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最終章 ローゼンベルクは永遠に

 最終章 ローゼンベルクは永遠に


        1


 小堺と取引して数日が経ったある日、アトリエに小堺が訪ねてきた。


 最後の一ページは、まだできていない。


 楠木は挨拶代わりに、先に声を掛けた。

「最後の一ページなら、まだできていませんよ。あんなショッキングな事件があったんです。余計に描けなくなりましたよ」


 小堺は三人も殺されていたにも拘わらず、全く気にした様子がなかった。

 きっと、小堺なら焼死体が転がる戦場でも、平気でバーベキューを楽しめるタイプの人間ではないかとすら思ってしまう。


 小堺が微笑んで、用件を切り出した。

「最後の一ページは、まだいいわよ。ただ、ちょっとお話があるんだけど」


 またか、と思ったが、今日は特上寿司の入った寿司桶を持っていないので、それほど悪い話ではない気がした。


「あのね、楠木君、『魔道世界』からローゼンベルクと殺人犯との決闘の結果がどうなったか、記事にしたいって話が来ているのよ」


 楠木はスケッチブックに目を落としたまま、ぶっきらぼうに返事をした。

「そんなの、ローゼンベルク先生の勝利って決まっているんでしょう」


「それはそうなんだけど、記事が載るとね、殺人犯が怒ると思うんだけど、いいかな」


 そうだった。殺人犯はまだ一人、残っているんだった。殺人犯は今度こそローゼンベルクを殺したと思っている。


 楠木は即座に小堺の発言を拒絶した。

「ダメに決まっているでしょう。もう、静かな環境で最後の一ページを描かせてくださいよ」


「それがね、『魔道世界』が、ローゼンベルの勝利を飾る報告を十一月発売後に掲載したがっているのよ。雑誌の掲載スペースも確保済みなの」


 楠木は、げんなりした。

「ちょっと待ってください。小堺さん、最初に『いいかな』と一応は断っていますが、今の言い方だと、実質『決まったのよ』ですよね」


 小堺が苦笑して答えた。

「率直に言えば、そうなるかしら。どんな記事を掲載するかは『魔道世界』側の都合だから、うちとしては掲載を中止してもらう権限はないのよ。下手に中止の圧力を掛けて『ひょっとして、ローゼンベルクが逃げた』と疑われては、困るしね」


 来年いっぱいまで延びたと思った締め切りが、また繰り上がった。十一月十八日まで日があるが、現在の心理状況では、描けるとは思えなかった。


「せめて、来年一月の発売号になりませんか」


「それがね、十月十八日以来『魔道世界』編集部に戦いの結末はどうなったかって、読者からの問い合わせが結構、来ていて向こうも困っているのよ」


 当然といえば、当然の流れだ。あれだけ派手に煽って、折込広告まで入れて挑戦状を出したんだ。『魔道世界』の読者の興味を引かないほうがおかしい。


 小堺が少し困ったような表情でお願いするように言葉を続けた。

「『魔道世界』としては、もう一度インタビューをして、戦いの詳細を聞きたいと言っているけど、魔法使い同士がどう戦ったなんて、楠木君には答えられないでしょ。だから十一月発売号に記事を載せるのを了解する代わりに、インタビューではなく、結果報告記事だけを私から送る形式にしたいのよ」


 確かに、魔法使い同士のバトルなんて、どう戦った、まるで見当がつかない。


 されど『魔道世界』の読者は確実に魔法オタクだ。オタクにはオタク同士ならわかっていて当然の決まりごとが、楠木には全然わからない。


 下手にインタビューを受けると、次は確実にボロが出る。


 楠木は無意味かもと思ったが、一応の引き延ばしを計った。

「一日だけ、考えさせてもらえますか」


 小堺は、すんなり了承した。

「わかったわ。明日まで待って欲しいというなら、待つけど、いい返事を期待しているわ」


        2


 楠木は家に帰ってから、どうしたものかと考えた。

 現状では全く描けなくなった。


 このままでは、いつまで経っても小堺との関係を切れない。

 どうしたものから暗い部屋でベッドの中で考えていると、眠ってしまった。


 朝、起きると、楠木は名案を思いついた。

「そうだ。最後の一ページは、盗作しよう」


 盗作しても、魔道書のページとして使え得るかどうかは楠木には判断がつかないし、盗作がバレれば問題になる。


 けれども、質に関してある一定レベルを保ち、盗作しても問題にならない相手が一人だけ存在する。ローゼンベルク・功、本人の作品だ。


 ゴースト・ライターが本人の作品を盗作するのは、なんだか落語のような話だが、逆にここまで荒唐無稽の話なら、誰も気付かないのではないだろうか。


 小堺の編集者歴が長いといっても、一世紀以上も生きてきたと公表しているローゼンベルクが魔道書を描き始めた当初から担当だったとは思えない。


 ローゼンベルクが魔道書を描き始めた当初は、小堺も生まれていない。意外とローゼンベルクの初期の作品に関しては知らないかもしれない。


 魔道書作家の新人は二百部から三百部ほど売れればいいと聞いた。おそらく、ローゼンベルクのファンといえど、最新版と古い魔道書を一緒に持っている可能性は低い。


 つまり、来年発売の最新版購入読者でも、ローゼンベルクが描いた古い魔道書のページと似たページが最新版のラストのページに載っていても、わからないはずだ。


 一人や二人なら気付くかもしれないが、似たような作品が最後に出たと思うだけ。ましてや、ローゼンベルクが既に死んでいて、ゴースト・ライターが本人から盗作したとは思わないだろう。


「いけるかも、これなら、いけるかもしれない」


        3


 楠木は次の日、資料用のローゼンベルクの魔道書を片っ端から開き、ローゼンベルクが描いた古い魔道書を探した。アトリエの書棚で一番古い魔道書を見つけた。


 よし、ここから構図を盗んでやれと思った。が、そこで手が止まった。アトリエの資料用に取ってあった過去の魔道書は、いつでも小堺が見られる場所にあった。なら、小堺が見た可能性がある。

 盗作計画は、一度ばれてしまえば、二度目はない。


 楠木は完全を期すために、居住エリアにあるローゼンベルクの書斎に移動した。


 他の部屋はすでに片付いていており、家族が生活したように偽装されている。でも、書斎部屋だけは以前のまま。片付け時に書斎の物を収納したと思われるダンボールが残っていた。


 きっと、部屋を整理したときに、ローゼンベルクが描きかけの魔道書のページが残っていては困ると思って、小堺が残したのだろう。


 ダンボールを開けながら、古いメモでも図案でも使えそうなものがないか調べていると、ついに一冊の古いスケッチブックを発見した。


 楠木は預金通帳と印鑑を同時に発見した泥棒のように喜んで、スケッチブックを開けた。

 中には、描きかけの図案が何ページかあった。


「よし、この中から、図案を盗むページを探そう」


 楠木が古いスケッチブックを開いていると、間から一枚の写真が落ちた。

 写真は、壮年の男性と年配の女性に挟まれ、若い女性が真ん中に写っていた。一見すると、単なる家族写真。


 けれども、楠木は写真を見て驚愕した。写真の色落ち具合から数十年以上前の写真なのに、写真には現在と変わらぬ小堺の姿が中央に写っていた。


「写真の中央の人物って小堺さん、そっくりだよな。小堺さんのお母さんかな? でも、写真左隣の人物は明らかに小堺さんより年上だし、小堺さんに似ているから、左隣の人が小堺さんのお母さんの気がする。やっぱり写真中央の人が小堺さん、だよな」


 写真中央の人物が小堺なら、写真の古さから見て、小堺の本当の年齢は六十近いはずだ。

「でも普通、有り得ないよな。小堺さんが六十近いなら、小堺さんは魔女……」


 楠木の最後の言葉は消えた。

「絶対に有り得ない――なんて、有り得ない」小堺の言葉が頭をよぎった。


 小堺が本当に魔法を使えるとしたら、歳を取らない説明が付く。もし、使えるなら、なぜ小堺が魔道書を描かないのだろう。


「違う! 小堺さん、昔は魔道書を描いていたんだ」


 楠木は一つの恐ろしい結論に達した。


 ローゼンベルク・功は名前から男だと思っていたが、本当は女だったとしたら? 過去には「何とかコウ」などという人気女優もいたし、「何とか天功」などというイリュージョニストもいた。つまり「功」は男性名とは限らない。


 ローゼンベルクは不死の魔道書作家という触れ込みだが、真実は異なる。不死の魔道書作家ではく、不老の魔道書作家だった。


 以前、小堺から『ローゼンベルク虚無の魔道書』を見せられた時、若い女性の感性で描かれていたと感じた。『ローゼンベルク虚無の魔道書』は、小堺がまだローゼンベルクを名乗っていた時代に描いていた魔道書だ。


 ローゼンベルクの不死の秘密も、わかった。ローゼンベルクである小堺は、描けなくなった時点から、常に影武者兼ゴースト・ライターを用意していたから不死だった、という絡繰。


 影武者なら死んでも、いくらでも交換が利く。

 ローゼンベルクこと小堺は常に安全な場所に身を置き、影武者が死んでも次を探してローゼンベルクに仕立てると共に、魔道書を描かせていたに違いない。


 おそらく、楠木が最初に引き合わされたローゼンベルクと名乗った老人も、影武者の一人であり、ゴースト・ライターだったのが真相だろう。


 楠木はゴースト・ライターのゴースト・ライター……だった。

 とんでもない真実を掘り当ててしまった。


 楠木は写真を手に、体の震えが止まらなかった。

「やばい、これ、本当にやばい真実だよ。ローゼンベルク先生の秘密を知ったのがわかったら消される可能性がある、危険な秘密だよ」


        4


 盗作なんて考えるものではないと後悔した。だが、遅かった。楠木はすぐにスケッチブックに写真を戻して、ダンボールにしまった。


 こうなってくると、魔法が存在するのは事実の気がした、写真で見た小堺の容姿はアンチ・エイジングというレベルでは片付けられない域だった。


 小堺は「編集だから魔法は使えないと」と発言していたが、思い起こせば以前には「私だって、人の一人や二人殺せる魔法が使える」と発言していた。


 あの時は冗談だと思って流したが、おそらく本当だ。

 魔法で人が殺せるから、死因が魔法によるものかどうかもわかる。


 アトリエに戻った楠木は、真相を知った事実を恐れた。

「どうしよう、とんでもない展開になったよ。作品を描くどころか、小堺さんの正体を知ってしまった。小堺さんが本当に魔法を使えるなら、僕が真相を知ったのもいつか知られるかもしれない。殺人犯もやってくる。絶体絶命のピンチだよ」


 怯える楠木の頭に、究極の策が浮かんだ。

「そうだ、本物の殺人犯に、本物のローゼンベルクを始末してもらおう。もう、それしかない。小堺さんに消えてもらうしか、僕が生き残る道はないんだ!」


 楠木は携帯を取り出すと、深呼吸して小堺に電話した。

「小堺さん、昨日の話、OKです。十一月発売号に記事を載せちゃってください」


 携帯から少し意外そうな声が返ってきた。

「あれ、いいの。殺人鬼が来るよーって、てっきり怯えて引き延ばされると思ったけど」


 逆だ。こうなったら、早く殺人犯と接触して、真実を伝えて小堺を始末してもらわないと、心の衛生上も好ましくない。


「よく考えたら、殺人犯にすれば二度も殺したのに、まだローゼンベルク先生が生きているといわれて、勝利宣言まで出されると、諦めると思ったものですから」


「そう、なら、いいわ。さっそく私のほうで記事を書いて、送っておくわね」


 賽は投げられた。あとは殺人犯がアトリエで遭遇すればいいだけ、殺人犯は二人の人間を殺しているので、ひょっとしたら、会えば殺されるかもしれない。


 とはいえ、殺人犯の顔を見なければ、案外すんなり見逃してもらえるかも知れない。

 問題は、殺人犯が失敗した場合だ。小堺が公表されている通り、一世紀以上に亘って生きている魔法使いなら、腕の立つ殺人犯といえど、返り討ちに遭う可能性がある。


 こればかりは、賭けだ。今まで命を狙ってきた殺人犯が実は救世主になるかもしれないとはなんとも皮肉な展開だ。


 そればかりか、今では殺人犯のほうが小堺より腕が立つのを願うばかり、という状況ですらある。

 楠木はもう一度、書斎部屋から古い写真を持ち出し、小堺の名刺と一緒に現金の入った菓子折の箱に入れて、アトリエの棚に置いた。


 殺人犯に殺人を依頼すると決めてから、二週間ほど眠れなくなった。だが、ある朝、眼が覚めると、自然と覚悟が決まった。


 楠木がやろうとしているのは、身を守るためとはいえ、殺人依頼に他ならない。成功しても失敗しても、もう神様任せだ。


 楠木は家族に宛てた遺言でも残そうかと最初は考えたが、止めた。


 家族が遺言から真相に辿り着けば、同じ危険が待ち構えている。なら、小堺の暗殺失敗時には一人で消されて消息を絶とう。


「最後に自分が生きた証が残せないのは、いささか残念だな」


 人生が終るかもしれないと感じた時、自然と閃くものがあった。

 楠木は、人生最後の作品になるかもしれないと思いを込めて、スケッチブックに丁寧に線を描き込んでいった。一枚の下絵『人生の賭け』が完成した。


『人生の賭け』は楠木にとって、今まで一番の出来栄えだった。小堺とは電話のあと、アトリエの鍵を交換したので、新しい鍵を貰うときに会ったが、下絵は見せなかった。


 どうせ、小堺に対する暗殺計画が失敗すれば、いくら本を作るのに情熱を見せている小堺でも、楠木を始末するのは目に見えている。


 逆に成功すれば、作った作品はローゼンベルク作の魔道書の一ページになる事態にはならない。楠木は最後の作品になるかもしれないので、十六色のカラーで版画を作ろうと決めて開始した。


        5


 十一月二十日。夜にアトリエの扉に背を向けて版木に彫りの作業をしていると、扉が開く気配がした。

 小堺ならすぐに声を掛けて来るので、小堺ではない。おそらく、怒れる殺人犯がやってきたと思った。


 アトリエの入口から怒りを押し殺したような男の声がした。

「お前が、本物のローゼンベルクか?」


 楠木は版木を彫る作業を続けながら、簡単に答えた。

「違いますよ。僕は表向きには存在しない人物。いってみればローゼンベルク先生のゴーストみたいなものです」


 殺人犯が訝しげな口調で問うてきた。

「なんだと? じゃあ、本物のローゼンベルクは、どこだ?」


 楠木は殺人犯に背を向けながら、版木を彫りつつ、問いには答えずお願いした。

「質問に答える前に、棚に菓子折の箱があるので、開けて中を見てくれますか」


 背後で何かが動く気配がするが、足音はなかった。


 殺人犯が菓子折の箱を開けたのか、険しい声で疑問を投げ掛けてきた。

「おい、これは、どういう真似だ。この金でローゼンベルクを見逃せという気か」


「逆です。それで、ローゼンベルク先生を始末してください。もし、引き受けてくれる気があるのなら、札束を全てどけて、箱の底を見てください。ローゼンベルク先生の本当の姿を捉えた写真があります」


 地面に無造作に札束が落ちる音がした。

 楠木は相変わらず版木を掘る作業をしながら教えた。

「その古い写真にある、真ん中の人物。その女性が、ローゼンベルク先生です」


 殺人犯もローゼンベルクが女性と知って驚いたのか、声を上げた。

「なんだと! ローゼンベルクは、女だったのか」


「そうです。女性です。今は小堺幸子と名前を変えています。名刺が箱の底に入っているでしょう。名刺の住所にある場所に、小堺、いえ、ローゼンベルク先生は勤めています」


 殺人犯は懐疑的な口調で尋ねてきた。

「本当に、この女がローゼンベルクなのか?」


「実際に会って姿を見れば、わかりますよ。写真は、かなり古い物なのに、本人は一切、歳を取っていない。普通の人間なら、考えられますか?」


「なぜ、ローゼンベルクを殺そうとする」


「僕はローゼンベルク先生の正体を知ってしまった。このままでは、遅かれ早かれ殺されます。だから、ローゼンベルク先生を殺せる人間が現れるのを待っていたんです」


 楠木は彫りが一段落したので、携帯を取り出して電話した。


 背後で殺気が膨らむ気配がしたが、気にせず電話をした。

「小堺さん、今どこにいますか?」


「まだ、出版社だけど、どうしたの」


「今日はまだ出版社で仕事ですか」


「そうね。今日は徹夜になりそうだから仕事しているけど、何か用」


「仕事が遅いなら、用件は明日でいいです」


 楠木は携帯電話を切って殺人犯に教えた。

「ローゼンベルク先生はまだ出版社にいるので、今から名刺の住所に行けば。会えますよ。あと、お金は持っていってけっこうですが、写真は置いていってくださいね。貴方が今度も失敗した時に写真を持っていたら、僕が殺そうとしたのが、バレますから」


 背後から殺人犯の気配が消えた。振り向くと、アトリエのドアが開いているので、音もなく出て行ったのだろう。


 アトリエの床には札束が転がり、札束の上からは名刺がなくなり、写真だけが無造作に落ちていた。


 写真をポケットにしまうと、札束を菓子折の箱に戻してから、版画の作成に戻った。今日は、楠木も徹夜しなければならない。


 殺人犯はかなりできる人物かもしれないが、相手は一世紀を生きた本物の魔法使いローゼンベルク・功。


 凄腕の殺人犯でも負けるかもしれない。負けても楠木の依頼を喋らないかもしれないが、もし殺人依頼を自白させられれば、明日が楠木の命日だ。


 だったら、できるだけ早く、人生最後の作品を仕上げたい。


        6


 十六色分の版木を彫り上げたところで、マナーモードにしていた。携帯に着信が三件ほど入っているのに気が付いた。母親からだった。


 最後の電話になるかもしれないと思うと、妙な言葉を口走りそうで、電話を掛ける気になれなかった。

 代わりに『今日は友人の家に泊まります』とだけ短いメールを返した。メールを返すと携帯の電源を切って、各版木に色を一色ずつ載せて、丁寧に版画を刷っていった。


 完成しても、色の載りが悪いと思うと、また最初の刷りから、やり直しだった。人生最後の一枚になると思うと、少しも妥協したくなかった。


 そうして、夜更けに、納得の行く一枚が刷り上った。刷り上った版画を乾かしていると、アトリエの扉が開いた。


 怖い顔の小堺が立っていた。どうやら、最後の賭けに負けたらしい。楠木は覚悟を決めた。

「小堺さん、約束していた最後の一枚が完成しました。今、乾かしているところです」


 小堺が版画を完成した版画を見ないで、真っ直ぐ楠木を見て静かに言葉を発した。

「馬鹿な発想をしてくれたわね。そんなに私が憎かったの」


 殺人犯は返り討ちに遭っただけでなく、殺人犯に楠木がローゼンベルクの正体を教えた事実を、小堺に吐かされたらしい。


 楠木は人生最後だと思い、名探偵が犯人を指摘するように格好を付けた。

「憎い? 違いますよ。憎かったんじゃない。怖くなったんですよ。ローゼンベルク先生」


 小堺が顔を歪ませて発言した。

「なにを言っているの、楠木君」


 楠木はポケットから写真を取り出して、小堺に手渡した。

「僕がローゼンベルク先生だと思い込んでいた老人の書斎で、見つけました。それで、知ったんですよ。ローゼンベルク先生の不死の秘密と、誰が本当のローゼンベルク先生かをね」


 小堺が黙って、写真をポケットにしまった。

 楠木は人生最後の一杯になるかもしれないコーヒーを淹れながら、話し続けた。


「僕はローゼンベルク先生の秘密を知った。遅かれ、早かれ、始末されるんでしょう。だから、最後の賭けに出たんですよ。ちなみに、刷り上った作品名は『人生の賭け』です」


 小堺はそこで初めて、楠木の作品を見た。

「いい絵だわ。これなら、魔道書の最後の一枚にしても、惜しくなかったわね」


「惜しくなかった」と発言したところを見ると、小堺はどうやら楠木が描いた懇親の一枚を使わないつもりらしい。口惜しいが止むを得ない。


 あれだけ、本に執着していた小堺が「いい絵」と評しておいて、使わないと決めたのだ。小堺は相当に怒っているのだろう。


 楠木はローゼンベルクのゴースト・ライターであった老人が使っていた椅子に腰掛けた。

「できるなら、苦しまないようにお願いします。それと、僕の家族はゴースト・ライターをしている件も、このアトリエの場所も知りません。今日は友人の家に泊まるとメールしておきました。家族には手を出さないでください」


 小堺が腕組みして、険しい顔で楠木を見下ろした。

「楠木君は、何か、ものすごーく大きな勘違いをしているわ」


 頭の中に「?」の文字が浮かんだ。楠木は、自身の推理が間違っているとは思えなかった。


「いやいやいや、僕の推理が、間違っているはずないでしょう。僕の推理が合っていたからこそ、小堺さんが僕を殺しに来たんでしょう」


 小堺が何かを決断したような顔をしてからコーヒーを淹れ出した。小堺がコーヒーを淹れると楠木の前に椅子を置いて問いかけてきた。


「真相が知りたい?」

「それは、ここまで来たら、知りたいに決まっているでしょう」


 小堺は真剣な顔になって、はっきりとした口調で申し出た。

「じゃあ、条件があるわ」


 真相を知られれば、小堺さんとしては、僕を野放しにはできないはず。

 下手をすれば、この後の人生は一生を小堺さんの奴隷として、ローゼンベルクの偽者を演じさせられるかもしれない。そんなの、御免だ。


「この後、一生ずーっと、ローゼンベルクの影武者をやれという条件なら、お断りです。それなら、ひと思いに殺してください」


「一生なんて言わないわ。ただ、もう一冊、描いてもらうわよ」


(あれ、小堺さん。なんか、やけに小さく出たな。でも、話の流れからして、死んでもらうという展開には、ならなさそうだな)


        7


 死を覚悟した名探偵気分だったのが、急に現実に引き戻された。


(あと一冊くらいなら、描いても良い気がするけど。でも、あと、三十枚となると、きついなー。ボツになる事態も考えると、三倍くらい下絵を描かなきゃならないし。今回は十六色刷りに質も上げたから、同レベルを求められるとな、うーん)


 楠木が葛藤していると小堺が促した。

「別にいいわよ。知りたくないなら。楠君がもう、アトリエに近づかず、今後一切、私と連絡を取らないって約束してくれるなら、このまま最後の一枚を納品して、家に帰ってもいいわ」


 急に引かれると、すごく気になる。


 楠木は思わず聞いてしまった。

「締め切り、いつですか?」


 小堺が即答した。

「来年中かしら」

「それは、短いです。最後の一枚であれだけ苦労したんだから、三年は欲しいです」


 小堺が編集者の顔で説教した。

「三年って、なにを生意気に巨匠みたいな言葉を言っているのよ。そんなには待てないわよ」

「でも、今年、もう二ヶ月ないわけですし、来年には一冊が出るから、三年でもいいですよね」


「わかった、再来年の末でどうかしら。どうするの、真相を聞くの? 聞かないの?」


 再来年は微妙な線だが、もう身の危険は乗り切ったから、行ける気がした。

「ええい、もう、ここまで来たら描きますよ。だから、教えください」


「いいわ。私も、ローゼンベルクのゴースト・ライターのゴースト・ライターだったのよ」


「はあ~?」思わず、楠木自身でも間抜けだと思う声が出た。


「ちょっと、待ってください。じゃあ、本物のローゼンベルク先生は、どこにいるんですか?」


 小堺が先ほどの写真を取り出して、机の上に叩きつけるように置いた。

「とっくに死んでいるわよ!」


 楠木は写真を、もう一度よく見る。写真は家族写真だ。ということは。

「まさか、ローゼンベルク先生は、小堺さんのお父さん! それで、今回のようなバトルに巻き込まれて亡くなった、とか」


 小堺は憮然とした表情で答えた。

「父は純粋に酒の飲みすぎで、肝硬変で亡くなったわよ」


「お父さん、不死の魔道師だったんでしょ? 酒の飲み過ぎくらいで、亡くなりますか?」


 小堺が今になって思い出しても腹が立つ、といった風に答えた。

「父はね、母と違って、魔道書も書けなければ、魔法も使えない、普通の飲んだっくれの人間よ。ローゼンベルク・功の名前も真っ赤な嘘。生粋の日本人で、ドイツに住んでいた経験もないわ」


 話が、ようやく見えた……気がした。

「気を悪くしたら、すいません。小堺さんのお父さん、魔法使いを名乗る詐欺師だったんですか」


 小堺が怒りも隠さず暴露した。

「ええ、そうよ。楠木君がいうとおり、父は最初、普通の詐欺師だったのよ!」


(最初は普通の詐欺師だった? という言葉からすると、途中から魔法が使えるようになったのかな。でも、魔法の才能は、持って生まれたものの気がする。待てよ、小堺さんが魔法を使えるのは、確かだよな。だとしたら、誰に習ったのだろう。可能性としてはお母さんだ、とすると)


 楠木は段々と見えてきた真実を確認した。

「だけど、小堺さんのお父さんは、本物の魔法が使える小堺さんのお母さんと知り合って、お母さんにゴースト・ライターをやってもらった。そのうち、ローゼンベルク・功を名乗っているお父さんは段々と有名になっていった、とか」


 小堺が面白くなさそうに肯定した。

「当たっているわよ」


「お母さんが描けなくなると、今度は小堺さんが、ゴースト・ライターだったお母さんのゴースト・ライターをやっていたんですね。次に小堺さんが描けなくなると、小堺さんもゴースト・ライターを探してきた。あれ、そうすると、僕って結局、誰のゴースト・ライターだったんですかね」


        8


 小堺がキレ気味に返事をした。

「もう、わからないわよ。ローゼンベルク・功のオリジナリティなんて、とっくの昔に消えているわ」


 楠木は思わず聞いた。

「小堺さん、途中で止めようとか、思わなかったんですか」


 小堺が溜まっていた鬱憤を晴らすように喋り出した。

「それは、思ったわよ! でもね、父が亡くなってからも、母はローゼンベルクを演じたのよ。母が亡くなった時には、既に出版社ができていて、新人もたくさん面倒を見ていたの。私は母の跡を継いでローゼンベルクを演じながら我武者羅に働いていたわ。気が付いたら、もう全てを清算するのが困難なほど、多くの人の生活が私の肩に懸かっていたのよ。わかる? 凄い重圧よ」


「なんとなく、わかります」


 小堺が恐ろしい顔で怒鳴った。

「なんとなく、わかるですって! そんな簡単な言葉で、片付けて欲しくないわよ。描かなきゃいけないのに描けない。毎月の作家や社員の給与の支払いが、常に頭を離れない。ローゼンベルクが存命だと雑誌の取材もあるのよ。なのに時折、ローゼンベルクを殺そうとする馬鹿な殺人者がやってきて、バトルになる。一人じゃ、やってられないわよ」


「そういえば、小堺さん、あの殺人者は、どうしたんですか? 結構、腕が立ちそうでしたけど、小堺さんが実力でねじ伏せたんですか?」


 小堺が興味ないといった感じで評した。

「ああ。あいつなら、私のところまで来られなかったわよ」


 小堺の言葉はおかしい。楠木はきちんと、小堺が出版社にいるのを確認して殺人犯に居場所を教えた。


「殺人犯、間抜けにも住所を間違えたんですか?」


「違うわよ。楠木君が名刺を渡したせいで、出版社までは来たわよ」


 出版社まで来たのに、小堺さんのところまで来られなかった? 

 アトリエの鍵をものともせず侵入し、足音すら消すのに? 


 小堺の出版社っていった経験がないけど、どんな場所なんだ。

「あの、すいません、話が見えないんですけど」


 小堺が突如、質問を振ってきた

「楠木君は本物の魔法使いって、どうやって生活していると思う」


「それは、どっかの教祖様や政財界の大物の顧問とかでしょう。あと、考えられるのは、本を書いたり占いをしたり、または、マジック・ショーに出演したり、とかですかね」


 小堺が社会の不平等を訴える市民活動家のように声を荒げた。

「それは、社会に適応できた、ごく一部の成功者たちよ! 本物の魔法使いの多くは、なまじ特殊な人間だから、普通の会社じゃあ、うまくやっていけないの。魔道書作家になれるのも、ごく一部。社会からあぶれた魔法使いは犯罪に走らざるを得なかったりするのよ。そうならないように職を与えるのも、私の仕事なのよ」


(あれ、もしかして。小堺さんの出版社って、普通の人間がいないのかな)


 楠木は控えめな態度で確認した。

「小堺さんの出版社に勤める、他の編集者の人が僕の所に原稿を取りにきた過去がなかったですよね。あれはローゼンベルク先生の秘密を保持するためじゃなくて、僕のように魔法使いに理解がない一般人とコミュニケーションをとれる人材がいなかったから、ですか」


 小堺がすぐに認めた。

「そうよ。いつも原稿を遅らせる作家と、魔法使いに理解がない一般人の作家は、私がほとんど担当しているわ。楠木君が魔法使いだったら、迷わずアルバイトに原稿を取りにいかせたわよ」


 楠木は知らない内に殺人犯を罠に嵌めたと理解した。

 小堺が経営する出版社に勤める人間は全員が本物の魔法使い。


 つまり、殺人犯が小堺の出版社に出向くという行為自体、敵の(ひし)めく要塞に単身突撃を敢行するような自殺行為。


 殺人犯は小堺がいる部屋に辿り着く前に大勢の編集者兼魔法使いに魔法でフルボッコにされたのではないだろうか。


 出版社に行けば、編集者としては無能だが、対魔法戦闘だけは一流といったようなボディーガード的な魔法使いも、働いているのかもしれない。


 殺人犯には悪いことをした気もする。でも、殺人犯なので、自業自得だ。


        9


 心情を暴露した小堺の表情は、とても疲れているように見えた。

「ひょっとして、僕が小堺さんと会わなかったら、前のゴースト・ライターのお爺ちゃんが亡くなった時点で、ローゼンベルクが亡くなった事態を認めて、全ての重圧から解放されようとか、思いました?」


 小堺がいくぶん声を落として答えた。

「正直、もう終わりにしようと考えたかもしれないわ。私は、とっくに魔道書が描けないんだもの。新たなゴースト・ライターを探すにしても、ローゼンベルク名を付けて作品を出せる人材は、そうはいないのよ。ローゼンベルクの名前がなければ、利益が出ないから会社は大きな負債を抱える前に清算するしかないわ」


 小堺がそこで、しんみりと語った。

「だけど、ゴースト・ライターで雇っていた、鈴木さん。鈴木さんは、前にここいたお爺ちゃんのゴースト・ライターの本名ね。鈴木さんが描けなくなって困ったときに、楠木君を偶然、見つけた。利根崎の占いでも、楠木君には素質有りと出たから、まだ続けなければと思ったのよ」


 なんだか小堺に悪い気がしてきた。

「わかりました。もう、楽になりましょう。再来年、僕がローゼンベルク先生の最後の作品を描きますから。ローゼンベルク最後の魔道書の利益で、社員の退職金と取引先への支払いをして、会社を清算しましょう。魔法使いの皆さんだって、何年か出版社で働いて社会経験を積んだんです。普通の会社でも、やっていけますよ」


 小堺は物憂げな表情で言葉を漏らした。

「そうね、そろそろ潮時かもね」


 楠木は楠木自身、魔法が使える人間ではない性質なのはわかっている。わかっているが、きっと次の本を描いたら、また理由を付けられて小堺に本を描かされる予感がしていた。


 小堺は口では止めたいと発言している。でも、小堺が出版の仕事が好きなのは、付き合ってよく理解できた。それに、なにより情が深いので、結局は社員や新人作家を見捨てられないだろう。


 楠木も人生最後の版画を刷っていてわかった。

 版画を作るのが理由なく好きなのだ。今日、死ぬと思っても版画作りを止められなかった。

 おそらく、版画作りは、当分は止められない。楠木が版画を描き続けられるうちは、小堺も楠木も止まれない。

 そう、ローゼンベルク・功は、まだ当分の間、不死なのだ。

                                          【了】


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