1話
全5話構成。全て書き上げています。
曇天の墓地はひどく冷たかった。
「可哀想に。まだお若かったのでしょう」
「馬車に轢かれたなんて気の毒だ……」
「しかも亡くなった彼、結婚間近だったんですって。幼い頃から婚約していた方と……ほら、あそこ」
リリアーナは自身が指さされたことに気付き、身に纏う喪服のスカートの部分をぎゅっと握った。
そこかしこで、泣きじゃくる声が聞こえる。
「ああ、クラウス……どうしてなのクラウス」
息子が埋葬された墓石を撫で、伯爵夫人が泣き崩れる。その背をさする伯爵の目尻に、涙が滲んでいることに誰もが気付いている。
クラウス・アビリオン。
それが埋葬された青年の名前だ。伯爵の身分に驕ることない、穏やかな好青年であった彼の死を見届けようとした者は多く、誰もが涙した。
「ねえ、でもあの子、泣いてないわよ」
リリアーナを除いて。
「クラウス様が亡くなったのに? 信じられない」
「政略結婚だったらしいわ。だからじゃない?」
「思い出した。あの子前にどこかの令嬢と言い争いしていたわ。お茶会でもいつも仏頂面で……」
「クラウス様が可哀想だわ、あんな子と婚約結ばされて、挙句の果てに死んでしまうなんて」
「……」
リリアーナはただ黙って、喪服のスカートの部分を握りしめた。
すっかり皺になってしまっただろう。屋敷の使用人には申し訳ないが、それ以外どうしたら良いのか分からなかった。
「おかえりなさいませ」
帰宅すると、使用人が沈痛な面持ちで出迎えてくれた。
父母がお茶でも飲もうかと話を始める横を、リリアーナは急ぎ足で通り過ぎる。
「誰も私の部屋に近付かないで。——誰もよ」
私室へ飛び込み、リリアーナはしっかり扉を閉めた。
痛いほどの静寂が流れた後、
「へえ、君の部屋、久しぶりに来たけど結構片付いているんだね」
悠々と、銀色に輝く髪を持つ好青年が声を発する。
「まさかこんな形で君の部屋に入ることになるなんて。死んでから驚くことばかりだよ。ね、リリアーナ」
「……っ、一体どういうことなのよ」
ん? と彼が首を傾げる。よく見慣れた、動作で。
リリアーナは目の前の婚約者を睨みつけた。
「クラウス、あなたは死んだはずでしょう!」
「——うん。死んだよ。君の婚約者は幽霊になってしまったみたいだね」
リリアーナ、と。
半透明になった婚約者は、困ったように笑ったのだった。
◇◇◇
クラウスと初めて出会った時のことを、リリアーナはよく覚えている。
『——ばあっ!』
こら、リリアーナ! と父が叫ぶ。
目の前には、銀色の髪をした幼い少年と、少年に似た容姿の男性。二人とも木の上から宙吊りになって現れたリリアーナに、ひどくびっくりした様子だ。
成功だ。リリアーナが笑い声を零すと、父によって強引に下ろされた。
父に小脇に抱えられ。謝罪する父といえいえと苦笑いする男性を聞きながら、リリアーナはぱちりと目が合った——今だ目を丸くしている少年に向かって——思いきり笑いかけるのであった。
『リリアーナ!』
会う度、クラウスは嬉しそうに笑いかけてくれた。
リリアーナも嬉しくて笑みを返す。そしてクラウスの手を引き、互いの母がお茶会をする傍で、おいかけっこやかくれんぼ、おままごとなどで遊ぶのだ。
『リリアーナ』
彼の声が精悍さを帯びた頃、リリアーナは彼から目を逸らすことが多くなった。
リリアーナはいつも一人だった。他の貴族令嬢とは上手く話せず、輪の外にいるのが普通になっていた。いつしかリリアーナは、自身の足元ばかり見るようになった。
『リリアーナ』
それでも、クラウスはリリアーナを呼んだ。
婚約者を蔑ろに出来ないから? 幼馴染を憐れんでいるから? リリアーナの胸で嫌疑と劣等感が渦巻く。それでも変わらない彼と一緒の時は、笑みを浮かべることが出来た。
『お嬢様、たった今使いの者が来て、クラウス様が、クラウス様がっ……!』
そこから先は、よく覚えていない。
気が付いたら喪服に着替え、葬儀に出席していた。クラウスの両親であるアビリオン伯爵と夫人に挨拶をして、悲嘆に暮れる人々と同じように棺桶の中で眠る彼に最期の挨拶をしようとして。
『リリアーナ』
柔らかな声につられるように、顔を上げた。
『クラウ、ス?』
目が合う。
そんなはずはない。クラウスは棺桶の中で目を閉じているはずだ。でも、それじゃあ。棺桶の向こう側に立つクラウスは、一体——
『リリアーナ、君に頼みがあるんだ。——僕の未練を晴らしてほしい』
そして場面は、葬儀後のリリアーナの私室に戻る。
「本物のクラウスなのよね」
リリアーナはじっと目の前の彼を見る。
銀色の髪の好青年。半透明になっていることを除けば、リリアーナの記憶の中のクラウスと完全に一致する。
「私の頭がおかしくなったとしか思えない」
「それはないって証明しただろう? 葬儀の際に僕が並べた名前は、君が知らない葬儀に来た人間の名前だ。もしそれでも信じられないとなると、僕は親しい者の秘密をいくつか白状しなきゃならない」
「私の想像力が豊か過ぎる可能性」
「だとしたら君は小説家になれるね。って、これ推理小説の犯人役みたいな台詞じゃないか? うわー死んでから言えるなんて思わなかったよ」
「その物言い、完全にクラウスだ……」
眩暈がしてきた。
「君の気持ちは理解するよ。逆の立場なら、僕も同じ反応をする」
「……本当?」
「うーん、いやちょっと嘘かもしれない。君が幽霊として現れたら、君を大勢の人に認識してもらう方法を探した後に幽霊が実在する論文に手を付けていたかもしれない」
言いながらクラウスは、近くにあるドレッサーに触れる。
しかし彼がそれに触ることはなく、虚しくすり抜けていく。
「問題点は、僕が触れることが出来ないという点だね。床の上に立つことは出来るのに。僕の認識の問題かな」
「よく分かんないけど、幽霊ってそういうものじゃないの」
リリアーナは大衆小説を思い出しながら言った。
「リリアーナは幽霊に詳しいのかい?」
「詳しくはないけど、この前読んだ小説では霊感がある人にしか見えない設定だったわよ」
「へえ。リリアーナにはれいかん? があるんだね」
「ないわよ、初めてよ」
「じゃあどうしてだろう。君が僕の婚約者だから?」
「……関係あるの? それ」
婚約者といっても、家同士の結びつきを重視したもので、リリアーナとクラウスの間に恋愛めいたものはない。
お互いを嫌っている訳ではないので、正式な結婚を拒否することはなかった。
ただ、それだけ。
「それよりさっきの話だけど」
リリアーナはベッドの上に腰掛けた。
するとクラウスの表情が苦々しいものへ変わる。
「リリアーナ。いくら婚約者相手だからといって、男と二人きりの空間でそこに座るのはどうなんだい?」
「それを言うのなら、婚前前の淑女の部屋に入るのはどうなの」
「む。そこを突かれると痛いな。でも僕が指摘したいのは君の警戒心のなさだよ。前々から思っていたけども——」
「クラウス、クラウス。もう話が進まないから。それで、未練ってなによ」
未練を晴らしてほしい。
葬儀の際に目が合った彼は、確かにそう言った。未練があるのだと、確かに。
「ああ、そうだったね」
クラウスは肩をすくめた後、わずかに逡巡した様子を見せた。それから、
「リリアーナ。君には僕の探し物を見つけ出してほしいんだ」
憂いを帯びた顔で、そう言ったのだった。
「——で」
小川の水音が聞こえる。
「うん、ここだね。僕が轢かれた場所」
「自分が死んだ場所でそんなにこにこ出来るもん……?」
翌日。
リリアーナは普段着のドレス——ではなく、庶民の服に着替えた状態で、王都の閑静な道に立っていた。
流れが緩やかな小川の上に、小さな橋が架かっている。周辺には中流階級の民家が並んでおり、お洒落なタイルが敷かれた可愛らしい景観を維持している。
橋の手前の道には、小さな花束が供えられている。
クラウスへの手向けだ。ここでクラウスは、馬車に轢かれて死んだ。
「……実は自分を殺した人を探してほしいとか、そういうのだったりしないわよね」
リリアーナは傍らのクラウスに話しかけた。
大通りから外れているためか、通行人はあまりいない。という訳で、リリアーナは遠慮なくクラウスと会話——傍から見たら不審者丸出しの独り言——を行うことが出来た。
「いや、あれは事故だと思うよ。近くを通った人が派手に荷物を落としてね。その音に驚いた馬が暴走してしまったんだから」
伯爵という身分のため疑ったが、被害者がこう証言している辺りそうなのだろう。
「……」
小さな風が吹き、花びらが揺れる。リリアーナは髪を整え——隣にいるクラウスが風の影響を一切受けていないことに気が付き黙った。
クラウスの死は偶然が重なった不幸。そうとしか言いようがない。
「馬車くらい避けなさいよ、ばか」
言って、リリアーナはハッとした。
自己嫌悪に陥る。避けられるのなら避けていたはずだ。クラウスの運動能力は低くない。おいかけっこで勝てたことは、彼が手加減した時だけだったから。
「ごめんね」
失言はリリアーナだというのに、クラウスは申し訳なさそうに謝った。
それが気に入らなくて、リリアーナは唇を噛みしめる。彼と目を合わさないようにして「それで」と話を進めた。
「何を失くしたの」
「箱だよ。片手に乗るくらいの、小さな箱。轢かれた時に落としてしまったみたいなんだ」
「箱? 中に何が入っているの? そもそも気になっていたんだけど、クラウスはどうしてこんな道通ったの?」
「うーん」
クラウスは言葉に詰まった。
口が回る方の彼にしては珍しい。まあ、言いたくないことも言い辛いこともあるだろう。リリアーナはさきほどの失言の罪悪感も手伝って、それ以上の追及を止めることにした。
「探せばいいんでしょ、探せば」
「うん。僕の遺留品にそれはなかったから、きっとこの辺にあるはずだよ」
リリアーナは周囲を見渡した。が、それらしきものは見つからない。
「地道に探すしかないか」
正真正銘の独り言を呟いて、リリアーナは捜索を開始した。
しかし中々見つからない。
時折通る通行人に尋ねてみるものの、全員首を横に振るばかりだ。
「あと可能性としてあるのは……」
リリアーナの視界に、細い路地が映る。
——眼前にクラウスの手が立ちふさがった。
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