第三章 魔道書の実態
第三章 魔道書の実態
1
小堺がアトリエに姿を見せたのは、午後九時半だった。小堺は遅くなった事態をあまり気にした様子もなく、平然と話を切り出した。
「あの二人には話をして、お帰り願ったわ。もっとも、二人とも捨て台詞みたいなのを吐いていたから、また来るかもしれないけど、絶対に相手にしちゃダメよ」
言われなくても、相手になんか断固したくない。
「魔女っ子志願者も、腕比べをしたがる霊能者も、普通に生活していたら絶対に会わない人種ですし、係わり合いになりたくもないです」
小堺がテーブルの上の下絵を見ながら、尋ねてきた。
「それで、仕事は進んでいるのかしら。私は、そっちのほうが心配なんだけど」
元となる絵がすでにあるし、作風も楠木自身のタッチでOKなので、作業は順調だった。
楠木は機嫌よく答えた。
「思ったより早く作業が進んでいますよ。このペースなら、来週には彫りに入れます。なので、版画作成用の道具の準備をお願いします」
小堺は楠木の下絵を見ながら、まんざらでもないといった様子で返答した。
「道具は明日には届くから、日曜日には持って来るわ」
「日曜もアトリエで働くんですか、日曜日くらい休ませてくださいよ」
小堺が楠木の頼みを一蹴した。
「ダメよ。一日でも休むとペースが崩れるから、乗っている時は、ドンドン作業しなきゃ、それに、高校は行ってないんでしょ。だったら、仕事しなきゃ」
高校に行かせてもらえていない原因は小堺の謀略なのだが、確かにアトリエで仕事を続ける限り、学校での勉強は、どんどん遅れていく。あまり勉強に遅れて、テストで赤点を取って留年になったら、目も当てられない。
そうなる前に仕事を終えて、日常に戻らなければならない状況は、わかっている。でも、日曜日くらいは休みたい。
「日曜ぐらい、いいじゃないですか。どこかで、一日くらい、学校の勉強を復習しておかないと、次のテストが悲惨な事態になりますよ。高校生の本分は、勉強ですよ」
小堺は頑として譲らなかった。
「なに、ゴースト・ライターが生意気に正論を言っているのよ。とにかく、早くローゼンベルクの本を出さないと、出版社の台所事情がまずいのよ」
「でも、本が一冊、出たか出ないかで、そんなに売り上げには大きく影響しないでしょう」
小堺がすぐに反論した。
「するのよ。ローゼンベルクはウチで一番の売れっ子魔道書作家なの。一冊出せば、二千部は堅いのよ」
楠木は疑問に思った。
(二千部? 確か、専門書だと、一冊一万円くらいって聞いた覚えがある。ということは、売り上げで二千万円くらいだよな)
楠木は思いつきから概算してみた。
(出版社の取り分が六十%くらいとして、一千二百万円。単純に、製本費と宣伝費が合わせて二百万円くらいとしても、利益にして大雑把に一千万円くらいじゃないだろうか。一千万円の利益を急いで出さなきゃ行けないほど台所事情が悪いのなら、小堺さんの出版社けっこう危ないんじゃないのか。あれ、僕のアルバイト代、ちゃんと出るんだろうか)
小堺は楠木の心境の機微を完全に読んだのか本棚から一冊の豪華な装丁の魔道書を本棚から取り出して、本を裏返した。
楠木の目に『定価二十五万円』の文字が目に入った。
「言っておくけど、魔道書は直販だから、取次ぎと小売店は通さないわよ」
楠木の頭が素早く回転した。
(二十五万円×二千部=五億円! ローゼンベルク先生の印税が十%なら、残り九十%は全部ごっそり出版社に入るよな。製本費と宣伝費なんて一%にも満たないから、魔道書って利益の塊だよ!)
単純に考えれば、ローゼンベルク先生の本が出るか出ないかで、出版社側は約四億五千万の利益が違ってくる。魔道書専門の出版社なんて聞いた覚えがないから、小さい出版社だ。
小さな出版会社で一年の利益の見込みが約四億五千万も違ってくれば、経営に大きく影響するだろう。
小堺は腕組みしながら、辛辣な顔で発言した。
「ウチの出版社は七月末決算だから、六月中に予約を取れる状態にして、七月中に発売したいのよ。ここまで来たから、正直に話すけど、今年の決算を黒字にしておかないと、銀行との関係がおかしくなりそうなのよ」
造っているのは魔道書なので、どこかファンタジックな物を感じていたが、会社の内情は、けっこう生々しい。夢の舞台裏って、こんなものなのだろうか。
2
結局、土曜日も日曜日も、楠木はアトリエに残って仕事をさせられた。日曜日は女子高生が朝から来ていると困るので、小堺が車で送り迎えをしてくれた。
結局、中間テスト期間の二日間以外は全て、アトリエに篭る事態になった。中間テストは勉強をほとんどしていないので、結果は散々だった。
そうして、女子高生と山伏を煙に巻きながら、五月三十一日の昼過ぎに、八色刷りの版画十二枚が完成した。
ずっと休まずに版画を作り続けた楠木は、感極まるものがあった。
「やっと、できた。これで、終われる」
楠木は手を洗うと、刷り上った版画をテーブルの上に並べて、小堺に連絡を取った。
「小堺さん、やっと全て、完成しました。後は製本をお願いします」
小堺が飛んできた。版画が乾いているのを確かめると、一枚ずつ中性紙に挟み、汚れないように工夫して、大き目の袋に入れて行く。
「よく頑張って、五月中に仕上げてくれたわね、楠木君。これで、出版社も無事に決算を迎えられるわ。これ、アルバイト料よ」
小堺は紐が掛かった菓子折の箱を差し出したので、楠木は顔を歪めた。
「ちょっと待ってくださいよ。小堺さん。こんな菓子折じゃ、騙されませんよ。ちゃんとお金を払ってくださいよ」
小堺は微笑んだ。
「嫌だわー。騙そうとなんかしてないわよ。中を開けてみてよ」
菓子折の箱を受け取ると、かなりの重みがあった。中を開けると、菓子折の箱の中に札束が詰まっていた。目の前の光景に言葉を失った。
札束を一束だけ取り出し、パラパラと捲ってみるが、きちんと全部が一万円札だった。映画の小道具のような白紙は、混じっていない、
(菓子折に札束を入れて渡された。こんな光景、本当にあるんだ)
小堺が何か勘違いしたのか、陽気に声を掛ける。
「大丈夫よ。ちゃんと、十二ページ分で、六百万円あるわよ」
楠木はゴースト・ライターの仕事は一冊を仕上げて五十万円だとばかり思っていたが、違った。売れっ子魔道書作家のゴースト・ライターの仕事は、一ページの単価が五十万円だった。
確かに、考えてみれば、ローゼンベルク先生の印税としての取り分が五千万円で、ローゼンベルク先生が亡くなったのなら、ゴースト・ライターである楠木に約七百四十万円《楠木の手取りが六百万円なので源泉徴収分を計算すると総額は約七百四十万円》を払っても、出版社側としては、全く痛くない。
楠木は動揺を抑えながら、菓子折の蓋を閉めて紐を掛け直した。
小堺が親切そうな顔でアドバイスしてくれた。
「ギャラは源泉徴収分を引いてあるから、確定申告時に経費を七百四十万円計上して申告すれば、源泉徴収された税金分が還付金として戻ってくるわよ。戻ってくる源泉徴収分は、早くできたボーナスだと思って受けとってくれていいわ」
楠木は小堺の説明に疑問を持った。
「経費計上って、俺、なにも経費になるような物を買ってないですよ」
小堺は当然だというように指摘した。
「実際に使ってなくても、確定申告時に経費は計上して申告できるのよ」
「でも、税務署に申告書を出すときに、高校生で収入が七百四十万もあって、経費を七百四十万円も使っていたら、いくらなんでも怪しまれるでしょう」
「楠木君は確定申告した経験がないから知らないでしょうけど。税務署が七百四十万円くらいの低額所得者の所に調査に来る事例はないのよ」
小堺の言っている話は事実なのかもしれない。だが、本当に小堺の言うとおりに税金を処理していいのだろうか。
「でも、でも、確定申告書を提出する時に領収書を見せてくださいっていってきたら、どうするんです」
小堺はサラリと流した。
「電子申告なら税務署員と顔を合わせる状況にはならないわよ」
そうだ、忘れていた。小堺は本を出版するためなら死体も隠す人間なんだ。ありもしない経費を計上して税金を逃れる行為を勧めるくらい、当然の親切心なのかもしれない。
楠木が何も言えないでいると、小堺がちょっとばかり眉を寄せて発言した。
「どうしても、正直に申告したいと主張するなら止めないけど。そうすると、お父さんの扶養者控除から外れるし、住民税も掛かってくるわよ。国民健康保険料も国民年金保険料も楠木君自身が払う事態になるわ」
(そうか、正直に申告すると、高額のバイトをした事実が、親に知られる可能性が出てくるのか。かといって、申告しないと、自動的に住民税や保険料がっぽりだよな。嘘の申告をしても税務署にはバレないかもしれないけど、小堺さんには弱みを握られるよな)
楠木にとっては、両親に高額のバイトを知られる事態も嫌だったが、住民税や保険料の弱みを小堺に握られるのも、危険な気がした。ある意味、小堺は税務署より厄介な存在かもしれない。
楠木が迷っていると、小堺が気軽に発言した。
「どの道、確定申告は来年にならないとできないから、その時までに決めたらいいわ」
3
六月になり登校すると、三週間も学校を休んだせいで、すっかり勉強がわからなくなっていた。
困っていると、小堺さんからこれまた絶妙なタイミングで電話があった。
小堺さんは陽気に声を掛けてきた。
「楠木君、勉強わからなくなって困っているでしょう。個人に勉強を教えてくれる家庭教師を探しておいたから、期末試験まで今日から勉強を見てもらうといいわ。本を早く仕上げてくれたお礼に、家庭教師の費用は出版社で持つわ。どうせ、家ではまだバイトしている状況にしてあるんでしょう」
小堺の申し出はありがたかった。でも、なんだかアフター・ケアーが行き届きすぎている気がする。本ができてしまえば、出版社として楠木は用済みのはずだ。
楠木は何か引っかかりを感じたが、ゴースト・ライターが存在を暴露しないためのアフター・ケアーだと思い、家庭教師をお願いした。
タダなら、家庭教師の先生と合わなければ気軽に辞められる。
家庭教師といっても、個人の家で高校の勉強を教えてくれる場所らしく、指定された場所は古くて小さな一軒家だった。
家のインターホンを、少し緊張して押した。小堺の紹介なので、どんな変人が出てくるかと思ったが、出て来たのは普通の女性だった。
栗色の長い髪を後ろで縛った、ゆったり目のアイボリーのワンピースを着た、二十代前半くらいの、おっとりした女性だった。
「初めまして、楠木君。私は、利根崎理香。本業は占い師だけど、副業で高校生の家庭教師もやっているの、よろしくね」
自己紹介を聞いて、楠木は少し不安に思った。
(本業が占い師って、高校生の勉強ちゃんと教えられるんだろうか)
だが、小堺さんの推薦だから、能力は一応あるのだろうと納得した。
「こちらこそ、短い間ですけど、よろしくお願いします」
家に上がり込むと、利根崎は一人暮らしなのか、家には他人の気配がしなかった。
一人暮らしの女性の部屋なのでどんな部屋なのかと少し期待したが、案内された部屋は机と高校の教科書が揃った本棚があるだけの、勉強を教えるための殺風景な部屋だった。
ただ、職業柄なのか、高校の教科書に混じって『アストラル世界の探求』『ルーン文字の解析とその解釈』『魔術修行の初歩』『占星術と星界魔術』といった類の本が本棚の一段を占めているのが気にはなった。
幸いというか、当たり前というか、ローゼンベルク先生の本はなかった。
さっそく、数学の勉強を教わると、利根崎は予想に反して、きちんと筋道立てて、わからない場所を教えてくれた。
途中、二時間ほど経過すると休憩時間になる。休憩時間にはハーブティと利根崎が造った自家製のスイーツが出てくる。
利根崎は手先が器用なのか、スイーツの腕は店で売っているものと大差ないほどで、美味しかった。
休憩を跨ぐが、瞬く間に四時間が経過した。
小堺にしては、まともな個人レッスンをしてくれる家庭教師を宛がってくれたと思った。
勉強が終ると帰る間際に雑談になり、利根崎はごく自然な流れで聞いてきた。
「ねえ、楠木君。占いとか興味ある」
楠木は利根崎の職業柄なのだろうと、軽く受け流した。
「すいません、正直。占いとか魔術とか信じないほうですね。良い結果が出ればいいですけど、悪い結果が出たら、なんだか嫌じゃないですか」
利根崎は微笑んで答えた。
「そんなことないわよ。きちんとした占い師なら、悪い結果が出ても、どう対処すればいいか教えてくれるものよ。もちろん、別料金を請求したりしないわ。どう、ちょっと占ってあげましょうか。もちろん、タダでいいわよ」
楠木にしてみれば、余計なお世話だと思った。でも、勉強を教えてもらっているので無下に断るのも気が引けた。
それに時間は結構遅いので、怪しいグッズを売りつけられそうな展開になったら、帰ればいいと思った。
「じゃあ。占い、お願いします」
利根崎は「ちょっと待っていてね」と断って席を外し、人の頭蓋骨を模した銀色の物体と、サイの目の代わりに六個の紋章が刻まれた、色違いのガラス製のサイコロ八個を持ってきた。
利根崎は頭蓋骨を模した銀色の器をひっくり返して、サイコロを楠木に渡した。
「さあ、楠木君、サイコロを両手で持って、頭の中を空っぽにして、目の前の容器にそっと投げ入れて」
楠木が言われた通りにすると、銀色の頭蓋骨の中でカラフルなサイコロが転がり、紋様が出た。が、楠木にはさっぱり意味がわからない。
利根崎が何かを紙にメモしてから、サイコロを取り出し、楠木に渡して指示を出した。
「今度は星の紋章を頭に思い浮かべて、同じようにサイコロを投げてみて」
言われて通りにすると、またバラバラな目が出た。
利根崎は次々に指示を出した。
「次は髑髏の紋章を思い浮かべて」「次は獅子の紋章を」「次はワンドの紋章」「次は天使の紋章」「最後に泉の紋章を思い浮かべて」
何を占っているかわからないが、言われた通りにサイコロを振っていった。すると、最後に振ったサイコロは、八個中の七個まで同じ目になった。
楠木は「あれ、なにか、いいことあるのかな」と思った。だが、利根崎のペンが停まって、しばらく何も言わなかったので、不安になってきた。
楠木の視線に気が付いた利根崎が、微笑んだ。
「ごめんなさいね。急に黙っちゃたりして」
「それはいいんですけど、今のサイコロを六回振った結果、何がわかんですか?」
利根崎はさりげなく伝えた。
「別に単に運勢を占っただけよ」
楠木は直感だが、単なる運勢占いではない気がした。
「運勢占いですか? 結果は何が出ました」
「そうね。残念ながら楠木君には、特別な才能はないみたい。でも、がっかりしないで。何か突出した才能がないということは、努力しだいで何にもでもなれる状況を意味しているから。ただ、対人運は良いから、幸運な出会いには恵まれているわ」
「そうですか、可もなく不可もなくといったところですね。平凡が一番ですね」
楠木は楠木自身で占いを総括した。
どうも利根崎の占いの意図は別の意図があったのではないかと勘ぐった。しかし、利根崎が楠木の何を占いたかったのかは結局、最後まではわからなかった。
翌日以降も利根崎指導の元、勉強を教えてもらったが、利根崎は初日以降、休憩時間に雑談はするものの、占いの話をしなかった。
利根崎はとても感じのいい人で、好感が持てた。
4
利根崎のおかげで遅れていた勉強も七月中に取り戻せ、期末試験ではいつもより良い成績でクリアーできた。期末試験終了に伴い、利根崎から勉強を教えてもらう期間が終了した。
期末試験も終わり、夏休みに入った初日に、今まで全く連絡がなかった小堺より連絡があり、アトリエに呼び出された。
アトリエに出向くと、小堺が特上寿司を用意して待っていたので、怪しいものを感じた。
小堺は「ささ、遠慮なく食べて、食べて」と寿司を薦められるが、最初は箸を付けるのを躊躇った。だが、結局は食欲に負けた。
途中まで食べると、小堺が話し始めた。
「あのね、楠木君。前回、出版した『ローゼンベルクの変容の魔道書』だけどね。すっごい、評判がよかったわー、さすがに、三千部に届くとは思わなかったわー」
楠木の箸が停まった。なんで、呼び出されたか、小堺の言葉で展開が読めた。
楠木は前回の仕事がローゼンベルク最後の魔道書になると思っていたが、小堺にとっては、最後ではなく、ある意味、始まりの魔道書にするつもりなのだ。
楠木は箸を置いて、正直な気持ちを打ち明けた。
「お金は欲しいですよ。でも、存在もしない魔法の本を作って、儲けるのって正直、霊感商法みたいで、嫌なんですよ」
小堺も箸を置いて、楠木を正面から厳しく見つめて問いかけた。
「正直に聞くわ。だから正直に答えて。今回の魔道書が売れたから、ページ単価が安すぎるって、ロイヤリティの交渉をしたいわけ?」
(全然、言葉が通じてないよ。魔法なんて存在しないのに)
もし、魔法があるなら、魔道書のページを作った楠木自身が魔法の一つも使えるようになっていいはずだ。でも、今のところ、楠木自身が魔法を使えるようになったとは思えない。
「だから、そういうんじゃないですってば。僕は魔法も信じてなければ。もう、死んだ人の名前で作品を出したくもないんです」
小堺が両手を合わせて拝み倒すように頼んできた。
「ローゼンベルクはここ数年、新作を出していなかったのよ。最低あと一冊は出してくれないと、経営に余裕がないのよ。他の魔道書作家も育ってきているけど、まだ、それほど稼げるわけじゃないのよ。出版社を潰してしまうと、今、抱えている魔道書作家のたちの生活も、立ち行かなくなるのよ。だからお願い、あと一冊だけ、ね、ね」
楠木は突き放すように発言した。
「他に魔道書作家がいるなら、その人たちにローゼンベルクの名前で描いてもらえばいいじゃないですか」
小堺が本音をぶつけてきた。
「それは、ダメよ。他の作家には将来があるから、ゴースト・ライターなんか、やらせられないわ。その点、楠木君は魔道書業界に未練がないから、使い捨てにできるのよ」
使い捨て発言には引っかかりを感じるが、確かに将来性がある作家に、編集者としてゴースト・ライターをやらせるわけにはいかないのかも知れない。
今回に限っては、なぜか心の奥ではここら辺が潮時だと、人間の魂の奥底に眠る危機感知センサーのようなものが知らせていた。
小堺は立ち上がると椅子をどけて、床に土下座するような体勢でお願いしてきた。
「どうか、どうか、もう一作お願いします。次が出れば、出版社にも余裕が生まれるのよ。そうなれば、期待の新人魔道書作家、利根崎理香の売り出しが、軌道に乗せられそうなのよ。理香を助けると思って、もう一作、描いて」
利根崎が占い師ではなく、新人の魔道書作家だとは初めて知った。利根崎が新人魔道書作家では喰えないので、占い師や家庭教師をやって生計を立てているとしたら。
楠木は迷った。利根崎は親切に勉強を教えてもらった。休憩時間には美味しいスイーツを毎回ご馳走になっている。それに、利根崎に好感を持ってしまった。
利根崎の将来が懸かっているとなると、嫌だと断りづらくなった。おそらく、最初の本ができた段階で、小堺は次のローゼンベルクの作品の出版を視野に入れていたに違いない。
だからこそ、利根崎を家庭教師として楠木に紹介して顔見知りして、できるだけ断りづらい状況に持ってきたのだろう。
結局、小堺の作戦勝ちとなった。
「わかりました。ただし、本当にあと一冊だけですからね。それと、学校は休ませんよ。日曜日も、しっかり休みますからね。その条件でいいなら、あと一冊、お付き合いします」
小堺はパッと立ち上がって楠木の手を取った。
「ありがとう、楠木君、恩に着るわ」
「それで小堺さん、あと一冊、描いた後は、どうするんですか。ローゼンベルク先生の死を公表するんですよね」
小堺が顔を背けて目を泳がせて答えた。
「それは、まだ、なんともいえないわね」
「ちょっと待ってください。もしかして、なし崩し的に僕にあと一冊ではなく、何冊も描かせようと画策しているんじゃないでしょうね」
小堺が媚びるような目で上目遣いに頼んだ。
「嫌だわ、それは全然ないわ……。でも、次も売れたら、お願いしたいわー。だって、楠木君が生きている限り、まだ何冊かは行けるでしょう」
楠木は強く主張した。
「だから、ダメですってば、次で最後にしてください」
小堺があっさり引き下がった。
「わかったわよ。次で最後にするわ。次の作品が完成したら、業界内では先生は天界に旅立ったと理由を付け、業界から姿を消す。公的には死体が発見されて、役所に死亡をきちんと届ける。で、いいかしら」
やけにあっさり引き下がったのが気になるが、小堺が提案した通りに物事を進めてくれるなら、問題ない気がした。