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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ザ・レイヴン
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第14話 俘囚

「お久しぶりですね、クラマ殿」

 アテネは「空中楼閣」に捉えられた囚人に改めて挨拶を交わした。三年前、独立を目指し反乱を起こした東国集団・(ヱビス)。その棟梁クラマノドカ……。八虐の一人としてここに収監されていた。

 アテネはクラマの座る粗末なベッドの端に腰かけた。目線の高さを合わせ、彼女を観察する。東国随一の貴族の娘として栄華を極め、煌びやかな着物を身に纏い自身に満ちた輝きを振りまいていたあの頃とは、似ても似つかない。素っ気ない囚人服に身を包み、生気のない目でこちらを見据えている。

「お元気そうで、何より」

「ふん、何の冗談じゃ。今の妾が華やいで見えるか?」

 クラマが自嘲的に笑う。足元に付けられた鎖が床を()って音を立てる。

「哀しいものですね……。かつて新皇を名乗り、東国の兵を率いた貴女が……、今はみすぼらしく朝廷に飼殺しの身とは。あの頃の野心と自信に満ちた貴女は、どこへ消えたのです?」

「奪ったのは貴様ら朝廷じゃろうて。民を失い領土を失い……、独立という野望も打ち砕かれた。父とたった一人の妹さえ、この手にかけてな……」

 クラマは己の小さな手に目を落とす。「毎晩夢に出て妾を苦しめる。あれほど心の底で憎み、疎んじておった(クロウ)が……、今は懐かしくさえ感じる。妾を恨んでおろうな。……クク、この気持ち、そなたに分かるか?」

「分かりますよ」

 偽物の日の光を踏みにじって、アテネが答える。クラマが訝し気にその顔を覗き込んだ。

「親を殺し、妹の息の根を止めるあの感覚……。今でもはっきり覚えていますよ。新皇クラマノドカ。私だけが貴女の気持ちを理解できる」

「……? ……そなたまさか……」

「ええ、殺したんですよ。カプリチオ貴族全員をね」

 クラマの乾いた手に、そっとアテネの手が重なる。

「クラマ……、夷再興の願いを叶える気はありませんか? 今の朝廷は帝を放逐し、元老院は混沌の状況にある……。貴女を出獄させる手筈を整えました。私についてくるなら、貴女に新たな夷の地を与えても良い」

 冷たい紅の瞳が、額に汗を浮かべたクラマの顔を飲み込む。偽りの日に照らされたアテネの影が、牢の壁に大きく焼き付いた。

「檻の中ただ死を待つだけの人生など、貴女に相応しくない。私の下に……、いえ、私に従いなさい。クラマノドカ」



「……そういうわけで、俺たちの関係は警察隊にバレてる。(じき)ここにも捜査の手が及ぶ」

 俺は(とこ)から起き上がったばかりの帝に事情を説明した。警察隊舎での逃亡から既に三日が経過していた。今のところ王都との境に設置した見張りから報告はなかったが、発信器の記録が割れている以上俺たちが東国を訪れたことは向こうにも知られているはずだった。既にシェクリイには話を通し東国を発つ準備は整えてある。帝の容態が落ち着き次第ここを離れる予定だった。

「身体の調子はどうです」

「ああ、随分休んだ……。すぐにでも動き出せるだろう。……しかし気がかりなのは警察隊の動きだな。こちらの居場所が分かっているなら、なぜ三日も音沙汰がない? すぐにでも派兵すべきところなのに……」

「既にここを引き払ったと考えたのでは? こちらにはましらが居りますから」

 シェクリイが傍らで口を挟む。

「だとして、何らかの手がかりや証言を求めてやってきそうなものだがな。野風たちに次の転移場所を吐かせるくらいのことは、やってのけるだろう」

「スペクトラたちの手強(てごわ)さはカミラタが一番よく知っている。それなりの兵を揃えてから来るつもりなんじゃないか?」

 俺は言った。いずれにせよこれ以上の猶予はあまり無さそうだった。次の移転地を決め早めに去っておく必要がある。

「その兵が問題だがな……。三日……、緊急で元老院を招集するには充分……」

 帝は顎に手を添えて考える。「……何にせよ、今はここを立ち退くことが最優先だな。シェクリイ、移転先の当てはあるか?」

「は、一応この期間にいくつかの隠れ家を……」シェクリイはリストアップした候補地を見せた。ふむ……、と帝が呟く。「エゾルがあるな」

「エゾル?」

 俺は聞き返した。シェクリイが付け加える。

「東国のさらに北にある、異常気候の島だ。島内全域が禁則地となっていて誰も踏み込めない。……もっとも、草木も生えない氷と砂の土地だ。どのみち人の住める場所ではないがな」

「ああ、あの妙な場所か……」

 シェクリイの依頼で、帝が寝ている間に何か所かのアジトを設営しておいた。一か所異様に寒い砂漠地域があったが、そこがエゾルらしい。

「元老院に私の罷免権が発生するまであと一週間……。こちらも攻めに回らねば、か」

 帝がぼそりと呟く。

「……よし、シェクリイ、ましら、準備しろ。次の拠点に向かう」

 帝が目標の土地を告げた。



 半地下(アガルダ)の航路を高速で移動する大蛇、「蛇足」が停車し、仄暗い駅に二人の刺客が降り立った。階段を上がり、地上の光に目を細めながら、クラマノドカが空気を吸い込んだ。

「この鼻腔を満たす檜の香り……、鍛冶場から漏れ出る灼けた金属の匂い……、ふふ、変わらぬな、我が故郷(ふるさと)は」

 それから冷たく目を光らせる。「ただ少し……、都の香りが混じったか」

 その首にぬっと細い腕が巻き付き、水色の髪がクラマの頬をくすぐった。

「へえーっ、ここが東国不二波羅(ふじわら)かぁ。クラマちゃんのふるさとねっ。西国の森を思い出すなぁー」

「……気安く絡むな、下郎が」

 クラマが静かに押し殺した声で言い放つ。肩口に熱を感じ、ぱっと二人目の刺客が腕を離す。「やーん、怖いー、クラマちゃんてばぁ。ボクたちたった二人の使者なんだから、仲良くしようよぉ」

 少女の形をした人物はクラマと瓜二つの顔を並べ、裾の短い着物を纏った体を媚びるようにくねらせた。鼻筋の通った色白の小顔、勝気そうな目はクラマに比べ幾分たれ目気味で、癖のある髪の色も東雲(しののめ)色のオレンジと水縹(みはなだ)の青緑色という対比はあったものの、華奢で小柄な体躯や顔つきは双子のようにクラマとよく似ていた。

「それにボクたち似た者同士だしぃ? 同じ貴族でー、武官を率いて朝廷を乗っ取ろうとしたとこまで一緒。ほら、折角見た目まで君に寄せて作ったんだからさぁ、くんずほぐれつの仲で行こ?」

「気色が悪いぞ、爺が。貴様妾の父と同じ程の歳じゃろう、ヨモリ」

 クラマは吐き捨てるように言って畦道を進み始めた。ヨモリと呼ばれた少女風の彼は気にした風もなくその後を追った。道の先には、山間に陽の光を受けて輝く金色(こんじき)殿(でん)(そび)えたつ。

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