昼餉 ーHILUGEー
戸外から、バタバタと走る音が近づいてくる。それから、ワァワァとはしゃいだ声も。
「帰ってきよったわ」
土間で火の番をしていた樺乃子は、顔をあげ、呆れたように肩をすくめて言った。
ほどなくして、ガララ、と軽い音をたてて、板戸が開く。
「治五郎じぃが帰って来たって!?」
飛び込まん勢いでやってきた子どもたちが、頬を紅潮させて言った。それから、奥から出てきた人物に目を輝かせる。樺乃子もそちらに視線を送った。
「おお、おめぇら揃うたか」
羽織の中で腕を組んで、初老の男性がやってきた。日焼けした肌に、白い歯が輝く。
「治五郎じい!」
パアッと顔を輝かせて、いの一番に祥明が飛びついた。それに続いて、悠奈と誠汰も治五郎の元へ駆け寄る。
治五郎は祥明を軽々と抱き上げて、子どもたちを見渡した。
「ほれ、メシができてるぞ。とっとと上がりね」
奥の囲炉裏には火が灯り、家の中はほんのりと明るい。治五郎が奥に座る。囲炉裏の向こう側には、既に李橙が腰を下ろして、子どもたちに手を振っている。先にこちらに来ていたらしい。
子どもたちも足の泥を払ってそれぞれに座敷に上がり込んでいく。樺乃子は火吹竹を置き、かまどの釜の蓋を取った。
「俺も手伝うざ」
「スミ兄」
上から声をかけられて、樺乃子は振り向く。座敷では、治五郎と隆道が木皿に味噌汁をよそっている。李橙は真知と錦司を誘って、囲炉裏で魚を焼いているらしい。
「うまそうに炊けてるな」
澄治が釜の中を覗いて言った。えへへ、と樺乃子がはにかむ。
炊かれた米はつやつやと光って、優しい香りの煙があたりを包んでいる。
「しかし、なんや、今日は随分と豪華やの」
「そらそうよ! なんてったって、治五郎じぃが帰って来たんだから!」
「らー!」
澄治の後ろから、悠奈と遙が顔を出す。悠奈の手には盆に載った木皿と杓子がある。どうやらこちらも手伝うつもりらしい。土間は広く、子どもが4人集まろうと、まだまだ余裕がある。
悠奈と遙も、釜の中の米に瞳を輝かせる。いつもは粥にすることが多く、米を炊くのは餉にするときがほとんどだ。炊いたばかりの米を食べるのは、特別なことがあったときに限られる。
「やっぱりいいなぁ、かまど。うちにもあればいいのに」
「ユウの家じゃぁ、場所がないやろ」
「そらそうなんだけどさぁ」
悠奈は頬を膨らませる。その様子に笑いを零したのは澄治だった。
「爺様は物好きやでね」
この家には、子どもたちもそうだが、村人が集まることが多い。村長の家だから、自然とそうなるのだ。会所は別にあるが、村人たちが集まっての食事や宴会、小さな会合なんかはここで行われるので、土間にはかまどがある。
それにさ、と樺乃子が続けた。
「かまどを使いたかったらぁ、マチの家のを借りゃあええやろ?」
悠奈がピタリと止まって、目を大きく見開いた。
「……『ほの手があったか』みたいな顔してるな」
「その手があったか!」
「ふふふ」
遙が笑いを零す。悠奈は思いの外真剣に、真知の家のかまどを使う算段を立てているらしい。捕らぬ狸の皮算用、口許がにやついてくる。
「何してるん?」
そんな悠奈に、更に後ろから、真知が声をかけた。何やら呼ばれた気配を察知して、土間に降りてきたらしい。
「はようしいひんと、焦げてまいますよ?」
「あっ!」
首を傾げて言う真知に、杓子を持ったまま空想の世界に浸っていた悠奈が、はっとした様子で、釜に向かった。火の勢いは弱まっているとはいえ、確かにこのまま放っておいたら乾飯になってしまう。
そっと下ろされた杓子が、米をかき分ける。下の方からひっくり返せば、白い米がやや茶色くなっている。だ、と口にしながら、真剣な顔で悠奈が真知を振り返った。
「大丈夫、おこげも美味いから!」
「そらそうや」
澄治が腕を組んで、うんうんと頷く。その間に、米を混ぜ返し、木皿にそれぞれよそっていく。澄治が盆を持ち、その上から、空の木皿を遙に渡す。それに悠奈が米をよそい、樺乃子と真知がそれを運んでいく。連携作業で、全員分の米をよそうのはすぐに終わった。
5人も座敷に上がると、ちょうど魚も焼けたらしい。「いただきます」と感謝と祈りを捧げる。全て、食べるものは大地と神さまからの恵みである。
皆腹が減っていたのか、箸が進む。隆道が二杯目の米を食べ始めたところで、治五郎に問うた。
「そんで、今回はどこ行ってたんや?」
その一言に、子どもたちは忘れてたとばかりに、一斉に治五郎を見つめた。
「おう、ほやったな」
治五郎も治五郎で、忘れていたらしい。子どもたちが目を輝かせて治五郎に向く。
村は閉鎖的で、外の世界との交流は少ない。けれども時折、大人たちが村の外に赴くことがある。普段村から出ることのない子どもたちにとっては、その土産話はかけがえのないものであった。
村での暮らしに不満があるわけではない。子どもたちの仲もよく、大変なこともあるけれど、いつも楽しく暮らしている。お社に守られたこの村は、今日も平和だ。けれど、外の世界への好奇心を抑えられるわけではない。
治五郎もそれをわかって、旅先での話を語って聞かせた。行った場所、あった出来事、外の様子、人々の暮らし。異国の物語を聞くように、子どもたちは一心にその話を聞いた。
「あ」
声をあげたのは樺乃子だった。
「どうした?」
「ばっちゃが先帰ってもたで、忘れとった。祭りの稽古をするで、食べたら来ねってぇ、ばっちゃが言うてたんやった」
樺乃子は澄治に向かって言う。治五郎がそれを聞いて、顎に手をやって上を向いた。
「ほうか、もうほんな時期か」
初夏のこの時期、村の守り神である、山上のお社の祭りがある。子どもとはいえ、村の一員だ。それぞれにそれぞれの役目がある。
「ほんじゃあ、後の話はまた今度な。ほれ、行ってこい」
「ええー! まだ聞きたりんよ!」
「はいはい、うちらは姉さん方んとこ行こうなー」
ごねる悠奈を李橙が抱え上げて連れて行く。「暴れなや」と言いながら、涼しい顔で小屋を出て行った。その後ろを樺乃子がついていく。
「うらもいくざ!」
樺乃子の後を錦司が追う。それに、誠汰もついていく。
「なんで着いてくるんやざ」
「おまえだけじゃぁ心配やでのー」
「なんやそれ」
「ほれほれ、はよせんと置いてくぞ」
「こっすい!」
「走って転ぶなよー」
二人の背に、澄治が声をかける。その様子を横目に見て、隆道が軽くため息をついて、立ち上がる。
「マチとヨシアキは三郎さんのとこ行って手伝ってき」
「はい」
「はーい。行こか」
「うん」
真知と祥明が連れ立って出ていく。それを見送って、隆道は遙を抱き上げた。
「ハルカ、俺らも行こか」
「うん!」
「俺も」
澄治も立ち上がろうとして、隆道に遮られる。
「お前はここに残り」
「なんでや」
「なんでもや」
澄治はムッとした様子を見せるが、それを意に介さず隆道は遙を連れて出て行ってしまう。家に残された澄治は、少ししてから囲炉裏を囲んで座った。向こうには治五郎が悠然と水を飲んでいる。
口を開いたのは治五郎だった。
「おめぇも見ん間に大きなったな」
「いつから会うてえんと思てるのさ」
「そらそうや」
治五郎がカラリと笑う。澄治もようやく、治五郎の方を見た。
「ようご無事で」
「ああ」
囲炉裏を囲んでこちらと向こう。そのくらいの距離感がちょうどいいのだ。
「外はどうやった」
「そうやな……」
治五郎が視線を上向ける。少しの沈黙があった。
「広いわ」
「なんやそれ」
澄治がクスクスと笑う。それを慈しむような、治五郎の瞳。
村は狭く、皆仲がよいものだが、皆がみな血のつながりがあるかと言えば、血のつながりを持たない者も多い。その中で、祖父と孫の関係とは何か。澄治は時折それを考える。
治五郎は村の外に出ていることが多い。時折ふらりと帰ってきては、また外に出る。それは澄治が生まれたころには既にそうだった。治五郎が帰ってきているときに会えなければ、次に会えるのは年をまたいだ後になる。この間はそうだった。
澄治は口を開こうとして、やめた。「今回はいつまでいられるのか」と聞きたかった。けれどもそれは許されない。
治五郎もそれをわかって、けれども意を決したように口を開いた。
「澄治」
澄治はハッとして、俯いていた顔をあげた。




