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9-8  少女の決意(前)

またまた更新までに一週間を超えてしまいました。もう少しテンポ良くやれるように頑張ります。

 ベアトリーチェに週末の予定を訊いた翌々日の六の日、ぼくは彼女と昼下がりのカフェで待ち合わせていた。


 夜まで母親がらみの予定があるはずの彼女が、なぜその時間に街に出られるか。そんな許可を出せるのは父親であり当主であるニスケス侯爵しかいない。なぜ侯爵がそんな許可を出すかといえば、彼がぼくに管理を委譲した諜報員、そのうちのカデルのほうを通して、ぼくがベアトリーチェに一歩踏みこむ旨、そのために六の日の午後以降に彼女をフリーにして欲しい旨のメッセージを送ったからである。昨日、彼女は首をかしげながら六の日、つまり今日の午後からぼくに同行できると伝えてきた。彼女と結婚しろ、という侯爵の言葉は、どうやら相当に本気であるようだ。




「待たせちゃってごめんなさい」


 約束の時間を十分ほど過ぎたところで彼女は急いでやってきた。といっても、息を切らして、とかそういう話ではない。遠目で見ていたが、カフェの正面入り口につけた馬車から早足で店の中に入ってきた、というだけである。そして、貴族の令嬢は物心ついたころには、美しい歩き方を徹底的に仕込まれる。早足とはいっても、優雅そのものであった。


「車はどうすればいいかしら?」


 ぼくはそう尋ねるベアトリーチェを見た。明るい緑色のドレスにちょっとヒールの高い靴は、内装もきっちり行き届いているこのカフェを訪れるにはピッタリだが、あまり外を歩くにはむかない。店を出たあとの足を用意することに気が回らなかったぼくは、まだまだ修行が足りない。


「ごめん、ちょっとこのあとの片道だけ使わせてもらっていいかな? 帰りはぼくが手配するよ」


「わかった」


 彼女は入り口で控えていた侍女を呼んでその旨を伝える。身体をちょっと傾げて侍女に耳打ちをする姿は、ふだんの彼女よりちょっと大人っぽい。薄い化粧も、いつもより少しだけ紅い唇も、まさに社交界の花となる年頃の貴族のお嬢様である。みすぼらしくはないが、まったく普段着の自分が急に情けなくなってくる。


 ぼくの心中を覗けるものがいれば,「みょうに細かく見てるじゃん」と突っ込みを入れるかもしれない。そのとおりなのだ。反論の余地はない。


 たしかに侯爵邸に招かれたことはあるし、学舎で机を並べて話をしたり一緒に食事をしたことも何度もある。だが、こんなふうに外のカフェで待ち合わせて、などというデート風味は初めてなのである。彼女に漂う適度なよそいき感が、前の世界であれば学校全体のマドンナ的存在であっただろう彼女の、女性としての本来の高い戦闘力を際立たせている。ぼくとしては、高嶺の花を思い切ってデートに誘ったようなドキドキ感に襲われっぱなしなのである。




 少しカフェでおしゃべりをしたあと、ぼくたちは公爵家の馬車に乗りこんだ。ぼくが御者に行き先を告げる。


「ド・リヴィエール伯爵様のお屋敷ではないの?」


 ベアトリーチェは首を軽く傾げて尋ねてきた。


「あれ、ぼくそんなこと言ったっけ?」


「ううん、そう思いこんでいただけ。でも、それだとどこに連れていかれるのか、想像がつかなくなっちゃった」


「危険はないから、心配しないで」


 物理的な危険はね。存在が危険な人たちはいっぱいいるけど。




 街の中心部からちょっと離れたぼくらの拠点に馬車が着いた。先に降りたぼくがベアトリーチェに手を差し出すと、彼女はその手をとってぼくのそばに降り立つ。リュミエラの蠱惑的な香りとは違う、さわやかだがあとを引く香りにちょっと脳髄がクラッときた。見知らぬ場所に不安を感じたのか、彼女はそっとぼくの腕をとった。

  

「ここは……?」


「ぼくがよく出入りしている場所だから心配しないで。というか、持ち主はぼく」


「持ち主って……ド・リヴィエール伯爵が用意してくださったとか?」


「ううん、自分で買った。その辺も含めて、今日は学舎の外のぼくをベアトに見せようと思って連れてきたんだ」


「そういえば、お父様が『アンリくんはいろいろな顔を持っている』とおっしゃっていたのだけど、そういうこと?」


 侯爵は、それなりに種を蒔いておいてくれたわけか。


「まあ、そうだね。でも、彼のことは知っているよね?」


 中から出てきたのは。エマニュエルだった。いちおう、ショックが少ないように顔合わせの順番は慎重に考えたのだ。想定外ではあろうが、もと同級生から始めるのがベストだろう。




「久しぶりですね、ベアトリーチェ・ニスケス嬢」


「ええと、エマニュエル・バッターノさん、でしたね? 一年半ほど前に学舎を去られてアッピアに向かわれたと記憶してますけど?」


 ベアトリーチェは意表を突かれて驚いてはいたが、もともと知った顔でもあり、すぐにリラックスしてくれた。


「いろいろあって、アンリにここに拉致されたんだよ」


「ら、拉致?」


「人聞きが悪いな。ちゃんとした取引だったじゃん。それに、全然おとなしく拉致されてくれてないよ?」


「うん、こんどはどこに逃げるか思案中だよ」


「ごめんなさい、ふたりとも。さっぱり話が見えない」


「ベアトは気にしないで。エマニュエル、彼女は?」


「居間。お茶も入ってるよ」


 さて、ここからが本番だ。




「ご無沙汰しております、ベアトリーチェ様」


 ベアトリーチェは、居間で膝をついて頭を垂れた姿勢で彼女を迎えたリュミエラを見て、ポカンとしていた。顔も見えないし、あたりまえか。リュミエラは、ベアトリーチェの学舎入学前に何度か会ったことがあるといったが、どんなもんだろうか?


「すみません、お顔をあげてくださらないかしら?」


 彼女は腰をかがめ、リュミエラに顔を近づけてそう言った。上から見下ろしたまま、なんてことはしないあたり、身分が下と思われる相手に対する接し方も、やはりベアトリーチェだ。


 リュミエラが顔を上げてニッコリとベアトリーチェに笑いかけた。なかなかスパイスの利いたことをする。ベアトリーチェの表情はこわばり、身体はわずかに震えている。頭のよい彼女は、幼少時に数回だけ顔を合わせたリュミエラをしっかり記憶しているようだ。


「リ、リュミエラ様! なぜこのような……! は、早くお立ちくださらないと!」


 顔面蒼白のベアトリーチェは、自分も膝をついてリュミエラの肩に手をかけ、立ち上がらせようとする。


「そうはまいりません。わたくしは奴隷の身。侯爵家のご令嬢の前で顔を上げることも本来は許されません」


 リュミエラも遊んでるよね。


「ど、奴隷……?」


 なにを言われたかを理解するのにちょっと間をおいたベアトリーチェは、次の瞬間、ものすごく厳しい目でぼくを睨みつけた。激しい怒りがこもっている。


「アンリくん! どういうこと!?」


「ぼくからじゃなくて、彼女から説明を聞いてくれるかな?」


 なんとか言い淀まずにすんだ。それほどコワかった。学舎の彼女からは想像もつかないくらいに強い感情の塊が、思い切りぼくにぶつけられたのだ。少しお尻がキュッとなった。これも、彼女の一面として記憶しておかねば……。




「ごめんなさい、アンリくん。アンリくんはリュミエラ様を助けてくれたのに、それを知らずに大きな声を出しちゃったりして……」


 リュミエラから一連の経緯を説明されたベアトリーチェは、先ほどの勢いをすっかりしぼませ、申し訳なさそうにぼくにそう言った。激しさはこもっていたが、そんなに声自体は大きくなかったんだけどね。


「いや、助けられたのはただの結果で、運がよかっただけだから」


 じつはあれは「運」ですらなく、本当にリュミエラをそれと知らずに買いに行っていたわけで、「偶然」と言わなきゃいけない。だが、それはせっかく落ち着いてきた彼女をまた混乱させるからやめておく。また怒らせるのが怖いからじゃないよ?




「ぼくと一緒にリュミエラの復讐を手伝ったのが、ここにいるシルドラで、シルドラのお姉さんが、あそこで寝てるテルマ。じつは魔族なんだけど、ぼくらが生まれるずっと前から、人間の世界に暮らしてるんだよ」


 シルドラたちの紹介には、やはり少し気を使った。多少なりとも魔族と接点がある冒険者ならともかく、普通は彼女らの本質を知ろうとする前に尻込みしてしまうだろう。リュミエラの件に絡めて紹介すれば、多少は抵抗が減るだろうからね。


「あ、テルマさんはアンリくんの知りあいだったの?」


 へ? テルマとベアトリーチェに接点?


「か、顔見知り?」


「はじめはザカリアス様のところでお目にかかったの。何でもないようにザカリアス様の魔法を打ち消したりして、ビックリしちゃった。そのあとは、学舎の中でときどき」


 テルマさん、だからフラフラ散歩をするのはほどほどにしてくださいとあれほど!


「そっかぁ、魔族の人の魔法の能力って、やっぱりすごいんだね。シルドラさんもやっぱり?」


「わ、わたしは出来が悪いでありますので……」


 かわいそうに、シルドラはふだん他人に接するときのテンションをすっかり失い、イヤな感じの汗をダラダラ流しながら口ごもっている。悪気ゼロでテルマと比べられたら、やはりつらいものがあるだろう。


「あ、あのね、ベアト、テルマさんは、魔族の同世代で最強を争っている人だから、同じぐらい、っていう人は魔族にも少なくてね……」




 思いがけず魔族姉妹の紹介がスムーズに終わったあとは、ギエルダニアの二人になる。この二人は、普通に紹介すればいいはずだ。


「アンリくん、どうしてギエルダニアの騎士養成学校のシャバネル様がここに? たしか最高学年にいらっしゃるはずだけど……」


 いままさにローラを紹介しようとしていたぼくと、そのぼくの言葉を待っていたローラは、同時に口をポカンとあけた。


「し、知ってるの?」


「だって、わたしたちが三回生の時に交流行事でいらっしゃったでしょ? 四回生なのに序列第一位として紹介されていたし、不思議な雰囲気の方だったから、印象に残ってるの。女性でいらっしゃったのですね」


 似ているとか、そういう言いかたではない。本人だと確信している。ローラもあのときといまでは当然ながらずいぶん印象が違うはずだ。なにせあのときは公称男だったが、依然としてボーイッシュとはいえ、いまは完全に女性として暮らしている。そして、接点は学舎の全生徒の前で騎士養成学校の代表が紹介された、その一回だけだと思う。いったいベアトリーチェは、どういう人物認識能力を持っているのだろう?


「そ、そっか。それなら話は早いや。それでね……」


「早くないわ。そのシャバネル様がここにいらっしゃる理由は?」


 スルーは許されないらしい。




 ビットーリオの紹介の都合もあるので、結局ギエルダニアでの交流行事の際の事件も含めて、ローリエがローラになったいきさつをあらいざらい白状することになり、ローザとヨーゼフもついでに紹介をすませてしまった。ベアトリーチェは説明をじっと聞いていたが、最後には少し涙ぐんでいだ。


「わたしは、シャバネル伯爵を心から尊敬します。そしてローラさんの決断も」


「ありがとう、ぼくにとっても、最高の父上です」


 ローラとベアトリーチェの間に、しんみりしつつもうちとけた空気が流れた。現在庭で爆睡中のニケは、いつどんなタイミングで紹介してもすぐに受け入れてもらえるだろうし、これでだいたいヤマは越えた、という感じかな……。


「それで、アンリくん。この方たちはなんのためにここに? この家はアンリくんの持ち物なのでしょ?」


 ヤマはまったく越えていなかった。



お読みいただいた方へ。心からの感謝を!


アンリがこれまで認識していなかった、ベアトリーチェの真のスゴさが徐々に明らかになってきます。


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