よくある話。事実は小説より奇なり2
河西がシナリオに入らないようにするにあたって、最も簡単な手段はテニス部に関わらないことだ。同じクラスの立花は回避できないけどそれ以外のルートは大きく回避される。
なのに。
「なんでテニス部に入ってんだよ!このバカ!」
部活も休みの休日。いつもなら部屋でゴロゴロしているところだけど、河西から橙南さんに呼び出されたとLINEが入った。呼び出し内容は、学校で特製スポーツドリンクの作り方を教えるというもので行きますと返信した直後にこれはイベントフラグだと気づくももう遅い。こんなこと俺以外に相談できる筈もなく、俺も学校に呼び出して今に至る。
「怒鳴らないでよ!私だって茶道部に入るつもりだったのにどういう訳かテニス部に入部届が出されちゃったんだから…」
徐々に語尾を弱くさせる河西をこれ以上責める気になれずため息をついた。河西曰く、文科系の部活でテニスコートとは逆位置で活動する部活なら大丈夫だと考えて茶道部と記入したそうだがどういう訳か担任に提出した時はテニス部と記入されていたらしい。
そんなバカな話あるかと思うが、この手のストーリーではゲームの抑止力というのが働くので今回のもきっとそれなんだろう。そうなると参ったな。これ確実に誰かのルートに入るってことじゃないか。
「なあ、河西は誰かのルートに入るとしたら誰希望?」
「嫌!あんな人達!全ルート却下!」
「あんな人って仮にも俺の先輩達なんだけど…そうは言ってもこのままだと誰かのルートに入るのは確実だろ?だったらせめて一番被害の少ないところに入らないと」
俺が説得する以前に河西自身もその可能性は気づいていたようで「それはそうだけど…」とかなり歯切れ悪く呟いた。バッドエンドを考えればここで簡単に答えるのは難しいだろうけど、逆に絶対に回避するルートに関しては俺と河西の意見は一致していた。
東城ルート。
フルキャスト、フル設定のこのルートだけは本当にやばい。犠牲者の数というだけならパンデミックが起きる立花ルートが群を抜いているが、そちらはルートへの入り方とハッピーエンドが解っているのでフラグになる行動に気を付ければ回避できると踏んでいる。しかし東城のルートは入り方が不確定な上、ハッピーエンドに至っては俺も河西も知らないので不安定なこと極まりないのだ。
「ノーマルエンドなら私も見たことがあるんだけど。事件後、生徒達は別の学校に通う事が決まって、ヒロインと未来君はもう会わない方がいいからって別々の学校に行ったよ。こんなことなら意地張らないで攻略サイト見ればよかった。ごめん」
「いや、謝らなくていいよ。俺なんか姉さんから聞いただけで殆どプレイ見てないし。しかし、そうなると何が東城ルートに入らせるか解らないな…」
早速行き詰まりを感じる。他にも好感度を上げるイベントがいくつかあるけど、俺が知っているものと河西が知っているものでは微妙に異なっていたりと前途多難な雰囲気しかない。
これは姉さんが発狂しても仕方ないな。
「東城にスポドリ差し入れるシーンがあったけど、あれで好感度上がっているんだよな?」
そうなると好感度を上げないようにふるまうしかなくて、初期シーンにあった差し入れイベントを振り返る。休日に一人、コートで自主練習をしていた東城を見かけたヒロインがお手製のスポーツドリンクをあげるというもの。なんでお手製のスポーツドリンクを持っていたのかというと、調理室で橙南さんに熱中症予防特製ドリンクの作り方を教えてもらった帰りだという。
「そもそもなんでスポーツドリンクが手作りなんだよ。既製品でいいじゃん」
河西から橙南さんとのやりとりを聞いた時点で気づいていたけどなんだよ。これから橙南さんが調理室で特製スポーツドリンクの作り方を教えてくれるこれは、はいもちろんイベントです。東城ルートの第一イベントでーす。
よりによって一番回避したいルートに入ろうとしてない?
「それは私も思うけど、ほら手作りって喜ばれるイメージあるじゃない。それに既製品とは違う味を未来君が気に入って好感度があがるってイベントだし」
「そんなもんかねぇ。あー、やっぱり東城いるっぽい」
調理室に向かう途中でテニスボールを打ち合う音が聞こえてきた。ここからはコートは見えないけど、部活が休みにもかかわらずこれが聞こえるってことは東城が自主練習をしているんだろう。東城って中学の時に全国大会出場しているんだよなぁ。普通なら、めちゃくちゃ強いのになんでテニス部が再建されたばかりの蒼夏に入学したのか疑問しかないけどそれがキャラ設定というものだ。
「愛梨ちゃーん」
間延びした呼びかけに顔を上げると、調理室の窓から橙南さんが手を振っていた。声をかけた河西の隣に俺がいると気づいて「あら?」という顔をしているがこっちも橙南さんの隣に健太さんが一緒にいるのを見つけて、あら?だ。このイベントに健太さんは関係ないのになんで一緒にいるんだろう。
「大樹も来たの?」
調理室は一階にあるのと、いちいち昇降口に行くのも面倒なので勝手口から中に入る。作業台にはまな板、包丁、計量器とウォータージャグ、そして両手で抱えるようなサイズの箱にぎっしり詰められたレモンが準備されていた。
「歩いていたら河西に会ったんで、暇だしちょっとついてきたんです」
本当のことは言う必要はないし、言える筈もない。河西も察してくれて「そうなんです」と頷くと逆に尋ねた。
「あの、今日は橙南先輩だけだと聞いたんですけど桐生先輩も一緒なんですか?」
不思議に思ったのは河西も同じらしい。健太さんは攻略キャラでもなければライバルキャラでもお助けキャラでもない、俺と同じモブキャラ枠なので当然、東城への好感度を上げるこのイベントには関らないのでこの場にいるのは疑問でしかないのだけど。
「俺はレモンを運ぶの手伝わされただけだ」
「いやー、健太には感謝だね。健太のおかげで大量のレモンがこうしてここに!君の優しさは世界一だよ」
「わざとらしい。スポーツドリンクを作るんだよな?」
「はい。これからの季節役に立つからって橙南先輩直々に教えてもらうんです」
手を洗いながら河西が答えれば「直々ねぇ…」となにやら含みを持たせる健太さんを橙南さんが睨む。
「よーし皆、手洗いOKだね。それでは、まずはレモンを半分に切って汁を絞りまーす。愛梨ちゃんと大樹は搾り器使ってね」
あ、やっぱり健太さんと俺も参加なんだ。搾り器は二つしかなく健太さんは別の方法で集める為、レモンを転がしだした。それでどうやって絞るのか謎なんだけど。なんとなく見ているとちょんちょんと河西に突かれた。
「ねえ志賀君。ちょっと思ったんだけど橙南先輩と桐生先輩を付き合わせるのってどうだろう?うまくいったら誠ルートがなくなるんじゃないかなって思うの」
「ああ、それは俺も考えていた」
当の二人に聞こえないように声を落とす。
橙南さんと健太さんの関係についてゲーム内では特に明言されていなかったけど、実は小学校から高校までトータル9年間同じクラスで家もお隣のいわゆる幼馴染なんだ。学校外でもよく一緒にいるみたいだから、もし橙南さんが健太さんと付き合うようになれば橙南さんが誠さんに抱く近親愛もなくなり、ルート自体が潰れるんじゃないかと考えていたんだ。河西も同じことを考えたか。
「だよね。私ちょっと橙南先輩にさぐり入れてみる」
そう言うと河西は搾りだした果汁のボウルを持つと、隣のテーブルでお湯を沸かしている橙南さんに近づいて行った。
その後ろ姿を見送りながら次のレモンに手を伸ばす。
四人で取りかかったおかげで割と早く10リットルのウォータージャグ二つ分のスポーツドリンクができたわけだが、ここで作った分は明日の練習試合で飲むもので今日は飲まないと言われた俺と河西は安堵した。
このイベントが成功条件はスポーツドリンク作りの成功と、東城に今作ったスポーツドリンクを差し入れることの二つ。前者はレシピのお手軽さと橙南さんの指示のもと作ったのでゲームと違い失敗しようがない。となればカギを握るのは後者だが、明日飲むなら自然とイベントは失敗。よし、一つ回避できた!
と、喜んだのはほんの一瞬。ドン、という重い音で現実に引き戻された。机の上には今までのより小型、精々2、3リットルのピッチャーがあった。
「何だもう作ってあったのか?」
そう言った健太さんに橙南さんは「ぶっつけ本番でするのも不安だったから練習がてらちょっとね」と答えると「さーて」と続ける。
「コートに行ってみようか。ずっとボールの音が聞こえるから誰かしらいるみたいだし」
心臓の鼓動を強く感じた。
この流れは完璧にルートに向かっている。ゲームの強制力言えばそうなんだろうけど、そう簡単にフラグは折らせてくれないって事か。
横目でそっと河西を見ると少し青ざめているように見えた。
俺達の心境を知る由もない橙南さんと健太さんは紙コップを幾つか持ち「誰がいるかな」「それより足りるか?」「お試しで作っただけだからねー。人数なんて考えてないよ」なんて会話をしながら出ていく。ちなみに、コートには東城一人しかいないので十分足ります。
残された俺達はどちらからともなく「どうしよう」と顔を見あわせた。
「とりあえず行かないとだよな」
「だよね。東城がいないなんてことはないだろうけど、志賀君から渡してね」
「解ってる。イベントの成功条件は東城にスポドリを差し入れることだからな。俺が渡せばイベント失敗だ」
果たしてうまくいくのだろうか不安だけど、無抵抗でいるよりはマシだと信じたい。俺達にしか解らない決意を抱くと、橙南さんと健太さんの後を追いかけた。
テニスボールのインパクト音が徐々に大きく聞こえてくるにつれて、俺の鼓動も強くなる。そして聞こえてくる複数の声。
複数の声?
なんで?今コートにいるのは東城一人だけの筈だろ。なのになんで冬海部長と響先輩、それに立花の声が聞こえるんだ。
それ以上考える間もなくコートに到着してしまった。とにかく状況を確認すると、響先輩と立花が試合をしていて東城が正審、冬海部長が副審をしている。ますますなんで?だよ。
「ね、ねぇ。なんで東城君以外にもいるの?」
河西に肩を指で突かれたがそれは俺だって聞きたい。スポーツドリンクの差し入れは東城限定のイベントだし、その時自主練をしているのは東城だけだった筈。ここまできてゲームの抑止力が弱まっているってことか?いや、それは都合がよすぎないか?
混乱しつつあれこれ考えていると橙南さんが「ヘイ!ボーイズ!」と思いっきりカタカナ英語で呼びかけると、試合中の2人も含めて全員が俺達を振り返った。あ、響先輩のサービスエースだ。
「橙南、お前達も来ていたのか」
「そうだよ銀竹。明日の練習試合で飲むスポーツドリンクを作っていたんだけど試作品の差し入れ。皆で飲まない?」
「おー、いいな。氷雨、立花、東城。休憩するぞー」
響先輩の一声でコートにいた全員が集まってくる。橙南さんはドリンクを紙コップに次々に注ぐと河西に渡した。皆に配ってきてということだが非常にまずい。このドリンクを東城に渡してしまうとイベント成功なのでここは俺が東城に渡して阻止する。
「橙南さん、俺も配ります」
「はい。じゃあこれよろしく」
橙南さんからドリンクを受け取って、さて東城にと振り向けば。
「ありがとうございます」
冬海部長に取られた。
嘘ぉ。
アンタどこから湧いた――ってそんな事より次のドリンク貰って東城に渡さないと!
「はい、立花の分。あれ?東城まだ貰ってないの?」
「ボール拾っていたら出遅れました」
「片付けって大切だよね。愛梨ちゃーん、東城まだ貰ってないみたいだから渡してあげてー」
橙南さん!余計な事言わないで!
そんなこと言われたら河西が東城に渡すしかないじゃないか。
あーあ、受け取っちゃったよ。おいしいって言われてイベント成功しちゃうよ。
河西を責めるつもりはないけど、これで東城ルートへ一歩踏み込んだことになる。一番ヤバいルートだから一番避けたいルートだったのになぁ…。
気落ちしつつ行き場を失ったスポーツドリンクを飲んで吹きだした。
ぶっはっ!何これ、すっげー不味い!!
甘酸っぱいはずなのに、甘味と苦味と塩味、極めつけに変な臭いが鼻にきて反射的に吹き出してしまった。けれど、それは俺だけじゃなく他の人達も吹き出し咳き込んでいて、不味い不味いの嵐。健太さんは作った張本人の橙南さんに声を荒げた。
「おい橙南!お前、このドリンクに何入れた!?」
「何ってレモンと蜂蜜と塩と水に決まってるじゃん」
さっき一緒に作ったじゃないという風に自分も一口飲むと、一瞬硬直した後、俺達に背中を向けて木までダッシュすると皆に背を向けて根元に吐き出した。女子としての理性がギリギリ勝ったらしい。
「何これまっず!!」
作った本人も驚く不味さってどういうことだよ。つーか、さっき俺達これと同じのを20リットル分作っちゃったじゃないか。多すぎて罰ゲームにも使えないし、だとしたらあれ全部廃棄?マジか!
「お前っ、人に飲ませるものなら味見くらいしろ!」
「した!昨日、作った時は普通のスポーツドリンクの味だった!そうだ氷雨も一緒に飲んだから解るよね!」
昨日は冬海部長と作ったのか。橙南さんに同意を求められた冬海部長は、皆の怒りが露になっているこの状況下でなぜか穏やかな笑みを浮かべて、なぜか響先輩に羽交い絞めにされていた。
これには橙南さんも予想外だったようで「何してんの?」と戸惑いながら問えば「今回のスポーツドリンク激マズ事件の犯人はコイツだ」と響先輩が答えた。勿論、そう言われて理解できるはずもなく尚も首を傾げていると、河西にちょいちょいと突かれた。
「何だ?」
「あのさ、ちょっと思い出したんだけど冬海部長ルートに合宿で一緒にカレーを作るってイベントがあったよね。壊滅的に料理ができない部長を見かねたヒロインが腕前を披露して『こんなにおいしいご飯、毎日食べたいです』って言われるやつ」
あれか。確かにそんなイベントあったし、部長の毎日食べたい発言がプロポーズだって言われてたな。カレーの失敗だからジャガイモの皮をむきすぎて具が少なくなったとか、具材に火が通ってなかったとかだと思っていたけど、ひょっとして味付けの方?
「氷雨。お前、何入れた」
「やだなー銀竹。そんな怖い顔しないでくださいよ」
「いいから何入れたか吐け。ただのドリンクがこうも不味くなるのはお前が何かこっそり足したからに決まってんだろ。このメシマズアレンジャー」
響先輩の迫力に押されてついに観念した冬海部長は追加したものを答え、それを聞いて俺達は絶句した。あー、それ入れちゃったんだ。そりゃ不味くなるはずだし何でそんなことしたんだか。
響先輩に羽交い絞めにされたまま、橙南さん以下全員から何でそんなもの入れたんだ!と詰め寄られる冬海部長を遠巻きに見つつ、ひとまずスポドリ差し入れイベントの失敗に俺と河西は喜び心の中で拳を握った。