第六章 締め切りと殺人犯
第六章 締め切りと殺人犯
1
早乙女が帰ると、小堺がICレコーダーをすぐに停めた。次にレオンに指示を出すと、レオンが特殊メイクを外してくれた。
小堺が英語で何かレオンに話して、小切手を渡すと、レオンは「ありがとう」と片言の発音で礼を述べて帰って行った。
小堺が明るい表情で話しかけてきた。
「一時は、どうなることかと冷や冷やしたけど、なんとかなったわねー」
楠木はすかさず抗議した。
「なんとかなったじゃないでしょう! ローゼンベルク先生は殺されたんですよ。他殺の線はないって、小堺さんが僕に言ったんですよ。早く警察に届けて捜査してもらわないと」
小堺が新しい豆の袋を開けて、悠然とコーヒーを淹れながら、平然と言ってのけた。
「警察はまずいわよ。ローゼンベルクの死体はカチカチに凍っているんだもの。今この状況で届けたら、私たちも捕まるわよ」
「私たち、ってなんですか。たちって。僕は知りませんよ! 小堺さんが全て、一人でやった行為じゃないですか。僕を巻き込まないでくださいよ」
小堺がコーヒーを楠木の横に置いて、にこやかな顔で発言する。
「いやだわー。もう、共犯みたいなものでしょう」
「断じて違いますってば。僕は、何も知りませんよ!」
小堺がすぐに朗らかに揚げ足を取った。
「何も知らないなら、問題ないでしょう。さあ、はりきって作画に取り掛かろうー」
「誤魔化さないでください。もう、完全に危険ですって。このアトリエに殺人犯が来たんですよ。本なんか造っている場合じゃないですって、警察に犯人を捕まえてもらわないと」
小堺が小堺用に淹れたコーヒーを飲みながら、宥めるように発言した。
「犯人を捕まえるのは無理よ。だって、ローゼンベルクが殺された確固たる証拠がないんだもの。死体の写真があっても、死体は動かしたでしょ。手紙の文面も『殺す』じゃなくて『殺した』でしょ。死体がないなら悪戯の範疇だから、忙しい警察は動いてくれないわよ」
楠木は事態がここに至って、小堺が最初からローゼンベルクの死を他殺だと知っていたのではないかと疑った。
「小堺さん、まさか、全てを知っていて僕を騙したんですか?」
「騙したなんて、人聞き悪いわ。たまたま、一番良い方法を模索した結果、今の状況になっただけよ。結果、楠木君はこうして生きているし、本だって出せたから、悪い方向に進んでないわ」
楠木は小堺に「貴女は、本さえ出版できさえすれば、それでいいんですか」と糾弾しようとした。だが、素直に「うん」と簡単に言われそうな気がしたので、発言するのを止めた。
代りに、別の気になっている情報を尋ねた。
「一つ、正直に教えてください。ローゼンベルク先生が殺害された方法って、小堺さんは心当たりがあったんですか?」
小堺は普通に言ってのけた。
「ローゼンベルクの殺害方法は魔法によるものよ」
楠木は、はぐらかされたと思い怒った。
「小堺さん、本当に怒りますよ。魔法で人が殺せるわけないでしょう!」
「殺せるわよ。私だって、人の一人や二人、殺せる魔法は使えるわ」
完全に小堺のペースだ。このままだと、いいように騙される。惰性で仕事に戻される。
「聞き方を変えます。魔法以外の方法で、ローゼンベルク先生の死後の状態から考えられる殺害方法は、存在しないんですか?」
小堺がいとも簡単に提示した。
「あるわよ。筋弛緩剤を投与して殺害すると、目を閉じて、口を大きく開けたまま、眠ったように死ぬわ」
楠木は一瞬、うっと言葉を失ってから、抗議した。
「小堺さん、ローゼンベルク先生の死体を見たとき、毒殺による可能性を否定したでしょう」
「したわよ。だって、見た限り、点滴注射の跡はなかったし、乾いたコーヒーカップの中身を見ただけじゃ、薬が入っていたかどうか、なんてわからないでしょう。だから、あの時点では真偽不明で否定したのよ」
(小堺さんは、人の皮を被った悪魔だよ!)
楠木は猛然と意見した。
「それじゃあ、やっぱり発見時点で警察に知らせるのが正しい判断でしょう。なんで、警察を呼ぼうと思わなかったんですか」
小堺が当然といった口ぶりで答えた。
「本が出版できないからに決まっているでしょう」
楠木は小堺の言葉を聞いて、背中にぶっとい氷柱を入れられたような気分だった。
ある意味、小堺はローゼンベルクを殺した異常者並みに恐ろしい思考の持ち主だ。
(小堺さんは、本を作るためなら、なんだってやるんだ。編集者って皆、こんな思考の持ち主なの。もう、ある意味、修羅の域だよ)
2
楠木は、すぐに恐ろしい考えが浮かんだ。
(筋弛緩剤の点滴ができないなら、服用させればいい。毒を飲ませる行為が可能なのは身近な人物だ。ひょっとして、描けなくなってローゼンベルク先生は用済みとして殺したのは、小堺さんかも! 小堺さんが殺人犯なら、警察に届けなかった説明が付くよ)
楠木は、そこで楠木自身が飲んでいるコーヒーが、いつもと違う味がしているのに気が付いた。
(筋弛緩剤入りのコーヒーって、どんな味がするんだろう。まさか、ローゼンベルク先生が飲んだ最後のコーヒーって、こんな味がしたのかな。知り過ぎたゴースト・ライターは消される運命なの? ハッ、家族に、このアトリエに出入りしている事実を知らせていないよ)
楠木がジッとコーヒーカップを見ていると、小堺が楽しそうに発言した。
「あ、わかった」
小堺の言葉にドキリとしたが、小堺が陽気に言葉を続けた。
「アトリエの豆が切れていたから高いのに替えたのよ。焙煎も、シナモン・ローストからフレンチ・ローストにして淹れてみたの。どう、こっちのほうが美味しいと思わない? 私は、こっちのほうが断然、好きなのよね」
「ほ、本当に、豆を替えただけなんですよね? なんか混入させていたり、しませんよね」
小堺が目をパチクリさせて、笑いながら話した。
「嫌だわ、楠木君ったら、私を疑っているの? ない、ない。魔道書を描ける楠木君は、金の卵を産む鶏よ。そんな金の卵を産む鶏の腹を割くなんて、馬鹿のする行いよ」
小堺の発言を深読みするなら「金の卵を産めなくなった鶏なら食べちゃうわよ」ともとれる発言だ。
(よし、ゴースト・ライターを、辞めよう! いくらお金があっても、殺されたら元も子もない)
楠木は改まって申し出た。
「もう、ゴースト・ライターを辞めさせてください。お金があっても、殺されたら、意味ないです」
小堺が即刻に普通に「却下します」と述べた。
「却下しますって、僕はもう描きませんよ。殺されたくないです」
小堺が宥めるように、軽い感じで声を掛けてきた。
「大丈夫わよ。殺されはしないわ。メイクをしていない楠木君とローゼンベルクは、全く外見が違うんですもの。ローゼンベルクを殺したい人間がアトリエに来て楠木君を見ても『あれ、いるのは、アシスタントだけ。ローゼンベルクは留守か』と思って帰るわよ」
小堺の言葉を聞いても、全く安心できなかった。
「小堺さんの言う通りになるとは限らないでしょ。アトリエでばったり鉢合わせしたら『顔を見られたから、しかたない。お前にはなんの恨みもないが、死んでもらう』って居直り強盗殺人犯のように考える可能性だって、大きいでしょ」
小堺は楠木の意見に、すかさず代案を出した。
「じゃあ、こうしましょう。ローゼンベルクが家を売り払って引っ越したように、転居届を出して偽装する。今は表札を出していないけど、『鈴木』とでも大きな表札を掲げておけば、殺人犯も『あれれ、ローゼンベルク、引っ越したんだ』と思うわよ。それなら殺人犯は家に入る前に帰るでしょ」
「相手は殺人犯ですよ。異常者ですよ。転居先を調べてローゼンベルク先生がいなかったら、偽装引っ越しを、すぐに疑いますよ。それに、犯人は一度、このアトリエに侵入しているんです。偽装引っ越しを疑って中に入って、家具の配置やアトリエのレイアウトが変わってなければ、すぐに偽装がバレますってば」
小堺がうんざりしたように発言した。
「ほんと、肝の小さい男ね。わかったわ、偽装引っ越しにプラスして、家の家具を全部すっかり入替えして、アトリエも模様替えする。それで、警備会社のホーム・セキュリティにも加入すれば、満足かしら。ただし、費用が掛かるから、本はあと二冊は出してね」
「二冊って、勝手に僕の仕事量が増やさないでくださいよ! もう、辞めたいんですってば。それに、魔道書なら一冊でも、億単位の利益が出るでしょう。一冊でも出せば、ホームセンターで安い家具を買って入れ替えて、警備会社と契約しても、元が充分に取れますよ」
小堺がすかさず結論づけた。
「どうやら、結論が出たようね。まずは一冊、描く。それで手を打ちましょう」
いいようにやられたと思った。結局は辞められず、現状維持となってしまった。
3
楠木は次の日から、同じ日常に戻った。
変わったのは、殺人犯がまたアトリエに来る可能性がある事実だけ。
ローゼンベルクの家には次の日に、大きな『鈴木』の表札が掛かり、窓に某有名警備会社のステッカーが貼られた。
某有名警備会社のステッカーは貼られたが、室内には監視装置もなければカメラやセンサーがないので、警備会社との契約はしていないようだった。
ステッカーだけの販売はしていないはずだが、小堺が非正規ルートで入手してきた。つまり警備会社のステッカーは、貼っただけの飾りだ。
楠木は窓にステッカーを貼り終わった小堺に、どこか諦めの気持ちを持って抗議した。
「小堺さん、表札とステッカーだけって、話が違いませんか」
小堺は全くに気も留めずに返事した。
「だって、家具の入替えや、レイアウトの変更も、馬鹿にならないお金が掛かるのよ。節約できるところは節約しないとね。お金は大事に使うものよ」
「僕の命が懸かっているんですけど」
小堺が他人事だと思って気軽に流した。
「大丈夫だって。インタビューが載る『魔道世界』は、隔月で出版されているのよ。七月発売号の次号予告には、ローゼンベルクのインタビュー記事の予告がなかった。つまり、九月発売号には、インタビューは載らない。載るのは十一月発売号よ。殺人犯の心理としては、インタビューが掲載される『魔道世界』の発売されるまで、きっと部屋でニヤニヤしながら、待っているって」
不安が消えなかったので、正直に告げた。
「でも、九月発売号には次号予告で『ローゼンベルク先生のインタビュー』って見出しがあったら、殺人は『あれ』と思うんじゃないですか」
「そこは大丈夫みたいよ。九月発売号の次号予告の見出しは『ローゼンベルク死亡説の真偽』として引っ張るみたいだから、十一月発売号を読まないと、殺人犯もローゼンベルクが生きてインタビューを受けた状況を把握できないわ」
今のところは安心なのだろうか。でも、もう早く辞めたい。
「わかりました。一つ確認させてください。本はあと一冊、出せばよくて、十一月までに残りの版画が完成したら、アトリエに来なくてもいいんですよね」
小堺が表情を緩めて提案した。
「そこなんだけどね。楠木君、魔道書作家として、新人デビューを考えているなら相談に乗るわよ。もちろん、下積みからだから、そんなにお金は払えないけれど、どう?」
楠木はキッパリと断った。
「やりません。もう、魔道書作家は懲り懲りです。すぐに作品を完成させて、十一月には身を隠します」
小堺が宛てつけがましく発言した。
「でも、そうなると、あれだけインタビューで勇ましい発言したのに、ローゼンベルクが逃げたみたいな格好になるわー。せっかく一世紀に渡って築いてきたローゼンベルクのイメージに最後で傷がついちゃうわ」
小堺が楠木をチラリと見た
「どうにかならないかなー。ローゼンベルクの名誉を守るためなら、多少の費用が掛かってもいいんだけどなー」
「僕は、もう騙されませんよ! ローゼンベルク先生の名誉って言いますけど、本当は最後の本を出して後に、既刊本を処分するためにローゼンベルク・フェアとか、やって儲ける気なんでしょう。僕が去った後は、小堺さんが辻褄を合わせてくださいよ! こっちは命が懸かっているんですからね」
来年中だった締め切りが十一月中旬に繰り上がったのは苦しい。それでも、どうにか早めに描いてしまおうと、心に決めた。
心に決めて以来、仕事をせずにDVDを見たり、ゲームしたりする怠ける行為を封印した。
楠木は家でもアトリエでも、版画の図案を考える作業に没頭した。
4
命が懸かってきたので、今までにないほど努力し、頭を捻って版画の着想を得ようとした。すると、八月の終わりまでに二十枚近くも版画の下絵が描けた。
あまりに順調に下絵が進むので、楠木自身が恐ろしくなるほどだ。ただ、二十枚のうち小堺が要求する水準に達したのは、九枚だった。
残り一枚で、ゴースト・ライターの仕事とも、おさらばだ
おさらばなのだが、九枚の秀作ができた段階で反動が出た。創作意欲が尽きて、下絵が全く描けなくなった。
正確には下絵は描けるのだが、小堺がOKを出してくれなくなった。
OKが出ない理由は、別に小堺が意地悪をしているわけではない。
楠木自身も、できてくる作品が、なにか頭に強く印象が残る作品ではないと感じていた。
過去の作品と似たり寄ったりの物しかできなくなった。
描けなくなってといっても、時間は無常に過ぎてゆく。
いつか描けるように戻るとは、確信があった。おそらく、来年の春まで待てば、完成するだろう。
だが、十一月中旬を過ぎれば過ぎるほど、ローゼンベルクを殺した殺人犯が再度やってきて遭遇する確率が高くなる。
楠木は、描けないまま時間を過ごすのは無駄なのはわかっていた。そこで、下絵から版木に下絵を写し、刷る作業に入っていた。
「参ったなー。最後の、あと一枚ができないよ。ローゼンベルク先生の辛さが、やっとわかったよ」
使えるものならゴースト・ライターを素直に使いたいと思った。
一度、遠回しに小堺に「一枚なら、外注ってできませんかね」と冗談ぽく相談した。
小堺が「楠くーん、その冗談、面白くないわ」と笑顔で返されたが、小堺の瞳は笑ってなかった。なので、どうしても楠木が最後の一枚を仕上げなければいけない。
楠木がアトリエで、既にOKが出た九枚を刷り上げて一息ついていると、小堺がアトリエに入ってきた。
小堺が片手に紙袋を、もう片方にビニール風呂敷に包まった寿司桶を持っていた。
小堺が陽気な口調で楠木を激励するように、ビニール風呂敷に包まれた寿司桶を掲げた。
「お、頑張っているわね。まさか、こんな短期間で九枚もできるとは思わなかったわ。そんな頑張っている楠木君に、差入れでーす」
楠木は寿司桶を見て、非常に嫌な予感がした。
小堺が刷り上った九枚のカラーの版画を並べて見て、感想を加えた。
「やっぱり、カラーはいいわね。前回は、お値段据え置きにしたけど、これなら魔道書の単価を上げても、きっと売れるわね」
楠木は、それとなく言葉を添えた。
「最後ぐらい、読者にサービスして、価格据え置きでもいいと思いますよ。コスト的には前回と変わっていないわけですし」
小堺が楠木の言葉に構わず、版画がきちんと乾いているのを確認する。版画と版画の間に中性紙を挟んでアトリエにあった大きめの紙袋に入れた。
作品が入った袋を汚れない位置に移動させると、テーブルを綺麗に拭いて、寿司桶をテーブルの上に置いた。
寿司桶の中には以前に見たのと同じ特上寿司が入っていた。
「あの、小堺さん。用件は差し入れだけでは、ないですよね。何度もいいますけど、作品が早く仕上がっても、今回で最後ですからね」
小堺が「まあまあ、座っていてよ」と言葉を濁したのが、また、嫌な予感を倍増させた。
寿司を摘める状態にすると、小堺が先に箸を付けた。
「楠木君も遠慮せず食べてよ。私の奢りよ」
「私の奢りっていっても、正確には会社の経費で出ているんでしょ。もっと、はっきりいえば、ローゼンベルク先生が受け取れなかった魔道書の利益から出た寿司ですよね」
小堺が可愛らしく怒った。
「もう、そんな野暮な言葉を言わないの。さあ、楠木君も、お寿司が乾かない内に食べる、食べる」
楠木は最初どうも箸を付ける気になれなかったが、最終的には食欲に負けて寿司に箸をつけた。特上寿司は悲しいほど美味しく感じた。
5
前回と同様、途中まで食べたところで、小堺が話を切り出した。
「楠木君、ちょっと話があるんだけど」
楠木は即座に反応した。
「もう、描きませんよ。次の一枚で最後ですよ」
「違うわよ。魔道書の件じゃないわ」
小堺が生温かいような笑顔で、少しだけ言いづらそうに発言した。
「あのね、『魔道世界』の編集長が張り切っちゃってね。次号予告の内容を大幅に変更したの。九月発売号には、ローゼンベルク特集が載るのよ」
楠木の箸が停まった。
「それって、まさか、九月発売号に、ローゼンベルク先生のインタビューが掲載されるんですか」
小堺が申し訳なそうに、半笑いで応じた。
「うん、その、まさか」
「ちょっと待ってくださいよ! 小堺さん、話が違うじゃないですか。『魔道世界』側は十一月発売号まで話を引っ張るっていったじゃないですか」
小堺が楠木を宥めながら発言した。
「まあ、そう怒らないでよ。『魔道世界』には『魔道世界』側の事情があるのよ。それに、ローゼンベルク特集だから、過去の作品にも触れてくれるわけでえ、最新本だけじゃなくて、既刊本にも光が当たるのよ」
小堺が既刊本を売るために、楠木を売った。
楠木は息もつかせず詰め寄った。
「ちょっと、待って。エーッ。今日は九月十六日ですよ『魔道世界』の発売日って、いつですか」
小堺が苦笑いで発言した。
「明後日の発売予定」
「明後日って! 最後の一枚、絶対に間に合いませんよ」
「そんなに怒らないでよ。私だって、今日、知ったのよ」
「う、嘘だー。インタビューの内容の確認とかで、絶対に『掲載される内容は、これでいいですか』って『魔道世界』側から記事の内容確認と、いつ掲載されるとかの話が、あったはずだー」
小堺が楠木から目を逸らした、言い訳した。
「そ、それは一応、あったわよ。でも、ウチは小さな出版社でしょ。たまたま、私の担当する作家の出版スケジュールが四重五重にもなっていてね。もう、頭が出版スケジュールをこなすので満杯。それで楠木君に報告するの、忘れたのよ」
楠木は猛然と抗議した。
「そこは、忘れちゃダメでしょ。僕の命が懸かっているんですよ」
「それを言うなら、作家だって生活が懸かっているわよ」
楠木はとても雑誌の内容が気になったので、強い口調で要求した。
「十八日の発売予定なら、もう雑誌の見本くらいは刷り上っているでしょう。インタビューを受けたんだから、事前に入手できていますよね。ちょっと、どんな記事が載っているのか知りたいんですけど」
なぜか、小堺が笑ってごまかした。
「はは、やっぱり、見たいかなー」
「見たいに決まっているでしょう!」
小堺がアトリエに持ってきた紙袋から茶色い封筒を取り出して開けた。中には発売前の『魔道世界』が入っていた。小堺がそっと『魔道世界』を差し出した。
すぐに『魔道世界』の表紙に『怒れる大魔道師ローゼンベルク、一世紀に渡り封印していた禁断の術を解放! 決闘の狼煙』の文字が躍っていた。
(なに、これ! もう、殺人犯と正面切って戦う展開になっているよ。しかも、この見出し、かなり煽っちゃっている。これ、見出し見ただけでも、殺人犯がローゼンベルクは生きていているのが丸わかりだよ)
6
楠木は見出しを一瞥しただけで、中を読むのは怖くなった。怖いが中を見ずにはいられない。
恐る恐るページを開いて、中身を読んだ。
前半はローゼンベルクがいかに凄い魔法使いかが語られているかだけなので、問題はなかった。問題はその後だった。インタビューの中身が予想してものより過激な内容になっていた。
インタビュー前半の昔話は、全部カット。
序盤は緒方静子の魔法と雑誌記者が対談により二人がローゼンベルクは本物であると認定。同時に雑誌は殺人犯が間抜けにも人違いで一般人を殺害したと明記。
さらには、インタビュー中にローゼンベルクが服部無二斎を呼びつけて、勝負を挑んで実力を見せつけ、追い返す。
中盤は魔法を少し齧っただけの素人もどきの殺人犯がローゼンベルクの友人である一般人を殺したと指摘。ローゼンベルクが犯人の幼稚さ未熟さを語彙豊富に罵倒。
終盤に殺人犯は、この世に存在してはならない悪だとローゼンベルクが断言。ローゼンベルクは一世紀に亘り、使うまいとの決めていた秘術を駆使して、犯人を確定。
締めに、偉大なる魔道師ローゼンベルクが友の仇を討つために義憤も露に立ち上がったという内容だった。
インタビュー記事を読み終わった、楠木は小堺に猛然と食って懸かった。
「こ、小堺さん。何、これ! インタビューの内容って、年末の長時間ドラマにもできそうな、仇討ち復讐劇の幕が斬って落とされた的なものではなかったですよね。これ、下手したら映画の宣伝ですよね!」
小堺が半笑いで宥めた。
「まあ、インタビューって、人がするものだし『魔道世界』も売り上げの関係があるから、多少の脚色はあるのよ」
そんな説明では、納得がいかなかった。
「多少どころではないですよ。やり過ぎですよ! しかも、僕が話していない言葉が至るところに載っているんですけど。いくらなんでも脚色しすぎだと『魔道世界』に抗議しなかったんですか」
小堺は人差し指と人差し指をもじもじと絡ませながら、弁明した。
「だからね。その、インタビューでの楠木君の発言があまりにもお粗末だったから、ちょっと手を加えなきゃダメだったのよ。でもね、ファイルを修正する作業の時には仕事が忙しくて、もう早朝だったのよ」
楠木はなぜ小堺が『魔道世界』に抗議しない理由を聞いたのに、小堺側の作業の内幕を弁明するのか、最初は理解できなかった。
小堺がいいづらそうに言葉を続けた。
「だからね、修正作業するときに徹夜明けで、少しハイになっていたのよ。そうしたら、脳内でアドレナリンが出まくって、次々と面白いストーリーが浮かんだの。面白いと思ったストーリーを全部ごっそり盛り込んだら、こうなってね。インタビューの内容確認が送られてきた時には、何も言えない状況に……」
小堺の言葉は、最後には消えていた。
楠木は絶叫した。
「全て、あんたがやったのかよ!」
小堺が怒ったような口調で強引に責任転換を図った。
「でも『魔道世界』の早乙女だって、インタビュー中メモを取りながら聞いていたのよ。私が送ったファイルがおかしかったのなら『おかしいです』って一言なきゃ変でしょう。なのに、何も言わないで記事にしたのは、全て雑誌の売り上げを伸ばすための『魔道世界』の陰謀よ!」
小堺の言い逃れは半分は当たっている気がした。
おそらく、早乙女も送られてきたファイルを見て、インタビューした内容が違っていたのにすぐに気が付いただろう。けれども、送られてきたファイルの内容のほうが面白かったので、おかしいと承知の上で採用したのだろう。
小堺が送ったのなら明らかな嘘であっても、責任は小堺サイドにあると、したたかな計算の上でだ。
楠木は、本を作る人間ってつくづく怖い存在だと感じた。
7
楠木は恐ろしくなり、席を立った。
「に、逃げないと、早く逃げないと、殺人鬼がやって来る」
小堺がどうしたらそんなに早く動けるんだという速度で、楠木の進行方向に立ち塞がった。
「ダメよ! 逃亡は許さないわ。本を完成させて。完成させるまで、逃がさないわよ」
「元はと言えば、小堺さんのせいでしょう! あと、一枚くらい足りなくても、本にできるでしょう」
小堺は真剣な顔で拒絶した。
「三十ページの本を二十九ページにして価格が同じだったら、実質、値上げになるでしょう。作者が仕事を放り投げたせいで値上するなんて、本を作る人間として恥ずかしいと思わないの!」
それを言うなら、ゴースト・ライターを使って読者を騙しているのは、どうなんだと問いたい。
だが、そもそも論の議論は時間の無駄だ。楠木は必死で言い返した。
「だったら、本体価格を一ページ分、下げればいいでしょう。もしくは一ページは、別の人に描いてもらってくださいよ」
小堺が負けじと大声で反論した。
「本体価格を下げたら、利益が減るでしょう! それに、二十九ページまで同じで、最後の一ページだけ違ったら、買ったほうもがっかりするわよ。それにね、版画の多色刷りで魔道書を描ける作家なんて、滅多にいないのよ。滅多にいないから前回、三千部の大台に載ったのよ。三千よ! 三千。どれだけ儲かったと思っているの」
「結局、お金じゃないですか!」
小堺が顔を引き攣らせて、開き直った殺人犯のように断言した。
「そうよ。世の中は金よ。金が全てで何が悪いの。自社ビルの税金を払うのも、社員の給与を払うのも、新人魔道書作家を育てるのも、金よ。金がなければ、大勢の人が困るのよ」
楠木は小堺にも危険なものを感じて、逃げねばと率直に感じた。
小堺を押しのけて逃げようとした。ところが、小堺の力は意外に強く、小堺が振り切れなかった。
「どいてください、小堺さん。僕は、もう嫌だー」
「そっちこそ、諦めて素直に描きなさい」
二人は「帰せ」「帰さない」で、しばらく揉めた。
最後には楠木が体力負けした。
とりあえず、椅子に座って仕切り直しの展開になってしまった。
楠木は泣き付いた。
「もう、ダメです、僕は異常者に殺されますよ」
小堺が少し恥らったように発言した。
「貴方は死なないわ。だって、私が守るもの」
「そんなエヴァの名セリフのような言葉を使っても、ごまかされませんよ。小堺さんは、僕がいなくなったら、新しいゴースト・ライターを探すだけでしょう」
楠木は頭を抱えた。
「ああ、もう、どうしたらいいんだろう」
小堺は編集らしく、いたって平然と切り返した。
「だから、明後日までに一枚、大急ぎで描けばいいでしょう」
楠木は泣きそうになりながら愚痴った。
「それができないか、困っているんでしょ。明後日じゃ無理ですよ」
追い詰められた楠木は、そこで逆転の発想を思いついた。
「そうだ! 実質上の締め切りを延ばそう。殺人犯が発売日に本を読んでも、すぐに来られないようにすればいいんだ」
小堺が、すかさず異議を唱えた。
「『魔道世界』の発売日は変更できないわよ」
「『魔道世界』を逆に利用するんですよ。殺人犯は犯行声明を送るぐらいだから、きっと『魔道世界』の読者です。それに、自己顕示欲も、かなり強いはずです」
楠木は、自身の推理があながち間違っていない気がした。
「だから『魔道世界』にローゼンベルクからのメッセージとして『果たし状・十月十八日の夜アトリエで準備して待っている。私は誰の挑戦でも受ける』って、載せてもらうんです。そうすれば、プライドを傷つけられた殺人犯は十月十八日になってローゼンベルク側の準備が整うまで襲えない。襲ったら卑怯者になる」
小堺がちょっとだけ感心したような表情をしたが、すぐに否定的ニュアンスで発言した。
「あら、考えたわね。でも、ページの差し替えは、もう刷っている段階だから無理よ」
「ページを差し替えができなくても、折込広告を入れるのなら、可能性でしょう」
小堺が腕組みして楠木の意見を評価した。
「『魔道世界』は基本、書店に並ばない。ネットで宣伝して、購入希望者に発売日に雑誌を発送する形式を採っていたわね。臨時の広告扱いでお金を払って、単なる白い紙に短い文章を印刷して挟む作業なら、今日中に依頼すれば、引き受けてくれるかも知れないわね」
「それだ。それで行きましょうよ」
けれども、事態がここまで深刻になっているのに小堺が渋った。
「ああ、でも、本の売れ行きに結びつかない広告にお金を掛けるのは、ちょっと抵抗があるわね」
楠木は、すかさず強気に出て畳み掛けた。
「『貴方は死なないわ。だって、私が守るもの』って、さっき言いましたよね! それに、こうなったのは、小堺さんのミスから出た結果じゃないですか。折込広告を入れてくれないなら、魔道書の最後の一ページは、空白になりますよ」
小堺が楠木の発言を待っていたかのように瞬時に都合のいいように解釈を変えた。
「わかったわ。広告を打ったら、最後の一ページを描くのね」
「う、それは、できるかどうか」
小堺が素早く立ち上がって、できあがった作品の入った袋を手に、力強く命じた。
「よし、決まりね。すぐに折込広告を『魔道世界』入れさせるわ。だから楠木君は、なんとしても、最後の一枚を描く。これで議論は終りよ」
小堺が帰ってから気が付いた。
結局、タダでさえ短かった締め切りが、小堺のミスでさらに繰り上がった。現状で得をしたのは、当事者である、楠木でも殺人犯でもない。
広告収入が得られる『魔道世界』編集部と新作魔道書のページを早く手入れられる小堺だ。
「あれ、ひょっとして、小堺さん、こうなる展開を知っていて、故意に粉飾したファイルを送ったとか。殺人犯も俺も、編集者という人種に踊らされているだけなのかな?」