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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ザ・レイヴン
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第10話 秘密

「ましら伯。復帰されたそうで、何より……」

 談話室の場所を探して御所の内をうろうろしていると、アリワラが遠くから声をかけてくれた。先日の帝の騒動で元の議場が破壊されたらしく、以後の元老院会議は別室で行われていると聞いていた。御所はそれなりに広いので別会場への道を見つけるのに閉口していたところだった。わけを話すと道を知っているアリワラが案内してくれた。

 アリワラは年若く自信なさげなところがあるが、近くで見るとなかなかの美男子である。それでいて物腰柔らかく、俺のような外様(とざま)にも他意無く接してくれる。そのせいもあってか、奥手に見えて異性の噂はたびたび耳にする。悪評でないのがアテネ(サテュロス)との違いだ。

「正直ましら伯に戻ってきてもらえて、力強いです。今元老院は荒れてます。先日もオンリエド伯が警察隊に捕縛されたばかりで」

 屋上のテラスへと続く螺旋階段をのぼりながらアリワラが語る。

「レオニア族長の後任だったか……。帝絡みか?」

「いえ、直接にはそうでなく。帝という調停者がいなくなったことで、議場内の勢力図が民族間の影響力の大きさに直結するようになりました。一応はネヴァモア卿が舵取りを担ってくれていますが……、それも仮のとりまとめ役です。実質的な権力を掌握しようと、陰で色々な民族が暗躍しています。エド伯もその一人だったというわけです」

「他の元老院を排除して、今後の政治的立場で優位に立とうとしたってことか。狙われたのは?」

 螺旋階段は各階の廊下に繋がりながら長く続いている。部分的にレンガ造りの外壁に接していて、吹き抜けの構造になっている。窓の部分にはステンドグラスがはめ込まれ、色とりどりの光を階段に落としていた。

「アテネ嬢です。エド伯は前任のゴングジョード卿と白鵺ら脱獄メンバーを匿っていたらしく、彼らを刺客としてアテネ嬢に差し向けたようですね。幸いアテネ嬢は彼らを撃退し、警察隊に遺体を引き渡したそうです。あの二人を返り討ちって、すごい実力ですね、アテネ嬢……」

「遺体って……、殺されたのか?」

 アリワラも言いづらそうに首肯する。今さらというか、既に凶悪な事件を起こしているとは言え、アテネが人を殺めたという報告には未だに馴染めないものがあった。

 やはり変わってしまったのだ。アテネは。

 俺の表情をアテネが襲撃されたことへの憂いと捉えたらしく、アリワラは同情的な素振りで俺の肩を叩いた。

 議場に入ると既に大半の元老院が到着していた。拘禁中のエド伯とイタロが欠席なのは当然として、ネヴァモアの姿が見えないのが気になった。

「遅かったわね、ましら伯にアリワラ公」

 ソファに優雅に腰掛け、アテネが冷ややかな目で呼びかけた。「あなたたちまでどこぞの襲撃を受けたのではと憂慮したわ。それはそうと……、ネヴァモア卿が心配ね?」

 意味ありげにアテネが口角を上げる。襲撃……、まさか、と俺は背筋を凍らせる。

「心配をかけてすまない」

 背後の扉が開いて、淡白な声が通った。アテネが表情を強張らせる。俺は声の方を振り返る。「同じく狙われはしたけど……。私も返り討ちにした」

 ネヴァモア=アリエスタが、会議の場に現れた。


 〇


「ネヴァモア!」

 会議が終わり立ち去ろうとするネヴァモアを、俺は階段を駆け下りて呼び止めた。規則正しく揺れる薄っすらと水色の滲んだ白のツインテールが、静かに振り返る。「ましらそそぎ」

 ネヴァモアの頬には仄かに光る痣のようなものがあった。負傷ではなく、ジェミナイア製の分身……、複製体(レプリカ)の証だ。おそらくアリワラあたりが協力したのだろう。それならそうと言っておいてほしいものだが……、多分この情勢下で協力関係を明かしておきたくないという判断だろう。二人も警戒しているのだ。

「……元気そうだ。襲撃を受けたって言ってたから……。大丈夫か? 敵は?」

「撃退した。主犯格数人は仕留め損ねたけど、手傷は負わせた。誰の手引きか、言質はとれなかったけれど」

 大方察しは付いているという空気でネヴァモアは答える。平静を装ってはいるが、本体を隠し分身を寄越してきたということは、襲撃の脅威もそれなりに感じ取っているということだろう。

「用件はそれだけ?」

「! いや……、もう一つ……」俺は周囲を見渡した。会議終わりで下へ向かっている元老院がちらほらいる。俺は一つ下の廊下までネヴァモアの手を引いて行って、声を落とした。「……アテネのことだ」

 俺の表情と口調から、ネヴァモアは全てを察したらしい。「『聞いた』のね……。それとも自分で気づいた?」

「両方だ。(かのじょ)は今、安全な場所に避難させてる。証人が必要だ。アテネの犯行を立証する……」

「そんな所で何を話してるのかしら?」

 かつんと靴音が廊下に響く。議場から出てきたアテネが、いつの間にか遠くに立ちふさがっていた。

 会話の内容が聴こえる距離ではない。が、俺は思わずネヴァモアから離れた。

「あら、良いのよ、気にせず続けて。私もおしゃべりに混ぜてほしいわ。……それとも、人には言えないプライベートな相談かしら?」

「そんなところ。私的な秘め事に干渉する権利はない」ネヴァモアが無表情に言ってのける。アテネの眉がぴくりと震えた。「おいネヴァ……」挑発的なネヴァモアを諫めようと振り向いたところで、ネヴァが腕を斜め下に引っ張る。自身の顔の高さまで俺の耳を近づけ、声を落としある地点の場所を囁いた。

「……私の隠れ家の近く。今夜、宵五つの鐘が鳴る頃に来て」

 ネヴァモアはほとんど唇を動かさず伝えた。「助けが必要なら協力する。(かのじょ)にもそう伝えて」

 それだけ言ってネヴァモアは足早に廊下を去って行った。残された俺はアテネに顔を戻してぎょっとした。アテネはこめかみに青筋を立てて怒気を放っていた。しかしふっと息をつくと人が変わったように落ち着きを取り戻し、俺に他人行儀な笑みを投げかけた。

「ちょうど良いわ。ましら、あなたに見せたいものがあるの」

 躊躇したが俺は歩き出すアテネの後ろに従った。複雑な御所の内側を縫ってアテネは一つ下の階へ降りていく。重たい鉄扉を開くと、窓のない部屋から暗闇と抑揚のないノイズのような音が漏れ出してきた。

 目を凝らした。松明の赤い光の中で、数珠を携えた僧服姿の坊主たちが、白装束を纏った皇族たちを床に横たえて一心不乱に経を唱えている。

「……こ、れは」

 異様な光景に俺は喉を鳴らした。「彼らは朝廷呪殺祈祷衆。朝廷子飼いの呪殺を得意とする密教集団……。少し早めに動いてもらうことにしたわ」アテネがそっと背中に触れて囁く。「呪殺なんて古臭い方法、そうそう効果ないとされてるけど……。『心臓に欠陥のある人』ならどうでしょうね?」

「……! まさか……っ」

 俺は扉の外へ駆け出した。走りながら瞬間移動し、帝のいる納屋へ一足飛びに飛ぶ。

「帝!!」

 レンガの壁が、隠れ家の土壁に一瞬で変わる。床の上で心臓を押さえた帝をシェクリイがどうにか介抱しようとしている。「……ましらか!! 良い所に来てくれた、帝が急に苦しみ出し……!!」

 帝の顔は蒼白く、床に額づいて末期のような呼吸を繰り返している。手の先は震え不規則なリズムで痙攣していた。

「どうなってる! 春宮(とうぐう)践祚(せんそ)されたのか⁉」

「いや、狂花帯攻撃だ!! 遠隔で呪詛を喰らってる!」

 俺は手短に言って帝とシェクリイの体を掴んだ。「俺たちでは手に負えない! 誰が対処できる?」

 民間の医師ではだめだ、足が付く。ネヴァモアはまだ避難先に辿り着いていないだろう。他に協力してくれそうな人間は……。

 はっと俺は気付いた。医療の知識があり、こちらに好意的な人物。

 俺は二人を連れ空間を跳躍した。遠く東の都市へ。


 〇


 ニニギニミリは鼻唄混じりに湯の沸いた鉄瓶を囲炉裏から取り上げた。東国の工匠たちの手によって仕上げられた金属器。夷の統治下から野風の管理下に変わり、初めは軋轢のあった職人たちだったが、長いこと多宗派の混住地域を取り仕切っていたニミリの手腕もあって、近頃は上手く関係を気付くことができている。

 鉄瓶は彼らお得意の錬金術で生成された黄金製だった。一つ間違えば悪趣味に陥りそうな金の器だが、陰影を吸い込む微妙な光沢のかかり具合が見事な幽寂さを宿らせている。大した技術だ。

「ニミリ君は茶の淹れ方が上手いねえ」

 湯気の立つ煎茶を啜って、旧東面の長老が呟く。

「これからの時代、野風も文化を身に付けなくちゃね。慣らしたもんだろう?」

 二つの湯呑に茶を淹れて鉄瓶を置くと、ニミリは傍らでかしこまった衛生官のボアネルゲに勧めた。「ネルゲちゃんもどうぞ。勤務中と言っても、お茶を飲むくらい許されてるだろう?」

 ネルゲが律儀に礼を述べて手を伸ばしたところで、音を立てて囲炉裏の端に三人の人塊が出現した。「うおッ!!」湯呑が倒れ畳の上を湯が走る。鉄箸を構えとっさに侵入者に向けたニミリは相手の顔を認識してその手を下げた。「ましらクン? ……と、誰……⁉」

「ネルゲはどこだ⁉ 呪詛の攻撃だ! 処置を頼みたい‼」

 ましらは素早く部屋の中を見渡し、ネルゲを発見した。ネルゲが驚きながらもすぐに駆け寄る。

「これは……。ニミリさん! 帝は不整脈を起こしています! 打出小槌(うちでのこづち)をここへ!!」

「その人帝(みかど)なの⁉」情報量の多さに戸惑いながらも、ネルゲの勢いにニミリは迅速に部屋を飛び出した。

「長老もいたか……! ヒト族の呪術には詳しいか?」

「ああ……、宗派が違いますよ」

 長老は言いつつも襖を開けて囲炉裏の灰を四隅に等量並べ始めた。「霊長教會のものとは違いますが……、12民族の(まじな)いは戦争でなんどか目にしてきました。対抗策もいくつか心得ているつもりです」

 ニミリが飛び込んできて打出小槌を差し出した。長老が湯呑を空け灰の山の上にかぶせる。ましらが小槌を受け取って帝の心臓の上にあてがう。

 小槌の鼓を叩く。衝撃が拡大して帝の体が跳ねた。

 一同が固唾を飲んで見守る中、大きく息を吸うとともに帝の目がかっと見開かれた。

「……効いた」

 荒く息を突き、上体を起こした帝が胸を押さえた。シェクリイがネルゲを窺う。帝の手首に指を添えたネルゲが肯く。「脈も正常です」


 〇


「で……、絶賛御(おん)手配中の帝とましらクンが、なんで一緒にいるのさ」

 事態が鎮静化してすぐ、東国根拠地・金色殿には野風の頭たちが招集されていた。帝はシェクリイの護衛のもと奥の間に布団を敷いて休ませてあり、一同は詰問するような形で俺を取り囲んだ。

「……巻き込んですまない。他に頼める相手がいなかった」

 俺は頭を下げ事の経緯を説明した。

 長老・ニミリ・グラムシの面々がそれぞれに反応しながら俺の話に耳を傾けた。スペクトラは柱に身を預けたまま腕組みして沈黙していた。

「……アテネ、と言うのはあの時の小娘だろう? 『緑衣の(グリーン・ゴブリン)』を負かすほどに成長しているとはな」

 グラムシが胡坐をかいて唸る。魔境での抗争時、ニミリ・グラムシの西南連合と俺たちとの戦いにアテネも参加していたので、グラムシにも話は通じた。鬼の強さも身に染みて分かっている。

「正直信じられないよ……。アテネちゃんがそこまでの虐殺やクーデターを起こすなんてさ。夷討伐パーティーの時の彼女からは、想像もつかない」

「俺も信じたくはなかったが……」

 俺が目を伏せて呟くと、黙って話を聞いていたスペクトラがやっと口を開いた。

「問題は、逃亡の身の帝をお前が連れてきたということだ。これで朝廷と野風は敵対することになる」

「スペクトラくん、そういう言い方は……」

 諫める口調の長老を、スペクトラはじろりと睨み返した。

「俺は事実を指摘しているまでだ。やっとここまでの地位を獲得し、朝廷とも友好関係を築き始めた俺たちに、こいつは最大の爆弾を放り込んだんだ。『座主(ざす)』としてあるまじき行為だろうが」

 スペクトラは憮然とした表情で続ける。「やっと顔を見せたかと思えば……」

「蛮臣クン。そいつはちょっと厳しすぎるんじゃない? ましらクンはドクターを失って精一杯だったんだぜ。ボアの葬儀に参列しなかったことは許してやれよ」

 俺ははっとした。リリの死と同じ日に、俺の友人でスペクトラの片腕でもあったボアソナードもまた、地底回廊に埋められたのだ。二か月の間塞ぎ続けていた俺はそのことを知らなかった。グラムシがニミリの意見に同意する。

「起こってしまったことは仕方ないなぁ。ましらの話が正しければ、帝は嵌められただけだ。帝が無事疑惑を払拭できれば、俺たちのやったことはむしろ朝廷への大きな恩となる」

「勝てば官軍か……」ニミリが腕を組む。

「負ければ賊軍だ」

 スペクトラが短く言って柱から身を離した。

「何にせよ今回の件、朝廷に漏れればヤバいぞ。今後の方針は慎重に考えねば……」

 スペクトラは低く言い残して部屋を後にした。「スペクトラ」俺はその黒い背中に呼びかけたが、彼は振り返らなかった。


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