第40話「天罰」
(あたたかい手。私はずっと蒼依くんに幸せになってほしかった。だけど同時に私も幸せになりたかった。幸せになるのが怖かったんだ)
晴れやかな心持ちに光を見た。
悲観的だった葉名が前を向き、幸せを見つめる勇気を持つ。
この先、暗いように考えたくない。
悲しい気持ちよりも、胸があたたまる感覚を大事にしようと雪月夜に頬を赤くした。
(あなたとの未来はきっと素敵ね。連理の枝が結んだ運命なんて)
――関係なかった。
その甘い考えは悲観的な気持ちが許してくれない。
風を切る音が耳をかすめた。
振り帰る前に蒼依が葉名を抱きしめ、雪の上に倒れ込む。
音がやんだと思ったら、次に鼻をかすめたのは鉄くさい匂いだった。
「……蒼依くん?」
葉名に覆いかぶさるように身体をぐったりとさせ、もたれかかる蒼依。
葉名は身体を起こし、蒼依の身体をゆさぶるとねっとりとした液体が手に付着した。
(鼻をつんざく匂い。これは……血?)
目まいがする。何も考えられない。
「あ……ぁあああ……」
止血しようと蒼依の背に手をまわすも震えるばかりで、血がどんどん雪を染めていく。
「――なんで?」
雪を踏む音が葉名と蒼依の後ろで止まる。
顔を上げると忍びの装束をまとう穂高がいた。
口元を覆っていた黒い布を指でおろし、動揺が濃く現れた声が静かな雪原に溶ける。
「なんで蒼依様が血を流して倒れているの? わたくしが狙ったのは……」
膝をつき、穂高は弓を射った手を見下ろして握りしめる。
穂高を責める余裕もなく、血を止めようと追い込まれた。
意識が遠のきそうな状態の蒼依が葉名の手を掴む。
「逃げろ、葉名」
「蒼依くん……! 待って、すぐに止血するから……!」
助けを呼べばなんとかなるかもしれない。
里を出ることより、蒼依の方がずっと大事だ。
蒼依がいなければ里を出る意味なんぞないのだから、葉名は切羽詰まってあたりを見渡す。
穂高と目があい、手を伸ばすも穂高は目を細めるだけで何も言わなかった。
「後から追う。だから先に、里を出ろ……」
「嫌です! すぐ止血します! だからどうか共に! ……っ共に」
頭がくらくらして、とまらない涙を拭う気すら起きない。
喉が痛くて、胸も痛くて、蒼依の身体を抱きしめるしか出来ない。
泣きじゃくる葉名の温もりに触れて、蒼依は短い呼吸を繰り返しながら笑っていた。
「知らなかったな……。これだけ血が出ても意外と平気なんだ。でも身体を動かすのは……」
その言葉のあとは続かない。
きっとその先は葉名を置いていく別れの言葉だ。
「やだ……やだよ、蒼依くん……」
「ごめん、葉名。全然、見えないんだ。葉名の顔が見たいのに」
「嫌です! 夫婦に、夫婦になると言ったではありませんか!」
蒼依は弱々しく微笑む。
白い息が大気に溶け込んでいた。
「もっと早く動けばよかった。いつまでも番の木に期待したただの臆病者だった」
蒼依の言葉に葉名はボロボロになって首を横に振る。
「私が弱かったんです! 蒼依くんは里長の息子として責任を持っていただけです!」
「……お互い、固すぎたかもな」
葉名の手に触れる指先がどんどん滑っていく。
血に濡れる身体に葉名は身を寄せて、生ぬるい手の甲に唇を寄せた。
「枝は結びつかなかったけど、俺が愛したのは葉名だよ」
「私も……蒼依くんが……!」
――これほどの愛の言葉はない。
蒼依くんに呼ばれる名前が、一番の愛だった。
蒼依の手が葉名の手から滑り落ちる。
「……蒼依くん?」
呼吸の音が聞こえない。
胸が起伏しない。
「やだ、いやです……。お願い。私、がんばるから……」
握っていた手が握り返されない。
「もっと明るくなります。蒼依くんをたくさん笑顔に出来るように。強くなります。隣に堂々と立てるよう……だから」
――もう一度、名前を呼んで……。
「あ……ああぁ、ぁああああああっ!」
――堕ちていく。
これほど己を呪ったことはない。
蒼依の言葉にすがらなければよかった。
もっと強ければ戦えたはずなのに。
無力を呪い、依存心にのまれた弱さが憎らしかった。
――運命に逆らったから天罰が下ったのだ。
「あっちから血の匂いがするぞ! 皆でかかれ!」
蒼依を失った葉名を容赦なく追いつめる声が届く。
蒼依を失い、動こうとしない葉名を穂高は目尻をつりあげて蹴り飛ばす。
虚ろに顔をあげると、はじめて穂高が葉名を瞳に映していることに気づいた。




