鈴音 ーSUZUGANEー
隆道と遙は、稽古場の板戸を少し開けて、中の様子を伺う。少しの土間の向こうに、一段高くなったところが稽古場だ。中を見回して、隆道が戸を大きく開いた。それに気づいて、李橙が声をかける。
「あれ、タカ。ハルも。見に来たの?」
「おう。ちゃんと稽古しとるか?」
「かー?」
「しよるしよる。うちはやってえんけど」
「やれや」
隆道と遙も小屋の中に入る。框に腰かけて、足の泥をはたいている二人に、李橙が手拭いを差し出す。隆道はそれを受け取って、遙を膝に乗せて足を拭く。
「姉さん方は?」
「稽古は終いにして、今は会所で夕餉の支度してるんと違うかな」
「夕餉? なんや豪勢やの」
「おとならが集まって酒盛りするんやろ」
「ああ」
治五郎が帰って来たという話は、稽古や手伝いに行った子どもたちによって、村じゅうに吹聴されている。それで、無事の帰還に酒盛りを、ということだろう。
遙の足を拭き終えて、隆道が遙を板に乗せる。
「ほれ、行ってき」
遙は大きく頷くと、とことこと奥へ向かっていった。李橙が飽きたように足を投げ出している横で、隆道も自分の足を拭く。
「治五郎じいさんが帰ってくるんも久々やな」
「あれ、冬頃にいっぺん帰ってきとらんかったっけ」
「さあ? 俺はおうてえんで」
「タカはおらんかった気がするわ。なんか江戸で書かれた本? かなんか持って、『どこもかしこもきなくしぇえ』って」
「本? ああ、あの算術書か」
隆道は澄治の家の奥の間を思い出す。確かに、冬頃に村人たちが集まって何か見ていた覚えがある。その本は、暫くして澄治の家の奥の間の棚に納められたはずだ。それが、算術書。曰く、江戸では算術が流行りだという。
「あんなもんの何がおもっしぇーんやろな」
「さあ? でも、おマチやおユウなんかはおもろそうに見とったやろ?」
「あいつらは絵ぇばっかパラパラ捲っとっただけやろ」
隆道は手拭いを桶に戻して、稽古場の中を向いた。
「そんで? あいつは何やってるん?」
「あぁ――」
二人の視線の先、稽古場に響く足音の正体こそ、悠奈である。
「姉さん方の真似っこ、かなぁ」
李橙が顎に手をあてて言う。くるりとまわり、ふわりと舞う。それは確かに、舞手の姉たちの姿と重なる。
「見違えるでしょ?」
「まあ、猿の真似しとるよりはましやな」
「ふふふ」
悠奈の手には、李橙が持っていたのと同じ、鈴の代わりの木の棒。それがリンと鳴ったような気がした。