第15話 帰郷
「ここが金色殿……」
「懐かしの……、我が住処じゃな。今は不二波羅探題の拠点となっておる」
クラマが答え、右手に炎を灯した。「主を変えた今……、いっそその身に我が熱を思い出させてやるのも一興かの」
「労わってくれよ、文化的建造物なんだから」
飛び込んできた声の方を、クラマは鋭く睨む。木の陰から色眼鏡の青年野風が現れた。「久しぶりだね、夷の新皇サマ。折角の元・我が家なんだし、まあ上がっていけば」
金色に彩られた襖の座敷には、野風連の頭目たちが首を揃えていた。知った顔はましら率いる征東部隊のメンバーだったニニギニミリ。それから恐らく中央の片眼鏡をかけた野風がドストスペクトラだろう。紅喰いを下したという黒い精鋭だ。
「主がここの主かの?」
クラマはスペクトラに問うた。
「別当はましらだ。野風連も五人の評議会制でできている。一人特別ということはない」
スペクトラが不愛想に答える。
「捜査の手が及ぶことは分かっていた。警察隊の長官クラスか、元老院の手の者と思っていたが……、まさか『八虐』の一人とはな」
「一人ではなく二人じゃぞ? ここにおるヨモリも入れてな」
クラマが隣の美男子を扇で指す。「ヨモリだと⁉」グラムシがその名前に反応する。知っているのかというスペクトラの目線に答える。
「ヨモリ=カルキノス……。元警察隊副隊長にして八虐の一人だ……。自身の娘や親族を帝に嫁がせるなどして朝廷との癒着を強め、元老院に意見できる程の影響力を持ち、副隊長ながら実質的な警察隊を牛耳っていた男……」
「八虐入りした理由も権力を持ちすぎたためだよ。謀反の疑いを掛けられて捕まった。当時既に崩御していた六波羅帝の落胤という噂もあり、殺されず空中楼閣にぶち込まれたのもそれが理由じゃないかと言われているさ」
外道法師が後を引き継いで説明した。「スペクトラ、あんたが知らないのも無理はない。こいつが噂になったのは、ちょうどあんたが武者修行で全国行脚していた頃だったからね。ニミリのような若い世代も知らないだろう」
「僕の目が悪くなったかな? 目の前にいるこの華奢な女の子が、親父世代のおっさんだって……?」
ニミリが信じられないという風に色眼鏡を動かした。
「肉体を変える変装用の奥土器だよ。これでも副隊長だったからね、その手の道具の扱いはお手の物さ」
ヨモリが得意げに胸を反らす。それから急にまじめな顔つきに戻って告げた。
「お喋りも楽しいけれど、今日は談笑しに来たんじゃないんだー。帝と真白雪。ここに来てるんでしょ? 隠してないで早く出しなよぉ」
手に抱えていた琵琶を弾く。途端に床が海のように柔らかく波打ち、部屋の中を難破船の内部のようにかき乱した。床板の波がスペクトラに襲い掛かる。
波はスペクトラの目前でぴたりと止まり弾けた。
「次は本気でやるよ?」
琵琶の音と共に波が元の平らな床に戻る。スペクトラは身構える法師たちを制す。
「何か勘違いしているようだが」スペクトラが立ち上がり襖を開けた。「俺たちは隠し立てなどしていない。初めから情報を提供するつもりだった」
襖の先の外には土蔵があった。スペクトラは二人を連れて庭先に降り立ち、蔵の扉を開けた。
「……ほほぉ」
蔵の中は食糧庫になっており、穀物を貯蔵する袋が破られもみ殻が零れ落ちていた。
「今朝方久方ぶりに食物庫を開いてみたところこの有様。外からは鍵がかかっておりこじ開けられた痕跡はなかった。この蔵のことを知っていて内部に侵入できる人間はましらしか居ない……。しかしましらなら正面から堂々と入ってくれば良いはず。それができない事情があるとすれば、現在失踪中の帝絡みか……、と、そこまで推測していた。疑うなら明日にでも朝廷に確認してみろ。ちょうどお前たちと入れ違いになる形で、報告の早馬を出したところだ」
「ほう、あくまで自分たちは知らなかったという立場をとるつもりか?」
「立場も何もそれが真実だ。俺たちは朝廷と争うつもりはない」
スペクトラが毅然と答える。クラマはスペクトラに一瞥をくれると、悠然と蔵の内に入り込み内部を観察した。
「……ふん、真偽はいずれ知れることじゃ。妾らの役目は帝の逃亡先を突き止め捕縛すること……。分からねば貴様らを吐かせる労は惜しまない……」
ヨモリが何かに気付いたように土蔵の隅を指さした。クラマがしゃがみ込んで白い塊を指で掬う。「が、行く末が知れれば……」
クラマが掌を握って掬った物体を潰す。土蔵の隅には真っ白な雪片が小さく溶け残っていた。
〇
「……うまく食いついてくれたかな、雪のヒントには。追手は」
王都城下町の商家エリア、を、笠を目深にかぶりながら俺たちはひっそりと進んだ。「ヒントというよりはミスリードかな。ちょっと分かりやすすぎた気もするけど」
「人は自分で見つけた手がかりを信じ込みやすいからな。禁則地のエゾルは逃亡先として現実的なラインだし、攪乱程度にはなるだろう。少なくとも再び王都に戻っているとは思わないはずだ」
「たしかに、鋭意警戒中の王都に戻る羽目になるとは、思っても見なかったが……」
俺はシェクリイの言葉に答え、帝を振り返った。数日の休息でしっかりと回復したのか、足取りははっきりしていて血色も整っていた。「それで……、『協力者』っていうのが本当にいるのか? ここに?」
ここはしがない露店の立ち並ぶエリアだ。診療所にも近く、転移して早々にリリと来たこともある。庶民の町という感じで、皇族や貴族の関係者が紛れているようには見えないが……。
「いる。と言っても最後に会ったのはかなり前だが、まだここを拠点にしているはずだ」
そいつがアテネの犯行を暴く証拠を、握っているのだろうか。
「当人にその力はない。だが、情報の在り処を占う力はある」
間接的な情報提供者か……。都に戻ってくるにはリスクが高すぎる相手のような気もするが、帝もそれだけ追い込まれているということだろう。強制譲位成立の期限まであと一週間を切っている。
「……ましら」
シェクリイが小さく気を引く。
「分かってる。5軒後ろの屋台の裏だろ」
俺も振り返らず答える。「……! 尾行か?」帝もさすがと言うべきか、動揺を素振りに出さず小声で聞き返した。
「多分な。巡察の警察隊だと思うが……。こちらの変装に気付いた上、気配を消すのも上手い。なかなかの手練れだぞ」
「どうする。裏路地に誘導して口を塞ぐか、一度転移でここを離れるか……」
「今離れれば、この場所に警戒網を敷かれる恐れがある。それは避けたい。かといって戦闘になって目立つのもな……。敵の情報をもう少し探れれば良いのだが」
帝は言いながら、手前に現れた金物屋の露店に目を向けた。「シェクリイ、鏡を」
「は……」
シェクリイは素早く手の中に小さな鏡の切片を精製し帝に手渡した。シェクリイの能力は空気中の原子を変換し、異なる素材の物体を出現させる能力だ。「鋭利ゆえ、お手に気を付けて」
「うむ」さりげなく受け取る。帝は鏡面を反射させて金物屋の金盥に移った後方の景色を盗み見た。追跡者の姿を捉えようとしているらしい。すぐさま帝は鏡を袖にしまった。
「どうでした?」
「あれは大丈夫だ。気にせずと向かうぞ」
そういって角をすたすたと曲がっていく。大丈夫とはどういうことか、と俺はシェクリイと顔を見合わせながらも帝の指示に従うほかなかった。
やがて目的の人物を見つけたのか、帝は路地裏の人気ない露店の前で立ち止まった。そこには呉座を敷いたみすぼらしい老人が一人いて、動物の頭骨を火にくべてぶつぶつと独り言をつぶやいている。おや、と俺は思った。その老人には見覚えがあった。
「やっているかね」
「あー、やってるよお、運命占いに待ち人探し、銅玉貨6粒でなんでも見るよお」
ぱちりと炎が爆ぜ頭骨に亀裂が入る。「ぉお」老人は重たそうな瞼を二、三しばたたかせ帝を見上げた。「こりゃあ珍しいお客だね、サガ帝」
ふっと帝が口元をほころばせる。「久しいな、『早蕨王』」
その顔を見て俺は思い出した。この男、転移したばかりの時にリリと訪れた、インチキ占い師だ。「な……」俺は叫びかける。王……? この爺さんが皇族⁉ 「親父⁉」
俺が叫ぶ前に背後で声が上がった。思わず振り返る。メルトグラハがしまったというような顔で木箱の陰から身を乗り出していた。
どういうことだ……? 頭がぐらぐらしてきた。俺たちを追けていたのはメルで……、このインチキ易者の爺さんは皇族で……、そしてメルがその……?
「何も難しいことはない、彼は廃位された元皇族で、メルトグラハ長官補はその娘だ」
混乱する俺に帝がすました顔で言う。「だが、ここではなんだ。場所を移そう」




