第55話「地を這うだけが人生じゃない」
白夜は葉緩の枝であり、頑固さは通じるものがあると知っていたから。
「そう言われると少し照れるな」
ずっと黙り込んでいた葵斗が頬を染めてニヤニヤと白夜を凝視する。
「バカを言うな。お前ではなく、枝のことを言っているんだ」
白夜が調子に乗るなと葵斗を叩く。
攻撃されているのに葵斗はくすぐったそうに笑うので、若干白夜にも気がありそうだと背筋が震えた。
泣きそうだったのに、涙が引っ込んで二人のやりとりにあきれてしまう。
――もう、素直にあろう。
葉緩は白夜の胸に飛び込み、幼少期に戻ったかのようにわんわんと泣き出した。
腕の中で泣きじゃくる葉緩に、白夜はなつかしそうに微笑んでいた。
「な、葉緩」
その声は葉緩の中に溶け込むほどにやさしい。
「わたしはお前と過ごし、楽しいとは何かを知った。地に根付き、伸びることしか出来なかったわたしが海を見たんだ」
波の音。
腹のなかに命が宿っていると知った痛み。
水の中で聞こえる胎動の音を耳にして、世界の青さを目に焼きつける。
葉名が子を抱いて海をながめていたと、白夜は一生忘れることのない光景に目を細めた。
命が繋がって、葉緩としてここにいる。
白夜が目にして耳にした幸せの音が、葉緩の心に波となって打ち寄せては引いていった。
「お前と飛び回った世界は案外悪くなかった。地を這うだけが人生じゃない。風となれた。飛ぶことが出来たんだ」
歯を見せて笑う姿があまりに晴れやかなものだから、葉緩もさみしさを止めはしなかった。
「白夜っ!」
「役得と言ったところだろう。お前が諦めなかったこと。子の幸せを願い、未来を選んだことで再び葵斗と巡り逢ったんだ」
この温もりがあったから生きることが出来た。
地面を見下ろすしかなかった葉緩の名を呼び、顔を上げさせてくれたやさしい声。
これまで笑ってこられたのも、主と姫の幸せを願うことが出来たのも、葉緩の隣には白夜がいたから。
たとえ甘え下手だとしても、情けなさより白夜を呼ぶことを大事にしたかった。
「痛かったですよね。ごめんなさい、白夜。ワガママに枝を折って、子どもにまで悲しい想いをさせて。私の幸せはなくてもいいとさえ思った」
幸せになることが罰だと戒めて。
そのわりに葉名は幸せだったと涙する。
蒼依を失った悲しみ、ふとした時にさみしさを意識した。
それでも一度たりとも、一人だったことはないと想いを抱きしめる。
「白夜はずっと一緒にいました。主様と姫が助けてくれました」
「あぁ」
「それでも……!」
――いつまでたっても捨てられない執着に似た感情。
「夫婦になる夢を忘れられなかった……。私の世界に色をくれたのは蒼依くんだったから」
海に焦がれた。
波の音をきいて、泡が上にあがっていく音を聞き、母を思い出す。
いとおしい我が子を抱いて、蒼依とともに海を見たかったという願いを手放せなかった。
幸せになることに対し、後ろめたさを感じていた矛盾だ。
「そばに……。そばにいてくれてありがとう。白夜がいたから私が生きているんです」
「……葉名の子はな。お前と、桐人と柚に大切にされて育った。血を繋ぐとはそういうことだ。悲しい想いは未来を作らぬ」
だが、と言葉が続く。
「心とは難しい。連理の枝とは本当に必要だったのか。これからのお前たちの人生を通じて、わたしたちに教えてくれ。……な、葉緩? 我が半身よ」
今度は葉緩が頷き、目を閉じる。
「白夜、大好き」
「……あぁ、わたしも。大好きだよ」
世界が白く輝き、まばゆい光を見た。
次に目を開いたとき、草花の匂いがそよそよと風に揺れる大地が広がっていた。
「ここは?」
目の前の光景になつかしいと首をかしげる。
さわさわとおだやかな風が吹き、蛍光に輝く白い木に咲く花が揺れた。
「番の木だ。見覚えあるだろう?」
春に咲く花のように淡く眩しい髪がなびき、稲穂に似た瞳に藤をうつす。
「里はもう滅んで……」
「そう。もう存在しない場所だ。この木もある種、心象風景と言えるだろう」
あたりを見回しても続くは雪の降り積もる草原だ。
丘の上から見えていた里はなく、果てのない白さのなかに番の木が根をはっている。
かつて葉名と蒼依が戯れて、結びつくことを夢みた世界。
かつての現実であり、今は非現実の世界となって形作っていた。
空に広がる枝を見上げれば、一本だけ乱暴に折られた形跡がある。
それが葉緩の枝だったものと認識し、不思議な縁に寒がりの息を吐きだした。
「誰も場所を知らないわけだ」
「葵斗くん?」
風に馴染むように葵斗が葉緩のとなりに現れると、幻想風景の白い木に手を伸ばした。
誰に絡むことなく、葉緩の枝の隣で空にまっすぐ伸びる白い枝があった。




