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初めての朝 本間結月の場合

 朝6時、目覚まし代わりに設定したスマホのBGMを叩きつけるように止めた。久しくこんな時間に起きていなかったから、まだ頭が覚醒しきっていない。中学の時は学校が近かったからぎりぎりでもセーフだったけれど、今日からはバスに乗って登校することになる。朝の時間は1時間に2本しかないバスだから、これを逃すと学校に遅れる。受験する前に確認したことだけれど、今後は毎日この時間に起きることになると考えると少し気が重い。

「……だめだ……しんどい……」

 新生活が始まるまでの至福の期間、春休み。しかし、それは人々の生活リズムを狂わせる魔物なのだ。この私――本間結月もその魔物の被害者である。昨日までの、徹夜してアニメ見たり、ラノベ読んだり、ゲームしたりしてた時間を返してくれ、と姿のない魔物に悪態をつく。ぬくぬくとした布団の中で迫る現実と戦い、さすがに初日から遅刻はまずいと仕方なく起き上がった。勝者、現実。

 手探りでメガネを探して装着。まだ寝ぼけている目の焦点を合わせて部屋から出る。今日の天気は晴れ。最近雨も降ってないからむしむしもしていない。新しいスタートにはうってつけの朝だろう。うーんと背伸びをしながら洗面所へ。歯ブラシに歯磨き粉をつけてしゃこしゃこ、がらがらうがいをしてお湯で顔をぱしゃぱしゃ、ぴょんとはねている寝癖を直そうと愛用のブラシに手を伸ばす。と、目に入ってくるのはいつも母さんが使っているヘアアイロン。

「ちょっとやってみよっかな……」

 今日くらいはやってみてもいいだろう。むしろ今日やらないでいつやるというのだ、私。いつも母さんが使っているのは見ている。同居人にばれないようにこっそり部屋に戻り、スマホを確保。正しいヘアアイロンの使い方を調べながら見よう見まねでなんとなくやってみる。そして格闘すること5分。

「おぉ……」

 いつもの長い黒髪には軽くウェーブがかかっている。髪型だけ見たら雑誌に出てきそうな感じ。まぁそんな雑誌なんて見ないから完全にイメージだけれども。それにしても、これはいい感じなのでは? 私天才かしら?

「よし……この感じなら……!」

 もう一度、同居人にばれないよう、こそこそ部屋に戻る。部屋に戻り、クローゼットから取り出すは今日から3年間お世話になる制服。中学の時のセーラー服と違ってブレザーなので自分がどんな感じになるのかイメージしにくいが、試着の時に見た、どこにでもいそうな一般高校生の姿になった自分をぼんやり思い出す。うん、パッとしない。しかし、今日この瞬間はそのさらに一歩先を行く――!

 スカートをつかんでから一瞬ためらう。しかし、そのためらいを一蹴してグイっとスカートを上げた。今まであまり陽の光を浴びることがなかった膝が顔を出す。校則で決められているスカートの長さよりも短く、髪には軽いパーマ。洗面所には先週買ってきたコンタクトも用意されているし、これは俗に言う高校デビューなのでは……!? 自信満々ににやりと笑って、クローゼットについている大きめな鏡に振り返る!!

 そこにいたのは頭の中でイメージした一般高校生私とはかけ離れた姿の私。これで友達に囲まれて、タピオカでも飲んでプリクラを撮った日には、もう文句のつけようのない高校デビューをしてしまうのでは!?

「や、やっぱりむりぃ~! 私にはできません~!!」

 しかし、その思考は自信と共に音をたてて崩れた。こんなキラキラした格好、誰かに見られる前に羞恥心で死んでしまう。タピオカ飲んでプリクラなんて撮ってる姿、万が一中学の同級生に見られたら即刻腹切り案件だ。オタクが調子乗るもんじゃないな……と思いながらスカートをいつもの位置に戻して、パーマはかかっている髪をとかしていつものロングヘアに。うん、これが一番落ち着く。本間結月、御年15歳、高校デビュー前に挫折。かくして、コミュ障オタクが日を浴びることはなかったとさ……

「あら、やめちゃうの? せっかくかわいかったのに。そんだけ似合うなら、ゆずもコスしてみれば?」

「てめぇいつからそこにいやがったー!!」

 スマホを持ってにやにやと写真を撮る母さんに枕を投げつける。同級生に見られる以上に、この人に見られる方が恥ずかしい。穴があったら、いや、なくても自分で掘って入りたい。

「ほらほら、そんなことしてたらバス送れるわよ~。ご飯、まだでしょ?」

 枕を華麗に躱しながらもう一枚パシャリ。

「赤面してる娘を撮って楽しいか!?」

とりあえずスマホを片付けよう。ほんと、頼むから。

「やっぱりブレザーいいわね~。お母さん、セーラー服よりこっちの方が好みだわ~」

 聞こえてないのか聞いてないのか。私の声が母さんに届くことはなかった。もうこれ以上言っても無駄か……と諦めのため息をつく。

「母さんはコスプレでいつも着てるじゃん」

「ゆずと私じゃ違うの。分かるでしょ?」

「いや、よく分かんないけど……」

「現役が着た方が萌えるの。需要と供給がいい感じなの」

 何を隠そう、母親も私と同じ人種だ。しかもイベント毎にコスプレ界隈を賑わせるアクティブなタイプのオタク。一緒にどこか出かけたときは、もう4……けっこういい歳なのに見た目は若いからよく姉妹みたいとか言われる。それを聞いて母さんは嬉しそうにするけれど、娘からしたらかなり複雑だ。なぜ10代と40代が姉妹になってしまうのか。未だに分からない。

 何かを察したのか、こちらをぎろりとにらむ母さんに愛想笑いで返すと、向こうもにこりと微笑んでスマホに目を落とした。いや、ほんと怖いな。この美魔女。

「でも、セーラーのゆずもかわいかったわよ? 見る? 中学の入学式……」

「あー! もういいから! ご飯食べてくる!」

 逃げるように部屋から飛び出す。七五三じゃあるまいし、いい加減娘の写真を大量に撮るのはどうなんだろうか。これが母親のコスプレの参考になっているのだから余計恥ずかしい。

「今日はヘアアイロンで苦戦してるゆずがお気に入りかな~。慣れてない感じがいいね。推せる」

推せるって。あたしゃアニメのキャラか。これだからオタクってやつは……

「って初めから撮ってたんかい!!」

 盛大にツッコミを入れ、ため息交じりにリビングの時計を見る。バスが来るまであと30分。これ以上母さんに構ってたら『初日から遅刻』の実績を開放してしまう。さっさとご飯食べて、今日は早めに行こうと固く決意する。

「あれ、父さんは? もう行ったの?」

 自分の分の白米をよそいながらリビングを見渡す。いつもソシャゲのログインに励んでいる後ろ姿が見えなかった。

「あー、お父さんね。朝一の電車で行っちゃった。それはもう、近年稀に見る追い込まれた顔で」

 なるほど。締め切り近いのか。出版社で編集者として働いている父さんは、いつもはただの萌え豚なのだが、定期的に死んだ魚のような顔になる。お仕事って大変だなぁと小学生並の感想を胸に箸を進める。

「でも入学式には絶対行くって意気込んでたわよ。チャリで来たってやってみたいんだって」

「お願いだから絶対にしないで」

 と、まぁいつもこんな感じである。出版社に勤めるゲーオタ父にコスプレイヤーのオタク母。なぜ私がこの道に足を踏み入れることになったのかは言わずもがなだろう。育つ環境と言うのは恐ろしい。

「あんまり変なことしないでよね。2人が目立つと恥ずかしいの私なんだから」

 痛む頭を抑えながら念のため釘を刺す。そうしないと、下手したら3年間笑いものになりかもしれない。

「大丈夫。さすがに常識くらい身に着けてるわよ」

 うん。じゃあ、とりあえず『セーラーとブレザーどっちがいいかなぁ』みたいな顔でスマホ見るのはやめようか。

「……ちゃんとした格好で来てくれたら、後でいくらでもマネキンになってあげるから」

「ほんと!? 聞いたからね!? 言質いただきました!!」

 ちゃんとした格好で来る気なかったんかい……って言ったらまた話が長くなりそうだから胸にしまっておくことにした。

「何着てもらおうかな~。作るだけ作って着てないの何着かあるんだよな~」

 まずい。余計なこと言ったかもしれない。不穏な妄想をしてる母さん、否、やばいオタクは放置してさっさと行かないと。

「……ごちそうさま」

 ニヤニヤ妄想しているオタクと目を合わせないように横を通り、ちゃっちゃとお椀をすすいで食洗器に入れる。そのまま目を合わすことなく自分の部屋へ向かう。次の土曜日に自分の身に起こるだろう出来事を考えたらかなり面倒くさかったけど、きっと未来の自分が何とかしてくれるだろう。

制服のまま布団にダイブ。寝転がりながら最近お気に入りのソシャゲを開いてスタミナ消費、ついでにフレンドに救援を送って再び突っ伏す。これをするにはまだ早すぎる気もするが、とりあえず疲れたから仕方ないのだ、と自分を全肯定。この言葉、本当に便利。

「そろそろ家出ないとな……」

 ちらりとスマホを見る。歩いてバス停に向かうと少し時間がかかるので、少し早めに出るくらいがちょうどいいだろう。誘惑してくる布団くんにさよならバイバイ。私はこれからスクールバックを相棒に旅に出るのだよ……

 旅に出る前にはちゃんと持ち物チェックをしなければ。事前ガイダンスでもらった『入学式当日の持ち物』とにらめっこしながら、バックの中身を確認していく。筆記用具、上靴、大きめの袋、イヤホン、モバイルバッテリー。よし、必要なものは入ってる。ガイダンスを閉じようとしたとき、追加で持って来いと言われ、自分でページの隅に書いた文字がさりげなく主張していることに気がついた。

「あー、ノート忘れてた。新品のやつあるかなぁ」

 机の上を漁る、が、そこに置かれているのは受験期に真面目に勉強していたころの残骸。使いかけはあったけれど新品はなかった。横の本棚に入っているわけが無いので、ひょっとしたらあるかもしれない、と淡い期待を持ちながら普段あまり開かない引き出しを開けた。

 一冊の、黄色い表紙のノートがそこにはあった。見た感じまだ使っていない。パラパラとめくって確認する。いつからあるのかは分からないけれど、全く手を付けていない新品そのものだ。これでいいやとバッグに入れようとしたとき、手からノートが滑り落ちた。

「ぁ……」

 落ちたノートを拾い上げようとしたとき、唯一文字が書かれていた数ページが目に入ってしまった。書いては消して、消しては書いてを繰り返していたころを思い出す。

「ゆず~? バス来ちゃうわよ~?」

「あー、うん。今行く」

ちょっと昔の忘れていた記憶をノートから破ってゴミ箱……はさすがに気が引けたので元あった引き出しに片付けた。ノートを乱暴にバッグに押し込んで足早に玄関へ向かう。

「じゃあ行ってくるね。あんまり目立った格好はしてこないこと」

 服の吟味をしている母さんに、念のためもう一度釘を刺す。一瞬ビクッとして愛想笑いしてきたことは見なかったことにしてやろう。重いドアを開けて寒空へ繰り出す。

「朝から疲れた……もう無理……帰りたい……」

 外に出るなり、いきなりの帰りたい宣言と大きなため息。そんなことを言っても学校には行かないといけないので潔く諦め、去年まで友達と歩いていた家の前の坂道を一人で歩く。

「みんなと同じところにすればよかったかなぁ」

 今さらどうしようもないことを愚痴る。『家から一番近い』と友達みんなで言って受けようとしたのだが、一人は単純に点数が足りなかったり、もう一人は倍率を見て志望校を変えたりしているうちに、気がついたら自分だけになってしまっていた。それに気づいたのも変更の締め切りが過ぎてからだったので、それはもうやけくそになって勉強したものだ。

結果、近所の高校に一人だけ受かってしまい、友達はおろか同じ学校出身の人すら誰もいなく、正真正銘ゼロからのスタートになってしまった。コミュ障がみんなの輪の中に入れるのはいったいいつになるのか。考えただけで気が遠くなりそうだ。

 少し急で長めの坂を上り切る。あとは少し歩くだけでこの辺りで一番大きなバスターミナルに着く。そこに近づくにつれて、ちらほら同じ制服が視界に入るようになってきた。私と違うのはただ一つ、横に友達がいるか否かだ。

バス停には案の定、スクールバスを待つ人たちであふれかえっていた。わいわいがやがやしているのは苦手なので、みんなから少し離れたところでスマホを開く。壁紙には今期アニメで一番のお気に入りキャラ、リュートくんが一対の長刀を持って凛々しい表情でこちらを見ている。これは昨日、朝の日課であるTL警備をしていたところ、好きな絵師さんが「私の推し」と言いながらバズートにアップしていた神絵である。推しが同じなだけでも嬉しいのに絵まで描いてくれるなんて、これは壁紙にせざるを得ない。うむ、今日も推しの顔がいい。

推しとの朝の挨拶を終えたところで時間を確認。少し早く家を出たこともあってまだバスが来るまで時間もあるみたいだ。この隙にさっきソシャゲの続きでもしようとアプリを開きながらポケットの中のイヤホンを取り出す。

「あの、ちょっといいですか?」

 声をかけられた。まだあどけなさが残っている感じのかわいらしい女性の声だ。まだイヤホンしていなかったから答えられたけど、もしつけていたら完全無視することになっていただろう。ギリギリセーフ。

「え……あ、はい……」

 うわ、めっちゃ声裏返った。ていうか俯いてないで顔上げろよ自分。ちゃんと人の目を見て話せって幼稚園のころから言われてますよね? しかも前髪で顔隠れてるじゃん。それやっていいの画面の中のかわいい女の子だけだからね?

「旭日高校の制服ですよね? もしかして1年生?」

 それでもお相手は話しかけてくれる。これが陽キャってやつですか……こんな私にまで話しかけてくれるなんて神ですか……

「あ、はい。そうです……」

 だーかーら! 素っ気ないって! お相手も引くくらいのコミュ力じゃん! もう少しどうにかならないのかな、これ! でもずっとこんな感じだから仕方ないよね! と開き直る。我ながらクズだ。

「私もそうなんだ! よろしくね!」

 あれ? あんまりグイグイこないタイプの人だ。会話不能と認められたか、私がコミュ障と理解しての行動なのか、どちらにしろ虚しい。いや、正直に言うとありがたいのだが。

「あ、はい……よ、よろしくお願いします」

 会話終了。ふっ……あいかわらず私のコミュ力が恐ろしい…… あれ、涙出そう。別に、何年経っても発達しない自分のコミュ力に絶望したわけじゃないからね?

 誰に聞かせるわけでもない言い訳をしているうちに女性が手を振って離れていく。せっかく話しかけてくれたのにずっと顔を下げたままなのはさすがに失礼だ。今さらだけれども前髪をさっと整えて顔を上げる。

「「あ……」」

 目が合い、2人の声がそろった。さっきまで目も合わせてなかったのにものすごく気まずい。いや、問題はそこじゃなくて……

『何この人! イメージしてたキラキラ高校生じゃん! 声の印象と違ってすごい大人だし、すごいスタイルいい。髪も綺麗な茶髪だし、ちょっとパーマかかってるし。さっきは気づかなかったけどなんかいい匂いする気がする……やばい超推せる』

 心の中のおじさんが暴走していた。だってしょうがないじゃない。中学生の時、少女漫画で読んで憧れていたような女の子が目の前にいるのだから。さっきの母さんの気持ちが分かった気がする。これは萌えるわ。

しばらく目が合った後、女性は恥ずかしそうな顔でそそくさとどこかへ行ってしまった。じっと見すぎてしまっただろうか。今朝の反省が全く生かせていない。これだからオタクってやつは、と再びため息をつく。

 ブルブルっと震えたスマホにビクッと反応し現実に引き戻される。通知欄には「フレンドが救援しました!」の文字。通知をさっとスライドさせてアプリを起動。ホーム画面に行くと「クエストに成功しました!」と共にたくさんの報酬。すぐさまフレンドチャットへ向かって、いつも助けてくれるフレンド様にご挨拶。


ゆづ茶 「ゆっきさーん! 今日も救援ありがとー!」

ゆっき 「いや、開いたらたまたまあったから 今日のイベよろ」

ゆづ茶 「今日はイン率低いかも…… ちょっと用事あるんだよね」

ゆっき 「そう言いつつやってくれるんでしょ? いつもそうじゃん」

ゆづ茶 「まぁ目を盗んでがんばるよ」

ゆっき 「りょ がんば」


 チャットを見てニヤついてしまう。ゆっきさん神。大好き。

 隠すに隠せないオタクを晒していたらバスが到着し、すぐにたくさんの生徒がなだれ込んだ。その数に少し圧倒されながらイヤホンを装着。『聞くエナジードリンク』と銘打ったプレイリストを流す。

「頑張るかぁ……自己紹介とかあるのかな……」

 まだ見ぬ高校生活。かつて自分が思い描いたようなものとは違うかもしれないけれど、それはそれで私らしい。きっとなんとかなるさ、と少し上向きの気持ちでバスに乗り込んだ。


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