浮気されたので、とことん証拠を集めてやりましょう。
※ 感想欄にてつっこまれている暗黒生物博物館は、古代生物博物館に変更しました。無理やり異世界っぽさを出そうとした過去の自分とは決別しました。
薄桃色の花びら舞い散る季節。
生徒たちは新しい季節の始まりに心躍らせ、期待に胸を膨らませ何だかそわそわとしている。
私はといえば、大好きな婚約者と共に二年生に進級し、幸せすぎる日々に少々、いや、かなり浮かれていた。
勉強や恋に悩む乙女たちを横目に、優越感に浸っているのには訳がある。
成績は常に上位5位をキープし、婚約者は学年一の色男。浮かれるなと言われても無理な話だ。
そんなふわふわとした気持ちで学院の渡り廊下を歩いていたら、前方に大好きな人の姿を見つけた。
ダニエル・マードック。
プラチナブロンドの髪に藍色の瞳を持つ彼は、16歳とは思えないほどの色気と美貌を持ち、彼と目を合わせてしまえば、たちまち誰しもが恋に落ちてしまうほど。
そんな彼が私の自慢の婚約者である。
いつもなら見かけるとすぐに駆け寄って声をかけるのだけれど、どこに行くのだろうと後をつけることにした。
本当に何となくだった。
まさかこの後自分が絶望の淵に立たされることになるなんて、そんなこと思いもしない。
* * *
私、ノエル・スクワイアは伯爵家の長女として生まれた。
栗色の髪に若草色の瞳で、容姿はそこそこな方だと自分では思っている。
14歳の時にマードック子爵家のダニエル様と婚約することとなり、そこからはとにかく順風満帆な幸せすぎる日々を送ってきた。
そんな私は今、人生のドン底にいる。さっきまで薔薇色だった私の世界は、すべて灰色に塗りつぶされてしまった。
私の視界には信じがたい光景が広がっているから。
大好きな婚約者が女生徒を抱きしめている。
偶然でも何でもない。お互いがしっかりと抱きしめ合い、かれこれ30秒は経過しようとしている。
二人は人気のない特別棟の裏で待ち合わせをしていたらしい。
先に待っていた女性の姿を見るやいなや、彼は駆け寄っていき、一瞬の躊躇いもなく抱きしめた。
しばらく抱き合ったあと、女性がダニエル様を見上げた。しばらく二人は見つめ合い、そして唇を重ね合わせた。
二人は何度も何度も熱い口づけを交わす。
……早くここから離れよう。
頭に浮かんだのはただそれだけ。
無我夢中で走っていき、気づいた時には深い緑色の中にいた。いつの間にか学院を囲む森の奥深くまで来ていたようだ。
足に痛みを感じる。立ち止まって確認すると、いたるところに擦り傷ができており血が滲んでいた。
「…………ははっ、全然気づかなかった」
いつの間にこんなに。木の枝や草で切ったのだろう。
それに気づいてしまうと、もうダメだ。痛みがどんどんと増していく。
痛みに我慢できなくなってきて、涙があふれてきた。
「いつからなのかな……そんなそぶり見せなかったのに……」
本当に、いつからだろう。
毎週のように会いにきてくれて、甘い言葉を囁いてくれた。
花束やプレゼントも数え切れないほど贈ってくれた。
愛されていると疑いもしなかった。そして私も、彼のことが大好きだった。
「どうしよう……」
これからどうしたらいいんだろう。
何も見なかったことにして、今まで通りに過ごしたらいいのだろうか。
そうしたら、このままの関係がずっと続いていって、学院を卒業して、そのまま結婚して夫婦になる。
そう、私は彼と結婚するんだ。
自分以外の女性と熱い口づけを交わしていた彼と。
……そんなの嫌だなぁ。
自分以外の女性にあんなことをしていた人と結婚しないといけないなんて。そんなの嫌だ。
たった一度きりのことでもこんなに許せない。
そんな相手と結婚して、上手くやっていけるのだろうか。ずっとモヤモヤとした気持ちを抱えながら一生を過ごすなんて、そんなの嫌だ。
それならばいっそ……
「婚約解消を申し出てみようかな……」
ポツリと呟いた。
私の独り言をこんな森の中で聞いている人がいるなんて、そんなこと思ってもみないから。
「婚約解消するの?」
後ろから投げかけられたその言葉に、はっとなり振り返った。
そこにいたのは、私がよく見知った人物。どうしてこの人がこんな所にいるのだろう。
「ウォーレス、なんでこんな所にいるの?」
「えっと……散歩かな?」
疑問形で答えられても。
もうとっくに午後の授業は始まっていると思う。真面目なこの人がサボるなんてことは考えられない。
「もしかして、私の後つけてきた?」
「あー……うん、そう。俺もさっき見ちゃったんだよね、アレ」
ウォーレスは片手で首の後ろを押さえながら、気まずそうな顔で言った。
彼の言うアレとは、おそらく私が見たアレのことだろう。
「そっか。心配してついてきてくれたんだね。ありがとう」
「どういたしまして。それで、婚約解消する気なの?」
「……そうだね。彼が浮気してる所を見たのはさっき初めてなんだけどね。たった一回でも私にはちょっと許せそうになくて」
あははと笑って強がってみせた。
そうしないとまた涙が出てきそうだから。
「ねぇ、証拠は? 証拠は何もないよね? 浮気現場を見ました。そう言って解消を持ちかけるつもり? それでもし誤魔化されたら、その後どうするの?」
ウォーレスは真剣な瞳で私を問い質す。眼鏡の奥に光る、彼の吸い込まれそうな金色の瞳にいつもはっとさせられる。
何でも見透かされてしまうような、先を見通しているかのような、そんな感覚になる。それと同時に少し冷静になれた。
「……そうだね。証拠は何もないよ。私がこの目で見ただけだから。ウォーレスの言うとおりだね。それだけでお父様やマードック子爵が承諾してくれるか分からないし、ダニエル様は否定するはずだよね」
勢いのまま行動してしまうところだった。
でもそうなると、映像に残さないといけない。
二人が親密にしているところを上手く証拠に残せるだろうか。浮気現場なんてそうそう出くわすものではない。そして、絶対に気づかれないように行動しないといけない。
私が一人で悩んでいると、見かねたウォーレスに声をかけられる。
「ねぇ、俺が協力してあげようか?」
「協力? そうだね、協力してもらえたら、それはもちろんすごく助かるけど、私の個人的な問題だから良いよ。ウォーレスには何も得るものはないでしょ」
「そんなことないって。親友の妹の手助けをしたいって気持ちだけで十分じゃない? それに、あの色男を追い詰める為の証拠を集めるなんて、そんな面白いこと他にないって」
そう言って、ニヤリと笑う。
なるほど。おそらく後者の方が協力しようと思った理由の大半を占めているだろう。
何にせよ当事者である私よりも、無関係なウォーレスの方が、彼らを探るのに適しているのは確か。
ここはお言葉に甘えることにしよう。
「そっか。それならお願いしてもいい?」
「うん、任せて」
とびきりの笑顔で返事をもらい、何だか心強い。
こうして、私の婚約者の浮気の証拠を集めるための浮気調査隊が結成された。
「それじゃ、その足手当てしに行こっか」
「え? あー……そうだった」
「忘れてたの? すっごく痛そうだよ」
「……うん。思い出したらまたすっごく痛くなってきた」
足はとてつもなく痛いけど、心の痛みはマシになった。ウォーレスのおかげだ。
* * *
「ノエル、奴ら今日のお昼は例の場所で一緒に食べるみたいだよ」
調査隊を結成した翌日、隊員であるウォーレスがさっそく情報を掴んできた。
優秀なパートナーを得られたことを喜ばしく思うべきなんだろうけど、すごく複雑な気分だ。
「ありがとう。それじゃ、映像写眼機をあの近くの茂みの中にセットするよ」
映像写眼機とは映像を保存することのできる機械。とても高価なものだけど、私は誕生日に貰ったものを一台だけ持っている。
こんな風に使う日がやってくるとは思わなかったけど。
午前の授業を終えると、急いで証拠集めの為の準備をする。彼らが昼食をとるであろう場所の目の前の茂みに映像写眼機を隠し入れ、私は彼らに見つからない程度離れた所にそっと隠れて待つ。
10分ほど経ち、ダニエル様と浮気相手のルイザ様がやって来た。
二人が敷物を敷いて座ったところで、手元にあるスイッチを押し、遠隔操作で映像写眼機を起動させた。
距離があるとはいえ万が一にも見つかってはいけないので、自分の目で彼らの様子を見ることはせず、身を潜め静かに一人でサンドイッチを食べた。
そして彼らが学舎に戻っていくのを確認すると、映像写眼機を停止させる。
茂みの中から機械を回収し、私も学舎へと戻った。
放課後、私はウォーレスと共に空き教室にて映像を確認した。
彼らは始めこそ普通に食事をしていたが、途中から食べさせあいが始まり、イチャイチャしだした。
ダニエル様が小さな豆をルイザ様の口に放り込むと、彼女はすごく色っぽい表情で彼の指をぺろっとした。
そこでダニエル様は我慢ができなくなったのだろう。ルイザ様を押し倒し、唇を重ねる。
彼の両手には彼女の胸の膨らみがしっかりと収まっている。
いや、正確には収まりきってはいないが。
「うわー……」
ないわー。人目がない場所とはいえ、さすがにないわー。
学院の敷地内で何やってるのかな、この人達。
そして私は気づいてしまったことがある。
ダニエル様は食事中ずっと、ずーっと彼女の胸元ばかりを見ていたことを。
ルイザ・プレストン侯爵令嬢は、学年一の美女である。ウェーブがかった黒髪に長い睫毛に縁取られた菫色の瞳。目元の泣き黒子が色気を醸し出し、豊満な胸にメリハリのある体のライン。女の私から見ても、実にけしからん身体をしている。
だから、彼女の魅力に溺れるのは仕方のないことかもしれない。男の性というものだ。
だけど、それにしたって胸見すぎじゃないかな。
ちらっとどころじゃない。凝視だ。
あそこまで食い入るように見るなんて、さすがにちょっと……
「こいつら頭おかしいんじゃない?」
ウォーレスが私の気持ちを代弁してくれた。
「うん、本当にね。何かもうこれだけでも証拠として十分だよね」
昨日の今日だけど、調査隊は解散してもいいかもしれない。
ちょっといろんな意味でダメージが大きすぎる。これ以上は遠慮願いたい。
「まぁでもさ、せっかく調査を始めたんだし、もう少し集めようよ。証拠は多ければ多い方がいいって」
「確かに……」
そう言われるとそう思えてきた。
そうだ。どうせなら何の言い逃れもできないほどの証拠の山を突きつけてやろう。
うん、それが良い。こうなったら、とことん集めてやる。
二日目にして、もう私の中にはダニエル様への恋心など微塵も残っていなかった。
* * *
「奴ら、次の休みにモーディルの町でデートするみたいだよ」
衝撃的な映像を見てしまった二日後。
またしてもウォーレスが情報を仕入れてきた。本当に優秀な相棒だ。
違う学年なのに、彼はどうやって情報を仕入れているのだろう。
モーディルの町は、この町から馬車で3時間ほどの距離にある。
庶民的な店が多いのどかな町なので、貴族がわざわざ出かけることはまずない場所。お忍びデートにはもってこいの場所である。
「それじゃ俺たちも行こうか。バレないように変装するんだよ。やりすぎて怪しくならない程度にね」
「え? さすがに休みの日まで付き合ってもらうのは悪いよ」
「いいっていいって。俺、モーディルの町けっこう好きなんだよね。久しぶりに行きたかったし丁度いいんだよ」
そっか。それなら付き合ってもらっても良いのかな。
一人で町に行くのも心細い。
「ありがとう。それじゃ、よろしくね」
「うん」
ウォーレスの曇りのない笑顔がとても頼もしく見えた。
* * *
5日後、私とウォーレスは朝からモーディルの町まで出掛けることになった。
私はダニエル様の前では着たことのないオリーブ色のワンピースを着て、カーディガンを羽織った。栗色の髪は後ろで一纏めにし、鍔の広い帽子の中に入れた。
どこからどう見ても町娘という格好だ。
ウォーレスは、黒いズボンに白いシャツというラフな格好。学院ではいつもフレームのない眼鏡をかけているけど、今日は黒縁眼鏡をかけ、ダークブラウンの髪はあちこち無造作にはねている。変装でも何でもない、彼の休日のスタイルそのままである。
「おはよ、ノエル」
「おはようウォーレス。今日も素敵なはねっぷりだね」
「どうも」
伯爵家のご子息とは思えないほど町に馴染みそうな格好で、調査のパートナーとしては申し分ない。
私達を見て貴族だなんて思う人はまずいないだろう。
馬車に三時間ほど揺られ、モーディルの町までやって来た。
彼らがいつこの町に到着するかまではわからないので、見つからないように注意を払いながら町を見て回った。小さな町なので彼らが来れば何とか見つけられるだろう。
そう思っていたら、さっそく情報が入ってきた。
「ねぇ、さっきの二人組、絶対貴族だよね」
「すっごい美男美女だったよねー」
道行く人の噂を耳にした。
なるほど、彼らはろくな変装もせずに貴族感丸出しで来たようだ。
「ノエル、それじゃあっちの方へ行こうか」
「うん」
噂をしていた人たちが歩いてきた方へと向かった。
* * *
今、私の視界には信じられない光景が広がっている。
ダニエル様とルイザ様が腕を組みながら道のど真ん中を歩いている。
服装は貴族感丸出しの派手なドレスに光沢のあるスーツ。馬鹿なのかな。
これはお忍びデートではないのか。 忍ぶ気は全くなさそうなんだけど。
「何あいつら、頭おかしいんじゃない」
「ほんとにね」
私の中でダニエル様の株がどんどんと下がっていく。一体どこまで下があるのだろうか。
ドン引きしながらも、とにかく私達は彼らと距離を取りながら後をつけていく。
店の中まではついて行けないので、中で何をしているかまでは見れないけれど。どうせイチャイチャしているのだろう。
道中ずっと道のど真ん中でそれだったから。
お昼時になると、彼らは町で唯一のレストランに入っていった。
それを見届けてから、私達もお昼を食べることにした。
「ノエル、何食べたい?」
「え? 私は何でもいいよ。こうやって付き合ってもらってるんだから、ウォーレスの食べたいものに付き合うよ」
「えー、せっかくここまで来たんだからさ、美味しいもの食べていこうよ。何食べたい?」
そう言ってくれたので、私が好きな鶏料理をリクエストすると、鶏料理が美味しいという食堂へと連れていってもらった。
そこは小さな食堂だったけど、特別に仕入れているというブランド鶏を使った料理は、どれもこれもが美味しそうだ。
「すごい、全部美味しそう! 見たことのない料理もある」
「ここは隣国から移り住んできた家族が経営してるから、半分はそこの料理なんだよ。さ、食べよっか」
「へぇ、そうなんだ。いただきまーす!」
初めて食べる料理に心が躍る。ウォーレスと二人でテーブルいっぱいに広がった料理を楽しむ。
「うーーん、おいしいっ!」
皮はパリパリで身は旨みたっぷり。本当に美味しい。見たことのない料理も、シンプルな味付けで素材の良さを引き出している。今まで食べた鶏料理の中でダントツの美味しさだ。
「ノエルはいつも本当においしそうに食べるよね」
「だって、すっごくおいしいんだもん!」
「そっか」
そう言ってにっこり笑って、ウォーレスもすごいペースで食べていく。
彼は細身な見た目に反してすごく沢山食べるので、難なく二人で完食した。
「あー、お腹いっぱいすぎて苦しい……でも本当においしかった」
「あはは、ノエルもけっこう食べたよね。気に入ったみたいでよかったよ」
「連れてきてくれてありがとう」
「どういたしまして」
思えば、ダニエル様にこうやって食べたいものをリクエストしたことなんてなかった。
彼と食事に出かけるときはいつも、店を予約してくれていて、そこではコース料理が出てきたから。
私はメニュー表を見ることがなかった。
スマートなエスコートでさすが、格好いい、なんて思っていたけれど。
思えば彼が私に『好きな食べ物は何か』と尋ねたことなんて一度もない。
余程私に興味がないのだろう。
私は彼の好きな食べ物を知っているのに。
レストランの見える所まで戻ってきて待機していると、食事を終えたダニエル様達が出てきたので追跡を再開する。
イチャイチャしながら歩く彼らの後をつけていき、しばらくたった頃、彼らは路地裏へと入って行った。
「この先は行き止まりのはずだから、俺一人で行ってくるね。ノエルはここで待ってて」
「うん。よろしくね」
私はウォーレスに映像写眼機を託した。
ベンチに腰かけて待ち、20分ほど経っただろうか。ウォーレスが戻ってきた。すごく気まずそうな顔をしながら。
「ばっちり記録してきたよ。今日の収穫はもうこれで十分じゃないかなと思う。ちょっと、ノエルに見せるのは気が引けるようなものが撮れたけど……」
「ありがとう。もう今さら何を見ても動じないと思うから大丈夫だよ」
「そっか……」
今日のところは、彼らをつけ回すのはこれで終了とした。せっかくの休日なんだから楽しみたい。
「それじゃ、古代生物博物館に行こうか」
「え? なんで?」
「なんでって、ウォーレス好きでしょ。だからこの町に詳しいんじゃないの?」
「……そうだけど。ノエルは興味ないでしょ? 無理に付き合うことないよ」
「そんなに嫌いじゃないよ。ウォーレスがいつも真剣に研究してるのを見てきたから、わりと興味はある方かな。こんな機会がないと行くこともないしさ、行こうよ」
「……うん」
私とウォーレスは、町の端にある古代生物博物館へとやって来た。私は中に入るのは初めてだ。
ウォーレスは金色の瞳を更にキラキラと輝かせながらガラスケースを覗きこんでいる。
子供の頃から変わらずずっと大好きなようだ。
嬉しそうな彼を見れて、今日一緒にこの町に来れたことを嬉しく思った。
博物館を楽しんだ帰り道、通りがかった花屋の前では小さなブーケがいくつも売られていた。
「わぁ、かわいい」
「ほんと、それに手頃な値段だね。一つ買ってあげるよ」
「え、いいの? やったぁ! ありがとう」
お言葉に甘えて、好きなものを一つ選ぶことにする。
どれもかわいいけど、一番シンプルな小花のものを選んだ。
「それにするの? 同じ値段でも他のやつの方がけっこう豪華じゃない?」
「私、香りの強いものは苦手なんだ。庭園とかで見る分には好きなんだけどね」
「そっか。それじゃ、それプレゼントするね」
「ありがとう」
受け取ったブーケを手にし、上機嫌で馬車乗り場まで歩いて向かった。そして馬車に乗り込み、私達は町を後にした。
* * *
家に帰ってきて、自室に花を飾った。シンプルだけどすごくかわいい。ほのかな香りに癒される。
何だかんだとあったけど、今日はすごく楽しかった。
夕食後は自室でウォーレスが記録してくれたものを確認することにした。
内容は……何というか、想像の斜め上をいくもので、ウォーレスが気まずそうな顔だった意味を理解した。
路地裏にて、二人はいつものように口づけを交わす。もちろんダニエル様の両手は彼女の胸元にある。ここまでは想像していた通り。
しばらくすると、片手が下の方に下りていった。ドレスの中に手を忍ばせるつもりみたいだ。え、それ以上のことするの? と私が思ったところで、手の動きに気づいたルイザ様は彼の大事なところに膝蹴りをいれる。
そしてうずくまった彼を何度も踏みつけた。
踏まれている彼は恍惚とした表情で身悶えていた。
「うわぁ……」
ないわー……さすがにないわー……
私の中でのダニエル様の株はどこまで下がっていくのだろう。
* * *
二日後、学院にて。
廊下を歩いていると、前からルイザ様が歩いてきた。隣にはこの国の王太子の姿がある。
彼女は王太子の婚約者候補の一人。候補といっても、もうほぼ彼女に決まったも同然だという噂がある。
彼女にとってダニエルさまとの関係は、王妃になる前のちょっとした火遊びといったものだろうか。
私とすれ違う直前、彼女は確かに私を見て笑った。馬鹿にしたような目をして。
……こんな人がこの国の次期王妃になるの?
それはさすがにちょっと、いや、かなり嫌だ。そんな国には住みたくない。
集めた証拠を使って、そちらも阻止させていただくことに決めた。
* * *
調査隊結成から二週間が経った。
今日はダニエル様が私に会いに来る日。
いつも彼の到着を心待ちにしていた私は、もういない。
何ならもう二度と来ないでほしいけど、断るわけにはいかない。
今はまだ浮気の証拠を集めている最中なので、それに気づかれる訳にはいかないから。
なに食わぬ顔で彼との時間を過ごすことにする。
ダニエル様はいつものように、私に豪華な花束をくれた。とても香りの強い花でできた花束を。
苦手だと一言言えば済むことだろうけど、私の為に用意してくれたということが只々嬉しくて、そんなことは言わなかった。
花の好みを聞かれたことなんて一度もないし。
ダニエル様はいつものように私に甘い言葉を囁き続けて帰っていった。
「はぁ……疲れた」
疲労感が半端ない。本当にもう来ないで欲しい。
私、あの人のどこが好きだったんだろう。
……顔か。
* * *
調査隊結成から1ヶ月が過ぎた。
ダニエル様とルイザ様の浮気の証拠は、とてつもない勢いで増えている。
密会を重ねに重ねまくっているから。はたして彼らには隠す気はあるのだろうか。
ここまでくると、今まで気づかなかった私も馬鹿みたいに思えてきた。
今日も今日とて、ウォーレスが仕入れてきた情報により、空き教室に映像写眼機を設置する。
もうこれで最後にするつもりだ。これ以上の証拠なんて必要ない。
放課後、彼らが空き教室に入ったところを確認すると、遠隔操作で映像写眼機を作動させた。
十数分後、彼らが出ていったところで手元のボタンで停止させ、機械を回収しに教室に入った。
「はぁ……これでやっと終われる」
機械をぎゅっと抱きしめた。これを父に提出したら、全て終わらせることができる。
そして私の新しい日々が始まるんだ。
そんな私の高まった気持ちは、後ろからかけられた声によって消えてしまった。
「ノエル?」
はっとして振り返ると、そこにはダニエル様の姿。
「ダニエル様……」
うそ、何で……
まさか戻ってくるなんて、そんな……
動揺を隠せない。
彼は私が持っている物に気づくと、慌てて駆け寄り、私からそれを奪う。
そして、機械が壊れる音だけが部屋に響き渡った。
「ノエル、君が何を見たのかは聞かない。でも、誰にも何も話さないことだ。いいね、そうすれば僕とこのまま結婚することができるんだよ。それが君にとっての一番の幸せなんだよ」
ダニエル様は私の両肩を強くつかみ、言いたいことだけを言い、部屋を後にした。
残された私はその場に崩れ落ちた。
今まで集めた証拠が全てなくなってしまった。
「どうしよう……」
せっかく集めたのに。ウォーレスにも沢山手伝ってもらったのに。全て無駄にしてしまった。
涙が止まらない。私はこれからどうしたらいいのだろう。
もうこれから証拠を掴むことは無理だ。警戒されてしまったから。
どうしよう……どうしよう……
どれぐらい経っただろうか。呆然としたまま座り込んでいると、ウォーレスが部屋を訪れた。待ち合わせの場所に私がなかなか来ないから心配して来てくれたのだろう。
「ノエル、大丈夫?」
「……ウォーレス、ごめんね。機械壊されちゃった……せっかく手伝ってくれたのに……ごめんね」
ウォーレスは心配そうな顔をして、涙でぐちゃぐちゃになった私の顔をハンカチで拭いた。
そして、優しく笑いかけてくれた。
「大丈夫だよ。俺に任せて」
* * *
二日後、ダニエル様と彼の父であるマードック子爵が我が家を訪れた。
婚約解消の手続きをする為だ。
応接室にて、私と父、彼らの4人で机を囲んで座った。
「ダニエル君、君には失望したよ」
「なんのことでしょう? 僕は失望させるようなことは何もしておりません。ノエルがどんな話をしたのかは知りませんが、彼女の勘違いですよ。僕はプレストン侯爵令嬢とは、クラスメートとして節度のある交友関係を保っております」
ダニエル様は余裕そうな表情で、淡々と話している。父はルイザ様のことなんて一言も話していないのに。
「……そうか。あれが君にとっての節度のある関係なんだね。それならば尚更このまま婚約を続けさせることなんてできないよ」
「あれ? あれとは一体何のことですか?」
「そうだね。今から君とマードック子爵に確認してもらうことにしよう」
父はそう言うと、壁に映像を映し出した。
そこには、ダニエル様とルイザ様のあれやこれが映っている。目も当てられないほどのあれやこれが。
私が集めた証拠とは比べ物にならないほどのものだ。
「……なっ、何で……あの時確かに壊したのに……」
ダニエル様は青い顔になり、両手で頭を抱えた。
「まさか、ここまで酷いとは……何が悲しくて息子の性癖を知らねばならんのだ……」
マードック子爵はすごく辛そうな表情で眉間を押さえている。少し気の毒だ。
子爵はしばらく無言で目を瞑った後、謝罪の言葉を口にした。
「愚息が本当に愚かなことをして申し訳ない。ここまでのものを見てしまっては、言い訳のしようもないよ。ノエル君、本当に辛い思いをさせてすまなかったね。どれだけ謝罪してもしきれないくらいだ。慰謝料は十分に支払わせてもらいたい。そんなことで済む話ではないけれど」
「お気遣いありがとうございます」
こうして、私とダニエル様との婚約は無事に解消された。
* * *
ウォーレスは、ダニエル様の浮気の証拠をいくつも持っていた。
なぜかと理由を尋ねたら、『俺のお気に入りの場所でイチャイチャしだしてムカついたからだよ』という答え。
彼らしいと言うか何というか。何にせよ、私が無事に婚約を解消することができたのはウォーレスのおかげである。
次の日、私は学院にて報告をした。
「ウォーレス、全部終わったよ! 本当にありがとう」
「そっか。よかったね」
「うん。すっごくすっきりした! やっと前に進める感じがするよ」
「……」
どうしたんだろう。ウォーレスは何だか浮かない表情をしている。
「……あのさ、俺、証拠の映像を持っていたのにさ、君にそれを隠してて...ごめん。君が自分で証拠を集めた方が、あいつのこと完全に嫌いになってくれるかなって、そう思って……」
なるほど。証拠を持っていたのに隠していたことを申し訳なく思っていてくれたようだ。
「謝らないで。確かにその通りだよ。自分で調べてスッキリしたし、もう恋心なんて微塵も残っていないもん。ウォーレスのおかげだね」
心からの笑顔で答えた。本当に清々しい気持ちでいっぱいだから。
「……ノエル、あのさ」
ウォーレスは真剣な表情で話を続ける。
それは彼がダニエル様の浮気の証拠を集めていた本当の理由だった。
彼は幼い頃から私のことを特別に思っていてくれて、だからこそダニエル様の裏切りを許せなかったそうだ。
「そっか、私のこと妹のように大事に思っていてくれたんだね。ありがとう」
「何言ってるの? 俺は君のこと妹だなんて思ったこと一度もないよ。一人の女の子として特別ってこと」
特別……
「えっと……それはつまり、その、私のことが好きってこと?」
「うん」
顔色一つ変えず、さらっと肯定が返ってきた。
──え、本当に? え、どうしよう。うわぁ、どうしよう。
思いもよらない状況に狼狽える。
私はこの1ヶ月でウォーレスのことを意識するようになっていた。
私のことを気遣ってくれる優しさに触れ、幼馴染みとしての好きから、異性としての好きへと変わっていった。だからすごく嬉しい。
でも私、1ヶ月前まではダニエル様に夢中で頭お花畑だったのに……
え、私、ちょろくない? ちょろすぎるよね?
どうしよう。私も好きだよと答えても、軽すぎる。
今はまだウォーレスのことはどうも思ってないって言った方がいい気がする。
そう答えようと思ったけれど、じっと見つめてくる彼の瞳にたじろぐ。
全てを見透かすような金色の瞳の前では、嘘なんてついても無駄のように思えてしまう。
そうして私はあっさりと気持ちを白状してしまった。
若葉が芽吹く季節、私がウォーレスと共に歩む新しい日々が始まった。
《 後日談 》
映像は然るべき所に提出したので、ルイザは王太子の婚約者候補から外されました。
(どちらにせよ、婚約者を決定する前に素行調査が行われたので、脱落していました)