その日(3)
「アラン。手伝え」
組んだ腕を解き右手の拳を握りしめ、腕の筋肉が膨らむ。
男の肩から黒くごわついた毛がみるみる生えていき、鍛えられた人間の腕は熊の腕へと変貌を遂げた。
アランの父、グラン・ゲールは【熊のナギニス】を持つ。
【ナギニス】とはこの世界に五つ存在するセルストリオン(星の意志)によってもたらされた【人が人以外の生物になる力】である。
「俺…手伝うことあるの…?」
仕留めたイノシシを穴から引き上げるのにグランの熊腕一本で十分なはずだ。
走りつかれて伸びきったアランがそういうのも無理はない。
グランは穴に飛び降り、右腕でイノシシを担ぐと座り込むアランの前に立ち真顔で言う。
「我が家はどこだ。」
「道案内かよ!!!」
父親のいつものボケに駆けた疲れを感じさせぬ息子の突っ込みが入る。
「家に帰ったら明日のエリアを話し合おう」
「お、おう」
木こりを生業にするゲール親子は休日にこうして狩りに出ている。
収入を得ているのがグラン一人のため、裕福とは言えないのだ。
アランが立ち上がると、罠を仕掛けていた広場を後にする。
「にしてもアラン。お前のナギニス、持続時間が少し伸びたか?」
「そう…かな…」
【ナギニス】は一般的にアランの年齢頃になると【両腕】を完全に動物にできる。
アランがうつむき、弱く、ささやくように返事をする理由はそこにある。
共に育った仲間たちが順調にナギニスをものにする中、アランのナギニスは部位も違えば成長も遅く、アランは自信を失っていた。
「落ち込むことはない。父さんもここまで鍛えるのに苦労したんだ」
「そうなの?」
「そうとも!大木をダンベル代わりにしていたら端っこが家に当たってアンに怒鳴られたり」
「…。」
「足腰を鍛えるために家を押そうとして穴を空け料理を作っていたアンにフライパンで叩かれたり」
「……。」
「嫌がるアンを背負いながら山を走って登った時には三日間飯抜きにされたなあ…」
「鍛えるのに苦労したんだよね?」
「アンもアランを応援してるさ」
「…母さんの話はしない約束だろ」
アランの母、アン・ゲールは三年前に流行り病で亡くなっている。
アンは【ナギニス】のことで悩むアランをいつも優しい口調で励ましていた。
母を失い、悲しみに暮れるアランに狩りを手伝うよう持ち掛けたのがこの訓練の発端だ。
「でも父さんは熊だからわかりやすくていいじゃん。俺なんか何の動物かもわからないんだから…」
膝から下が動物化するアランのナギニスは熊を始めとした他の動物達のものと違い、判断が難しかった。
「そうか?アンドレ君?だっけ?よりましじゃねえか???鹿なんて木も切れやしねえよ。ハッハッハッ!」
「鹿だってナギニスが進めば角が生えるじゃんか…。アンドレもこないだ見たとき蹄で釘打って喜んでたし…」
「ハッハッハッ!そりゃよかった!」
「…。」
なんで俺だけ足なんだよ…しかも爪から進むなんて…
ナギニスは心臓に近い胴体側から進むんじゃなかったのかよ
それになんで水色なんだ?俺が知らないだけか?そんな動物ほんとにいるのか?
父さんと暮らすのは楽しいけどこのままじゃ…
「なんだ…ありゃ…」
「え?」
父の声を聞き顔をあげたアランの目に映ったのは空から降り注ぐ【黒い星】だった。