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4話


 クラウス・アビリオンはどんな人間だろうか。

 爽やか。好青年。口が回る。頭が良い。見た目が良い。

 それら全ての評価を、クラウスは客観的な事実として受け止めていた。

 自分でいうのもなんだが——清廉潔白な人間だと、誰よりもクラウス自身が思っていたのだ。


◆◆◆


『——ばあっ!』


 リリアーナと初めて会った時、クラウスはとても驚かされた。

 木の上から人を驚かす。それはクラウスにはない発想だった。そもそも軽率に人を驚かしてはいけないと思っていたし。

 そして何より——悪戯が成功したリリアーナが笑った顔が、あまりにも可愛かったから。


『クラウス!』


 婚約を結んで以来、クラウスはよくリリアーナと会った。

 母達に見守られながら、色んな遊びをした。おいかけっこはクラウスが勝つことが多かったが、かくれんぼはクラウスが負けることが多かった。ままごとは、付き合わされた感覚だけがある。


『クラウス……』


 幼い少女が女性へと変わる頃、クラウスはリリアーナと目が合うことが少なくなった。

 どうやらリリアーナは、人間関係で上手くいっていないようだった。

 思ったことはすぐ口にする彼女は、貴族社会と相性が悪かったらしい。


『クラウス』


 クラウスとの会話の中、リリアーナは時々笑みを見せてくれた。彼女の笑みを見る度にクラウスは安堵した。

 リリアーナと周囲の軋轢は困ったものだが、どうにかしようとは思わなかった。

 その理由に、クラウスは死んでから気が付いた。


『クラウ、ス?』


 幽霊となった自分を見つけたリリアーナの瞳に、


 クラウス・アビリオン以外が映っていないことに、気が付いた瞬間に。


◇◇◇


「お嬢様、お茶をお持ちしました」

「……ありがとう」


 窓ガラスを修復する最中、リリアーナは客間を私室として使うこととなった。

 侍女からお茶を受け取りつつ、リリアーナはぼんやりと窓の外を見つめていた。


 クラウス・アビリオンはあの日以来、姿を消していた。

 窓ガラスを割ったのがクラウスだとは思えない。一方で、風も吹いていないのに勝手に窓が割れる理由が説明出来ないのも事実だった。

 そうなれば、幽霊という超常現象じみた存在であるクラウスが、不可思議な行動を起こしたと考えるのが自然だろう。


「……でもなんで」


 どうしてクラウスは窓を割ったのだろう。


「はぁ……」


 リリアーナは深いため息を吐いた。ずっと考えているが、答えは出なかった。


「あの、お嬢様」

「え、ああごめん。お茶が不味かった訳じゃないから。美味しい」


 おずおずと声を上げた侍女に、リリアーナはハッとした。誤解させる姿であったことを反省していると、侍女はふるふると首を横に振った。


「その……失礼でしたら申し訳ないのですが……」

「なに」

「大丈夫、ですか?」

「……? 怪我ならすっかり治っているけど」

「いえ、そうではなくて」


 侍女はそこで言葉を切った。

 言って良いものかどうか悩んでいるようだった。リリアーナは主人らしくこほんと咳払いをした。


「言いたいことがあれば言っていいわ。それで解雇なんてしないもの」

「……!」


 侍女はぴしっと佇まいを整えると、勇気を出した表情で真っ直ぐリリアーナを見つめた。


「あの、私に何か出来ることはないでしょうか!」

「……え?」

「はっ! あの、いえ、その……リリアーナ様は、ここのところ悩まれているようでしたので。クラウス様も、あんなことになってしまって……今凄くお辛いと思うのであたしに何か出来ることはないかなと……」


 侍女の言葉は尻すぼみになっていく。

 リリアーナは困惑しながら、どうやら心配してくれているようだと理解する。


「大丈夫よ。別に、貴方が気にすることじゃないわ」

「でも、でも……」

「——失礼します、リリアーナお嬢様。来客です」


 扉がノックされる。

 来客? とリリアーナは目を丸くした。そういった予定はなかったはずだが。


「——すみません、お待たせしました」


 慌てて来客用のドレスに着替え、リリアーナは応接間に足を踏み入れた。

 そしてソファに腰掛ける令嬢を見て、驚いた。


「貴方は……」

「ごきげんよう。先日振りですね」


 座っていたのは、クラウスの落とし物を探していた最中に出会った令嬢だ。

 名前が一致しなかったせいで、彼女だとは思わなかった。リリアーナはさも分かっていましたよという態度を振る舞いつつ、向かいに腰を掛けた。


「ごきげんよう。驚きました、急に尋ねてきましたから」

「使者も送らずにごめんなさい。早急にあなたに伝えるべきだと思ったら、使者を出す間も惜しくて」

「伝える……?」


 令嬢は優雅に笑った。

 そして彼女は、小さな箱をテーブルの上に置いた。片手に乗るくらいの、小さな箱——


「あ」


 これは、クラウスの落とし物では、


「これはね、先日私が購入したアクセサリーなの」


 ではなかった。

 リリアーナはがっくり肩を落とした。そして八つ当たりのように令嬢をじろりと見る。まさか、自慢しに来たのか。


「リリアーナさん、これどこのお店か知ってる?」

「え? いいえ、知らないです」

「お気に入りの店があると言ったでしょ? 先日、あなたと出会った道で」


 そういえばそんなことを言っていた。思い出しながらリリアーナは頷いた。


「あの道の奥に、小さなアクセサリーショップがあるの。元々は王家に献上する装飾品を作っていた方々でね、今は趣味程度にやっていて、お客さんは私のような極一部の人間のみ」

「へえ……」

「この箱は、その店が指輪を作った際に用意してくれるものなの」


 相槌を打ちかけ、リリアーナは止まった。

 指輪。

 それは装飾品として身に着ける他、もう一つの意味がある。誰もが知る、とある約束の証。


「今日、これを取りに行った際に聞いてみたの。ここにクラウスさん……あなたの婚約者さんが来ていなかったか、って」

「……!」

「店主さんは特別に教えてくれたわ。クラウスさんが亡くなった日——彼は、指輪を取りに来ていた」


 心臓が跳ねる。


「リリアーナさんとの、結婚指輪だって。家が用意したものではなく、自分自身が選んだものをあなたに渡したかったのだと……そう言っていたそうよ」


 リリアーナは立ち上がっていた。


「リリアーナさん?」

「ごめんなさい、私、行かなきゃ」

「え? い、行くってどこに……えっ?」

「教えてくださって、ありがとうございます!」

「お嬢様!?」


 リリアーナは脇目もふらずに走った。

 抜け道は分かっている。ドレスが汚れるのも厭わず、止める声に振り返ることもせず、ただただリリアーナは走った。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 クラウスが死んだ場所は、相変わらず静かだった。


「どこ」


 地べたを這いつくばる。一度探した場所も、入念に探す。


「どこ」


 政略結婚だった。

 家同士の結びつきを強くするための結婚だった。

 そこに恋愛感情なんてないと——リリアーナはそう思っていた。思い込んでいた。


「一体、どこに……」


 リリアーナは路地に入り、必死に探す。

 薄暗い場所はよく見えなかった。だから手を伸ばして、時々変な感触に悲鳴をあげながら、必死に探した。

 だって、それは——


「言っただろう。僕は、君が思っているような人間ではないって」


 リリアーナは汚れた顔を上げた。

 そこに立っていたのは、数日振りに見る顔だった。感情を押し殺した表情で、リリアーナとは違い汚れ一つない姿で、クラウスがそこに立っていた。


「……いるのなら、探すの手伝って」


 リリアーナは顔の汚れを拭いながら立ち上がった。


「指輪、なんでしょ」

「……」

「私のために選んでくれた、指輪」

「……」

「クラウス。貴方は、私のことを——」

「うん、好きだよ」


 クラウスの声音は、言葉に反してひどく冷たかった。


「君が好きだ。初めて会った時から、ずっと」


 リリアーナは驚いた。初めて知る事実だった。


「ずっと、ずっと。今も」


 一歩、クラウスはリリアーナに近付いた。

 そして——今にも泣きだしそうな笑みを浮かべて、


「死んでほしいくらい、好きだよ」


 半透明の手を、リリアーナに差し出した。


「——」

「はは、ごめん。怖いよね。僕も死んでから気が付いた。僕が君に抱いている感情は、君が思っているようなものじゃない。もっと暗くて、ぐちゃぐちゃだ」


 クラウスは自嘲するように笑って、自身の胸元を握りしめた。


「君のことが好きだ。初めて会った時からずっと、いつか夫婦になれることが嬉しくてたまらなかった」

「っ……」

「君が人間関係で上手くいかなくなった時、僕は何もしなかった。君が苦手としていることは、僕がその分補えば良いと思ったから。そうやって生きていけば良いと思っていた」

「クラウ——」

「でも違ったんだ。リリアーナ。僕は、君が僕以外に親しい人間が出来なければ良いと思ってたんだよ」


 懺悔するような色だった。

 リリアーナは彼の告白を聞いていた。聞くことしか出来なかった。


「君の頼る先が僕だけで、君の理解者も僕だけで、それ以外の誰も出来なければ良い。女性だろうが、男性だろうが、大人だろうが子どもだろうが、君の中に僕以外はいらない——」


 クラウスの目に、リリアーナだけが映る。

 茫然としている、己だけが。


「リリアーナ、どうして君は死んだはずの僕が見えると思う?」

「それ、は」

「物に触れるのは、僕の意思だ。硝子を割れるのも僕の意思だ。それならば、君にだけ僕が見えるのもきっと僕の意思だ」


 一歩。クラウスがさらに近付く。


「君を襲うナイフを掴めなかったのも、僕の、意思」

「——」

「笑えるだろう? 僕は清廉潔白な爽やかな好青年じゃない。好きな子に僕と同じ死後の世界に来てほしいと、そう願ってしまう人間なんだよ」


 そして——クラウスはリリアーナから離れた。

 弱々しい、自虐的な笑みを浮かべて。薄暗い路地の奥へと身を引く。


「ね? 君が思っているような人間じゃないだろう。だから君は指輪を探すべきじゃない。生きている君は、さっさと前へ進むべきだ」


 リリアーナは拳を握った。

 唇を噛みしめ、踵を返す。一瞬だけ、クラウスが目を伏せるのが見えた。

 だからリリアーナは、しっかりと地を蹴って。


「クラウスの大馬鹿!!」


 川に飛び込んだ。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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