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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ザ・レイヴン
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第13話 手配

 鍾乳洞が氷柱のように先細った半地下(アガルタ)の小路に、アテネはふらつく足取りで帰り着いた。エルモリアの集めた嫗躯(おうく)の手勢たちが、主の帰還に気付いて腰を上げる。アテネは膝を付いて掌に血を吐いた。

「……! お嬢!!」

「ドクロリを呼んで……。ネヴァモアに……、特殊な細菌を喰らった。おそらくは急速に変異し続け、既にある抗体への耐性を獲得していく類のビールスよ。……ただでは討たれない女ね、まったく……」

「だから止めたのにさー、アテネちゃん。細菌対策してた先行部隊(ウチら)だって、生き残ったのあーしくらいなんだから」

 嫗躯(おうく)を率いるドクロリが姿を見せた。褐色に金髪の髪が闇の中で映える。

「とはいえその口調だと、作戦自体は成功させた感じかな? あのネヴァモア卿をやっつけちゃうなんて、やるじゃんアテネ様ー」

「! まさか本当にあのネヴァモアを……?」

 嫗躯たちがざわめく。ドクロリ細菌を取り除かせながら、壁にもたれアテネは肯く。地下の中に歓声が上がった。

「モリア様が見込んだだけの器はあるね! でも大丈夫ー? 『六歌仙』のウチですら、こうして完治するまでに丸二週間かかったんよ?」

「あなたとは肉体の強度が違うのよ。自然治癒力もね……。半日もあれば治してみせるわ」

 アテネが頬に汗を浮かべつつ、強気に返す。

「多少の代償は付いたけど……、議会の最大の障壁は取り除いた。これで計画を次の段階に進められる……」


 〇


 警察隊の本署にネヴァモアを運び込み、事情を話して保護を頼んだ。担架に載せられ施薬院へ連れていかれるネヴァモアを見送った俺は黙り込んだ。

 心身衰弱の状態とはいえ……、ネヴァモアのあの言葉が戯言だったとは思えない。12万年もの歳月を生き抜いたというのは驚きだが、朝廷の代替わりすら見届けたという長命……、なにより改造された「12人」というフレーズ……。12人の怒れる(トゥエルヴ・モンキーズ)の存在を知らなければ出てこない発言だ。俺も「12人」についてよく知っているわけではないが、あのギョロ目の博士に改造されて、未来へ実験として飛ばされた際に聞きかじった程度の事情は分かる。

 それにしても、ネヴァモア……、いや、「雨乞(あまごい)烏合(うごう)」の言う「あの人」とは一体誰なんだ……? 前々から、誰かを俺に重ねている節はあった。その誰かなのだろうか。あの口ぶりだとそいつは、23世紀の誰かのようだ。遠ざかっていたネヴァモアの記憶に引っかかっていたくらいだから、単なる他人の空似で済む話では無いように思う。とはいえ俺に兄弟はいなかったし、両親とも死別している……。誰かを妊娠させた覚えもない。……いや、それは良いとしても、彼女はどうやってこれだけの歳月を生き延びた? この12万年の間に何が起きた? 俺のいた旧世界で何が……。

「ましら」

 声を掛けられ振り返る。カミラタが扉の前に立っていた。

「……ネヴァモア卿は都南の村の廃屋で発見したそうだな」

 隊長室に招じ入れられた俺は、ソファに腰かけ肯いた。あまり来たことはなかったが、それなりに威厳のある部屋だ。壁には山水画が飾られ、牛皮で作られた黒張りの椅子が四つ向かい合っている。

「元老院も荒れてるな……。うちの一族の長も、代表権を俺に委任して隠居状態だ。老体に政争はきついとな」

 カミラタは平民出で貴族相当の位を受けた准貴族だ。

「ネヴァモアには色々と聞きたいことがあるんだが……、今の状態ではキツそうか?」

「意識が正常じゃないからな……。仮に言質を取れても裁判(くじ)では証拠にならんぞ。回復を待つほかない」

 カミラタは椅子に深く腰掛け、何気ない風に言った。「彼女の未来を視てみたらどうだ。いつ回復するか分かるやもしれん」

「俺に視ることができるのは俺自身の経験する未来だけだ。予知をしなかった場合に訪れるはずだった未来。他人のは分からん」

 俺は膝の腕で手を組みながら答える。窓の外で風に吹かれた木々がしなる。

「そういう話だったな……。だが今後ネヴァモア卿に会わないわけではあるまい? お前の未来のどこかの時点で、その後の状況が知れるはずだ」

「……たしかにな」俺は手を膝の上に載せ、目を閉じた。試す価値はある。一分先、一時間先、それから徐々に先の未来を紐解いていく。

 あまり先の未来に関する情報は、不確定要素が大きく断片的だ。狙って特定の日付の情報を手に入れことはできない。垣間見える切れ切れの映像を繋いでいくしかない……。

 ネヴァモアの姿……、が、あった。数か月以上は先だ。暗がりの中でよくは見えない。部屋の中だ。燭台の灯が後ろで揺れている。髪紐に手をかけ、彼女が髪を解こうとして……。

 次の瞬間、筋肉を痛めつける強烈な痺れを俺は感じた。俺は予知をやめ咄嗟に目を開く。カミラタの伸ばした指の先から、細長い電流が迸っていた。

「カ、カミラタ、お前……⁉」

「悪く思うなよましら、お前には逮捕命令が出ている」

 部屋のドアを蹴り開けて、隊員たちがソファの周りを取り囲んだ。メルの姿もある。カミラタは懐から手錠を取り出して俺の手にかける。ライブラ族の奥土器のようで、電撃が流れ去らず感電状態が持続する。

「ここ数日のお前の位置情報は筒抜けだった。こいつでな……」

 カミラタは俺の襟元をまさぐると、小指の先ほどの小さな装置をつまみ出した。「電波を拡散するライブラ製の奥土器だ。発信器の役割を果たす。依頼を受け、お前が転移した場所を調べさせたら、人気のない隠れ家に、帝のいた痕跡が残っていた。言い逃れはできん」

 あの時か……! 俺は僧侶たちの呪殺祈祷を見せつけられ、帝の隠れ家まで飛んでいったことを思い出した。あの時アテネは俺の肩に触れた。その際に仕込まれていたのだ……!

 転移を試みてみるが、座標が乱されて空間移動ができない。ジャミングが効いている。以前白鵺たちに使われたものと同様だろう。

「お前も事情あってのことだろう! だが証拠が出ている以上お前を逮捕しないわけにはいかん。悪いようにはせん、今は大人しく捕まっておけ。話はそれからでも……」

「お前を信じたいがな! カミラタ。今は警察隊より大きな力が働いてる! 一度捕えられてしまえばおそらく、俺は事が済むまで蚊帳の外だ!」

 俺は唸り声を上げて野生の力を解放する。細胞が覚醒し獣の肉体に変貌を遂げていく……。感電した肉体を無理やり動かし、腕力で手錠を引きちぎった。

「野風化だ!! 抑え込め!!」

 軍刀を持った上級らしい隊員が号令をかけ、一斉に襲い掛かる。俺は彼らを薙ぎ払い、カミラタに叫ぶ。「アテネに気を付けろ、カミラタ‼ カプリチオ事件もリリ殺しも、皇族誘拐も全てあいつの仕業だ! ネヴァモアも多分あいつの手にかかった!」

「アテネが……?」

 カミラタは信じられないという表情を浮かべた。俺は警察隊員を払いのけ、窓に向かって猛然と駆け出した。「人外座主マシラ=ソソギ! 観念しろ!」上級官らしき隊員が立ち塞がる。

「私は警察隊副隊長・〈雷公〉べリサリウス!! いざ尋常に……」俺は野風の腕を振り抜いた。軍刀を盾に防御したべリサリウスの体が横薙ぎに吹き飛ぶ。俺は窓ガラスをぶち破って夜に飛び出した。

 後ろでカミラタが追跡の号令を出すのが聞こえる。俺は夜の街に姿を消した。


 〇


 扉の開く音が聞こえた。

 その部屋に、自身の発する以外の音が響くことはついぞない。囚われの者は隈のできた眼をじろりと動かし、音のした方向を緩やかに振り向いた。

 幻の陽光が差す、異次元空間に作られた牢獄・「空中楼閣」。その一角に、緑の耳飾りを揺らして一人の少女が歩み入った。

「……お前か」

 囚人は、久方ぶりに発する声に喉を掠らせながら口角を上げた。「客人とは珍しい……。()い知らせを運んできたのか? アテネ」

「ご期待に沿えると思いますよ」

 アテネは太陽の下に不敵な笑みを浮かべる女囚を見下ろした。

「ここから出たいとは思いませんか? クラマノドカ殿」


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