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第五章 ローゼンベルクの死の真相

第五章 ローゼンベルクの死の真相


        1


 早乙女が頭を上げると、楠木は小堺に声を掛けた。

「小堺君。外にいる二人に、中に入ってもらいなさい。彼らに、私が本物のローゼンベルクだと、証言してもらおう」


 小堺が「余計な行為をするな」と言いたげな顔をしていた。けれども、早乙女が振り返ると途端に冷静な顔になって「ただいま、呼んで参ります」とアトリエを出て行った。


 小堺がすぐに、山伏と女子高生を連れてアトリエに入ってきた。


 楠木が何か言う前に、山伏が大きな声で発言した。

「有名なローゼンベル・功殿とお見受けいたす。拙者、修験道と真言をいくばくか嗜む、服部無二斎と申す。本日は腕比べをしたく、参った次第。どうか、手合わせ願いたい」


 声が大きいのに思わず驚いた楠木だが、どうにか用件を切り出した

「て、手合わせはいいから、一つ証言してもらいたいんじゃ。五月中にワシは魔道書の新作を執筆中のために、ちゃんとアトリエで仕事していたよね?」


 服部が楠木の言葉を無視して話を進めた。

「勝負を申し込んで、五月より、ずっと待たされ申した。では、いざ、尋常に勝負!」


 服部のあまりのマイペースさに、楠木は慌てた。

「ま、待って、勝負はいいから、証言を――」


 服部が楠木の言葉を最後まで言わせず、いきなり声も高らかに宣言した。

「勝負を引き受けてくださり、ありがたき幸せ。では、参る!」


「ちょっと、ちょっと、ね、いきなり勝負って、な、何をするの」


 楠木は山伏がいきなり飛び掛ってくるんじゃないかと思って怖れ、一瞬びくっと身構えたが。


 けれども、山伏はその場で印を組み、凛とした声で「臨・兵・闘・者――」と唱え始めた。

 襲ってこない事態がわかったので、椅子に深く腰掛ける。

 楠木は成り行き上、リラックスして呪文が終るのを待った。

 山伏が「――皆・陣・裂・在・前」と唱えた。

 別に何事も起きない。


 楠木は呪文が終ったと思ったので声を掛けた。

「あの、もう、喋っていいかな?」


 山伏はむっとした表情で、楠木の言葉に構わず告げた。

「さすがは、ローゼンベルク殿。我が九字護身法を受けても、身じろぎ一つしないとは、では次はローゼンベルク殿の番でござる。どのような邪法でも、打ち砕いてご覧にいれよう」


 楠木は冷静さを装ったが、小堺がなぜ服部を呼びたがらなかった、わかった気がした。

(いやー、服部さんて、完全に困ったちゃんだよなー。アリバイ証明してもらうどころか、こっちの話、まるで聞かないよ。呼ばなきゃよかった)


 楠木は適当に話を合わせて、すぐに帰ってもらおうと決めた。

「ワシは特に魔法を使わんよ。魔法は使えば世界の理が乱れる。使えるのに、使わない。戦えるのに、戦わない。それが、真の魔法の姿じゃよ」


 楠木の言葉に、服部が怒った。

「では、某の神通力が間違っていると申すか!」


 楠木は服部の怒りように、いささか驚いた。

「なにも、そんなに怒るような言葉を言ったかな。まあ、落ち着いて、落ち着いて、ね、ね。小堺くーん、服部さんにコーヒーを淹れてあげて」


 楠木の言葉を聞くと服部は、馬鹿にされたとでも思ったのか、顔を真っ赤にして怒っているように見えた。


(うわ、こわ! これ、本当に殴りかかられたら、どうしよう。僕、喧嘩なんかした記憶ないんだよ。殴り倒されちゃうよ。小堺さん、助けてー)


        2


 楠木は急ぎ、服部を宥めた。

「わかった。君の意見はわかった。じゃあ、こうしよう。ワシの番は飛ばしていいから、もう一回、君の番にしよう。それが終ったら、勝負は終わりにしよう。今、インタビュー中だから、そんなに時間ないから、それでいいよね、ね」


 服部は良いも悪いも言わずに印を組んで「オン・キリキリ・バサラ――」と唱え出した。

 楠木はもう早く終ってくれという気持ちで意味のわからない呪文を聞いているうちに段々眠くなってきて、意識が途切れた。


 ガーという音が聞こえた。ハッと目を覚ました。どうやら、服部の呪文を聞いているうちに眠くなり、楠木自身のイビキで目を覚ましたらしい。


 正面を見ると、屈辱だと言わんばかりに、服部が凄い形相で睨んで立っていたので、一瞬、怯んだ。


 楠木はビクッとして両手を合わせて、素で言い訳した。

「悪かった、悪かった。つい、気持ちよくなって、寝ちゃったよ。最近は勉強で睡眠時間が足りなくてさ。日中でも眠気が来たもんだからつい。こればっかりは生理現象だからしかたないでしょ。今度は呪文ちゃんと聞くから、もう一回やろう。もう一回。だから気を悪くしないでよ、ね、ね」


 服部は一度、楠木を大睨みして、ぷいと背を向けアトリエの外に続く扉に向かって大股で歩いて行った。


 服部が帰る途中、小堺に「コーヒーがはいりました」と澄まして顔で、コーヒーを差し出される。

 服部は一気に熱いコーヒーを飲み干し、カップを戻して「ご馳走になった。これにて御免」とアトリエを出て行ったしまった。


(なんだったんだ、あいつ。勝敗を決めなくて、いいんだろうか)


 楠木が不思議に思っていると、早乙女が感心したような声で述べた。

「さすが、ローゼンベルク先生。あの。服部無二斎を全く寄せ付けずに完勝するなんて、見事ですわ」


 楠木は、まだ寝ぼけていたので、普通に尋ねた。

「服部さんって、有名人だったの?」


 小堺が澄ました顔のまま、秘書口調ですぐに付け加えた。

「服部無二斎といえば、業界では有名な修験者です。もっとも、ローゼンベルク先生ほどではございませんが」


 小堺がローゼンベルク先生の発音に力が入っていたので、楠木はまだ、ローゼンベルクを演じ続けていたのを思い出した。


(いけない! 僕、まだローゼンベルク先生だった。忘れていた)


 楠木はすかさず取り繕いに走った。

「う、うん。まあ、服部君もいい経験になっただろう。四月下旬から待たせていたからな。気には一応、なっていたんだよ。さっき早乙女君、ワシが後ろを気にしていると言ったのも、実は服部君が来ていたからじゃよ。でも、これで服部君も満足しただろう」


 楠木はさりげなく、ローゼンベルクが亡くなった日より前から服部を待たせていたように錯覚させる言い方をした。

 言い方をしたのだが、早乙女は全くに気にしていない顔つきだった。


(あれ、四月下旬から僕がアトリエにいた言葉は、スルーするの? ちゃんと、確認して欲しかったんだけどなー。魔女っ子志願者の女子高生は、きちんと証言してくれるんだろうか)


        3


 楠木は女子高生に声を掛けた。

「君も待たせて、悪かったね。四月下旬からだからね。創作中は余計な他人の念が魔道書に混じらないように、あまり人に会わないようにしているんじゃよ」


 女子高生がどこか恥らうような態度で話を切り出した。

「緒方静子といいます。ローゼンベルク先生は、私の念に、ずっと気がついていらしたんですね。感激です。それでOKなんでしょうか?」


(いやー、『念』のところじゃなくて、『四月下旬』を、もっと強調して欲しかったんだけど。この子もアリバイの証人としては、宛てにできないかも。呼ぶなと言いたげだった小堺さんの判断が正しかったなー)


 楠木はローゼンベルクを演じながら、素っ気無く答えた。

「残念だが、それは、できんな」


 緒方はとても驚いた顔で発言した。

「どうしてですか? 私の何がいけなかったんでしょうか? 今日は、てっきり、中に入れてくれたので、弟子にしてくれると思っていたのに」


 ローゼンベルクの自叙伝では、ローゼンベルクが弟子を取らない主義だと書いてあった。また、弟子をとらない理由も書いてあったので、自序伝に書いてあったままの言葉を口にした。

「弟子は取らない主義なんだよ。正確には、取れないんじゃよ。ワシは魔法を自在に使える。だが、最初から使えるから、どう他人に伝えていいかわからない。ワシにできるのは、魔法を絵の形で表現するしか、人に伝える術がなかったんじゃよ」


 緒方が叫んだ。

「私、先生のアトリエに入って行く男の子を見ました。じゃあ、あの男の子は、先生のなんなんですか? まさか、先生の愛人!」


「愛人」発言に思わず噴出しそうになったが、堪えた。だが、次の瞬間には緒方を呼んだのは完全な失態だと悟った。


 楠木自身は用心していたので、アトリエに入る姿を目撃されていないと思っていたのだが、緒方はどこかで楠木の姿を見ていたのだ。


 しかも、楠木はついさっき「創作中は人と会わない」と断言した。完全な墓穴だ。

 思案する振りをしながら、上手い言い訳を考えた。けれども、冴えた言い訳は思い浮かばなかった。


 かといって、ここで何も言わなければ、楠木自身の失言で偽者である事実が早乙女に露見する可能性があった。完全なピンチだ。


 楠木は内心、冷や汗をダラダラ掻きながら、もう一度しつこく確認した。

「緒方君はアトリエに入っていく男の子を確かに見たのかね? 間違いないかね?」


 緒方はハッキリと言い切った。

「はい、確かに見ました。あれは五月の中旬だったと思います。どこの学校かまではわかりませんが、確かに学生服を着ていたので、中学生か高校生だと思います」


 楠木は思い切って芝居に出た。

「そうか、見られたか。あれは、ワシじゃよ」


 緒方の後ろにいる小堺の顔が引き攣るのがわかった。でも、芝居はここからだ。


 全身全霊を懸けて、芝居を打った。

「正確には、ワシが魔法で若返った姿じゃよ。老いとは残酷なものじゃ。かってワシが持っていたもの全てを奪っていく。先ほど、服部君には偉そうに、魔法を使えるのに使わないといったが、つい魔法を使ったのじゃよ。ワシは若き日々をもう一度どうにか体験したいという己の欲望に負けたのじゃ。とんだ醜態を晒したものじゃな。そんな人間に、弟子を取る資格なぞ、ない」


 アトリエ内がシーンとなった。

 楠木はちょっと力業に出すぎたかと内心、冷や冷やしながら周囲の反応を待った。

(頼む、これで、勘弁してよ。この言い訳で通してよ)


        4


 緒方が突如、持っていた小降りの杖を振ってモーションを付けながら、全く聞いた覚えのない言語、いってみれば呪文を唱えた。


 楠木は緒方の行為に呆気にとられたが、黙って見守った。

 緒方が楠木を見て、真摯な声で話しかけた。

「ローゼンベルク先生。もう一度さっきの言葉を言ってもらえますか?」


 楠木は内心、エッと思った。先ほどの完全な口から出任せのアドリブだ。もう、頭の中から消えていた。それでも、どうにか思い出して。口にした。


「だから、君が見たのはワシで、ワシは欲望に負けたんじゃよ」


 発言した後で「あれ、こんなに短いセリフだったっけ?」と思った。だが、もうなんと喋ったか、詳細に思い出せなかった。


 楠木の不安をよそに緒方が口に手を当て、目を大きく見開いて、発言した。

「先生、嘘を吐いていない。真実を見抜く妖精が、先生の言葉を真実だと語っている!」


(あん? 真実を見抜く妖精だ?) 


 楠木が視線を泳がせるが、どこにも妖精なんて見えなかった。


(ヤバイよ、この子もやっぱり頭おかしいよ! なに? さっきの呪文で、真実を見抜く妖精とやらを呼んで、俺の嘘を見抜こうとしたわけ?)


 緒方の背後に立つ小堺をチラ見した。

 小堺が首を横に振って手を小刻みに動かし「これ以上は、まずい」と合図をしているように感じた。


 緒方にも早々に帰ってもらうおうと決断した。

「そうか、わかってもらえたんだね。よかったような、恥ずかしいような気分じゃ。さあ、わかったら、もう帰ってもらえないかね、ワシはとんだ醜態を晒して、恥ずかしい」


 緒方がアトリエの床に膝をついて土下座の姿勢で頼み込んだ。

「やっぱり、諦められません。私と同じ、本当の魔法使いに会えたんです。どうか、どうか、弟子にしてください」


 楠木は困ったので、もう事態を小堺に丸投げしようと決めた。

「だから、ワシは人に魔法を教えられないんじゃよ。そうだ、ワシの新刊本を上げよう。これを見て、あとは独学で学びなさい。君なら、きっとできるよ。小堺君、ワシの新刊本、一冊、緒方君にあげてくれるかな」


 新刊本はできたばかりなので、資料用や配布用にアトリエに何冊かあった。小堺がその内、真新しい一冊を緒方に差し出した。


 緒方は新刊本を受け取ると、本の裏の価格を見て驚いた。

「こんな、高価な本、タダで貰っていいんですか?」


 楠木はできるだけ優しい目を心がけて、小刻み何度か頷いた。だが、心中では叫んでいた。

(お願いだから、魔道書をあげるから、もう帰って!)


 小堺が優しく緒方に声を掛けた。

「さあ、先生をあまり困らせないで。それに、今、インタビュー中だからね」


 緒方が、そこでハッとした表情になった。

「すいません、先生! 私、先生の恥ずべき秘密を雑誌記者さんの前で暴いちゃった。どうしよう」


「いいんじゃよ。これも身から出た錆。ワシの未熟さのせいじゃ」

 楠木は優しげに言葉を掛けると、首を軽く横に振った。


 緒方はいけない行為をしたと自覚したのか、己を恥じるように、小堺に連れられてアトリエから退出した。

 楠木は椅子に深く腰かけ、ゆっくりと息を吐いた。


(ふー、なんとか、乗り切った。やっぱり、思いつきで行動するものじゃないな)


        5


 早乙女が感激したように感想を漏らした。

「恐れ入りました。服部無二斎を退け、あの緒方静子をして、本物と認めさせる。先生は本物のローゼンベルク先生だったのですね」


「緒方静子って、有名だったの?」


 早乙女が少し意外そうに聞き返してきた。

「先生、あの真実の鏡と評される、緒方静子ですよ。ご存知ないのですか?」


(緒方さんも、業界では有名人だったの? 知らなかったよ)


 すかさず取り繕った。

「ほう、彼女が、あの緒方静子君かね? 名前だけは、聞いた覚えがあったような気もする。最近は外界の情報に疎くてね。あまり世の中から離れていたから、魔道書の出版も遅くなって、小堺君を困らせてばかりだよ。はは」


 小堺が戻ってくると、早乙女に告げた。

「そろそろ、約束のお時間なので、インタビューは、これくらいにしていただけませんか。ローゼンベルク先生もお疲れのようですので」


 早乙女は椅子を一度さっと立ってインタビューのお礼を述べようとした。ところが、急に座り直した。


 楠木は表情を変えないようにしていたが、胸が高鳴った。

(なんで帰り際に座り直したの? 最後に、やっぱりなんか爆弾があるの? そういえば、まだ、ローゼンベルク先生の偽者疑惑がどうして浮上しかの話を聞いてなかった)


 早乙女が「これを見てください」と一枚の写真を取り出した。

 写真には、楠木が発見した時と同じ状態で、椅子に座って目を閉じて口を開いているローゼンベルクの姿が映っていた。


 写真は確かにアトリエで撮られたものだった。ただ、写真はフラッシュを焚いており、暗いうちに撮影されためか、窓のカーテンが閉まっていた。


 楠木は写真を見て驚きを隠せなかった。思わず声が少し上ずった。

「こ、これを、どこで」


 早乙女がいたって普通に話した。

「実は『魔道世界』の編集部に『俺は不死のローゼンベルクを殺した。俺に殺せぬ者はない』という手紙と一緒に、この写真が送られてきたのです」


 楠木は写真をじっくり見た。確かに、写真は完全にローゼンベルクの死んでいた姿そのものだった。


(小堺さん! 話が違うよ。他殺の線はないって言ったじゃん。これじゃあ、ローゼンベルク先生が殺された可能性があるよ。だって偶然アトリエに忍び込んだら、先生が死んでいたから写真を撮ってみた、なんて、ありえないよ)


 楠木は思わず小堺を見た。


 小堺が苦い顔をして写真を見ていた。

 早乙女が何かに感づいたのか、すかさず質問してきた。

「先生、この写真を見て何か、お気づきの点があるのでしょうか?」


 小堺がてっきりフォローしてくれると思ったが、小堺は何も言わなかった。


 楠木は最初「写真は作り物で、悪質な悪戯」と言い抜けようと思った。が、思い留まった。

 写真に信憑性がなければ、雑誌記者はローゼンベルク死亡説を信じたりはしない。

 きっと写真を検証して結果、本物らしいという結論を得たから、早乙女はやってきたと思って間違いない。


 楠木は殺人者の恐怖に震えそうになるのを我慢しつつ、椅子に深く腰掛けて目を瞑った。

(どうしよう。どう、言い逃れよう。待てよ、言い逃れていいのか? ここで言い逃れると、雑誌記者が『ローゼンベルク先生は健在』と記事にするかもしれない。そうしたら、記事を見た殺人犯が怒って、僕を殺しに来るんじゃないの? もう正直に喋ちゃおうか。喋るべきかな)


 楠木は薄目を開けて小堺を見ると「絶対に事実を喋るな! 喋ったら私が殺す」というような視線を早乙女の後ろから送っていた。


 小堺の視線は、まさに歴戦の兵士すら逃げ出さんほどの恐怖を与える視線だった。

(苦しいな。完全に行き止まりだ。今ここで事実を喋ったら、早乙女さん諸共、僕を殺して口封じしそうな気配すらを感じるよ。どうする? どうしよう?)


        6


 楠木は左手で両目を覆った。ピンチに追い込まれた楠木の脳がフル回転する。

(今ここで、事実は喋れないな。喋ったら、小堺さんに殺されるよ。待てよ。『魔道世界』が月刊誌なら『月刊魔道世界』の名前になっている気がする。ということは、隔月で出ているか、不定期のはず。つまり、記事が載って殺人犯が怒るのは、まだ先だ。今さえ乗り切れば、小堺さんを説得して警察に動いてもらえるかもしれない)


 早乙女が冷静に声を掛けてきた。

「先生? ローゼンベルク先生、どうかなされたんですか?」


 早乙女の声は冷静だが、確実に楠木の態度の変化から何かを読み取られた気がする。

 楠木は自らを奮い立たせて、最後の芝居を演じた。


 悲しい表情を心がけ、俯き加減に話した。

「すまなかった、早乙女君。つい、悲しい記憶を思い出してねー。実は最近、このアトリエで、ワシの大切なファン――。友というべきかな。その、友が亡くなったんだよ。彼とは長い付き合いでね。よくアトリエに遊びにきていて酒を飲んだり、家に泊めてあげたりもしたんだよ」


 早乙女が話に喰いついた。

「このアトリエで写真の人物が亡くなったのは、事実だったんですね!」


「そう、事実じゃよ。彼もワシほどではないにしても、高齢だし、心臓の持病があって太っていたから、てっきり発見した時は病死だと思って疑わなかった。病院に運んだときも、死因は心臓発作と診断されたからね」


 楠木は話していると本当に友人が亡くなったような気になり、目から涙が流れた。

「まさか、ワシを恨む他人の手に掛かって、間違って殺されたとなると、悲しい限りだよ。そういえば、彼が遊びに来たのも、急だったなー。彼はワシの身に危険が及ぶと、虫の知らせで察知して助けに来てくれていたのかもしれない。なんで気づいてやれなかったんじゃろう」


 楠木は完全に楠木自身の演技に酔っていた。

「ワシは不死の魔道書作家にして魔道師のローゼンベルク。もし、仮に殺人犯がいたなら、ワシなら死なずに殺人犯を撃退できただろうに。でも、今となっては、本当に友人が殺されたのか、病死だったのかすら知る手がかりもない。悔しい限りだよ」


 楠木は心の中でガッツポーズを決めた。


(よし、乗り切った!)



 早乙女がすかさず突っ込んだ。

「でも、ローゼンベルク先生、降霊術が十八番でしたよね。友の霊を呼び出して真相を聞けばよろしいのでは?」


(あ、いけねえ。ローゼンベルク先生、自叙伝の中で降霊術が得意と語っていたな)


 楠木は悲しみにくれる老人を演じながら、慌てて辻褄を合わせに走った。

「う、うん、そうだね。つい、悲しくて忘れていたよ。よし、降霊術で真相を探ろう」


 楠木はまだ演技酔いが残っていたので、つい軽はずみに、友を殺された心境で力強く宣言した。

「もし、殺人だったら、ワシはローゼンベルクの名に懸けて敵を討つよ。生涯、絶対に使うまいと心に決めていた禁断の術も解く!」


 早乙女が雑誌の売れ行き倍増になりそうな企画が出たせいか、飛びついた。

「ローゼンベルク先生、是非、降霊術やりましょう! 我が『魔道世界』も社を挙げて協力しますよ」


 楠木は早乙女の「明日にでも、やりましょう!」と言いたげな勢いのせいで、少し我に返った。


(まずい、話が炎上しそうになってきた、早く鎮火させないと、手が付けられなくなる)


        7


 楠木は手で早乙女を手で制して、キッパリと断った。

「いや、それには及ばん。これはワシと友との友情の問題だ。もし、犯人がいたのなら、ワシが一人で突き止め、決着を付ける。誰の手も借りない。降霊術は友のための弔い合戦の開始を告げる狼煙となるかもしれんからね」


 早乙女はまだ、ローゼンベルクの降霊術を取材したい未練がありそうだった。


 小堺がすぐに間に割って入って秘書口調で早乙女を止めた。

「情報提供、ありがとうございました。ですが、もう、時間もだいぶ押しております。先生も少なからずショックを受けたので、今日はこの辺りで、お引取りください」


 雑誌記者である早乙女は、売り上げ倍増になりそうな企画が出たので、簡単に引き下がらなかった。

「先生、降霊術なら、それほど特殊なものではないですよね。それに先生の十八番である、降霊術は、ここ半世紀以上も行われた記録もないです。是非、魔道の深遠を探求する者たちに、その一端だけでも垣間見せてくれませんか」


 楠木は心の中で、うんざりした。

(やっぱり早乙女さんは、雑誌記者なんだなー。まだ喰いついてくるよ)


 楠木は早乙女から目を離して伏し目がちにしながら、多少オーバーに凄んでみた。

「早乙女君! ワシは今、友の死に猛烈に怒っているんだよ。それに、ワシは常に勉強を怠らない。ワシは降霊術を、半世紀を掛けて独自に進化させ、危険な秘術にまで昇華させた。いくら、日ごろ世話になっている『魔道世界』とはいえ、これ以上は友の死を汚すのなら、敵と同じ者と見做すよ」


 早乙女は偉大な魔道師を怒らせたと思ったのか、すぐに弁解に走った。

「そんな、私どもはローゼンベルク先生を怒らせる気は微塵もありません、ただ――」


 楠木は頃合よしと見て発言を遮り、怒った。

「帰りたまえ。帰れー」


 雰囲気に呑まれていた楠木の最後の「帰れー」は大声になった。


 大声になったので、喉下の声の調子を変える機械の許容範囲を超えた。


 楠木の最後の一声は、楠木本来の地声と重なり、若者と老人ともつかない不思議な声になった。


 楠木は内心、ひやりとした。

(最後の最後でやっちゃったー。あっらー、どうしよう。ばれたかな?)


 だが、早乙女は楠木が発した最後の変な声を聞き、恐怖の表情を浮かべて「し、失礼しました!」と大声を出して、逃げるようにアトリエから去っていった。


 楠木は、やっと安堵した。

(ふうー、今度こそ、なんとか、うまくインタビューを乗り切った。けっこう綱渡りだったな)


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