第17話「今の私、壁じゃないです」
(き、昨日のこと……。あいまいにしていては任務に集中できません……)
勇気を振り絞り、唾を飲みこむと肘を伸ばして葵斗と向き合う。
「あの、昨日は……。私、意識飛ばしちゃったみたいで……」
「大丈夫。白夜さんが連れて帰ってくれたから」
サラッと言われたが、とんでもない発言だと葉緩は青ざめる。
「びゃ、白夜が見えるの?」
「あれは葉緩の匂いが移っているからね。とてもいい匂いだ」
ストレートな発言にさすがの葉緩もカァッと乙女のように顔を赤らめる。
忍びにとって匂いは重要。それを指摘されれば羞恥心をあおられてしまう。
「その匂いとやら、なんのことを。私は匂い消しをしているのでわかるとは思えないのですが」
「葉緩の匂いなら絶対わかる。俺は鼻がいいんだ」
疑問がどんどん溢れてくる。
忍びとして鍛えられた葉緩の匂い消しはかなり手練れたものだ。
人として違和感のないように丁寧に馴染ませた無臭。
それを越してでも強い香りを放つのが番の証となる香りだ。
もし葵斗が番であれば、強烈に惹かれる香りを嗅ぎ取れるはずだが、どう嗅ぎなおしても葵斗からは何も香ってこない。奇妙なほどに“無”だ。
いずれにせよ、葵斗は葉緩の番ではない。
仮に葵斗も忍びであるならば、この考えは共通で持っているはずなのに、どうしてそうも揺らぎなく詰め寄ってくるのか。
まるで香り以前に、結ばれる運命だと主張しているように見えた。
「私にはわかりません。望月くんから匂いを感じないのです。番と言われても説得力がありません」
「匂いを感じない? どうして?」
(そんなこと言われても……)
わからないものはわからない。
どちらかにしか答えが傾かないのだから、納得してくれよと葉緩は頭を抱える。
葵斗が嗅ぐことが出来て、葉緩には出来ない。
どうしてと問われてもそんなものわかるはずがなかった。
憤りを感じているのは葉緩だというのに、葵斗はとことん葉緩を責めたてる。
葉緩の回答に満足しない葵斗は、切羽詰まった様子で葉緩の腕を掴んだ。
「俺たちはわかるはずだ! だってこの匂いはっ……!」
――わからない。葉緩はそう答えるしかない。
それが葵斗にも伝わり、葵斗はハッと息をのんで手首を掴む力を緩めた。
歯がゆいと眉をひそめる姿に、胸が痛くなる。
自分だけが苦しいみたいな顔をしないでほしい、と葉緩の視界が涙に揺れた。
(そんな顔しないでくださいよ……。私には関係ないのですから)
「……わからないならいいよ」
ハッとして顔をあげると、傷心を残しながらもあくどく笑う葵斗がいた。
途端に胸の痛みが強くなる。――警告だ。
(これは何? 痛い……いやだ)
「匂いでわからないなら、他でわかってもらうから」
「えっ? ……あっ!?」
覆いかぶさるように唇を塞がれてしまう。
何が起きているか把握できず、肩を押そうとしたが力の差は明白。
何度も吸い付くように唇を食まれ、段々と力が抜けて葵斗にされるがままになった。
「や、だめ……。ちょっ、は、ん……!」
ぐちゃぐちゃする。
どうしてこんなことをするの?
葵斗の瞳を見ると、なぜ心が乱される?
番でない相手に触れられるのは嫌だ。
忍びは番と出会い、子に想いを繋いで主とともに輪廻を巡る。
それが忍びとして当然の願いなのに、それを壊す勢いで葵斗は葉緩の中に侵食していった。
触れられることが嫌でないと思う自分がわからない。
(だって、私は忍びだから。自分なんて、必要ないのに)
唇が離れると、葉緩は精一杯の拒絶として顔をうつむける。
乱れた息を整えながら葵斗のTシャツを握りしめ、歯を食いしばった。
全身汗ばんで、冷静になれないまま水滴が落ちる様が視界に入った。
「……今の私、壁じゃありません」
「そうだね」
「どうしてこんなことを――」
「葉緩が好きだから。ずっとずっと……好きだった。やっと会えたんだ。離さない」
言葉を飲むように抱きしめられる。
少し強引で、だけどやさしさのある抱擁に涙がこみあげてきた。




