19 六蔵の試みと魔物
衝撃の事態に興奮が冷め遣らぬその後の休憩時間。
着物に気を取られている六蔵に何を教えても身に付かないと感じたキャロラインは、防水シートを敷いてその上に巾着袋から出した物を置いていった。
「クリスさんが持ってた方がいい物、渡しとくね」
タオル類・シャンプー・コンディショナー・石鹸を並べてみる。シャンプーとコンディショナーは前回と違う香りの物だ。
「助かる」
六蔵は、今まで使っていたものを左に、受け取った物を右の袂に入れた。
「そなたは髪を洗わぬのか」
失礼な!と思いつつキャロラインは答える。
「クリーンをかけてるから綺麗なんですっ!私も本当はお湯で体とか服とか洗う方が好きだけど、人前じゃぁ恥ずかしいから」
「子供が恥ずかしがる事もあるまい」
「そういう問題じゃないんだけど。ところでクリスさんは歯を磨いてるの?」
キャロラインは仕返しとばかりに聞いてみる。
「おう、木の枝の太い方を細かく割いたのを使うておる」
ヒーっと、自分の歯茎が痛くなった気がして、急いで歯ブラシを取り出した。
「これ使って。これだと痛くないから」
「何から何まで済まぬのう」
六蔵は、歯ブラシの毛で手の甲を擦って硬さを確かめると、それを仕舞った。
「他に必要な物ある?」
「そうじゃのう、月代を剃りたいのじゃが剃刀は有るかのう」
「さかやきって何?」
知らずに例の案件に踏み込むキャロライン。
「ここじゃ。大分毛が伸びたからの」
頭を指差す六蔵。脂汗がにじむキャロライン。
「剃刀は探してみるけど、短い髪の毛の所を伸ばしたらもっとカッコいい髪型になると思うよ」
最大限気を使った言い回しをするキャロライン。
「あ、もしかしてその髪型も武士の魂?」
「いや、男であれば町民も農民もこの頭じゃ。月代の有る無し、髪の長い短いの違いはあるがの」
六蔵は、誰も自分を知る者の居ない国で不精な髪形にするのも悪くは無いと思い、笑いながら言った。
「格好が良くなるのであれば、国へ帰る間だけでも伸ばしてみるか」
「私が言ったからって無理してない?」
「無理はしておらぬ。髭を当たるついでに剃るのだが、正直面倒なのじゃ。それに似合わなければ元に戻せば良いだけの事」
髭も剃ると聞いて、キャロラインは剃刀と手鏡を探して六蔵に渡した。髪が伸びる途中の髪形に心が乱されませんようにと願いながら。
二人は今夜の野営地へ向けて歩き出す。
休憩前にできた口裏合わせは3つだ。キャロラインが他には無いかと考えながら歩いていると、森に複数の気配を感じて足を止めた。六蔵も気付いたようだ。探査で調べると中型の魔物が10数体こちらに向かって来るのが分かった。
「魔物10匹以上。四足、俊敏」
分かった情報を六蔵に伝える。六蔵は既に剣を構えて森を見据えている。キャロラインは川を背にして森に体を向けた。川と森との間は5m程。六蔵と横並びに距離をとると、自分と六蔵に防御魔法を掛けた。
姿を見せた魔物は、白銀の毛をもつシルバだった。野生の狼に似ているが一回り大きい。魔物特有の禍々しい気配と、針のように硬い毛が狼との違いを表している。
シルバは横長の陣形で、中央の数体が木の陰からこちらに跳び出そうとしている。両端の数体で二人を囲むように回りこんできた。
キャロラインは中央の数匹を、森の木ごと風魔法で切り裂いた。切られた首や足が飛び木が倒れかかる。その上を跳び越え後方から別の一団が向かって来た。左からは回り込んできた3頭も近づいていた。数歩下がって前方と左のシルバを一度に風魔法で吹き飛ばすと、六蔵を見遣った。
六蔵は、右から跳び掛ってきたシルバを振り向きざまになぎ払った。すぐさま左からも跳びかかってきた1頭の腹を蹴って仰向けに転がすと、次の相手に剣を打ち下ろした。が、シルバの硬い毛皮に剣が耐えられず折れてしまう。柄を投げ捨て刀を抜いて向き直ると、切り損ねたシルバが身を引いて体勢を低くし、うなり声を上げて今にも跳びかからんばかりだ。仰向けにされたやつも、こちらに走り込んでくる。
刀を振り上げ、2頭同時に斬ろうとした六蔵の左から岩が飛んで来て、低い姿勢のシルバの頭を押し潰した。もう1頭から視線を外さず狙いをつけていた六蔵の耳に「喉!」という鋭い声が聞こえた。瞬時に身を捻って六蔵に飛び掛ってきたシルバの喉元を、左下から右上へと斬り上げた。転がる首と最初の1頭が動かないのを確かめると、キャロラインの方を振り返った。
キャロラインが吹き飛ばしたうち、森に飛ばした4頭のシルバの方が早く反撃してきた。再び風魔法で切り裂いたが知恵をつけたのか、ジャンプでかわすやつも居た。仕方なく剣を抜いて、跳びついて来るものには剣を振って喉を斬り、下を狙って来るものは前足を切り払ってから蹴って仰向けにし、胸を剣で突いた。
残りは左から来る3頭。まだ距離のあるうちに土魔法で岩を放って2頭を倒し、脚に噛み付こうとした最後の1頭は、引いた脚で顎を蹴り上げた。その足を後ろに引き体の回転を利用して、両手で持った剣で落ちてくるシルバの腹を斬り裂いた。
まだ気を抜かないキャロラインは、自分がやった獲物を1頭ずつ調べ、生きているものには止めを刺していった。彼女の表情は冷静で平坦だった。
六蔵は、いつものふざけた表情とは違うキャロラインを見て、恐らく自分も同じ表情をしているのだと感じた。生死をかけた戦いをしてきた者の顔だ。殺される前に殺す。人を境無く襲ってくる魔物であれば尚更罪悪感は要らない。当たり前の事をしているだけだ。
全て確認し終わったキャロラインは、六蔵の視線に気が付くといきなり謝った。
「ごめんねークリスさん。先にシルバの毛皮が硬いって教えてあげればよかったよー」
いつも通りの調子である。
「何を言う、そなたはわしを助けてくれたではないか。それより、預かった剣を折ってしまい大変申し訳ない」
頭を下げる六蔵。
「頭を上げてよ。予備の剣はまだあるし、折れたのも素材として売れるから大丈夫だよ。剣が折れたのはやつらの毛皮が硬いだけじゃなくて、刀と使い方が違うからだと思うよ」
「わしもそれは感じておったのじゃが、どうもコツが掴めぬ」
「刀はシュルッって感じで、剣はズサッって感じ」
「おお!剣は直線的な動きでその重さを生かして斬るという事だな」
「よく分かったね!あ、刀に強化の魔法をかけといたから滅多なことじゃ折れないよ。ついでに自動的に綺麗になるクリーンもかけるから出して」
自分の説明が通じて嬉しくなったキャロラインはそう言って、刀に半永久的に効果が有るクリーンをかけた。
「なんと礼を申したら良いか。真に感謝する」
六蔵は今までで一番深いお辞儀をした。大切な刀が、折れずにいつも清潔だというのだ。
「わー頭を下げないで下さいよ。それより、シルバの毛皮は高く売れるから、自分でやったのは自分で仕舞って売りに行こう」
再度渡された予備の剣は恐る恐る袂に仕舞った六蔵であるが、血が滴るシルバを袂に入れるのは頑なに拒んだ。