5話
「リリアーナ!?」
驚いたクラウスの声を聞きながら、リリアーナは川に飛び込んだ。
川の流れは穏やかだ。そして幸いにも足が付く。これなら大丈夫そうだ、とリリアーナはついでに汚れを落とせたことを嬉しく思いながら川の中へ手を突っ込んだ。
「なにしてるんだ! 危ないだろう!」
慌てたクラウスが川の中へ入ってくる。
当然のように、彼が濡れた様子はない。幽霊とは便利だなとリリアーナは思った。
「うるさい大馬鹿者は黙ってて。私は指輪を探しに来たの」
「大馬鹿って、リリアーナ、今の君は冷静さを欠いている。指輪が川に落ちていたらとっくに流されているし、そもそも僕は君にそこまでしてもらう男じゃない!」
「貴方が亡くなった日から雨は降ってないしここの川は穏やかだし可能性はある! もうほんっと口しか回らない男なんだから!」
リリアーナはきっとクラウスを睨んだ。怯んだようにクラウスが身を震わせる。
「死んでほしい? それもクラウスの本音なのは分かったわ。でもそれだけじゃないのも私は分かってる」
「それだけじゃない……?」
「そんな重苦しい執着見せた癖に、貴方は私の背中を押していたじゃない」
人間関係を改めるように、クラウスは言った。
生前の彼からは思いつかないような直球の言葉で。
「死後の世界に来てもらいたい? そうかもしれないわね。私だってそう思うわよ! でも貴方は、指輪探しよりも私の人間関係の方を変えようとしたじゃない!」
「——」
「私が路地に入るのも止めた。襲われた私を助けようと声をあげた。私の死を望む自分にショックを受けた……!」
「それ、は」
「貴方は、私に死んでほしいと願うのと同時に、生きててほしいって思ったんでしょう。生きて、幸せになってもらいたいって、そう」
クラウスの顔が歪んだ。
ああほら、と思う。高慢でもなんでもない、長年隣にいたからこそ分かる彼の心情を、リリアーナは正確に読み取って。
「なーにが君が思ったような人間じゃない、よ。貴方はずっと、私が思ったような人間よ」
「——」
「ちょっと自分に性格悪いところがあったからって、びっくりしてるんじゃないの!」
川の水は冷たい。
指の感触がなくなりそうだ。それでも必死に水をかき分け、岩の隙間にないか探す。
そして、リリアーナは立ち尽くす幽霊の婚約者に向かって言った。
「早く探して。私、貴方からの指輪が欲しいの!」
クラウスは、泣き出しそうな顔を見せた。
それから、無理やり笑みを浮かべた不格好な顔で、
「ずっと前から言おうと思ってたけど——君、思ったことすぐ言うの止めた方が良いよ」
「うぐっ」
「ああ、でも、そうだね。うん」
クラウスが隣に並ぶ。
「僕の未練は、変わらない。君に指輪を探して渡したい。君に幸せになってもらいたい」
「……!」
「幸せに、生き続けてほしい」
クラウスは、指輪を探し始めた。
「お嬢様!? 何してるんですか!?」
そこへ侍女が現れた。飛び出したリリアーナを探していたのだろう。侍女は川辺ギリギリまでやってきて、リリアーナの姿に悲鳴をあげた。
「お風邪を引いてしまいます! は、早く上がってください!」
「ごめん、上がれない! 探し物をしてるから……」
「……! もしかして、お嬢様がここ数日ずっと悩まれていたのは、それですか?」
侍女は目を丸くすると、強い意思を浮かべた表情でえいやっという掛け声と共に川に飛び込んできた。
「え、なんで……」
「お嬢様は覚えていないかもしれませんが、私は昔、お嬢様に助けてもらったんですよ」
リリアーナは困惑した。目の前の侍女は古株だが、そんなことをした記憶がない。
そんな主人の心情を正しく察したのだろう。侍女は楽しそうな笑みを浮かべた。
「新人の頃、壺を割ってしまったんです。あの頃の私は、解雇されたら行く宛がありませんでした。ですがそこへお嬢様がやってきて、庇ってくださったんです」
「……そうだった?」
「リリアーナさん!」
そこへ令嬢が現れた。
馬車から降りた彼女は、慌てた様子で川辺までやって来る。彼女まで探してくれていたとは、とリリアーナは驚いた。
「良かった、見つかって……まあ? 水遊び?」
「違う、探し物! あ、違います! 探し物です!」
丁寧な口調を崩しかけ、リリアーナは慌てた。
令嬢は一瞬呆気に取られた様子だったが、すぐに口元を手で覆って笑い声を零す。
「いいわ、普段の言葉遣いで。リリアーナさんとはずっと前からお友達になりたかったの。それで、探し物ね、うんうん」
令嬢は少しだけ悩んで、ドレスの裾を持ち上げたかと思うと、
「きゃっ、冷たいわね」
「ええっ!?」
リリアーナ達と同じように、川の中に飛び込んだ。
令嬢のお付きたちが慌てる。しかし令嬢は気にした素振りはなく「探し物って、もしかして指輪?」と首を傾げた。
「なんで……!?」
「あら、私ずっとリリアーナさんと仲良くしたかったの。以前のお茶会、覚えている? 私の悪口を言われていたのを、リリアーナさんが一喝してくれたの。以来、リリアーナさんはお茶会に呼ばれなくなっちゃって、申し訳ないことをしちゃったって思ってて」
「ええ……」
覚えていない。
貴族令嬢の顰蹙を買うのなんて日常茶飯事だったから。割った壺もだ。なんとなく、母に怒られた記憶はあるけど……とリリアーナは昔を思い出す。
「お前たちも一緒に探してちょうだい~!」「あ、お嬢様いたぞ!」「何してるんですかぁ!?」「お嬢様失くし物してしまったんだって!」「大変だ!」「何落とされたんですか?」「うわつめてっ!」
「え、え……ええ?」
気が付けば。
川の中に見知ったばかり。冷たい水を気にした様子もなく、リリアーナの落とし物の為に腰を曲げて岩の間をまさぐってくれている。
そして誰もが口を揃えて言うのだ。
「リリアーナ様には、良くしてもらったことがあるから」
そんなこと、リリアーナの記憶にはない。
でも誰もが口を揃えて言うのだ。リリアーナの善行を、良くしてもらった思い出話を。
「——。ありがとう」
リリアーナの言葉に、手を止めた彼らは一瞬驚いた後——嬉しそうに笑って、捜索を再開させた。
「……クラウスの告白よりびっくりかも」
「こら」
ぼそりと呟くと、クラウスが拗ねたように言った。
唇を尖らせ、あからさまに拗ねていますといったクラウスの表情は、リリアーナが初めて見る表情だった。
「あーあ。気付いちゃったな。リリアーナを理解したいと思っている人が、たくさんいること」
その口振りは、前々からそれに気付いていたかのようなものだった。
気付いてて、あえて何も言わなかったのだ。リリアーナへの独占欲を優先させて。
リリアーナは笑った。じろりとクラウスが問い詰めるように見てくるが、リリアーナは捜索に夢中な振りをして無視をした。
拗ねたように見えて——クラウスの瞳が、驚くほど優しく嬉しそうであったから。
「——あった」
夕暮れ色に染まる頃、リリアーナの手が何かに触れた。
岩の隙間に何か挟まっている。直感的にそうだと思った。
男性陣の力を借り、岩を動かし取れるようにする。流されないように配慮しつつ、リリアーナはそれを水の中から取り出した。
「同じ箱ですわ」
令嬢が言葉を零す。
それは令嬢が見せてくれたものと、同じ箱だった。
何日も水の中にあったというのに、箱が開いた形跡はない。落ちた衝撃は受けている様子だが、些事だ。
「——」
リリアーナはクラウスを振り返った。
夕暮れに照らされたクラウスは、悪戯が見つかった子どものように微笑んだ。
「クラウス」
リリアーナはクラウスの元に向かった。
水の中を歩くのは、疲労が溜まった体には辛かった。それでも必死に歩いた。
故人の名を呼び、まるでそこにいるかのように振る舞うリリアーナを、周囲はどう解釈したのだろうか。黙ってリリアーナを見守る視線は、暖かいような気がした。
「リリアーナ」
クラウスの手が、箱を持つリリアーナの手に重なる。
「開けてみて」
誘われるようにリリアーナは箱を開けた。
そこにあったのは、美しい指輪だった。
リリアーナの瞳と同じ色をした宝石が嵌められている。内側に彫られているのは、リリアーナとクラウスの名前のイニシャルだ。
「リリアーナ」
クラウスが片膝を付く。
リリアーナの視界が滲む。それが嫌で、リリアーナはドレスの袖で涙を拭った。
「僕と、結婚してくれませんか?」
クラウスは爽やかな好青年然とした雰囲気で。
「——はい」
リリアーナは頷いた。
指輪を取り出し、指に嵌める。リリアーナの指にぴったりだ。一体いつサイズを測ったのだろう。
「リリアーナ」
大好きな声が、リリアーナを呼ぶ。
クラウスは、嬉しそうに笑った。弾けるように、幸せで仕方がないといった表情で。
「愛してるよ。ずっと、ずっとね」
「っ、私も、愛してる。ずっと、ずーっと」
リリアーナは思いきり笑った。
ああ、とクラウスが愛おしそうに目を細める。そして彼の顔が近づいて。
「良かった。僕がずっと見たかった、リリアーナの笑顔だ」
目を閉じる。
一瞬だけ、唇に感触が触れた。
正体を確かめるように目を開けたリリアーナの視界には、誰もいなかった。
最初から誰もいなかったように。
「——私、花嫁衣裳を着せてもらっていないから」
リリアーナは空を見上げた。
夜になりつつある空は、とても綺麗だった。
「いつか私がおばあちゃんになってそっちへ行った時、着せてもらうから。待ってて、クラウス」
柔らかな風が、応えるようにリリアーナの頬を撫でていった。
「……お嬢様」
侍女がおずおずと声を掛けてきた。
リリアーナは乱暴に袖口で目元を拭った。振り返ると、大勢の人がいた。こんなにも多くの人が、リリアーナが欲しかったものを探す手伝いをしてくれたのだ。
「……あの」
今までのリリアーナなら、ここで何を言えば良いのか分からず、黙ってしまっただろう。
もしくは素っ気なくお礼を言って、さっさと屋敷に帰ったか。
だけど今の自分は、それをしようとは思えなかった。
だからリリアーナは、
「ありがとう、皆。手伝ってくれて、ありがとう、ございます」
ぎこちなく言って、頭を下げた。
ふわりと、目の前の人々に笑顔が灯る。そうしてリリアーナもまた、笑みを浮かべることが出来たのだった。
……。
…………。
やあ、久しぶりだね。
なんだいその顔。待っててと言ったのは君だろう?
うん、待ちながら見てたよ。君が僕以外の人と仲良くするところ。え? 別に拗ねてないけど……うーん、ごめんちょっと嘘かも。結構拗ねてるし、妬いてる。
ほら、花嫁衣裳も用意してたんだよ。着てみて。大丈夫、今の君も可愛いよ。でも気になるのなら、自分の好きな年齢になったらどうだい? こういうのは意識の問題だからね。
——。あ、ごめん。君があまりにも綺麗だから見惚れていた。
凄く可愛いよ。君がお嫁さんになるなんて、夢みたいだ。皆に自慢して回りたいな。恥ずかしい? でも僕としては、君と僕が夫婦だって言い回りたいところなんだけど……君、直球な物言いは直らなかったのかい?
あはは。ね、僕の花嫁さん。言っていい?
「僕は君を——愛している」
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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