第8話 アームチェア・クリミナル
褐色の女は、ネヴァモアの掲げたランタンの光に眩しそうに目を細めた。「白羊宮」……、明かりを落としたネヴァモアの屋敷の中にその女は現れた。
「こっち向くなって言ったのに。なんで人の警告を聞かないかなぁー」
ネヴァモアはじっと少女を観察した。10代後半程度、ブロンドの長髪をポニーテールに束ね勝気そうな目でこちらを見ている。黛は濃くへそを出した短い衣服ではあるが、その上に羽織っている装飾過多な黒の僧衣は、半地下のそれに酷似していた。
「元老院最年長ってゆーから、どんなかおばーちゃんかと思ったら、アタシとそう変わんないじゃん? なんならガキっていうか」
「2万年は生きてる。少なくとも貴女よりは年上」
「2まッ……⁉」
女は目を剥いて大袈裟に驚いてみせた。「つって、凡そ話には聞いてたんだけどね。しかし実際に目の当たりにするとびっくりだなぁー。不老不死ってマジ?」
「そんな人間はいない。いるとすれば神だけ」
ネヴァモアはすげなく答えてランタンを棚に置いた。分かんないよー、ルジチカ妃の例とかあるからねえ。と食い下がる女にネヴァモアは質問を投げかけた。
「その服装、半地下の『嫗躯』の装束によく似ている。あなたを差し向けたのは陰府法王(リンボ=エルモリア)? それとも……、アテネ?」
「んー? どーだろねぇ。法王様は警察隊に捕まってるって聞くし……、それにアテネ様? だっけ? 元老院の人がおねーさんを狙う理由があるかなぁ?」
わざとらしく首を傾げてみせて女が答える。ネヴァモアが不服そうな目をしたのでふふんと鼻を鳴らす。
「そーね、『嫗躯』の装束ってなぁ当たってるよ。アタシは『六歌仙』の一人、二代目『卒塔婆小町』、ドクロリ=デ・ライブラ。ネヴァモアちゃんのお命頂戴しに来たってわけ」
ドロシーが片手を頭の高さに挙げて合図する。「……!」暗闇からずらりと黒ずくめの男女が現れ包囲した。
「ネヴァモアちゃん相手に一人で乗り込むわけないじゃん。言っとくけど、半地下は警察隊ほどぬるくないからね!」
ネヴァモアが構える。ドクロリの合図で一斉に部下たちが襲い掛かった。
〇
幾重もの監視が張られ厳重に警備された獄舎の奥を、アテネ=ド・カプリチオは進んだ。周囲に檻はあるがひっそりとして誰もいない。その割に官吏の数は多く遠くから一つの房を睨むようにして警戒網が敷かれている。アテネは周囲の警吏を下がらせると、二重扉になっている立方体の房を開錠した。
「やあ」
房の内側のさらに立方体になった檻の中に、エルモリアが胡坐をかいている。アテネは警吏が持ってきた椅子を鉄格子の前に置いて、外の扉を閉めさせた。
「ひどいじゃないか。私をこんな場所に閉じ込めるなんて」
エルモリアは後ろの格子にもたれ退屈そうに膝を伸ばした。アテネが椅子に座り足を組む。両耳の緑の耳飾りが軽く揺れる。「白々しい演技ね。あなたを閉じ込めておける檻なんて、どこにもないでしょうに」
「クク、それもそうだ」
モリアは愉快そうに唇を歪める。言葉とは裏腹に、獄に繋がれていることに不満はないらしい。モリアは既に死罪を言い渡されていたが、余罪の多さに長期の執行猶予を与えられていた。モリアの証言によって解決する未解決事件が山のようにある。モリアも表向き警察隊に協力的な素振りをしていた。囚われの身とは思えないほどくつろいでいる。この程度の獄舎、いつでも抜け出せるという顔だ。
「悪く思わないでほしいわね。協力関係とはいえ、あなたのことを完全に信頼したわけじゃない。当座の目的が達成されるまでは、あなたを監視して置ける方が、何かと都合がいいのよ。信用してほしいなら、大人しくしておくことね」
「分かってるよ。私も次の計画が始まるまでの暇つぶし、どうせなら面白い動乱を見たい。君の邪魔をするつもりはないよ」
「計画ね。例の『冥王』ってやつの? 残念だけど『冥王』はもういないわよ」
地底世界の奴餓鬼たちを束ねる伝承上の存在、『冥王』。ましらとグラムシの潜入によって、その正体は旧世界の「人工頭脳(AI)」であったことが分かった。二人によって既にその母体は破壊されたと聞いている。
「どうかな」エルモリアは悠然と答えた。
「で……、外の世界はどうなってる? 私の予想では、元老院の舵はネヴァモア卿が握っているはずだけど」
「ええ、そうなったわ。あなたの貸してくれた嫗躯の部隊を遣わせている」
「ドクロリの部隊か。優秀だけど、ネヴァモア卿相手じゃあ分が悪いんじゃないか? なにせ彼女は、我が右腕モランを葬った女だからね。八虐では下位の実力とはいえ、私の右腕だぞ」
「能力的に相性の良い面子を向かわせたわ。殺せないまでも、それなりの手傷は負わせられるでしょう。次の議案が通るまで議会から遠ざけられれば、今は充分よ。いずれ始末するにしても……、本気で狙いを定めるには、時期尚早。帝の捜索を進めながら事を構えるには、コストのかかりすぎる相手だもの」
アテネが強弁するのを、モリアは黙って受け止めた。ネヴァモアの戦いを目の前で眺めたことがある分、作戦の結果を正確に思い描けている様子だった。
「牽制は結構。でも、私の優秀な部下を簡単に使い捨てないでくれよ。苦労して集めなおした半地下の精鋭なんだ。……まったく、いくら半地下を収めていたと言っても、それは二十年も前の話なんだぜ。お嬢様は人使いが荒い」
モリアはぼやいた。かつて陰府法王として君臨し、無法状態の半地下を統一した経験のあるエルモリアに対し、アテネは再び兵を招集するように要求していた。
「ところで、ネヴァモア卿を狙うなら、私からもう一つ。私が思うに彼女の正体は……」
ぼそぼそと探偵は自らの推理をアテネに伝えた。その情報にアテネは椅子の上で微かに身を固くした。
「……その話は確かなの」
険しい表情でアテネが訊く。
「あくまで推理にすぎないよ。もちろん、この王都で最も信頼に足る推理だがね」
伝説の探偵の太鼓判に、アテネは席を立った。
鬱蒼とした森を抜けて、アテネは馬車道までの帰路を辿った。監獄は既に山並の中に遠のいている。生ぬるい風が林を吹き抜け、ざわざわと梢を揺らした。
モリアの推理が真実だとすれば……。
アテネは顎に手を当てて考える。それはネヴァモアの弱点に成り得る情報だった。
「……」
木々が不穏に揺れる。
アテネは足を止めた。さきほどから、二つの気配が、背後の木の陰からこちらを睨んでいるのが感じられた。
「……乙女を付け回すのは、感心しないわよ」
アテネは振り返り、気配のする方へ告げた。
「監視のための尾行ではなさそうね。殺気を隠す気がないなら、正面から戦えば?」
挑発に、叢ががさりと動いた。二つの影が林の道に飛び出す。「最強」の血を継ぐ異形の野風・白鵺。そしてレオンブラッド族元族長・ゴングジョード=レオンブラッド。三大監獄・地底回廊の最重要脱獄者が二人、アテネの前に姿を現した。




