9-2 貴腐人マイヤ
いつ出そうか、作者だけがワクワク考えていた外伝「だが断る!」連動エピソードがついに日の目を!
今回大半アンリとマイヤの壊れた会話です。
新学年が始まって間もない春先の暖かい六の日、学舎の中庭をぶらついていると、日当たりのよい長椅子にリシャールとルカがいた。なにやら笑いながらおしゃべりに打ち興じている。本当に仲のいい二人だ。ときどきリシャールがルカの髪をくしゃくしゃやってみたり、ルカが肘でリシャールを小突いたり。特殊な嗜好を持ったひとでなくても、ちょっと勘ぐってみたくなる情景である。
(……ん?)
ぼくのアンテナが、淀んだ邪悪な空気の気配を感じた。ふたりのいる場所を中心にして素早く見回してみると……ちょうど二人からは木の影で見えにくい位置にその禍々(まがまが)しい存在がいた。
ぼくはいまの自分に出来る限界まで自らの気配を薄くした。気配のコントロールは小さいころからタニアに仕込まれており、学舎に入ってからも鍛錬は欠かしていない。スキルレベルでいえば十段階の八から九あたりまでは行っているはずだ。だが油断はできない。ヤツも気配を消すことにかけては超一流だ。察知にしても並ではあるまい。
静かにその場を離れて大きく回りこみ、その邪悪な存在の後方からゆっくりと接近した。背筋を汗が走る。少しの気配の揺れも感じさせてはならない。一歩、そしてまた一歩、ヤツとの距離を詰めていく。幸い、ヤツは手元でなにかの作業をしている。リシャールたちを見ながら作業をしているために、周囲への警戒は若干散漫になっているようだ。
ついに、ぼくはヤツのすぐうしろに立つことに成功した。そっとヤツの手元を覗きこむ。ヤツはなにやら紙に書き込んでいる。この世界、紙は存在するが高価なのだが、その紙を惜しげもなく丸めては足下に落とす。少し目をこらして、ヤツがなにを書いているのかを確認しようとした。邪悪な計画の立案であれば、止めなければならない。
次の瞬間、ぼくは強烈な眩暈に襲われ、気配遮断が半ば強制的に解かれた。ヤツが振り向き、その視線がぼくの視線とぶつかった。
「見ましたね?」
感情のこもらない声でマイヤがぼくに確認する。見られたことを歓迎はしていないだろうが、悪びれたふうもない。
「うん、見た。見たくなかったけど、見た。見なければよかったけど、見た」
ぼくが目にしたもの、それは、耽美な絵柄で描かれた、全裸で絡み合うリシャールとルカのカットだった。足下に散らばっている紙をチラと見ると、同じモチーフのアングル違いだった。
「マイヤ、きみ、男同士のカップリングが好き、とか、そういうレベルの人じゃなかったんだね?」
「好きこそものの上手なれです」
意味がわからない。あまり深く関わりたくない。
「いつもこれだけ紙を使うの? お金かかるよね?」
この世界、紙の定型サイズとかはないが、A四に近い大きさの紙五枚で屋台の肉の串焼き一本と同じ値段だ。
「それがいちばんの悩みのタネです。お小遣いでは足りないのでバイトしてます」
「たとえば?」
「友人の課題をかわりにやったり、男の子に友人の言付けを渡したり……」
あれ?
「ちょっと待ったぁ! マイヤいまなんて言った?」
「だから、友人の課題を……」
「その前!」
「お小遣いでは足りないのでバイトを……ですか? ああ、バイトって言っても通じないですね」
「……通じる」
「え、え、なんで?」
「ひょっとして、きみ、ホンモノの腐った人だった? たとえば同人誌を作って売ってたりとか?」
「アンリさん、まさかあなた、チートをよこせとゴネてキシモトさんに迷惑をかけていた転生者の一人なのですか? そういえば、アンリさんは妙にそつなく全てのことをやってのけますよね?」
「いや、そのキシモトさんが誰かは知らないんだけど」
「あれ、こちらに来るときに話しませんでした? この世界を管理している人みたいですけど」
間違いない。「観察者」だ。キシモトという名前だったのか。
「ちょ、ちょっとここから離れようか。食堂でお茶でも飲みながら話そう」
「なんですか? わたし、忙しいんです。アンリさんにかまってる場合じゃないんです」
「紙三十枚プレゼントするから!」
「行きましょう!」
こ、こいつはぁ……!
お茶を飲みながら、ぼくたちはお互いの状況についてシェアし合った。マイヤが向こうの世界でまだ死んでいないということ、「観察者」に頼まれて転生の真実を伝える役割を負ってこの世界でかりそめの人生を送っていること、その代償に同調能力や魔法の力などの多少の能力のカサ上げを受けたこと、そして、向こうではかなり売れっ子の同人誌の作家だったこと、いずれもかなりのインパクトだ。いや、ぼく的には最後の話はどうでもいいんだけどね。
ただ、もう一度もとの世界に戻るとすれば、「観察者」に遭遇する可能性はかなりあるんじゃないか? 使えるか?
「わたしは、アンリさんが英雄になるはずだったことにビックリです。中途半端でよかったですね。アンリさんのようなチャラい人が世界を救うとか、考えただけでも恐ろしくなります」
「どういう意味!?」
「まったく、ベアトリーチェ様もどうしてこんな人に興味を持ちつづけていらっしゃるのでしょう? あたりまえに引く手あまただというのに……」
「それについてはきみだって一役買ってるはずだよ。こっちだってそれなりに苦労してるんだからね!」
「そんなことはわたしだってわかってます。深く反省していますよ。ではわたしはこれで。まだあのふたりがいるといいのですが……」
「待って、待って! 話はまだ終わってないんだ!」
「なんですか? 紙三十枚分だったら、こんなものだと思いますよ」
「きみの時間の値段が高すぎるよ! もう少しつきあってくれてもいいと思うよ!?」
「わがままですね。わかりました、もう少しですよ?」
ど、どうしてくれよう、こいつ……。
ぼくは、テルマ経由でエマニュエルを街のカフェに呼び出した。オーバースペックにもほどがあるテルマは、最近は簡単なメッセージなら離れていても感じとってくれるのだ。「エマニュエル、カフェ」と念じれば、テルマは彼にぼくたちがいつも利用しているカフェに行くように伝えてくれる。たぶん、手間としては渋るマイヤを連れていくことの方が大きかったと思う。
「ええと、きみはたしか、マイヤ・ジレスさんだよね?」
エマニュエルがしばらくマイヤを見つめ、記憶を探るようにして言った。
「エマニュエル・バッターノさんではないですか。学校をやめて行商に出たと聞いていたのですが、カルターナにいたのですか?」
やはりこの子は変だ。エマニュエルが学校をやめたことはともかく、やめた理由まで正確に知っている人間はそういない。ジレス伯爵家が情報を扱っているという話と関係するのかな。
「いろいろあって、いまはアンリくんと行動をともにしているんだ」
「そうだったのですか。で、わたしがここにいる理由はなんですか? 昔話をするとかなら遠慮したいのですが」
「じつはマイヤに頼みがあるんだ」
「お断りします」
ス、ストレスたまるぜ……。でも、受けてもらわないとエマニュエルとの約束が果たせないから、ここはガマンだ。
「紙をひと月に百枚までなら都合する」
「聞きましょう」
ぼくはエマニュエルのおかれた状況を説明し、その輪を断ち切るためには「観察者」と接触しなければならないことをつけ加えた。
「マイヤがもとの世界に戻るときに、そのキシモトさんにもういちど会う機会があるんじゃないかと思うんだ。そのときに、エマニュエルのことを知らせてほしい。そうすれば、彼は今の状態から抜け出せる」
意外なことに、マイヤは即座にこの頼みをきいてくれた。
「ずいぶんとまともな頼みごとではないですか。アンリさんのことですから、さぞかしご自分に都合のいい内容なのではないかと思っていました」
ぼくについてそういった見方をする人は、たしかにけっこういる。リシャールしかり、マルコしかりだ。ベアトリーチェにも言われたな。だが、ここまで本気のストレートを投げてくるヤツはいないぞ? ひとこと言ってやらなきゃいけないな。
「あのさ……」
「それとも、この頼みごとをすることが、エマニュエルさんがアンリさんと行動をともにする条件になっているとかでしょうか?」
沈黙が流れた。どうしてこのマイヤという子は、こうもカンがよいのだろう?おかげで、最初のコメントに「マイヤはぼくを誤解している」とかぶせて攻勢に出るチャンスを失ってしまった。どうもこの子とは相性が悪い。
「まあ、そういうこともなきにしもあらずだね」
形だけでも否定してくれるかと思ったエマニュエルは、あっさり敵側に寝返った。ぼくにはこういうときに必ずかばってくれる人というものがそばにいない気がする。リュミエラすら、よく聞くと必ずしもぼくをサポートしていない言動をするときがある。
「では、本当にそろそろ失礼してよろしいでしょうか?」
そう言いながら、マイヤは半分腰を上げている。だが、じつはこれだけで終わらせるわけにはかない。マイヤと話しているうちに、ひらめいたことがあるのだ。
「待った、もう少しだけお願い」
マイヤは本当にイヤそうな顔をした。考えてみれば、この子もずいぶん表情が豊かになったものだ。ベアトリーチェの紹介で最初に会ったときなんか、なんの反応もない人形みたいだったのにな。
「マイヤの趣味のことなんだけどさ」
「趣味ではありません。ライフワークです」
「ご、ごめん。そのライフワークのことなんだけど、学舎や、家の知りあいに同好の士なんているのはいるの?」
「考えたこともありません。間違った相手にカミングアウトして変な噂をばらまかれたら、両親や兄弟に迷惑がかかります」
「ぼくはいいの?」
「アンリさんは数に入っていません。それに、言ってもご自分にメリットのないことを、あなたは触れ回ったりはしないでしょうし」
これは、それなりに信用はされているのか……な?
「ほしいとは思う?」
「絶対に必要とは思いませんが、たまに誰かと意見を交わしたいと思うときは、たしかにありますね」
「ぼくがそれを紹介できるかもしれない」
「本当ですか?」
マイヤは目を見開いてぼくを見た。いつもの、どこかになにかを含んでいるような油断のならない目ではない。ひょっとして、彼女はずっとどこかで孤独を感じていたのかな?
「アンリ、どういうこと?」
エマニュエルが耳元で聞いてきたので、ぼくはマイヤに彼女の作品の一枚を見せてくれるように頼んだ。それを見たエマニュエルはウッと呻いたがなんとか踏みとどまり、マイヤにそれを返した。
「なるほどね」
納得してくれたようだ。ぼくはマイヤの方に向き直った。
「たぶん、信じてくれてかまわないと思う。相手はちょっと遠いところにいるけどね」
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
連動エピソード、次回に続きます。




