選ばれし者(2)
神獣フェンリル???
なんだそれ。やっぱボケてんのか?
いや、でも星のことや魔物のことは本当だったしな…。
聞きなれない生物と思しき神獣の名に困惑するアラン。
長老は鎮まる群衆に向けて話を続けた。
「順を追って話そう。私はこの村で産まれ、サラと同じように商人としてナギニスでの生活を選んだ。ある日の取引でニドモスの歴史について書かれた本を見つけたんじゃ。その本の中にニドモスを守る神として【フェンリル】の名が書かれていたんじゃ。フェンリルが実在したかはわからぬ…だがフェンリルのナギニス所持者は代々、黒い星の侵略からニドモスを守ってきたと記されていた」
「だから俺に星を壊せと言ったんだな」
「そうじゃ」
「でもどうしてアランのナギニスがフェンリルだってわかったの?」
群衆は三人のやり取りを聞くだけにとどまり、話の続きを待った。
「フェンリルについて調べるにつれてその特徴がわかってきたのじゃ。淡い水色の体毛に鋭くも丸みを帯びた爪、手先から始まる変貌。脚は風を踏み、爪は空を切り、牙は嵐を叫ぶ。私はその特殊な能力を開花させることはできなかったが、見た目の特徴や変化の仕方は一致してたんじゃ。年老いてナギニスが弱まると、アランがナギニスを発現させた。半信半疑に思っていた…いや、信じたくなかったフェンリルの伝承はアランのナギニスを見て確信に変わった」
「なら…ならどうしてすぐに教えてくれなかったんだ」
アランが疑問を抱いたのは当然だった。
ナギニスは個人差はあるが10歳になる頃に発現し始める。
一般的に20になる頃までに両腕を完全に変貌できるようになる。
自主的な特訓や英才教育によって時期を早めることは出来るが、ほとんどは手首付近まで進むまで何の生物かはわからないことが多い。
しかし、発現当初は肩から肘にかけて進んでいくため、アランがナギニスを会得した時点で長老はフェンリルのナギニスのである【先端から変化する】ことに気づき、その時点からアランに話が出来たはずだ。
にもかかわらず、長老は隠すことを選んだ。
「…怖かったんじゃ…。私は魔物とフェンリルの戦いを見た」
「戦いを見た…???そんなに最近星が降ってきたのか?」
「黒い星が来るのは数千年に一度だってニドモスでも教えていたわよ?」
「私は歴史を追ううちにある女性に出会った。その女性はミテイラと名乗り、私に星の意志、セルストリオンについて教えてくれたんじゃ」
「おいおい、勝手に話を進めるなじじい。なんでフェンリルの話から女の話になるんだよ」
「…ミテイラはセルストリオンと神獣には密接な関係があると言った。フェンリルについてもっと知りたければ星の意志に直接聞けと」
「…なるほどな。それで?」
「私は商人として築いた地位と人脈を頼りに、セルストリオンを目指した。ニドモスにあるセルストリオンは国によって守られておったが、運よくそこに辿り着き、直接触れることができた…。手に触れた瞬間見えたのは……」
「長老…?」
震え始める老体を労わるサラ。
「記憶じゃ…初代フェンリルの記憶…!」
「初代フェンリル?それって最初の選ばれし者のことか??」
怯える老人に容赦のない追撃をするアラン。
「そうじゃ…!セルストリオンは初代フェンリルと魔物の壮絶な戦いを私に見せたんじゃ…。ゴブリンもキングトロルもその時に見た魔物じゃ…」
「それで…初代フェンリルについてほかに何かわからなかったのか?」
アランの更なる追撃は意外にも長老を冷静にさせた。
「…初代はフェンリルの風で黒い星を壊しておった。記憶では星を壊しておったのは初代だけじゃった。それから…精霊石を星に近づけぬようにと民に指導しておった。私にもその時が来るかもしれないと、村にあった精霊石を守るためにここへ帰ってきた…。もうすぐこの恐怖から逃れられると思っておった…。死に際に伝えようと思っておった…」
戦いの記憶を見た長老はいつ訪れるかわからない天災と、残酷な運命を青年へ告げることに怯えていたのだ。
「アラン。お主に何も伝えなかったのはすまなかった。ことが起きてからでは遅いことはわかっていた。じゃがいつ来るかわからないその日に怯える悲しみをお主にも与えたくはなかったんじゃ」
「…。」
「アラン…すまない…みなも…すまない…」
涙を堪え、精一杯の謝罪をする村一番の長寿に対する群衆の反応は沈黙だった。
神獣フェンリル…
俺のナギニスがフェンリルなのはわかったが…どうして足からなんだ…?
俺がどうやって風を起こしたのかもわからん。長老ができなかったってことは先代達も力を使うのに苦労したのか?
それに初代はなぜ精霊石を黒い星から遠ざけたんだ?
村長が持ってた精霊石がキングトロルの胸元にあったことに関係しそうだな。
ミテイラって女は何者なんだ?どうしてセルストリオンやフェンリルについて知ってる?
セルストリオンに触れることで記憶が見えることも知ってたように思える…
アランの思考は父を亡くした悲しみから逃げるように自身の力の解明へと進んだ。
「長老。そのミテイラってやつは今どこにいる」
「わからぬ…。私はここへ来てから外へは出ておらん。それに、私がミテイラと話したのはもう50年以上前のことじゃ。歳は私より下に見えたが…」
「…つまり俺は、何の手掛かりもなくフェンリルのナギニスを使いこなせるようになって国を守れってことか?」
「…そうじゃ」
「…。」
息の詰まるアランにサラが提案する。
「そういえば…ニドモスにはナギニスに詳しい格闘家がいるって聞いたわ」
「格闘家…?なんだよ急に」
「その格闘家の人、若いのにナギニスを最大まで引き出せるらしいの。直接見たわけではないから本当かはわかないけど…」
「最大って…!獣化しないのか!?」
ナギニスは【姿を変える力】そのものであるため、出力が存在する。
明確な解明は現代においても成し遂げられていないが、精神力が影響しているとされている。
身体に見合わぬ精神、つまり心によって出されたナギニスは時に持ち主の体を侵食し、【獣化】する。
完全に獣化した人間は人の心を失い、思考は野獣のように野蛮なものになり、その体は人型の獣になる。
グランがキングトロルと戦うため、ナギニスを四肢から首へと伝えたのはとても危険な行為だったのだ。
「ええ。動物の体のまま生活してるって聞いたわ。確か名前は…キリオスだったかな?」
「そりゃすげえな…!そいつに会えば俺のナギニスも鍛えられるかもしれないってことか」
「うん…それに私のお父さんもニドモスにいるわ。精霊石のことを調べるって言ってたから何かわかるかも」
「村長…そういえば見ないな」
サラの父、マクリス・アンドリヒはアランの村の長である。
ニドモス本国へは経済的に不安のある村の経済を考え、国からの補助を得るために一週間ほど前に村を出ていた。
黒い星の到来がなければ、補助が出ることを父に代わって伝えに来たサラには歓声が上がったことだろう。
「なら…二人でニドモスへいこう」
提案したのはサラではなく、アランだった。
「いいの…?アラン。もう少しゆっくりしてもいいんだよ…?」
「ここにいても仕方ない。それにどうせニドモスにはいくことになるんだろ?善は急げだ」
「そう…。ならいいんだけど」
昨晩の状態を知っているサラは、前向きに見えるアランを心配していた。
父を亡くした翌日に村を出るなんて普通は考え難い。
サラは村の現状と住民たちの冷たい視線を考慮し、アランの提案を受け入れた。
「アラン…すまない…本当に…」
「…そう思うなら応援してくれ。長老」
「アラン…」
「長老の番は終わったんだ。後はなんとか…なんとかしてみるよ」
「アラン…ありがとう……」
こうしてアランはサラと共に、本国ニドモスへと旅立つことを決めた。