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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ザ・レイヴン
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第11話 墓参

「今は放っときなよ」

 翌朝、ボアソナードの墓の前に俺を連れてきてニミリが言った。

「スペクトラのやつ、近頃ずっとあんな感じなんだ。ボアソナードの件がよほど堪えてると見る」

 東国に新設された野風の共同墓地には、まだそれほど多くの墓はできていなかった。墓石のようなものはなく、小高く盛られた土の上に特定の形に組んだ木の棒が刺さっているだけの簡素なものだった。近くには夷との戦いで戦死したクロウの墓もある。片手の拳を軽く握り、目を閉じて伏せた額に親指側から預ける。ちょうど帽子のつばを握って一礼する時の姿勢。野風流の黙祷だ。

 気の早い蝉がしみじみと鳴いていた。俺は目を開けて呪詛についてニミリに尋ねた。

「今時呪詛なんて、呪殺祈祷衆の仕業だろうね。もともとは五行寮っていう朝廷の一部署だったんだけど、帝が即位したあたりで解散させられたんだ。時代遅れだってね。部隊はその後ジェミナイア族長が引き取ったはずだけど……。今は元老院の共同管理になってるのかな? まあともかく、居場所の分からない相手を攻撃できるんだ」

「手配中とはいえ、まだ譲位は成立していないんだろう? 帝を殺そうするのは、アテネにもリスクがあるんじゃないか?」

 ニミリは指を振って見せた。

「呪殺ってのは元来成功率の低いものだからね。まず個人じゃ無理。彼らも集団で祈祷してたろう? 複数の民族、プロが寄り集まって念じるんだ。能力が混じりあって魔法のような効果を発揮する。それでも死に至らしめられるようなケースはほとんど無い」

 ニミリは説明した。

 もともと呪詛は狂花帯能力を超えた魔法や呪いの類と認識されていたらしい。単一の民族では引き起こしがたい異常な現象が超常の力として考えたためだそうだが、現代ではそのメカニズムが紐解かれつつある。ミノタウラ族の運命操作、カプリチオ族の怨念操作、ヴァルゴー族の心臓操作など……、複数の要素が混じり合い作用することで対象者には原因不明の「不幸」がふりかかる。ミノタウラ族の能力は特に使用者の現実認識の在り方が反映されるため、儀式的な手続きを経ることが多いらしい。こうした能力の不確実さ、不透明さ、儀式的な振る舞いが相まって呪詛は魔法(まじない)としてのカテゴライズに甘んじていたという。

「つまり罪には問われないわけ。大方ましら君の反応を試すためにやったんだろう」

「長老が灰を撒いてたのは?」

「あれは経験則による呪術対策だよ。ミノタウラの狂花帯能力ってのは現実干渉能力だから、『非合理な手続き的行為』によって乱せる場合があるんだ」

「非合理的な……?」

「まあ端的に言えば」ニミリはにやっと笑った。「こっちの世界観(ペース)に巻き込むってことだよ」

 小難しい話だな、と思いながら俺は曖昧に肯いた。ともかく物理的な手段とは別に、特定の手順を使えば防げるらしい。いよいよ呪術的だ。

「とはいえ……、ダメージを与えられたことは事実だろう。帝は大丈夫なのかな? そんな呪いなんて喰らって」

「本人に直接聞いたら良いじゃん、ほら」

 ニミリが指をさす。帝のいる寝所の襖をあけ、ボアネルゲがこちらに気付いた。

「本人ってか、衛生官だな。帝の調子はどうだ? ネルゲ」

 靴をつっかけてネルゲが縁側から降りてきた。

「脈拍は安定しています。ひとまず心臓に問題はなさそうです。連日の心労がたたったんでしょう。二、三日は安静ですね」

 ネルゲは言った。呪殺祈祷は物理的な攻撃というより……、対象者に負荷や禍い近づける能力らしい。こちら側に負の要因があればそれだけ付け込まれやすくなるということか。

「しばらく帝を動かすのは難しそうだな……。ここで匿ってもらうことになると思うが……。ネルゲもすまない、警察隊員だというのに協力させてしまって……」

 本来、帝の身柄を押さえ本部に報告しなければならない立場だ。他に頼る相手がいなかったとはいえ、警察隊を裏切らせるような真似をさせてしまっている。

「帝をみすみす絶えさせるわけにはいきませんから……、むしろ連れてきていただけて良かったです。それに……、目の前の病人を放っておけませんしね」

 衛生兵の鑑のようなことを言う。ネルゲは更生したリリのもとで医療技術を学んだ隊員でもある。その教えも引き継いでくれているらしい。カミラタから、ネルゲが志願して探題の連絡官に赴任していたと聞いていて良かった。

 俺はリリの部屋に居た時面倒を診てくれたことの礼を述べ、引き続きの帝の看病を頼んでネルゲと別れた。

「アテネちゃんがましらクンに目を付けてるとなると、ここがバレるのも時間の問題だね」

 ニミリが深刻な表情で言う。

「物証を見つけようにも証拠品は全て警察隊の隊舎だ。アテネちゃんが事件の犯人という証言者を探すしかないんじゃないかな」

「ああ。ひとまずネヴァモアとは話が付いてる。とはいえ、ネヴァモアに真相を教えた張本人(エルモリア)が、アテネの手に落ちてるからな。その筋で証言をさせても覆される可能性が高い……。やはり別の証人が必要だ」

「とは言っても、助けが多いに越したことないでしょ。最悪正面対決になるかもしれないんだし」

 考えたくはないが、その可能性もたしかにあった。だが俺も帝もなるべくなら穏便な解決を望んでいた。

 俺は軒下に咲いた白い百合の花を眺めた。

「とりあえずネヴァモアに相談してみるよ。……今夜落ち合う約束をしてる」


 〇


 城下露店街の路地裏、迷路のような細い道を進む。その人影は、壁に挟まれた目立たない裏木戸をくぐった。外からは見えない秘密の抜け道がそこには存在する。

 路地は崩れた廃墟で行きどまった。表路地からは瓦礫でたどり着けない廃墟の裏側である。影は柱が折れ倒壊した木造の建物の、二階部分の窓枠であったであろう穴に潜り込んだ。

 瓦礫は外観だけであり、中には蜘蛛の巣の這う石造りの階段が続いている。地下まで降りるとそこにはそれなりの広さを持った隠れ家が存在していた。

 扉の隙間から、ランタンの明かりが漏れ出している。

「……ネヴァモア卿」

 暗殺者は、標的の名を呟いて笑みを浮かべた。

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