第37話「抗えない」
「あなた、性格悪いって言われませんか?」
「よく言われるなぁ。蒼依がいい子ヅラしすぎなんだよ」
「……そうですね」
蒼依は品行方正で真面目だ。
里の期待も高く、葉名には遠いばかりの人だ。
あまりに背負いすぎたその姿に寄り添いたいと思うことさえ、おこがましいと自己否定に繋がった。
――蒼依の枷になりたくなかったのだから、これでよかった。
(この香りに身を委ねればいい。依久くんの香りは……ただ甘いだけだから)
高嶺の花より身近な花、枝はそう告げている。
葉名に蒼依を幸せには出来ない。
それが運命であり、天から告げられた意志だ。
ここで泣くのは卑怯だとわかっていても、さめざめと泣くしかないのが忌々しい。
「お前……」
(あぁ、どうしよう。委ねてしまえば楽なのに……)
本能と理性の矛盾に心が追いつかない。
これでは依久が困るだけだと涙を拭おうとして、その手を掴まれる。
「んっ……!?」
気づいた時には葉名と依久の唇は重なっていた。
何も考える余裕もなく依久の肩を突き飛ばすと、後ろからの引力に足元のバランスが崩れた。
「葉名に触れるなっ!」
唇が離れたと認識した頃には事が大きく変動していた。
青色の波が押し寄せ、依久を葉名から引き離そうと力強く睨みつける。
「蒼依く……!」
手を掴まれ、葉名の足は勝手に走り出していた。
耳まで真っ赤になった後ろ姿から目をそらせない。
この色を知っている。
葉名の耳もまた、同じ色をしているだろうから。
溢れ出す涙が後ろへと流れていく。
騒々しくなった里の声なんぞ、耳にも入らない。
世界でただ二人、走るときの短い息づかいだけが耳に届いていた。
***
里の奥にある森を突き進み、岩を叩きつける小さな滝の裏側に駆け込む。
裏側は空洞となっており、葉名は問答無用で引っ張られて暗闇に浮かび上がる輪郭に唇が濡れてしまった。
少しずつ息が長くなっていき、心臓の音がやたらと耳にはりついてくる。
(力が強い。振りほどけない)
「こんな山へと入って何を。里の者が不審に思いま……」
こんな時でさえ周りの顔色をうかがい保身に走る。
葉名の評判がさらに落ちるのはどうでもいいが、蒼依には大打撃となるだろう。
冷静になろうと言い訳がましくしていると、蒼依が切羽詰まった様子で葉名の両肩を掴み、岩壁に押しつけてくる。
「何を思われても構うものか! 真面目なふりをするのはもうやめだ!」
「んっ!? んぅ……!」
水音が鼓膜を震わせる。
青い瞳はまつ毛に伏せられて目にすることは叶わない。
森林の澄んだ香りと水分の多いしっとりとした空気が肌に触れた。
――抗えない。
唇が離れると強く抱きしめられ、洞窟の壁との間に押しつぶされる。
やさしさと痛さに涙が溢れた。
「……たしかに、俺には香りがわからない。穂高から感じたものは唯一だと思う」
吐息の混じる熱い声が耳元でささやかれた。
わからぬ香りに心が燃え、うるおいを求めてつま先が丸まってしまう。
「だが心が焦がれるのは葉名だけだ。香りがわからなくても好きなのは葉名だ」
(わからないよ)
なぜこんなにも蒼依は好いてくれるのか。
暗くて、マイナス思考で、とてもではないが好ましい点がない。
身分も低く、蒼依にとって何のメリットもない石ころのようなものだ。
番の木が示した答えに従うことが最善だと、目を反らしてひりつく喉を刺激する。
「私は蒼依くんに幸せになってほしい。蒼依の幸せは正しい方と結ばれ、世継ぎを得ていくことで……」
「勝手に決めないでくれっ!!」
再び唇が重なり、葉名の言葉を飲み込んでいく。
熱くて苦しいのに、その炎からは逃れられない。
粘着質に、蒼依が絡んで離してくれない――。
「幸せにしたいなら答えてくれ。どうして葉名は答えてくれない? 焦がれるのは俺だけか? 俺の幸せに何故、葉名がいない前提なんだ?」
焦げつく匂いが鼻をくすぐる。
「葉名の幸せに俺は不要なのか?」
首を横に振る。
とまらない。あふれ出す。
欲が、葉名を支配した。
やけくそになって拳をにぎりしめ、目に力を入れて一心に蒼依を睨みつけた。
「焦がれてますよ! 誰よりも、誰よりも焦がれてるに決まってるじゃないですか! ……でも連理の枝は違うと示して」
何度も、何度でも、葉名が逃げるたびに蒼依は追いかけてくる。
そのたびに息が乱れて、唇は擦り切れてしまうそうだ。
こんなに追い回されるのははじめてだとしがみつくしか出来ない。




