第七章 霊能者バトルロワイヤル?
第七章 霊能者バトルロワイヤル?
1
折込広告の依頼は割高になったが、『魔道世界』側が引き受けたと連絡が十六日中に小堺よりあった。これでローゼンベルク殺した人物はおそらく、一ヶ月はやって来ないだろう。
「締め切りが一ヶ月は延びた。でも、あと一枚、一ヶ月で描けるだろうか」
ゴースト・ライターを始める前の楠木だったら余裕と答えたが、今はどうしても描ける気がしなかった。
楠木の不安は的中した、九月末になっても、下絵のOKが小堺から出なかった。
もう、ダメだと思い「もう、これでいいでしょう」と小堺に泣き付くと「折込広告の費用を出したのだから、質は落とせない」と一蹴された。
十月に入り、楠木が雑誌に載せた決闘予告日が迫ってきた。
アトリエにはもう近づきたくないのだが、家にいるとダメだとわかっていても辛い現実から逃避するためにゲームに走った。
楠木は楠木自身を追い込むために、アトリエに来るのだが、何枚となく描いても、いい図案が浮かばなかった。駄作が駄作を生む。創作の劣化製造ループに迷い込み、出られなくなった。
勉強もしている時間がないので、成績も落ちてゆく。
たった一枚の版画を作るだけなのに、人生の袋小路に入った。
そうしている間に、十月十日を迎えた。楠木はこの日もスケッチブックに向かって、絵とも線ともつかない塊を描いていると、小堺が現れた。
小堺が冗談ぽく楠木に声を掛ける。
「楠木せんせーい、作業は進んでいますかぁ~?」
楠木は手を止めて投げやりに「全然」と愛想を込めずに返事をした。
小堺が明るい調子でハンドバッグから、三通の封筒を取り出した。
「楠木君に手紙を持ってきたわよ」
編集部に楠木に宛てた手紙が来るわけがない。
おそらく、ローゼンベルクに宛てたファンレターだろう。本物のローゼンベルク先生はファンレターに対して、いつも返事を書いたのかもしれない。
読者は二千人程度で、本も毎年は出していない。ファンレターが来るといっても数が知れているので、返事を書くのは難しい行為ではない。
とはいえ、とてもではないが今の楠木にはとても、ファンレターに返事を書いている心境ではなかった。それに、ゴースト・ライターである楠木自身が返事を書いてよいわけがない。
返事を書くのは断ろうと考えた。それでも、手紙を読むだけは読んでみようと手に取った。
描けない苦しい時に小堺が持ってきた手紙だ。
きっと、中身は温かい励ましのお便りで、手紙を読んで描けずに苦しんでいる楠木を助けになれば、との心遣いに違いない。
楠木の予想は悪い意味で裏切られた。
三通とも文面や書体は違うが『十月十八日にローゼンベルクを殺す』と書かれていた。
楠木は思わず声を上げていた。
「殺人予告が増えている! しかも、三倍に増えている。え、なんで増えるんですか」
小堺が簡単に評した。
「原因は楠木君がインタビューで誰の挑戦でも受けるって答えたせいかしら。三通の内、二通はインタビュー記事を見て悪戯で出した人間かもしれないけど。挑戦を受けてくれるんなら、だったら俺もローゼンベルクを殺そうって考えた人物があと二人は出てきた可能性もあるわね」
余計なセリフを吐いたと、後悔したが、もう遅い。
2
小堺が二人分のコーヒーを淹れようとしたが、楠木は飲む気がしなかったので、断った。
楠木は落ち込みを隠さず、正直に感想を漏らした。
「三人の人間から殺人予告が来るなんて最悪だ。小堺さん、僕はもうダメだ。描けないよ」
小堺が簡単に言ってのけた。
「別に、いいわよ。締め切りだって、当初は来年中って約束だったし、無理して潰れちゃったら元も子もないからね」
小堺の言葉は少々意外だった。
「でも、十八日は、もうすぐですよ」
小堺が哀れむような視線を送りながら言ってのけた。
「やっぱり、そんな風に真剣に考えて、落ち込んでいたんだ。できないなら、逃げちゃいないさいよ。どうせ、十八日にローゼンベルクがいなければ、何人が来たって、結果は同じよ。殺人犯は、ローゼンベルクが逃げ出したと思うわよ」
ローゼンベルクのイメージを重視して売ってきた小堺の言葉とは思えなかった。
「いいんですか? 先生の名前に傷が付きますよ」
小堺は平然と否定した。
「名前に傷なんて、付かないわよ。だって、ローゼンベルクの家に殺人犯は来なくて、殺人犯が逃げ出した結末になるんですもの」
「どういう意味ですか?」
小堺が詐欺の裏側でも説明するかのような口調で解説した。
「あのね、真実が事実として語られるとは限らないのよ。声が大きいほうが真実になるの。『魔道世界』に殺人犯が『ローゼンベルクが逃げた』と犯行声明を送っても、ウチの出版社が『殺人犯のほうが逃げた』といえば、私たちの主張が通るのよ」
楠木はまだ小堺の言葉が信じられなかった。
「どうしてです? 逃げたのは、こっちなのに」
「殺人犯は『魔道世界』に犯行声明を出せても、広告依頼が出せないからよ。こっちは『魔道世界』に長年ずーっと広告を出しているのよ」
小堺がどこか自慢げに言葉を続けた。
「最近だって、小さな白い紙に数行の文章を印刷しただけの、個人がパソコンで五分もあれば作れそうな広告を、大金を出して載せたのよ。ウチの言い分を信じてもらわないとね。それに、来年にはローゼンベルクの新作が出るから、大型広告も掲載予定だし」
楠木は小堺の計算高さに驚いた。
「最初から、全て計算済みだったんですか! もしかして、折込広告を入れる段階で『魔道世界』側と話はついていたとか」
小堺が目を細めて、教師のように嗜めた。
「その辺の事情について、作家先生は知らなくてよろしい」
小堺が滔々と事情を語った。
「楠木君は甘いわね。『魔道世界』側にしても、あれだけローゼンベルクを持ち上げた記事を出しておいて、ローゼンベルクがあっさり敗北したら、前号の記事はなんだったんだ、ってなるわけよ。当然『魔道世界』側も、ローゼンベルクに勝ってもらわなきゃ困るわけ」
楠木は締め切りが延びた安堵感より、内情を今まで隠した小堺に不信感を持った。
「じゃあ、なんで広告を打って決めた段階、いざとなったら逃げ出していいって、僕に教えてくれなかったんですか」
小堺が美味しそうにコーヒーを啜りながら、いとも簡単に告げた。
「実際に、とことん追い込まれた楠木君を見たかったからよ」
楠木は唖然としながら、小堺の言葉の続きを聞いた。
「追い込まれた楠木君が、と~っても素晴らしい一ページを描いてくれるかもしれなかったからね。全ては、素晴らしいラストで終る良本を作るためよ。まあ、結果は、描けなくて期待外れだったわけだけどね。こればかり試してみないと、わからないから」
「ひ、酷い。酷すぎる、鬼だ、悪魔だ」
小堺が楠木の心からの声を聞いても、揺らぎない態度で反論した。
「酷くないわよ。良い本を作るためですもの。明日から業者を入れて一気に物を片付けるから、明日から十八日までは自宅作業でいいわよ」
力が抜けた。心配損だった。
3
翌日から、家で作業をしなければいけなかったのだが、作業はまるで進まなかった。気が抜けたせいか、仕事も勉強も手につかない。家でダラダラとゲームをして、無駄に時間が過ぎる。
いよいよ、決闘予告日の十八日になった。
夜寝る前に、これで今日、殺人犯が来て、小堺の手で鈴木さんの家に変わってしまった、ローゼンベルク先生の家に入ったら、どんな気分になるのだろう。
きっと呆然とするだろう。だが、相手は殺人犯だ。同情の余地がなんて一切ない。精々、小堺さんの手の上で踊ったらいい。
十月十九日。学校が終ってからローゼンベル先生のアトリエに向かった。ローゼンベルクの家は、外から見ただけでは何の変化がなかった。
おそる、おそる、ドアノブを回してみる。玄関ドアの鍵も掛かったままだった。
案外、誰もローゼンベルクの家に来なかったのではないだろうか。殺人犯といえど、やはり面と向かって報復宣言を出され、逆に怖くなったのかもしれない。
鍵を開けて中に入ると、以前はなかった画家の大きな油絵が玄関に飾られ、傘立ても壷から金属製の傘立てに替わっていた。
靴箱を開けると、アニメ・キャラがプリントされた子供の靴があり、老人が一人暮らししている家には見えなかった。
アトリエに続く廊下にも、前回やって来た時になかった油絵が飾られており、趣が変わっていた。
アトリエの扉を開けると、すぐに油絵独特の匂いがした。
大きなアルミ製の机にはビニール製の白いテーブルクロスが掛けられ、縦置きから横置きに配置が換っていた。
部屋の中に画家が画を描くときに使うイーゼルがあり、油絵の道具が棚に置かれている。
以前には存在しなかった観葉植物として、大きなゴムの木があり、空いている壁にはパッチワークで作られたタペストリーを飾ってあった。改装前を知る楠木には、別人のアトリエに見えた。
楠木は部屋のカーテンを開けようとして、テーブルクロスの端から伸びる人の足に気が付いた。とても嫌な予感がした。
だが、足を見てしまったので、ゆっくりとテーブルを回り込むと、見知らぬ三十代くらいの男が仰向けの状態で横たわっていた。
楠木は直感的に男が死んでいる気がした。一応、男の首筋に触れる。やはり、脈がない。口に手を翳したが、息もなかった。
「また、人が死んでいる。しかも、今度は全く知らない人だよ」
さすがに今度は警察にすぐに連絡しようと思った。が、手が止まった。
ここで見知らぬ人物が死んでいる状況で警察が来たら、ローゼンベルクの死体を隠した事実まで遡って悟られるかもしれない。
下手をすれば、ローゼンベルの殺害容疑を掛けられるかも。そうなれば厄介事に巻き込まれるのは必然。
楠木はまず小堺に電話した。
小堺がすぐに電話に出た。
「小堺さん。また人がアトリエで死んでいる。しかも、今度は、見知らぬ人だよ」
小堺がすぐに厳しい口調で命令した。
「なんですって、いいわ。すぐにアトリエに行くわ。楠君はとりあえず現場にいて。警察に連絡は、しなくていいわ、私がするから」
楠木はすぐにもアトリエから出たかった。でも、小堺が楠木の返事を聞く前に電話を切ったので、言いそびれた。
楠木はまず落ち着こうとコーヒーを淹れようとした。なのに、手が震え、うまく淹れられない。
それでもどうにかコーヒーを淹れると、見知らぬ男の死因が何か気になった。
見知らぬ男の顔はローゼンベルクが死亡した時と同じく、目を閉じて口を開いたまま、死んでいる。以前、小堺から、筋弛緩剤を用いて人を殺すと今のような状態になると聞いた。
アトリエにあった、ビニール手袋を嵌めて、おそるおそる男の袖を捲ってみた。
注射や点滴の跡は全然なかった。テーブルの上にカップもないので、毒物を飲ませた形跡もない。
流しは使った形跡がなく、カップを拭く布巾にも湿り気がない。毒物を使って殺しておいて、カップを洗ったとは考えられなかった。
楠木はどうにも不思議だった。いったい、見知らぬ男は、どうやって殺されたのだろう。
年齢からいって、老衰は考えられない。だとすれば、別の場所で毒物を飲ませて殺害してから、ローゼンベルクのアトリエに運んだのだろうか。
「まさか、雑誌の折込広告を見た殺人犯がローゼンベルク先生に罪を着せるために、死体を運んだとか。そうしておいて、今度はローゼンベルクが見知らぬ素人を殺したと吹聴するためにやった犯行?」
そこで、もう一つの可能性に気が付いた。
「まさか、死んでいるのは、全く知らない人物ではなく、ローゼンベルク先生を殺した殺人犯のほうかもしれない」
とても危険な予感がした。ローゼンベルクを殺した殺人犯は、なぜ殺されたのか。
考えられる理由としては、ローゼンベルクの死の真相を知っているからだ。
そうなってくると、小堺が犯人として有力だ。もし、小堺が犯人なら、新しい魔道書が発売されれば、次のターゲットはローゼンベルクの死を知る楠木自身かもしれない。
「やばい。やっぱり、警察に全てを話したほうがいいかもしれない」
震える手で警察に電話しようとしたが、また別の疑問を抱いて、手を止めた。
「でも、小堺さんが犯人なら、なんでアトリエに死体を置いたんだろう。小堺さんの話が本当なら、僕に死体を発見させずに、ローゼンベルク先生の死体と一緒に隠して置いたほうがよかったはず」
第一発見者を楠木にしたいがためなら理解できる。だが、第一発見者を楠木にしたところで小堺にメリットは一切ないはず。
犯行現場を誤認させて、アリバイ工作をしようとした可能性も排除できないが、警察が調べれば、死後に死体を動かしたのがわかるんじゃないだろうか。
それに、アトリエは表向き、鈴木さんの家になっている。
鈴木さんは実在しない人物だから、警察が鈴木さんに話を聞こうとした段階で、もっと色々な綻びが出てくる。
小堺が犯人なら、あまりにも計画が杜撰すぎる。小堺ならもっと緻密な殺人計画を考えそうな気がする。
楠木は頭を抱えた。
「わからない。死体は誰で、どうして、ここで殺されたんだ?」
4
アトリエの扉が急に開いた音がしたので、楠木は驚いて振り返った。
入ってきたのは、小堺だった。
「小堺さん。また、アトリエで人が死んでいるんですが、知っている人ですか」
死んでいる人間の顔を確認すると、小堺は押し黙った。
楠木は死んでいる人間に小堺が見覚えがあるのだと直感した。
「小堺さん、知っているなら、正直に教えてくださいよ。死んでいる人は、誰なんですか」
小堺が素っ気なく答えた。
「さあ、知らない人よ。泥棒かしら」
明らかに嘘を吐いているようにしか思えなかった。
ローゼンベルクの死体を調べた時と同様に、小堺が白い手袋を嵌めて死体を調べ始めた。
楠木は黙って死体を調べる小堺の作業を見守った。
十分くらいして小堺が立ち上がって、断定した。
「死因は突発的に起きた心筋梗塞ね」
「嘘だ! そんな、決闘予告日にアトリエに入ってきた泥棒が偶然、心筋梗塞で亡くなるなんて有り得ないですよ。絶対、僕に何か隠しているでしょう」
小堺は意外とあっさりと認めた。
「そうね、確かに苦しい言い訳ね。でも、私の考えを話しても楠木君は信じないから、どんな言い訳でも、同じよ。それより、寝室に行ってシーツを取ってきてくれる」
「シーツなんか持ってきて、どうするんですか」
小堺が当然だといわん口ぶりで発言した。
「包んで死体を運ぶのよ」
「だから、死体を偽装したり、隠したりするのは、止めましょうよ。素直に警察に事情を話しましょうよ」
小堺が楠木の提案を瞬時に否定した。
「それはダメよ。ここは役所の書面上は、鈴木さんの家になっているのよ。鈴木さんは実在しない人物よ。私たちが通報したら、もっともらしい言い訳が必要よ。私は警察の追及を乗り切る自信はあるけど、楠木君は無理でしょう。下手をしたら、楠木君は冤罪で捕まるわよ」
「元はといえば、ローゼンベルク先生の死体を隠したのが間違いだったんですよ。ここまで事態が悪化したら、素直に警察に事情を話すべきですよ」
小堺が困ったような表情で、楠木にやんわりと言って聞かせた。
「わからない人ね。だから、警察沙汰は、しばらくの間は無理なの」
「だ、だったら、ぼ、僕が通報しますよ」
楠木は携帯電話を取り出すと、物凄い速さで小堺に携帯を取り上げられた。
「警察への連絡は許さないわ。まずは、寝室からシーツを持ってきて。そしたら、何が起きたか、私の考えを話してあげるから」
嘘だと思った。シーツを持ってきたら、なし崩し的に死体を包んで運ばされるに決まっている。楠木は携帯を取り戻そうかと思った。だが、すぐに思いついた考えを棄却した。
小堺は見かけによらず力がある。なので、携帯の取り合いになれば、勝てる自信がない。
最悪、携帯の奪い合いになり、壊れて、中のデータが消えれば、大変だ。それより、シーツを取りに行く振りをしてローゼンベルクの居間にある電話で警察に連絡したほうがいい。
警察が来てしまえば、小堺だって覚悟を決めて正直に話すしかないはずだ。
楠木はアトリエとは反対側にあるローゼンベルク先生の居住スペースがある扉を開けた。
かってローゼンベルクが住んでいた居間も、すっかり様変わりしていた。
古いブラウン管の大きなテレビが大型四十インチ液晶テレビに替わり、ソファーも新しい物になっていた。
居間にあるテーブルには、鈴木さんが家族で住んでいた状況を表す子供用の椅子も置いてあった。無論、新しい電話もあるが、部屋に似つかわしくないものもあった。
似つかわしくないものは、男の死体だ。男の死体は、苦悶の表情を浮かべて横たわっていた。
もちろん、鈴木さんは架空の人物なので、横たわる人物は家の主の鈴木さんではない。
楠木は慌ててアトリエに向かって走り出していた。
アトリエの扉を勢いよく開けると、小堺に伝えようとしたが、言葉がうまく出ない。
「こ、小堺さん。居間で、ひ、人がもう一人、し、死んでいるよ」
小堺が顔を顰めたが、あまり驚いた様子がなかった。小堺が足早に居間に向かったので楠木も後を追った。
5
小堺が先ほどの男を調べたのと同じ手際で、死体を調べてゆく。楠木は内心かなり怯えながら、小堺の様子を見守った。
人間、生きていてれば、人の死に目に会う事態はある。だが、連続殺人の現場に居合わせる状況はあるだろうか。おそらく、まっとうに生きていれば、会わないだろう。
小堺が立ち上がって宣言した。
「おそらく、こちらも死因は突発的な心筋梗塞ね」
「う、嘘だ。それは絶対、嘘だ! 知らない人間が二人も他人の家に上がり込んで、心筋梗塞で亡くなるなんて、そんなの絶対に有り得ないよ」
小堺が微塵も動じる態度をとらず、切り返す。
「あら、絶対に有り得ない――なんて、有り得ないのよ」
「ぼ、僕は、もーう、騙されませんよ。なんか、この家では恐ろしい殺人事件が起きたんだ。ダ、ダメだ。この次は僕が殺されるー」
楠木は警察に電話しようと、居間にあった電話の機の受話器を持ち上げると、小堺がまたも素早い動きで反応した。
電話機の電話線を手にすると、小堺が乱暴に電話線のジャックを引き抜いた。
楠木は小堺の行動に激しく狼狽した。
「な、なにをするんですか、小堺さん。まさか、二人を殺したのは、こ、小堺さんなんじゃ」
小堺が険しい顔で、強い口調の言葉をぶつけてきた。
「落ち着きなさい、楠木君。ちゃんと事情を話すから。まず、アトリエに戻りましょう」
楠木は一瞬ちらっと逃げようかと思った。しかし、連続殺人の犯人が小堺であるなら、背後を見せるのはとても危険な気がした。
後ろを向いて玄関のドアノブに手を掛けた瞬間、刃物で背中を刺される映像が脳裏に浮かんで、消えなかった。
楠木は背後を見せないようにゆっくりと、アトリエに戻った。
小堺がそんな楠木の態度を見て、なにもそこまで警戒する必要ないといいたげな表情で視線を送っていた。
アトリエに戻って、死体を背に椅子に腰掛けた。
小堺がコーヒーを淹れ直したが、毒が入っているかもしれないので全く、手をつける気になれなかった。
小堺がいつもと変わらぬ口調で尋ねてきた。
「最初に言っておくけど、私の考えを聞いても、後悔しないでね」
楠木は小堺の言葉を聞いて、なぜか、二時間ミステリーで崖の上に追い詰められた探偵役の姿が頭に浮かんだ。
「それは、真実を知ったら、僕を生かしておかないという意味ですか」
小堺が呆れた顔で意見した。
「楠木君は、なにか大きな勘違いをしているようだから言うけど、私は二人を殺していないわよ」
「じゃあ、なんであからさまに、二人の死因が心筋梗塞だと嘘を吐くんですか」
小堺が止む得ないとばかりに話した。
「楠木君が私の言葉を聞いても信じないからよ。それに解剖しても死因が心筋梗塞になるのはおそらく、嘘ではないわ。この家には昨日、アトリエと居間で死んだ二人の他に、あと一人は人間がいたはずよ」
楠木は、小堺が言わんとしている言葉を理解した。
「それって、まさか、ローゼンベルク先生宛に殺人予告を出した三人が別々にアトリエにやって来たんですか。それで、かってに最初に遭遇した相手をローゼンベルク先生だと思って殺し合って二人が死んだ。そうして、残った最後の一人が家から出て行った、とでも言いたいんですか」
「おそらく、楠木君の予想どおりよ」
「じゃあ、なおさら警察に通報して、殺人事件として捜査してもらわないと」
小堺が顔を少しだけ歪めて異議を唱えた。
「それが、ダメなのよ。三人はお互いに魔法を掛け合って殺し合ったのよ。魔法で殺された場合、裏から手を回して解剖結果を改竄しないと、司法解剖の結果、殺人の証拠が出ないのよ」
楠木は小堺の言葉が全く信じられなかったので、すぐに異を唱えた。
「小堺さん、まだこの期に及んで、魔法があると言い張るんですか」
小堺が当然だとばかりに言い返した。
「言い張るもなにも、存在するものは存在するのよ」
楠木は頑固な小堺の態度に絶句した。すると、すぐに小堺が、それ見たことかと発言した。
「ほら、そんな顔をする。だから、死因の話をしたくなかったのよ」
「だ、だったら、小堺さん、魔法を見せてくださいよ。そうだ、テーブルの上にあるコーヒーカップを宙に浮かせてくれれば、話を信じますよ」
6
小堺がうんざりした表情で語った。
「私は、単なる編集者よ。編集者が魔法なんて、使えるわけないでしょ。それに本当の魔法使いに楠木君を会わせても、楠木君は手品だとしか思わないわ。本当の魔法使いにとって、きちんとした魔法を見せた上で否定されるのは、凄く傷つくのよ」
楠木は小堺に騙されるものかと、すぐに意見した。
「でも、小堺さんが傷つくわけではないでしょう」
小堺が腕組みして怒った顔で言い放った。
「楠木君は社会について、まるで、わかってないわね」
小堺が、わからずやの人間に言い聞かせるように諭した。
「社会人にとって人間関係は、財産なのよ。特に魔道書編集者にとって、魔法使いとのコネは貴重なの。魔法を信じない楠木君に本当の魔法使いに会わせて楠木君が紹介した相手を傷つけたら、せっかく築いた関係にヒビが入るのよ」
小堺の言葉は正論に聞こえた。でも、魔法使いがいるなんて、全く信じられない。
信じられないでいると、小堺がさらに畳み掛けるように言葉を投げてきた。
「編集者にとって専門家とのコネは、とにかく重要なの。それでも、まだわからないなら、もっと単純に、楠木君の立場に置き換えてくれてもいいわ。楠木君だって大切な友達を紹介した結果、友達が馬鹿にされて、大切な友達関係がおかしくなったら、困るでしょう」
小堺のいいたい理論はわかる。だが、また、徐々に騙されていっているような気がした。
「わかりました。魔法を見せてくれとは、いいません。でも、殺されたのは、確かなんですよね。だったら、警察には知らせないといけないですよね」
「司法解剖の結果も、殺人とは断定できないはずよ。警察は魔法に関する知識がないもの。でもね、警察官の立場で考えてよ。司法解剖の結果がどうあれ、捜査するのは人間なのよ。全く見ず知らずの人間が勝手に知らない人間の家に上がり込んで、二人も病死した、なんて普通は思わないわよ」
小堺が一気に捲し立てた。
「司法解剖の結果を信じず、殺人事件として捜査が始まる。そうして、捜査線上に上がるのは私と楠木君よ。本当に魔法で殺した殺人犯は、捜査線上には上がらない。私は言い逃れる自信があるけど、楠木君に警察の取調室で自白を強要されたら、嘘の自白しない自信は、あるの」
冤罪事件のドキュメンタリー番組を見た記憶が蘇った。もし、同じ状況になって自白を強要されたら、最後まで自分は無実であると言い切る自信は楠木にはなかった。
楠木が何も言えないでいると、小堺がダメ押しした。
「それに、三人がローゼンベルクの家に集まった原因は、楠木君の挑発にあるのよ」
確かに誰の挑戦でも受けるとインタビューで答えたのは、楠木自身だ。
「それは、そうですけど。まさか、こんな事態になるなんて」
「私だって、残り二通は悪戯だと思ったよ。でも結果、楠木君の挑発がもとでローゼンベルクを殺そうとした三人が集まって殺し合いになったのよ」
「後悔しない」と断ったのは、このためだったのか。
小堺の言葉は正解かもしれないが、何か釈然としない。だが、魔法を使ったかどうか別にして、殺し合いになったのは事実だろう。
楠木が現在の異常な状況を引き起こしたのではと良心が痛むと、小堺がすかさずフォローした。
「楠木君は知らないけど、あの二人は、ちょっとは名の知れた魔法使いなの。それも、魔法を悪用して人を殺す悪人だから、あまり楠木君は気に病むことはないわ」
小堺が演技かもしれないが、どこか諦めた口調で締めた。
「冤罪の濡れ衣も着せられるかもしれない危険を冒しても警察に行くというなら、止めないわ」
だが、最後に一言を付け加えるのは忘れなかった。
「だけどね。一言、言っておくわ。私は私を守るためなら、なんだってするわよ」
冤罪をちらつかされて、いきなり突き放されると、不安になった。
7
「じゃあ、小堺さんにとっては、何がベストなんですか」
「そうね、とりあえず、二人の死体を車に乗せるのを手伝ってくれるかしら。そこまでしてくれれば、後は私がうまく処理するわ」
前回は小堺に全てを任せた結果、現在にいたる。
全てを小堺に任せていいのだろうか。楠木は連続殺人事件を前に葛藤したが、今度は警察に通報しようと、一度は決意を決めた。
「やはり、無理です。警察に連絡します」
「そう、さっきも言ったけど。覚悟があるなら止めないわ。だけど、これだけは覚えていてちょうだい」
楠木は小堺がまた脅してくるのかと思って身構えた。
けれども、小堺の言葉は違った。
「最後の一ページは、必ず仕上げてもらうわよ」
楠木は一気に気が緩んだ。
「ちょっと、待ってくださいよ。事態がここまで来たら、本を作っている場合ではないでしょう。本作りは中止でしょう」
小堺は断固たる口調で宣言した。
「それは、楠木君が勝手に思っているだけよ。最後の一ページは、なんとしても描いてもらうわよ。警察に事情を全て話すのは認めても、原稿を落とすのだけは認めないから。冤罪で拘置所に入っても、どんな手を使っても原稿を取りに行くわよ。逆に最後の一ページさえ、入稿してくれれば、あとはどうしたって構わないわよ」
小堺さん、人間としてはどうかと思うが、編集者としては立派だなと、心のどこかで思った。
楠木は一度、じっくり考えてみた。
ローゼンベルクの死の隠蔽に関わったのは事実。挑発的なセリフを発言したのも確かだ。
魔法が存在するのかはともかくとして、捜査線上に楠木の名前が上がる展開も、有り得る気もする。
楠木部屋には六百万円近い現金もあり、ゴースト・ライターで稼いだといっても、小堺が証言してくれないと、警察はなんと考えるだろう。
最悪、犯罪の取り分を巡って争ったとして、殺人の冤罪を着せられる気がしてきた。
よく考えると、警察に通報するのはあまり賢い選択ではない気がしてきた。
気がしてきたのだが、警察に通報しない思考に傾いている段階で、すでに小堺のマジックに嵌っている気がする。非常に悩ましい。
楠木が悩んでいると、小堺が絶妙のタイミングで提案した。
「わかりました。取引しましょう。楠木君は最後の一ページを私に渡す。最後の一ページを受け取ったら、私がローゼンベルクの死体を隠した件も含めて、事情を全て警察に話して、泥も全部、私が被るわ」
楠木は小堺の言葉を聞いたが、半信半疑だった。
「本当ですか?」
小堺が真剣な顔で明言した。
「本を出すためだったら、それくらい、するわよ」
普通の人間の言葉ならば、信用できない。信用できないのだが、本を出版する行為に関してのみ、殺人時にメッセージを残す猟奇殺人犯にも似た執着ともいえる情熱を、小堺は持っている。
小堺は本を出版するためなら、本当に死体を隠したと警察に申告しかねないと思った。
楠木は迷った結果、逃げると決めた。
最後の一ページを渡して、小堺に問題を丸投げしよう。
後で問題になったとき、小堺の提案を飲んでおけば、小堺が全てを警察に話すといった言葉を信じたと言い訳ができるかもしれない。
卑怯な考え方かもしれないが、事態はもう、楠木の手に余るくらいに大きくなってしまった。