覚醒
「ベル! ミーシェを見てないかしら⁈ 」
修道女さんの焦った声を聞いた時点で、イヤな予感が背筋を走った。
外には霧雨が降り注ぎ、どこもかしこも真っ黒な石造りの街は、陰気臭い空気で淀んでいる。
あやしていた弟を膝から下ろし、私はすぐに立ち上がった。
「見てないわ。ミーシェがどうかしたの? 」
「建物のどこにもいないの。あの子は、その……目立つ顔をしているから、ひとりで歩いているのを見つかったら…… 」
気まずそうに目をそらす修道女さん。彼女の言いたい事はだいたい分かる。
ミーシェは私より後からこの孤児院に引き取られた放浪民族の女の子で、肌も髪も浅黒い。
とても可愛い子である事に変わりはないけれど、それでも、その容姿はだいぶ目立つのだ。
だから__
「だいじょうぶ。わたしが探してくるわ 」
すぐ頷いて、私は霧雨の街へと繰り出した。
港に面したこの街では、樽に入れられた魚の臭いや、据えた発酵食品のにおいが鼻に付く。
視界の悪さと跳ねる泥に悪態をつきながら探していると__いた。
頭を抱えてうずくまっているミーシェと、その周りを取り囲んでいるガキ達が。
「ミーシェ! 」
叫ぶとヤツらは振り返った。
くすんだ金髪に若草色の目。
ほぼ全員が私やミーシェよりもがっしりした骨格で、将来は筋肉ダルマになりそうな体格をしている。
あぁ、やっぱり。
こいつらは帝国人だ。
あちこちを流れ行く放浪民生まれのミーシェや、『属州』と呼ばれる征服された土地生まれの私とは違う、優遇された市民権を持っている連中。
普段なら、うちの妹が失礼しました、なんて頭を下げて引き下がる。
でも、今回ばかりはそうできない理由があった。
「あんた達、ミーシェに何したのよ! 」
うつぶせに倒れたミーシェは、傷だらけだった。
泥だらけの顔は腫れていて、服の上からも殴打の跡がわかる。
本気で殴ったのだ。こんな小さな子を、大勢で。
「こいつが盗品を持ってたから、捕まえただけだぞ 」
ひとりはこう言った。
「そうそう。お前らみたいな混血児が、こんな良いもの持ってるわけがないだろ? 」
もうひとりは、笑いながらミーシェの持ち物を振ってみせた。
それは髪留めだった。青い花の飾りが付いた、小さな髪留め。
「かえして。それ、ミーシェがお店でちゃんと働いて、もらったんだもん。盗んでないもん……! 」
「嘘つけ! 薄汚い流れ者のくせに! 」
「そうだそうだ、この流れ者! 」
「劣悪種は帝国からでてけ! 」
一人が言ったら早かった。
「「れっつあくしゅ! れっつあくしゅ! 」」
「「でーてーけ、でーてーけ! 」」
__国に蔓延った『劣悪種』は、帝国を滅ぼす。
内乱が起きて治安が悪いらしい帝国では、そういう考え方が主流になっている。
曰く、金髪碧眼のイウロ人種でない『異国民』は、みんな嘘つき。
異国民は劣悪種。
劣悪種は怪しげな魔法を使い、帝国人を惑わす。
劣悪種は反乱軍を手引きしている。
帝国人の安全を脅かす劣悪種は、駆逐しなければならない。
あぁ、プロバガンダに支配された人間が、いかに単純で矛盾した行動を取ることか。
この街は帝国領になって久しい。その意味ではここにいる全員が『帝国人』だし、目の前の連中とて澄んだ金髪ではなく、北方人特有の亜麻色の髪の奴が混ざっている。
そもそも、純血のイウロ人種なんてものがいるわけがないのに。馬鹿らしい。
……と、そういった正論を吐いたところで通じる相手でないのは分かっている。
正論で物事が解決するなら、異民族問題なんて簡単に解決しているだろう。
私は首を振り、うっとおしい髪を振り払うと__加速した。
「えっ__?」
顔を上げれば、呆けた面が眼前にある。まずはひとり目。
ぐんっと身を沈めた私は膝に力を入れ、バネのように上体を跳ね上がらせた。
「がっ!」
間抜けな子供の顎に全力の頭突きを喰らわせると、そいつが大きく身を逸らすのが分かった。
食いしばった歯に、鈍く響く衝撃。目の前が明滅する感覚に耐え抜き、私は棒立ちの連中の間をすり抜ける。
「いくよミーシェ!」
ミーシェの手を掴み走り出す。
魚油まじりのぬかるみに足を取られないように曲がり角を曲がり、振り向きざまにその辺の樽を蹴飛ばす。
魚の腐った臭いが撒き散らされると同時に、背後にいた連中の頭には魚のアタマが大量に降り注いだ。
「ぎゃあぁああ⁈ 」
「てめぇっ⁈ 」
連中は騒いでいるけれど、知ったことじゃない。
でも、もしこのまま私たちが逃げきってしまうと、私たちに都合が悪い噂を流されてしまうかもしれない。そうすると孤児院の危機だ。
大通りに飛び出して、ミーシェを逃してから少し殴らせてやろう。
私は下働きを通して、大通りの店の大人とはそこそこの交友関係を築いている。
あんまり殴られていたら、その人たちが止めてくれるだろう。たぶん。
そんな事を考えながら私が路地を飛び出した__その瞬間だった。
「ベルねえちゃ__っ! 」
私に手を引かれたミーシェが、悲鳴をあげた。
その視線の先を追って顔を上げた私は、気付いた。
目の前に、振り上げられた馬の脚。
その向こうに黒塗りに金細工を施した馬車。
そう。逃げることに意識が行っていた私は、馬車にまっすぐ突っ込んで行ってしまったのだ。
あ、やばい、死ぬ__冷や汗が滲み出るより先に、私はミーシェを突き飛ばそうとした。
でも間に合わない。ふたりとも轢かれてしまう。
(……また、この死に方? )
極限まで引き伸ばされた感覚の中で、私はそんな事を考えた。
記憶の奥底から湧き上がって来た『私ではない私』の見ていた映像__猫を抱えた私の身体を、大きなタイヤが巻き込んでいく記憶が目の前の光景に被さって映る。
(……嫌だ )
また死ぬなんて嫌だ。
(……嫌だ )
せっかく二度目の生を貰ったと思ったのに。
(……嫌だ、嫌だ )
妹分を巻き込んで、しかも同じ死に方をしろってか。
なんだよそれ。
お前にはそれがお似合いだって。
期待を持ったのが間違いだって。
ねぇ、神様。あんたはそう言いたいの?
「……ざけるな 」
迫り来る死に、私は悪態をついた。
死の恐怖よりも、怒りの方が強かった。
『前の私』は、あの世界に何も残せないままあっさり死んだ。
『今の私』はもっと酷い。泥にまみれて、バカにされて、妹分を守るどころか巻き込んで殺そうとしている。
馬鹿らしい。意味ない。いつもいつも、何の為に、私は生まれて__
「ふざっ……けるなぁあぁああぁあああぁあぁああぁあああぁあぁああぁあああぁあぁああぁあああぁあああああっ!!!!!!!! 」
叫んだ。
今までに無いくらい、感情を露わにして。我慢する事なく、街中に響くような声で悪態をついた。
生まれが変えられないから、帝国人に頭をペコペコ下げて耐えて来た。この世界に産み落とされてから、私はずっと、耐えて来たんだ。
だから最期くらい、全力で悪態吐いたっていいだろう。そう思って叫んだはずだった。
「……? 」
でも、私は死ななかった。
気付いたら馬車が横転していて、五体満足な私とミーシェだけが、そこに立っていた。
「え? なんで…… 」
混乱した私は、答えを探してミーシェを見下ろす。
するとミーシェは、真っ青な顔をして私を仰いだ。
「ベ、ベルねえちゃん……いま、魔法…… 」
「えっ 」
何それ、どういう意味__聞き返す前に、私は異常に気付いてしまった。
私の周囲を漂う、幽霊みたいな青い光。雨を素通りして漂うそれが、私と、横転した馬車に纏わり付いているという事に。
『ちょっと、今の 』
『魔法だわ 』
『あの子供、たしか、孤児の__ 』
『魔女だ 』
『魔女だったのか 』
周囲の大人の声が聞こえる。
視線が突き刺さる中、熱に浮かされたみたいにふわふわした感覚を覚えながら、私はあはは、と力のない笑みをこぼした。
「ミーシェ、先におうち帰ってて 」
「で、でも 」
「おねえちゃんの言うこと聞いて。おねがいだから 」
「でも__っ! 」
「言うこと聞きなさいっ! 」
叫ぶと、ブワッと青い光の量が増した。
雨を素通りするその光は、ミーシェを追い立てるように弾け出す。
「う、うぅ……! 」
後ずさりしたミーシェは、踵を返して走り出す。
その後ろ姿が無事に消えたのを確認して、私はため息をついた。
そのため息を、きっかけにしたかのように。
「ま……魔女だ、魔女だぁー! 」
街人たちが、震える声で叫び始めた。
『きょ、教会に連絡を__! 』
『異形審問官を呼べ! 魔女だ、今度のは本物の魔女だ! 』
『坊や、何してるの⁈ 早くこっちにいらっしゃい__! 』
十歳児を取り囲んで、よく騒ぐ連中だ。
馬鹿みたいに取り乱す連中の中心でただ佇みながら、私は灰色の空を見上げた。
「魔法のチカラ……か。もっと早く気付いてればなぁ 」
うまく隠して、立ち回ることもできたかもしれないのに。
雨で頬を濡らし、迫り来る全身鎧姿の騎士を横目に見ながら、私は嗤った。
チート能力とやらは、無意識のうちに得ていたみたいだけど。
どうやら結局、私の死は覆らないらしい。