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樂ノ社  作者: 華蘭藤
1.神語 ーKAMGATARIー
6/8

帰路 ーKIROー

 力強い足踏みに、床板が鳴る。くるりくるりと回り、回る。短く着付けられた着物の代わりに、袖を上げている襷が揺れる。垂らされた髪の結い紐が揺れる。ほの暗い稽古場の中、爛々と輝く瞳は何を映しているのだろう。

 (ハルカ)はその様子を()っと見つめていた。大きな瞳に橙色が映る。どこか遠く、鈴の音が聞こえたような気がした。

「ユウナ」

「うひゃあ!?」

 入口の方から掛けられた声に、踊っていた少女が飛び上がる。そのまま尻餅をついて、少女は声の主を見た。

「なーんだ、タカミチにぃか。びっくりしたぁ」

「何やっとるんや」

 足を拭き終えた隆道(タカミチ)が、李橙(イト)と共に近づいて来る。

「あれ、ハルカもおる。いつからそこにっ!?」

「えへへ」

 遙も照れたような困ったような笑いを浮かべながら立ち上がる。床に墨で引かれた舞台を表す線を踏み越える。立ち上がった悠奈(ユウナ)が、やってきた遙を抱える。

「ユウ、きれいやった」

「へへーん、そやろ」

 褒められて自慢げな顔をする悠奈には、先程までの鋭さはない。頬を緩めて鼻をこする悠奈の横で、床に落ちた木の棒を隆道が拾い上げる。

「調子乗るな」

「いてっ」

 木の棒で小突かれる悠奈に、遙がクスリと笑う。いつも通りの光景に、李橙も口角をあげた。

 鈴の代わりの木の棒を悠奈に渡して、隆道が遙を抱き上げる。

「ハル、楽しかった?」

「うん」

 李橙の問いに、隆道の腕の中で、遙はにっこりと笑って頷いた。李橙もそれに微笑み返す。

「よかったなぁ」

「それで、二人とも何しに来たん?」

 木の棒を端に置いて戻って来た悠奈が、隆道に問いかける。

「何しに来たて。お前らが戻ってこんから呼びに来たんや」

「なんで?」

 心底不思議そうに、首を傾げて見せる悠奈に、隆道は呆れたように肩をすくめた。確かに、普段なら稽古場まで呼びに来ることはないけれど。察せとばかりに視線を送る隆道の横で、李橙が何か気づいた様子でクツクツと笑う。

「おユウは気づかんでしょ」

 隆道は李橙を一瞥してから、深く息を吐いた。

「そもそも、こんな遅なるまで何しとったんや」

「踊ってた」

「それは知っとるわ」

 悠奈の言葉は隆道に一蹴される。木枠のような窓の隙間から、月明かりが漏れる。夜の帳の中、遠く笑い声が風に乗って届く。いつもとは違う空気が、谷を渡っていく。悠奈は軽く頬を膨らませて、斜め後ろに視線を送る。その様子に、李橙が口を開いた。

「みーんな宴だ酒だって行っちゃったもんだから」

 李橙が悠奈を軽く指さす。

「拗ねてる」

「拗ねとらん!」

 悠奈がくわっと反論するが、残念ながらそれは受け入れられない。

「そんなことやろうと思ったわ」

「違うって!」

 隆道は面倒くさそうに悠奈を一瞥してから、稽古場の入口に爪先を向けた。悠奈はその背に向かって抗議しようとするが、その肩に李橙が手を回す。

「時に諦めは肝心、ってな」

「イトねぇ!」

「はよせんと置いてくで」

 戸口までさっさと歩を進めた隆道が、くるりと振り返って言った。その腕の中で遙がちょいちょいと手を招いている。それでも頬を膨らませたまま動こうとしない悠奈に、李橙が耳打ちする。

「うちらの分もご馳走、用意されとるって」

「え!」

 顔をあげた悠奈に、戸口の方で、それを察したらしい隆道が頷いて見せる。治五郎が帰ってきたときは、いつも、宴に参加できるのは大人たちだけだった。大人たちが一堂に会するから、子どもたちはその分目を盗んで遊びに行くことが多かったので、それはそれで、というやつだろうが、それでも、美味しそうな香りや、楽しそうな酒宴の場に憧れる気持ちがないわけではない。

 隆道たちの元へ駆けだした悠奈を李橙が追う。稽古場の戸を締めて、田んぼの間の細い道を4人は進んでいく。いつしか暗くなっていた空には、宝石のように星が煌めいている。

 月明かりがぼんやりと村の姿を浮かび上がらせる。村の外れの稽古場の堂から、遠く松明の光が、ちらちらと燃えているのが見える。村長(むらおさ)の家に、皆集まっているのだろう。随分柔らかくなった風が、子どもたちの間を吹き抜けていく。

「あんまり急ぐと転ぶで」

 遙を抱えたまま、隆道が、大股で先頭を歩く悠奈に声をかけた。

「へーきへーき。そんなヘマせんよ」

 振り返ることもなく悠奈が言う。満月に近づく月の光は、十分にあたりを照らしている、ということらしい。この村の子どもたちは、確かに夜道にも慣れているけれど、そういうことじゃないと言いたげな隆道の横で、李橙も慣れた調子で悠奈の後を追いかける。

「そういえば、治五郎の爺様(じじさま)はどうやったん?」

「じいさん?」

「スミが爺様に会うのも久しぶりやったろ?」

「ああ」

 李橙の言葉に、隆道が得心したように声をあげる。そういえば、昼に澄治(スミハル)と治五郎を二人きりにしてから、李橙は悠奈と稽古場に籠ったままだった。あの家は基本的に言葉が足らないから、というのが、隆道と李橙の共通の見解である。

「俺らも様子を伺っとったけど、梅の兄貴に呼び出されてからは何があったかは知らんで」

「梅の兄さん?」

「せっかくの一斉稽古やし、ハルカにも色々見させた方がええやろって」

「あー、回ってたんか」

「そうや」

 梅というのは、彼らの二代上の兄貴分である。祭りに向けて、舞方同様、笛や太鼓などの稽古も行われてた。それらを遙と隆道は回っていたらしい。

「それで、ハルカはあそこにいたの?」

 前から二人の話を盗み聞いていたらしい悠奈が口をはさむ。

「あそこって?」

「稽古場で、笛方がいるところにおったから」

 そういえば、と李橙も思い出す。稽古場にやってきた遙が、迷わず向かった先は、確かに舞台からは離れた場所だった。

「賢い子やなー」

「えへへ」

 横から頭を撫でられて嬉しそうに遙が声をあげる。その様子に、優しい顔を向けつつも、隆道が口を開いた。

「あそこの家は相変わらず言葉が足りんで、居心地悪そうやったけどな」

「ん? まあそやろなー」

「近く、外が荒れそうやって」

「……そか」

 隆道の一言に、李橙は真面目な顔になる。遙が隆道を伺うように見上げるが、隆道は軽く首を振るだけだった。

「それで、治五郎じいが帰って来たの?」

「まあ、そう考えるんが普通やろな」

「そっか」

 悠奈もまた、振り返りもせずに言う。子どもたちも子どもながらに、知っていることは多い。外で忙しくなるなら、次の祭りが終わったら、中も忙しなくなるだろう。治五郎も他に大人を何人か連れて、外に出るに違いない。

「じゃあ、今のうちにたらふく食べておかないとだ」

 悠奈の言葉に、「そうやな」と李橙が頷く。

「姉さんたちが帰ってこんかったら、次はうちらの代やもんな」

「ほんであの舞か」

 隆道が得心したとばかりに呟いた。村は信仰を中心に成り立っている。神仏を祀り、神仏に守られて暮らしているのだ。そのために、祭りは欠かさず、村に残ったものが執り行うことになっている。それが、いつかに定められたこの村の掟の一つだ。

 李橙が悪い顔をして、悠奈に耳打ちする。

「綺麗やゆうとったで」

「嘘でしょ!?」

「嘘や」

 思わず振り返った悠奈に、間髪入れず、隆道がばっさりと切り伏せる。

「嘘なんかい!」

「そらそうやろ」

 遠かった火が、随分迫って来た。隆道は事もなげに、ポコポコと殴ろうとする悠奈の手を交わして、颯爽と家のある方へ足を進める。李橙もケラケラと笑いを零しながら、それについていく。悠奈はその様子に敵わないと察して、目一杯頬を膨らませてから、三人を追い抜いていった。そのままの勢いで、家々の間を飛びぬけていく。

「やっぱ猿やな」

「いんや、鬼子よ。うちらの代のミコサマは」

「……そうやな」

 楽しそうな声、美味しそうな香りに交じって、炎がじり、と燃える音が風に流れて消えた。

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