運命の番?それって古いです!
──運命の番。
昔、獣人族は運命の番と出会うと人が変わったようにその者を愛し、一時たりとも離れたくないと愛に狂った。
が、そんなのは昔の話。
今ではその運命とは何なのかが証明されており、運命でも何でもないのだと結論付けられている。
獣人族にしか感じ取れないフェロモンの香り。
その香りが運命の正体である。
個体によって様々だが、獣人族は自分に一番心地良く感じる、云わば「魂を揺さぶる程に強烈なフェロモン臭」を嗅ぐと薬物汚染に近い脳の状態へと陥り、その匂いを発する者を無条件で受け入れ、愛し、狂っていく。
その狂気の沙汰は異様で、運命の番が他の異性と一言話をしただけでその話し相手を殺してしまう程であった。
運命の番と出会う前まで別の者と惹かれあい穏やかに愛を重ねていようとも、番に出会った瞬間にその感情の一切を忘れ去る。
だから運命であると考えられていたのだが、運命の番と出会う確率が上がるにつれておかしな事が分かってきた。
獣人族よりも人間は寿命が短い。
今まで見落とされてきたのだが、運命の番が死んだ後獣人族達は生きていられるのか?そんな疑問が研究施設で議題に上がり、調査が開始されたのだ。
あれ程に狂ったように愛するのだから、その対象がこの世を去れば当然獣人達も普通の精神状態ではいられるはずがない。
なのにそんな事例は全くと言っていい程に上がっていなかった。
だから疑問が生まれた。何故?と。
調査の結果、面白い事が分かった。
運命の番を亡くした獣人族達は大した混乱もなく、その後は穏やかに暮らしていたのだ。
番を想い身を滅ぼす者も中にはいたが、それはほんの一握り。
中には「自分は何故あんなやつを愛しいと思っていたのだ?」と自分自身を信じられなくなっている者までいた。
その者達は大抵口を揃えたように「思い返せば全く好みではなかったし、思い出す全ての言動が嫌悪感しか抱けないはずなのに、あの時は盲目的に愛おしくて仕方がなかった」と言ったらしい。
これはどういう事だろう?と更に調査が進み、「運命の番とはそもそも何なのだ?」という最大の疑問が生まれた。
そこで運命の番と死に別れた獣人族達を集め番だと分かった時の状況を聞き取り、まだ番と出会っていない獣人族達にも話を聞き、「これは他者の体臭が何かしらの作用を引き起こしているのではないか?」と考えられるようになり、様々な実験が行われる事となった。
その実験に参加した一人が私、リス獣人のメッシーラ・チャムである。
実験に参加した当初、私はまだ10歳だった。
実験と言っても身体的に苦痛を感じる事は一切されず、寧ろ高待遇で快適な生活だった。
我が家は貧しかったので一日三度の食事が出来る日の方が珍しく、おやつなんて贅沢品は口にする事すら出来なかったのだが、しっかりと栄養価まで計算された食事が三度きちんと出る上におやつにジュースまで付いてくる。
与えられた部屋はフカフカのベッドがあって、綺麗な服を与えられ、希望すれば読み書きも教えてもらえるし、読む事が出来るようになれば研究所にある図書室から本の貸出まで許される、もう天国かと思える程に素晴らしい生活を送っていた。
私がしていた事と言えば午前と午後の2回匂いを嗅いでその経過観察をされるのみ。
人工的に作られたフェロモンの香りを嗅いで、その後1時間身体的変化が起きないかを調べられるのだ。
といっても私は通された部屋の中で椅子に座ってジュースを飲んでいれば良かったので別にする事なんてなかった。
フェロモンの香りは様々で、甘い香りもあれば腐りかけのカレーのような臭いのもあった。
そんな暮らしをして3年位経った時、私は気が狂いそうな香りを嗅いだ。
その香りを嗅いだ瞬間、自分の感情が自分のものではないような、焦りと苛立ちと渇望と愛しさが全部ごちゃ混ぜになったような強い何かに突き動かされるような、それでいてどこかで自分の体がその強い感情に支配される恐怖も感じていた。
それが私の運命の番の香り(人工的に作られたものだけど)なのだと後で聞かされたのだが、香りが消えるとそれまで抱いていたあの支配されるような強い感情は消え去り、何故あんな感情が起きたのかすら分からなかった。
運命の番の香りを探り当てられた私の実験は様変わりした。
クマのぬいぐるみにフェロモン臭を付けた物を与えられると、私は狂ったようにそのクマを求め、一瞬たりとも離さない、離してはいけない、愛おしい、という感情のみに支配された。
取り上げられた瞬間は怒り狂うのに、その香りを全く感じられなくなるとあの感情も消え去る。
匂いを感じ取れないようにされた特別な部屋でガラス越しにそのクマを見せられても「可愛いな」と思ってもあの感情は出てこない。
脳の状態が見たいと変な機械に通された状態で、初めはフェロモン臭を嗅がない通常の状態の脳を調べられ、次いでフェロモン臭付きのクマを抱いて脳を調べられた。
どうやら私の他にも運命の番の香りを探り当てられた獣人が何人かいたようで、時々発狂したような声が聞こえてきて「私もあんなだったの?」と怖くなった。
運命の番なんて素敵な言葉が付けられているが、その香りの効果を身を持って知っている私からしたらあんなのは呪いだ。
クマのぬいぐるみは特別好きでもなんでもないのに、あの香りが付いているというだけで狂ったように求めてしまう。
正気に戻った時に思うのは恐怖。
あんな状態の自分は本当の自分ではない。
その後も様々な実験や研究がなされ、私は15歳で研究所を出た。
実験と研究に協力してくれたお礼として数年は何もしなくても暮らせる程の大金まで貰ってしまった。
そして、退所する際に「君の運命の番の香りは既に分かっているけど、もし運命の番の香りを持つ者が現れた時、君はその番と添い遂げたいと思うかい?」と聞かれたので「絶対に嫌だ!」と答えた。
すると「そうだろうね。あんなのは運命でも何でもない。自己判断能力がなくなり、錯乱状態と興奮状態で脳の正常性は失われ、まともな精神状態ではなくなるだけの、一種の麻薬中毒のようなものだ。そんなものに君達が振り回される必要はないね」と優しい笑みを向けられて、「では予防接種をしよう」とチクッと腕に注射をされた。
「これで運命の番なんてものから君は解放されるよ」
その言葉が何よりも嬉しい餞の言葉となった。
その後、運命の番の研究結果は大々的に発表され、希望者には予防接種が無料で行われる事となり、運命の番なんてものはこの世からほぼなくなった。
が、たまにおかしなやつが現れる。
今私の目の前にいる女がその一人だ。
どう見ても人間にしか見えないその女は、私の恋人であるウルフ族の獣人アダム・ウェルに「あなたが運命の番!」と宣った。
運命の番の実験の話を私から聞かされて予防接種も受けているアダムはその女の言葉にムッとして眉間に深い深い皺が出来ているのだが、そんな事はお構いなしに女はギャーギャー騒いでいる。
「あんた何よ!私のアダム様に馴れ馴れしく触ってるんじゃないわよ!」
遂に矛先は私へと向かってきたのだが、その女が私に触れようとした瞬間、アダムが女の手を叩き落とした。
「キャッ!い、痛ぁい!何で?!何で私が叩かれるの?!私は運命の番よ?!」
「うるさい、黙れ!」
地を這うように恐ろしく低い声でアダムが言うと女は青い顔になって黙った。
「運命の番?笑わせるな!あんなもの呪いだ!そもそもお前は誰だ?運命の番と語っている時点で敵だと認識されて殺されてもおかしくない状況が分からないのか?!」
「殺され?!え?!何で?!だってここ『ケモキミ』の世界でしょ?私、あなたに選ばれるヒロインだよ?ねぇ、目を覚まして!」
あー、またか...。
たまに現れるおかしなやつらとはこの女のようなやつらなのだ。
この女は『ケモキミ』と言ったが、そういう聞いた事もない世界がこの世界なのだと言い張り、自分はその世界のヒロインで自分はあなたの運命の番だと言う頭のおかしな女が時々現れるのだ。
今回はアダムの前に現れたが、去年は私の友達の恋人の前にそういう女が現れた。
そういう女はウルフ族の若い男の前に現れる事が多い。
たまに獅子族や黒豹族の男達の前にも現れるらしいが、ウルフ族に比べたら圧倒的に少ない。
ウルフ族は一見すると冷たく見えるが美形揃いの獣人族なので惚れるのも頷けるが、何故頭のおかしな女が多いのかは分からない。
きっとそのうちそんな女達の事も研究所の人達が調べてくれるのではないかな?と期待している。
女は騒ぎを聞き付けた衛兵達に連行されて連れて行かれた。
あの女がどうなるのかなんて私は知らない。
「ごめんな、不快な思いをさせただろ?」
「全然!運命の番だなんて言う頭のおかしな女が実際に見れて面白かったよ!」
「そうか、なら良かった」
「ふふふ、アダムが本気で怒った姿、初めて見た」
「...嫌いになったか?」
「カッコよかったよ」
「メッシーラっ!」
ガバッと正面から抱きしめられ、小柄な私はすっぽりとアダムの腕の中に包まれた。
「ちょっと、ここ町中だって!」
「可愛すぎるメッシーラが悪い」
本当は町中だろうがアダムに抱き締められるのは嫌じゃない。嬉しい。
獣人族といっても昔とは違って今は耳と尻尾が獣のそれなだけで見た目は人間と大差ない。
リス族は小柄な、ウルフ族は高身長な者が多いとそれぞれの特徴はあるけど、昔みたいに「食うか食われるか」の世界でもないし、種族関係なく結婚だって出来る時代になっている。
そんな時代に生まれてこれた私は幸せ者だ。
こんなに素敵な彼氏がいるのだ、幸せじゃないはずがない。
「ふふ、アダムも可愛いよ」
「可愛いのはメッシーラだ」
トロリと蕩けるような瞳で見つめられるとそれだけで体は動かなくなる。
求めるように目を閉じると、少し冷たいアダムの唇が重なった。
「愛してる...結婚しよう!」
「またそれー?結婚は来月するでしょ!何度目のプロポーズよ?!」
「プロポーズは何度だってする!結婚は今すぐしたい!」
「何馬鹿な事言ってるの?!来月の結婚式、楽しみだねー。アダムのタキシード姿、絶対カッコイイよね!」
「メッシーラの花嫁衣裳姿の方が可愛いに決まっている!あぁ、メッシーラの可愛すぎる姿を見て惚れてしまう男が絶対いるはずだ!そんなのダメだ、許せない!」
「なーに言ってるの?!そんな訳ないじゃない!」
「いや、絶対いる!もし俺からメッシーラを奪おうとしたら...殺す!」
「物騒な事言わないでよね!旦那様が犯罪者になるなんて嫌だよ、私」
「旦那様...メッシーラ、もう一回言ってくれ!」
「えー、そんな事言われたら言いたくないかもー」
「そんな事言わないで、頼む!」
「ふふふ...愛しい旦那様」
「メッシーラっっ!!」
再び腕の中に閉じ込められてしまった。
私にはアダムを支配してしまうようなフェロモン臭はないけれど、それでもアダムに溺愛されている自覚がある。
あんな危険なフェロモン臭なんてなくても確かな愛は育めるのだ。
もっと早くに判明していたら、きっと不幸な人は出なかっただろう。
妻子があったのにフェロモン臭に狂わされて家を捨てた人もいた。
愛する婚約者を簡単に捨てて他の男に走った人もいた。
そういう人達は番が消えた後に激しく後悔をし、心を病んだ。
でも周りから見たら「番を亡くして病んだ」と思われて、何故病んだのか調べられる事もなかったそうだ。
*
後にあの頭のおかしな女達は『異世界』と言われるこことは全く違う世界から魂だけやって来て人間の体を乗っ取る『悪魔』だと研究所から発表された。
中には真っ当な精神状態の悪魔もいるそうなのだが、「私はヒロインよ!」と言うのは大抵が頭のおかしな悪魔であり、関わると災難が降りかかる為見つけ次第幽閉するという決まりが作られた。
真っ当な精神状態の悪魔はこの世界の者達と共存出来る上に新たな技術や文化を齎す者として『聖者』と後に呼ばれるようになる。