上がる。

「随分と顔色が悪そうね。何か悩みでも抱えているのかしら」

「え……、ああ、しばらく不眠気味で……」

「未だに奥さんの夢を見る?」

 体が強張る。何か関係があるのかという風にアテネを見る。アテネはこちらを見向きもしていない。

「失礼。あなたが気を失っている間に、うなされているのが聞こえたのでね。……もう四年になるかしら? あなたが奥さんを殺してから」

「っ……、あれは事故です。……今回の件と関係ありますか」

 ランプの灯が強く揺れる。

「自責の念を確認したのよ。あなたは律儀な人だから……、今回のミスについても自分を責めているでしょう。だから、取り返すチャンスをあげようというの」

「チャンスですか」

 思わぬ方向に話が転がった。

「ええ。朝廷への忠誠を示し、今回の件に加担していないことを示すチャンスよ。例えばそうね……、あなたはましらに信用されているから……、ましらを(おび)き出し、斬り伏せるとか」

「それは……、無理です」アテネの真意を測るように、慎重に答える。「第一、今彼がどこにいるか、知りようがない。仮に会うことができたとしても、俺の実力では彼を倒せない。それ以前に……」

 背筋を伸ばして言う。「彼は仲間であり友人です。裏切ることはできない」

「おかしな話ねえ、ましらは貴方を裏切ったというのに」

 モルグが意味を問うように沈黙する。アテネがこちら向いて机の脇を通り抜けてくる。「だってそうでしょう? もしあなたが潔白なら、ましらはあなたに帝のことを話さなかったということになるわ。信用しているなら、協力を仰ぐはずでしょう?」

「いや、それは互いに立場というものがありますから……。警察隊の自分に、話すわけには。それに、巻き込むまいとしてくれたのかも」

「ずいぶん買ってるのね。そんなに彼を大事にする必要があるかしら。……彼はリリの恋人だったのよ?」

 モルグの眉がピクリと動く。

「おかしなものよねえ……、リリはあなたの奥さんを死に追いやったというのに」

「……やめてください」

「あなたの実験動物にして……、あなたの手で奥さんを殺させて……。しかもそれを彼女、笑って見てたって言うじゃない? ましらはそんな女と結ばれて二人幸せに。思ったことない? どんな神経してやがるのかって……」

「そんなことはない! ……ましら君に罪は……」

「彼がやったことを数えましょうか? 投獄されたリリを救い出し、二人で家を構え、結婚までしようとした……。妻を殺した悪夢で夜も眠れず苦しんでいる、あなたの横でよ? 辛かったでしょう。腹の中にどす黒い感情を抱えながら、見て見ぬふりをするのは。リリが死んだ時どう思った? ざまぁみろと思ったんじゃない? ましらの慰問に行かなかったのは……」

「やめろ‼」

 モルグは椅子を揺らして叫んだ。縛られた腕が背もたれに食い込む。「……俺は……っ、俺は、そんなことなんて……っ」

「奥さんの恨み言が聞こえない? 『不公平だ』と。『なぜ私だけがこんな目に』と」

 優しく肩を叩き、縄の結び目に手を触れた。

「警察隊にいて心が癒されたでしょう。暴力の日々が、あなたの手に残る奥さんの血を多いかくしてくれた。……忘れがたい罪があるなら、とことん堕ちれば良いのよ。いつしか殺人(それ)は、なんでもない日常になる」

 ほどけた縄を、目を見開きうなだれる彼の首に巻き付け……、囁く。

「あなたにやってもらいたいことがあるの。……良いわね?」


 〇


 老人の先導で、俺たちは人のいない廃屋へと案内された。立場上俺たちを捕えねばならないメルも状況に困惑したのかすぐには動かず、監視という名目でとりあえずついてくることにしたらしい。

 くずれかけたあばら家の中で椅子を拾ってきて老人が座る。マイペースに火など起こして、持ってきた動物の骨を再びそこにかけた。俺は老人とメルを交互に眺めた。「で……、どういうことだ?」

 メルが無言で眼帯を外した。その下から、右目の琥珀色とは違う緑の虹彩が覗いた。オッドアイ。皇族の血を体現する肉体的証左だ。老人も髪の毛に隠れた左目を見せる。これまた右の紫と違う緑色が光っていた。

「爺さん……、あんた皇族だったのか……。……というか、俺のこと覚えてる?」

「覚えてるよお、美人な姉ちゃんと一緒に来たさね」

 老人はいくばくかしゃっきりとした声で答えた。ぼけたふりはカモフラージュか、人目のない場所でその眼は理性的に煌めいていた。「占いは……、はぁ、当たってたろう?」

 そういえば、リリと来た時、俺はこの老人に『緑衣の鬼』の居場所を尋ねていた。まだ鬼の正体がリリと知らなかったころだ。その時老人は言った。鬼とは既に会っている、そしてまた「塔」で会うことになる……、と。事実鬼は隣にいて「もう会って」いたし、その後東京タワーの残骸で俺はリリと対決することになったのだ。当時は老人の戯言と気に留めなかったが、なるほど彼の言ったことは的を射ていたことになる。

「相性占いは……、ぇえ、悪かったねえ。あの時のあんたらにゃ対立する運命が出ていた。今やれば……、違うかもねえ。ぁあ、でも……、死んじまったか。気の毒にねえ」

「あんたには未来を占う力があるのか? だがそれは俺と同じ力を持つサジタリオ族の能力のはずだろ? サジタリオ族の血はこの国じゃ既に途絶えたと聞いたがな」

 だから占いも信用しなかったのだ。帝が説明する。

「ジパング皇族は12民族の混種の末に生まれた特殊な血統だ……。あらゆる血が混じり合い、それぞれにランダムな民族の狂花帯が発現する……。早蕨王はサジタリオ族ではないが、その狂花帯である量子器官を宿しているのだ」

 爆ぜる火の粉に気を留めない様子で、老人がこくこくと肯く。

「少し変わった吾人でな……、皇室内の力関係に興味なく、皇族でも貴族でもない一般の平民を妻にとろうとした。周りからの反対を受け、それならと自身の位を捨て平民に降下したのだ」

「その間に生まれたのがメル、ってことか……」

 俺はメルの方を奇妙な気持ちで眺めながら言った。メルは入り口を塞ぐ形で外を警戒していたが、こちらの視線に気づくとふんと鼻を鳴らした。

「そうは見えないだろう。私が生まれたのはこの男が位を捨てた後、皇族の血こそ流れているが、身分上はまったくの平民だ。自分が皇族と思ったことはない」

 メルは腕を解いて鋭く睨む。「それで……、アテネが一連の首謀者という話、あれは本当なのか。隊舎でお前が言ったという……。殿下のことも気になるが、まずはその件について話せ」

 帝の方を見る。構わず続けろと目で促されたので、俺はかいつまんで自分が見聞きしたアテネのことを話した。……メルは顎に手を当てたまま話の真偽を吟味するように聞いていた。

「……成る程な。しかし、あのアテネ嬢が……? 俄かには信じがたい話だな……」

 骨が灼けぱちりと音を立てる。事の成り行きを黙ってみていた帝が口を挟む。

「施薬院襲撃の一件……、追跡調査は行ったのか?」

「! は……。念のためカミラタ隊長の指示で……。カプリチオの隊員の観測のもと、見つかった証言者に再証言させましたが、結果は変わらずです。少なくとも現在の段階で、催眠は確認されませんでした」

「ふ、その言い方では、見つからなかった証言者も多そうだが……?」

 火影を帯びる帝の口角が上がる。メルが動揺したように応える。

「たしかに……、当時の証言者の多くが職を辞し、居を移していたため掴まりませんでした……。半年も経っていますし、あのような事件の後ですから、おかしくはないかと」

「ならばその者たちをもう少し追ってみるのだ。おそらく不自然な失踪を遂げているはずだからな」

 帝が頬の先についた煤を払い、想定通りと言う風に告げる。「残りの証言者たちは餌だ。本人に催眠をかけずとも、やりようはいくらでもある。脅迫に報告書の改竄、観測した隊員の方への催眠……、事件当初は全員への催眠で強引に解決したようだが、今は違う。後ろに犯罪王が付いているからな……。事実の揉み消し方などいくらでも心得ているだろう」

「……たしかに、筋は通りますが……」

 メルはまだ半信半疑という様子で低く唸った。あくまでそう考えても辻褄が合うというレベルの話である。それに仮定の規模が大きすぎる。こんなことを言い出したらどんな事件だって疑わしいことになる。

 ここまで大規模な隠蔽工作が働いているとなると、警察隊の捜査からアテネの犯行を立証するのは難しそうだ。メルは判断を保留したようで、話題を先に進めた。

「それで……、目下手配中の身であらせられる殿下が、なぜこのような危険を冒してまで、愚父をお訪ねになったのですか。この男にはもはや何の権力もありませんよ」

「血に用はない。あるのはその予見の力だ」

 帝は老人が骨をくべる焚火を指さした。

「彼の予見はましらとは少し違い、我々の問いに対する解という形で現れる……。この現状を覆す切り札、アテネの犯行を立証する証人の居場所を、彼に炙り出してもらう」


 〇


 凍てつく吹雪が視界を埋め尽くし、一面を銀の世界に塗りこめていく。

 熱波と砂の地、エゾル。焦土と化した大地には雑草一つ生えていない。僅かにサボテンのような乾燥帯に強い植物が、埴輪のような体の先に黄色い花を咲かせている。

 その埴輪たちが、一斉に頭を垂れる。微かに残った水分さえ奪われ、足元から砂のように崩れて地面に垂れ下がった。冷たい砂の海原に、クラマノドカが降り立つ。

「心地よい涼しさじゃの」

「それクラマちゃんだけね。人が踏み入っていい寒さじゃないよぉ、ここ」

 頭上から翼竜の背に乗ったヨモリが声を落とす。充分な高さまで降下したところで手綱を離し地面に降りる。「あー、靴に砂入った」

「贅沢を言うでない、平民風情が。警察隊なら悪環境くらい慣れたものじゃろう」

 白けたようにクラマが言い捨てる。「……平民?」その首に蛇のようにヨモリの腕が巻き付く。「聞き間違いかな? これでもボク、れっきとした貴族なんですけど」

「『准』貴族じゃろうが。所詮は一代限りの庶民の成り上がりよ。純粋な公卿(くぎょう)の血統ではなかろうて」

 冷ややかに述べるクラマの横に、ヨモリがずいと顔を寄せる。

「血なら流れてるだろーがよぉーっ、高貴な血がよーっ! 皇帝の血族だぞ、俺を誰だと思ってる、亡き六波羅(ろくはら)様の血が! この体を流れているんだッッ!!」

 息を荒げ目を血走らせて囁く。「図に乗るなよ田舎貴族の小娘が……ッ。お前とは違うんだ俺は、お前らとは……、……っ‼」

 口元を歪め引き攣った表情を浮かべたヨモリは、そのまま言葉を飲み込むように息を震わせてすぐに少女の表情に戻った。「……なーんてね! もー、あんまり怖い顔すると白粉剝がれちゃう」

 肩から腕を解いた。「仲良くやろうよクラマちゃん。ボクたち同じ八虐同士、父親に認められなかった者同士なんだからさー」

「…………」

 クラマは白粉のひび割れた頬を隠すヨモリを黙って睨みつける。その視線の先、吹雪を透かして巨大な影が控えているのに気付いてクラマは足を止めた。

 ヨモリも振り返る。波の音が微かに二人の耳を打った。

「……ビンゴ。アテネ嬢の言う通り、やっぱりここだったか」

 熱波漂う海岸の先には、大汎(ハン)国の巨大な帆船が鎮座していた。


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