第四章 わが名はローゼンベルク・功。本名は言えぬ
第四章 わが名はローゼンベルク・功。本名は言えぬ
1
楠木はさっそく、中学と高校を通して作ってきた趣味の版画を全て小堺に見せて、使えそうなものがまだ残っているか、尋ねた。
小堺が眉間に皴を寄せて、料理人が素材を選ぶように、使えそうな作品を吟味していく。
結果、手を加えれば使えそうと判断した版画は全部で二十枚ほどにあった。一冊の本にするには、残り十枚を造ればよかった。
楠木は腕組みして考える。
「十枚か。問題は、時間ですね。次の締め切りは、いつですか?」
「編集者としては、早ければ早いほどいいわ。でも、ローゼンベルクは新刊を出したばかりだから、来年中に仕上げてくれればいいかしら。ただ、今回は急ぎで目を瞑ったけど、最後の作品だから、質には拘りたいわね。今回は下絵ができても、私が使えないと思ったら、再作成を命じるわよ」
作品は零から構想を捻り出して形にする過程が、一番大変だ。小堺がどの程度の質を要求してくるかにもよるが、一年以上あれば楽勝だと思った。
夏休みに期間に入ると、山伏も女子高生も来なくなった。きっと、山伏は山に修行に出て、女子高生は夏期講習にでも行っているのだろう。
朝に家を出て、アトリエにあるコーヒーを飲みながら、スケッチブックに向かい合う。
何も着想が思いつかないと、ローゼンベルク先生のリビングで借りてきたDVDを見たり、携帯ゲームをしたりする。それでも、何も思いつかないと、ボーッと昼寝をしたりもした。
家にいたらなにか言われそうだが、ローゼンベルクのアトリエでゴロゴロ過ごす分には何も言われない。
小堺にも怠けている姿を見られたが、時給で働いておらず、締め切りにも余裕があるせいか、強く怒られる事態にもならなかった。
ローゼンベルグの家のリビングで寛ぎながら、しみじみと思った。
「平和だ。平和すぎる」
だが、楠木の平和は、長くは続かなかった。
夏休みに入って九日目に、小堺が恐ろしい顔で昼頃にアトリエに姿を現した。
開口一番、小堺が強い口調で話し出した。
「まずい事態になったわ、楠木君。ローゼンベルクに、インタビューの申し込みがあったのよ」
「インタビューなんて、断ればいいじゃないですか。小堺さんなら、簡単でしょう」
小堺が険しい口調で述べた。
「それが、そうもいかないのよ。業界の柵って奴もあるけど、インタビューする人間がローゼンベルクの死について、知っている可能があるのよ。こうなったら、インタビューを受けた上で、ローゼンベルクが健在だって示すのが、普通の対応でしょ。楠木君、ローゼンベルクの身代わりとして、インタビューを受けてちょうだい」
楠木はどこが普通の対応なんだと思い、小堺の正気を疑った。ところが、小堺は大真面目だった。
2
すぐに楠木は反対の声を上げた。
「ローゼンベルク先生は百年以上も生きている老人の設定のはずでしょう。インタビューする人が急に昔の話を振ってきたら、どうするんですか。高校の勉強まだ近代史まで行ってないんですよ。それに、ローゼンベルク先生と僕は、顔も違えば、声も違いますよ。さらに、体重だって二倍近く違うんです」
小堺から瞬時に強い口調で命令が飛んだ。
「歴史は今から勉強して。ローゼンベルクは若い時にベルリンに住んでいた経験もある経歴になっているから、ドイツの近代史も学んで。体重は魔道書執筆の苦労で、ここ二、三年で急に痩せたと理由を付ければいいわ。顔は特殊メイクで変装するのよ。声を変える機械も、どこかで入手してくるから」
とんでもない展開になってきた。急に、受験と関係ないとこまで勉強しければいけなくなった。
楠木はそれでもローゼンベルクを演じきれると思わなかった。
「小堺さんのコネなら、ローゼンベルク先生に似ている役者さんとか、知り合いにいるでしょう」
「常人にローゼンベルクの魔道書は理解できないわ。業界に詳しい人間に、最新作の本の内容について尋ねられたら、常人にまともな受け答えは無理よ。昔話を間違えるより、魔道書を理解してないと思われるほうが、よっぽど危険なの」
「それ、僕だって同じですよ。自分で作品を刷り上げたので、何を描いた作品は理解しています。けど、魔道書のこのページがどんな魔法を現しているのかと聞かれたら、答えられませんよ」
小堺が一瞬むっと複雑な表情をしてから、真顔で答えた。
「これを言うと、楠木君は私を狂人だと思うと感じたから伝えなかったけど。事態がここまで来たから、教えるわ。楠木君には魔法を使える素質はないけど、魔道書を描ける素質があるのよ。しかも、ローゼンベルクの名を付けてもおかしくないぐらいの素質がね」
目が点になるという言葉がある。きっと今、楠木が鏡を見たら正に目が点になった楠木自身の顔を見られたと思った。
(やばい。小堺さん。目が本気だよ。魔法が存在すると、本気で思っているよ)
楠木は全く持って小堺の言葉を受け入れられなかった。
「ちょっと待ってください。僕は、そんな霊感体質の電波系人間じゃないですってば」
小堺がこれ以上しつこく説得しても無駄と思ったのか、完全なる命令口調で言い付けた。
「とにかく、議論の余地はないわ。楠木君にはローゼンベルクの身代わりとしてインタビューを受けてもらうから、今から準備に入りなさい」
楠木は諦めて小堺の言葉に従うしかないと思った。それでも、念のために釘を刺した。
「わかりました。そこまで言うなら、乗りかかった船です。付き合いましょう。インタビューが散々たる結果になっても、責任は取れませんからね」
小堺が苦い顔をして発言した。
「それでいいわ。じゃあ、一週間後にインタビューがあるから、できる限りローゼンベルクらしく振舞えるように練習しておいてちょうだい。後でローゼンベルクの自叙伝を送るわ」
「一週間! それは短すぎる。そんな短期間じゃ、百年分もの歴史を覚えられませんよ」
小堺が強い口調で命じた。
「近代日本史については、解説したDVDがあるから、後で送るわ。歴史もDVDで見れば、大まかに詰め込めるはずよ。インタビューの日程は決まってしまったの、予定を先延ばしにはできないわ」
3
作画作業は完全にストップした。
その日の午後から受験には全く使わない近代ドイツ史と日本史を覚えなければいけなくなった。
時間がないので、小堺に利根崎との面会の約束をとってもらって会いに行った。
「利根崎さん、すいません。ちょっと事情があって、近代ドイツ史と日本史を教えて欲しいんですけど、教えてもらえますか」
利根崎は不思議そうな顔で訪ねた。
「近代ドイツ史は大学時代に専攻していたけど、楠木君、前は理系の私立を受けるから、日本史と世界史は勉強しないって話していなかった?」
雑談の時に、そんな言葉を口にした気もする。とはいえ、まさかローゼンベルクの替え玉をやるために急遽、必要になったとは、口が裂けても言えない。
「ドイツの近代史に興味が湧いたので、どんなものかと思って教えてもらいたかったのと、日本の近代史についても一般常識的に覚えておいたほうがいいかなと思いまして」
そんなに急に歴史を知りたがるようになり、家庭教師まで頼む高校生なんていないだろうと楠木自身が思った。だが、他にもっともらしい理由を述べられなかった。
利根崎も多少は不審に思ったかもしれないが、教えてくれた。近代ドイツ史を教えてもらったが、すぐに躓いた。近代ドイツ史なんて、全くわからなかった。
地名、人物名、物の名前、全てが聞いた記憶のない発音や言葉ばかり。地図を見せられながら説明されても、さっぱりだった。
「すいません、利根崎さん、近代ドイツ史なんですけど、やっぱり教えて貰わなくていいです。その代わり、アルバイト料は出すんで、簡単な年表と要約を造ってもらえますか」
楠木は近代ドイツ史に早く見切りをつけて、捨てる決断をした。
利根崎は、すぐに意外だという顔をして尋ねてきた。
「あら、どうして、まだ初日でしょう。歴史は興味を持ったところからじっくり学んでいくのがコツよ」
勉強のコツは、この際どうでもいい、要はローゼンベルクに成り済ませるかどうかが大事なのだが、真実は教えられない。
「やっぱり、近代日本史だけを六日間で教えてください」
利根崎はまたも不思議な顔をした。
「それまた、近代史だけって、急な話ね。高校の歴史の授業って、過去から現代に向かって勉強するから、近代史は最後に来るはずだけど、受験勉強に使うんじゃないの?」
楠木は辻褄を合わせるために強引に理屈を付けた。
「実は好きになった子と初デートするんですが、その子が歴史好きなんです。特にドイツの近代史と日本の近代史が好きな子で、デートの説きにその子の話を理解して盛り上げたいんですよ」
口にしていて、わかる。苦しい。実に苦しいいい訳だ。
ドイツと日本の近代史が好きで、熱烈に語る女子なんて、クラスで見た覚えがない。実際にいて、初デートでそんな話を懇々と語られれば、きっと楠木はドン引くだろう。
だが、そんな嘘のガールフレンドの気を引きたい願望の話は、利根崎にはガールフレンドのために見栄を張ろうとする微笑ましい高校生の男の子として、新鮮に映ったのか、笑顔で答えた。
「そういう事情があったのね。なら、協力するわ。確かに、六日間だけだと両方は辛いから、日本史に絞って学んだほうが、話も弾むかもしれないわね」
できれば、インタビューの日は歴史で話が弾んで欲しくはない。だが、利根崎に真実は語れない。
家に帰るとバイク便で、楠木宛に二冊の本と、近代日本史、近代ヨーロッパ史のDVDのセットが届いていた。本は『ローゼンベルク・功の半生』と題された、ローゼンベルクの自序伝の上下巻だった。
自叙伝は上巻だけで五百ページからなっており、手をつけるのも、うんざりだった。でも、読まないわけにはいかない。
正確には読んだだけでなく。覚えておかねばならないので、頭が痛かった。
最初のページを開くと、年表がついており、ローゼンベルクが西暦一九〇一年に生まれたとなっていたので、もうその時点で続きを読むのが嫌になった。
嫌になったが、読まないわけにいかない。
自序伝を読むと、ローゼンベルクは父親に連れられ一九〇八年にドイツに渡って、一九三四年までドイツで暮らした経歴になっている。
ドイツ暮らしが二十六年間と微妙な長さなのが、救いかもしれない。ドイツにいた期間が二十六年間なら、年表と要約とヨーロッパ史DVDで乗り切れかもしれない。
翌日には、ローゼンベルクがドイツ時代で暮らしていた資料も届いた。
インタビューの日まで、何度もローゼンベルクの自叙伝を読んで覚えようとしたが、全部はやはり無理だった。四分の一も覚えられたかも怪しい。
ローゼンベルクがドイツにいた時代のドイツについて書かれた資料とDVDにも、ざっと目を通す。
だが、とてもではないが、ローゼンベルグが生活していたドイツは激動の時代だったため、内容が多過ぎて、全く頭に入らなかった。
日本の近代史はDVDを見たおかげもあり、どうにか覚えたが、それでもテストをすれば、六十点いけばいいほうだろう。
六日間で無理矢理ぎゅうぎゅう知識を詰め込み、インタビューを受ける当日になった。
楠木は朝五時に出て、ローゼンベルクのアトリエで特殊メイクをしてくれる人物と小堺を待った。それでも、今日のインタビューは散々たる結果になると思えてならなかった。
4
朝五時三十分ピッタリに小堺さんと、大きなスーツケースを持った男がアトリエに現れた。
男は短く切った髪と顎鬚をオレンジ色に染めていた。服装はカジュアルに、白のシャツに白のパンツを穿いていた。
男が握手を求めて手を差し出し、英語で話し掛けてきた。どうやら、男の名は『レオン』で『インタビュー用のスタイリスト』という設定らしい。
小堺がすぐに英語でレオンに指示を出した。
レオンが黙って頷いて、鞄を開けた。
次に小堺が、楠木に命令した。
「トイレに行くのなら今のウチに行って、メイクには仕事の速いレオンでも、三時間くらいは掛かるから」
楠木はトイレを済ませて戻ってくると、椅子の下にビニール・シートが敷かれていた。
椅子に座ると、理髪店で付けられるビニールの覆いで首から下を覆われて、特殊メイクの作業を開始された。
レオンが慣れた手つきで、楠木の顔に何かを塗ったり貼ったりした。
楠木は目を瞑ったまま、男にされるがまま、顔に貼ったり塗ったりの作業をさせた。途中、ビニールが外され、喉に首輪のような装置を巻かれた。
首輪だけが少しきつかったので、ウッとなるが、我慢した。
しばらくすると、小堺から指示が飛んだ。
「最後の仕上げに手をメイクするから、両手を台の上に置いて」
目を開けると、目の前にT字の台があったので、台の上に手を置くと、手に特殊メイクが施され、見る見る間に老人の手になっていった。
「すごい、まるで本物の老人の手のようだ」
楠木発した声は、以前聞いたローゼンベルクの声に近い音声になっていた。おそらく、首につけた機械が声を変えているのだろう。
小堺が満足そうに発言して、衣装を差し出した。
「よし、これで、準備OKね。楠木君は今、着ている服を脱いで、この白いローブの首に白いスカーフを巻いて、最後に布手袋をしてちょうだい」
楠木はアトリエを出て、トイレで着替えると、手洗い台の鏡には痩せたローゼンベルクそっくりの顔が映っていた。顔の筋肉が動くと、きちんと顔の筋肉に連動して皴が動いた。
首に巻いた機械は特殊メイクに隠れているが、少し不自然に盛り上がっている。楠木は不自然さを隠すように、首にスカーフを巻いた。
確かにこれなら、ローゼンベルクと頻繁に会っていない人間なら、楠木をして痩せたローゼンベルクと言われても、偽者だとは思われないだろう。
トイレを出ると、レオンが仕事の道具を手早く片付けているところだった。
小堺が楠木に近づくと、楠木の周りを一周して何かを確認する。
「よし、ローゼンベルクの完成ね。メイクは汗くらいじゃ簡単に剥がれないようになっているから、気にしなくていいわ。ただ、音声を変える装置は急に大きな声を出すと、変調を来すから、あまり大きな声は控えてね」
「わかりました。でも。小堺さん、本当にうまくいくんでしょうか?」
小堺が真剣な顔で忠告した。
「ローゼンベルク先生、もっと不死の魔道書作家として、自信を持ってください。それと、ローゼンベルク先生は私の名前を呼ぶときは、小堺君と呼びます」
どうやら、もうローゼンベルクとしての役割が始まっているようだった。
「そ、そうだったな、小堺君」
5
小堺がレオンに指示を出して廊下に出て行った。おそらく、特殊メイクをするための道具を隠しにローゼンベルクの部屋に行ったのだろう。
楠木はローゼンベルクが死んでいたときに腰掛けていた椅子に座ってインタビューの時間を待った。
死体が乗っていた椅子なのでいい気分はしない。とはいえ、ローゼンベルクが気に入って使っていた椅子だ。インタビューで使わないほうが不自然だ。
すぐに、小堺が戻ってきて、インタビュアー用の配置に椅子をセッティングする。
小堺がいつもとは違い、秘書的な口調で伝えた。
「インタビューは、一時間後に行われる予定になっております。インタビューの時間は三十分程度の予定です」
楠木は生前のローゼンベルクを思い出しながら返事をした。
「小堺さん――じゃなくて、小堺君。インタビューの内容は、事前に聞いているのかね」
小堺が改まった口調で答えた。
「インタビューの内容は新刊本の話と聞いておりますが、おそらく、その他の話題も出ると思われます」
遠回しに話しているが、やはりインタビュアーは、どこかでローゼンベルクの死の話をぶつけてくるのが見えているようだった。
楠木は落ち着かなくて、コーヒーを淹れようとした。すると、すかさず小堺が険しい顔で制止した。
「ローゼンベルク先生。コーヒーの準備は、私がやります。それと、先生はご高齢なので、そんなに無理をして機敏に動かなくて結構です」
十七歳の楠木が普通に動くと、百歳の老人の動作にしては早すぎるようだった。常にゆっくりした動作を心がけないと、インタビュアーに怪しまれるのは間違いなかった。
ローゼンベルクの過去や知識に関する学習で頭が満杯だったので、老人が常にどう動くかの演技の練習はしていない。
きっと思わぬところで、老人らしからぬ動きをしてボロが出る気がして、不安になった。
コーヒーは小堺に淹れてもらったが、喉の下にある機械が喉を締め付けているせいで上手く飲み込めないので、コーヒーを飲むのを途中で止めた。
インタビューの三十分前になり、緊張でトイレに行きたくなった。そこで立ち上がると、小堺が咳払いをした。
立ち上がる動作が速すぎると言いたいのだろう。楠木は一度、座り直して、「よっこっらしょ」と口にしてから、ゆっくりと立ち上がった。今度は小堺が咳払いをしなかった。
楠木はこれでいいのかと思い、トイレに歩いて行くとまた、小堺が咳払いをした。
ゆっくり歩いたつもりだったが、傍から見るとまだ動きが速いらしい。
(これは、インタビューが始まったら、椅子から全く動かないほうがいいな)
楠木がトイレから出てくると、アトリエから玄関へ続く廊下の窓から人が見えた。
窓に近寄ってそっと外を覗くと、一人の髪の長い、紺のスーツ姿の女性がいた。
おそらく、インタビュアーだろう。ところが、女性はあろうことか、しばらく見ないと思っていた女子高生や山伏と何やら話していた。
楠木はすぐにアトリエに戻ると、小堺が怒った顔で再び咳払いした。
「小堺さ――、君。魔女っ子志願者と山伏が来ている。それで、インタビュアーと何やら話しているよ。事前に聞き込みされているよ」
小堺が露骨に嫌そうな顔をした。
「よりによって、こんな時に来るなんて、間が悪い」
小堺がすぐに秘書口調に戻って楠木に命令した。
「先生は、なにも気にする必要はありません。少々お時間が早いですが、インタビューを始めましょう。先生は椅子に座っていてください」
(いよいよ始まる。偽者だってバレたら、どうしよう)
楠木は緊張しながら椅子に座って待った。
6
十分ほどして、先ほど窓から見えた女性が「失礼します」と紙袋を持ってアトリエに入ってきた。楠木は「ゆっくり、ゆっくり」と心の中で唱えてから、立ち上がった。
楠木が挨拶する前に、小堺が先に「こちらがローゼンベルク・功先生です」と紹介したので楠木は発言を控えた。
インタビュアーは楠木の正面にセットされた椅子の前に来ると、名刺を両手で持って差し出し、挨拶してきた。
「雑誌『魔道世界』の早乙女真理です。今日は私ども魔道世界のために貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」
楠木はローゼンベルクならなんと答えるかを意識しながら返事をした。
「いやいや、こちらこそ、新刊本の宣伝をしていただけるそうで、たいへん嬉しく思います」
楠木は早乙女の後ろに立つ小堺の顔を見た。すると、少し渋い顔をしていた。
(ローゼンベルク先生なら、もっと違った言い方をするのか。大家にしては腰が低すぎたのかな)
早乙女は持っていた紙袋から、リボンがついた箱を取り出した。
「ローゼンベルク先生はお酒が大変お好きと聞いておりましたので、本日はお土産を持参いたしました」
楠木は受け取ろうとしたが、待てよと思った。
確かにローゼンベルクの自叙伝には、大の酒好きだと書いてあった。
日本酒、ビール、ワインはいけたが、ブランデーがダメだと書いてあった。
はたして今ここで貰った酒は、ブランデーなのだろうか、ワインなのだろうか、それとも、ウィスキーなのだろうか。
早乙女がこれから会う人物が偽ローゼンベルクだと疑っているのなら、プレゼントは罠かもしれない。
楠木は酒の種類が判別できなかったので、とりあえず小堺に振った。
「小堺君、受け取ってくれるかな」
小堺が楠木に命じられ、酒を受け取ると、残念そうに発言した。
「ローゼンベルク先生。これは、コニャックですね」
(コニャック? 確か、ローゼンベルク先生は、コンニャクが嫌いだったと自叙伝に書いたあった気がするけど。もしかして、嫌いなのはコンニャクじゃなくて、コニャックという種類の酒だったのかな?)
楠木が迷っていると、小堺が早乙女に申し訳なさそうに詫びた。
「せっかくの品ですが、先生、ブランデーだけは飲まないんです」
早乙女は、すかさず詫びた。
「すいません、それは気づきませんでした。もうしわけありません」
楠木はゆっくりした口調で優しく言葉を掛けた。
「いや、いいんじゃよ。早乙女君、酒好きなのはよく知られているが、ブランデーがダメなのは、あまり知られておらんからな。でも、せっかくいただいたのだから、小堺君が貰っておきなさい」
早乙女は恐縮ですといった態度をとったが、小堺が後ろで首を左右に小刻みに振っていた。
楠木は小堺の合図から、早乙女がコニャックを手渡してきたのはミスではなく、意図的にやったのではないかと勘ぐった。
(コニャックってブランデーの一種だったんだ。知らなかった。やっぱり、早乙女さんは、僕が偽ローゼンベルクではないかと疑っているんだ)
7
早乙女はハンドバッグからICレコーダーを取り出し、録音しようとした。すぐに小堺がICレコーダーのスイッチを切って取り上げ、電池を抜いて早乙女に返した。
「先生は現在、魔術的な理由により他人に御自分の肉声を録音されたり、容姿を録画されたりするのを嫌うので、録音はご遠慮願います」
(肉声を録音されたりするのが嫌いとは自叙伝には書いていなかったよな。小堺さんが偽者とばれないように予防線を張ったのかな。でも、小堺さんの対応は、まずくないか)
早乙女がすぐに困ったような顔で異議を述べた。
「録音がダメだとは知りませんでした。しかし、事前に知らせていただかないと困ります。後からテープを聴き直さないと、記録者が私だけの場合、記事にする段階でインタビューの内容が不正確になります」
小堺が持っていたハンドバッグから別のICレコーダーを取り出し、楠木に許可を求めた。
「先生、録音の件ですが。私が録音された内容から、音声入力ソフトを使って内容をテキストファイルにし、早乙女さんにお渡しするという形でご了解いただけないでしょうか。もちろん、私が録音した音声は、あとで責任を持って消去しますので」
楠木は業と腕組みして目を瞑り、考える素振りをした。
(なるほどね。まずい発言があった場合、小堺さんが、テキストファイルにした段階で削除修正するわけか、確かに録音されて音声が残ると、あとで他にローゼンベルク先生の肉声が残っていた物が出て鑑定された場合、偽者とばれるかもしれないな)
楠木は渋々といった態度を演じながら許可を出した。
「まあ、小堺君とワシの仲だ。小堺君が肉声を録音しても確実に消去すると保障するなら、録音を許可しよう」
小堺が「そういう事情なので、よろしいですね」と有無を言わせぬ口調で迫ると、早乙女は「わかりました」と、持ってきたICレコーダーを鞄にしまって、ハンドバッグから手帳とペンを取り出した。
早乙女が楠木に向き直って口を開いた。
「では、さっそく質問に入らせていただきます」
楠木はゆっくりと座り、悠然と構えたが、内心は何を聞かれるかと、すごく怯えていた。
なにせ「魔術的」と理由を付けたが、最初からICレコーダーによる録音を拒否した。偽者を疑っていれば、確実に疑って懸かってくる。
早乙女の最初の質問が飛んだ。
「先生は青年時代をドイツで過ごされたそうで、一九二三年のミュンヘン一揆にも遭遇されたそうですね。英雄として名高いルーデンドルフ将軍もご覧になったそうですが、当時の状況は今でも覚えていらっしゃいますか?」
(いきなり、ドイツ史キター。え、そんな、ヒトラーと話したエピソードは覚えているけど、ミュンヘン一揆って、なに? ルーデンドルフ将軍って誰?)
楠木は完全に頭が真っ白になった、早乙女の後ろ小堺を見ると「とにかく何か話して」とサインを出しているように見えた。
楠木はとりあえず、老人が過去を回想するように、遠くを見る振りをしながら早乙女の後ろの小堺を見て、ゆっくり話した。
「そ、そう。あの当時、ドイツはインフレが酷くてねー。毎日のようにパンの値段が上がっていって。生活が苦しかった――」
小堺が猛然と首を小刻みに横に振っている。
(ハッ、そうだ。自叙伝を思い越せば、先生の生活が当時は苦しかったっていう記述がなかった気がする)
楠木は不自然だと思ったが、言い直した。
「いや、く、苦しくなかったかな。うん、毎日ビールを飲んでいたね。ミュンヘン一揆の時もビヤホールでビールを飲んでいたよ」
小堺が両手で小さくセーフの仕草をした。
早乙女がすかさず突っ込んだ。
「そこで、ミュンヘン一揆に立ち合われたのですね?」
(え、ミュンヘン一揆って、舞台がビヤホールだったの? 全く覚えてなかったよ)
楠木はこれ以上、ミュンヘン一揆に触れる状況は危険と思い、話をシフトさせようとした。
「ああ、そうそう、そうだったねー。でも、今となっては、ドイツ時代の思い出は、あまり語りたくないねー」
早乙女が不思議そうな顔で突っ込んで聞いてきた。
「それは、失礼しました。でも、ローゼンベルク先生は、酔うと必ず楽しそうに、ドイツ時代の武勇伝や有名人との交遊録をよく話されると聞いておりましたもので」
(エッ、そうなの、ローゼンベルク先生、ドイツの頃を話すのは好きだったの。そんな先生がドイツ好きだったの、もう、まじ、やばいよ)
小堺も楠木の発言はまずいという顔をしていた。
楠木が何も言えないと、早乙女が話を進めていく。
「では、先生がドイツから帰国した後の話になりますが、当時の日本の総理大臣と――」
楠木はそこで慌てて早乙女の話を遮った。
「早乙女さん。もう昔話は、そのくらいにしませんか。この歳になると、いつも思い出すのは、昔の記憶ばかり。そうしていると気が付いたんですよ。僕にはもう過去しかないのかってね。だから、できるだけ過去を振り返らず、未来を見よう。未来に向けて進んでいこうと決めて、過去と決別するために苦しんで未来志向の『変容の魔道書』を描いたん、じゃよ」
楠木は言いつくろった後に即座にまずい点に気がついた。
「早乙女君」を「早乙女さん」と発言を変えた。
ローゼンベルクがよく使っていた「ワシ」ではなく使い慣れた「僕」を使った。
さらに急に最後だけ語尾が「じゃよ」に変わった。
チグハグさに気が付いたが、後の祭りだった。
小堺さんも、「あまりにもお粗末よ」と言いたげな苦い顔をして首を横に振っていた。
楠木としては「だから無理って言ったでしょう」と抗議したかった。だが、インタビューは続いているので、まだローゼンベルクを演じ続けなければいけなかった。
8
早乙女が後ろを振り返ると、瞬時に小堺が無表情に変わった。早乙女が楠木を見ながら少し意地悪な質問をしてきた。
「先生は私の後ろに何か見えるのでしょうか。時折、視線が背後に行っているような気がするんですが」
楠木は「あんた、もう、わかって聞いているでしょう」と本音をぶつけたかった。それでも、グッと我慢して、誤魔化した。
「ちょっと気がかりなことがあってね。でも、早乙女君が気にするほどのものではないよ。そろそろ、新刊本の話に戻ってくれるかな」
本の話なら日本史の話になるより言い繕えると思った。ところが、本の話を振ると、早乙女の顔に嘲笑うような影が差した気がした。
(あれ、ひょっとして、インタビュアーとしては、本の内容のほうが突っ込み易かったのかな)
楠木はちょっと後悔したが、早乙女が静かに質問を開始した。
「先生の今回の作品の中で『青い馬から蝶へ』と題された作品がありましたよね。あれは、やはり、馬という地上に走る雄雄しい動物から、空へ舞う蝶への変貌を表し、解放や自由を表現したかったのでしょうか?」
『青い馬から蝶へ』は楠木の作品だった。楠木は表現したかったものと全く別の感想を言われたので、つい正直に感想を漏らした。
「エッ、そんなつもりは毛頭ないよ。あれは、もっと別なものを表現していたんですよ」
早乙女の顔が意外そうに目をパチクリさせた。
「と、言われますと『青い馬から蝶へ』は何を表していたんですか?」
楠木はあまりにも作品を理解されなかったので、役割を忘れて解説した。
「簡単に言えば、時間の流れですよ。青い馬が象徴するのは、空や海が持つ大きな存在の雄大な時間の流れ。蝶が象徴するのは、ミクロで繊細な美しい生物で短い時間しか存在できない静止にも似た揺らぎ。『青い馬から蝶へ』は、そういう時間の流れの変化を表した作品です」
早乙女の表情が、わずかだが緊張の表情になった。
楠木は素の調子で喋ったのがまずかったのかと思った。だが、早乙女が小堺の顔を確認させる間も与えず、さらに作品の質問を投げつけてきた。
「では『運命という名の車輪に轢かれる男』ですが、私はあれを過酷な運命という車輪に押し潰されそうになった男が苦悶から逃れる方法を記した、と評価しました。解釈は当たっているのでしょうか」
『運命という名の車輪に轢かれる男』も楠木の作品だが、楠木はそんなメッセージを全く込めて描いていなかった。
楠木は、またもあまりに楠木自身が描きたかったモチーフの意味と違ったので、再び素で反応してしまった。
「いやー『運命という名の車輪に轢かれる男』をそんなに風に解釈されました? そんな見方を普通、しますかね?」
早乙女がごくりと唾を飲むのがわかった。
「すいません、不勉強で。では『運命という名の車輪に轢かれる男』とは、いったい何を表現されたのですか?」
「簡単に言えば、心の健康ですよ。運命とは、車輪です。人は運命と名が付くと、大きく重いものと捉えがちですが、実はとても軽いんです。そんな軽い車輪に体を貼り付けて伸びをする男は、とても心地が良いのです。そう、熟睡したあとに背伸びをするような気持ち良さです。『運命という名の車輪に轢かれる男』が表現しているのは、気持ちを変えて、運命を楽しむための秘訣を表しているんですよ」
素で得意気に作品ついて軽く答えてしまって「しまった」と思って、小堺をチラリと見た。だが、予想に反して小堺が「よくできました」というように頷いていた。
早乙女の表情が確実に、どこか畏敬にも似た表情に変わっていた。
なぜ、早乙女の顔が変わったのかは、楠木には理解できなかった。
早乙女がなぜか緊張したような声で聞いてきた。
「貴方、いったい、何者ですか?」
楠木は早乙女の言葉を聞いて完全に偽者だとばれたと思った。だが、ここまできたら言い張ってやれと悠然と構えて、厳かにローゼンベルクの自序伝からの一節を引用した。
「ワシの名はローゼンベルク・功。不死の魔道書作家にして、複数の魂を持つ存在」
楠木はそこまで述べると、真っ直ぐ頭上を指差して発言した。
「天の下にローゼンベルクの名の下、畏れるものはなし。それが、我なり」
早乙女が目をパチクリさせ、呆然とした表情になった。
(あれ、なんで、そんな顔をするの。芝居がかりすぎた?)
楠木は顔では早乙女を神のように見下ろすが、内心はかなりドキドキしていた。
早乙女はゆっくりと深く頭を下げた。
「すいません、ローゼンベルク先生! 実は、ローゼンベルク先生はとっくに亡くなっておられて、今のローゼンベルク先生は偽者ではないか、との噂があったんです。それで、今回の作品も、別人が描いたとの話が流れていて、編集部で真偽を確かめて来いといわれたんです。先生を試すような真似をしてしまい、お許しください」
早乙女が頭を下げた事態で、より楠木は混乱した。
(偽者疑惑が晴れたの? なんで?)
楠木は小堺を見ると、小堺が手振りで「油断しないで」とブロック・サインを出しているような気がした。
楠木はなんだか不思議な気持ちがした。それでも、とりあえず鷹揚な態度で早乙女に声を掛けた。
「別に怒ったりはせんよ。ワシは長く生き過ぎた。そのためか、死亡説や偽者説が流れる事態は、今までも再三あったからの」
楠木はさて、どうしたものかと考えた。一応、偽者疑惑が浮かび上がったが、いつの間にか、消えたらしい。
とはいえ、まだインタビューが続いて昔話になれば、また疑われる気がした。
(そうだ、山伏と女子高生の二人を利用しよう。二人は作品を作っている最中に、アトリエの外にいたから、作品を作るためにアトリエの電気が点いていたのを見ていたはず。うまくいけば、ローゼンベルクの生存を錯覚させて証人にできるかもしれない)