Interlude 4-1 ベアトリーチェ・ニスケス(前)
ベアトリーチェ視点の十年強が語られます。
六千字くらいと少し長くなりそうなので、悩んだ結果三千字ほどで前後編に分けました。夜には投稿することとしたいと思います。
わたしは、物心ついたときから、いつも上を向いて生きてきた。それほど、わたしのまわりは、いつも目標とする人たちであふれていた。だから、わたしは努力することを少しも苦痛に思わなかったし、いまもそれは同じだ。
お祖父様もお父様も、ドルニエの行く末を左右してしまうような役割を果たしていらっしゃる。もちろん、わたしの家が侯爵という高い格を与えられていることと無関係ではないのだろうけれど、それだけじゃない。おふたりとお話をしていると、自分の視野の狭さが情けなくなってくる。これまで以上に、いろいろな知識を身につき、広い目でまわりの世界を見られるようになりたい。
お祖母様もお母様も、わたしが小さな子供のころから、まったく変わらず美しくていらっしゃる。いや、年を追うごとに魅力を増している気すらする。小さいころは、おふたりのしぐさのまねをして失敗したりしていたが、おふたりの美しさが、外面と内面の両方を磨き続けているからだと気づいてからは、そんなこともなくなった。ただ、自分に本当の自信がついたとき、おふたりの前で「どう?」とやってみるのもいいかな、と思ったりもする。
お兄様とお姉様は、いつもわたしの前を歩いている。おふたりに負けないように教養を身につけ、そして内面だけでなく外面も磨きつづけるのだ。「お兄様に比べて妹は……」とか、「お姉様はお美しくいらっしゃるのに妹は……」なんて、絶対に言わせない。勉強することも楽しいし、もっと美しくなるために努力することも楽しい。やることがいっぱいで、退屈なんかしていられないし、時間がいくらあっても足りないくらいだ。
五歳のころだったか、わたしはマイヤという子と友達になった。
マイヤはお父様が親しくされているジレス伯爵のお嬢さんだ。カルターナの侯爵家には多くの人が尋ねてくるが、お兄様やお姉様、そしてわたしと同じ年頃の子供がいらっしゃる方は、その子たちも連れてきてわたしたちに紹介したりする。マイヤはそんな中のひとりだった。
その日、侯爵家にはわたしと同じ年代の子供が五人ほど集まっていた。全員が自己紹介をしてくれたが、しばらくおしゃべりをしていてふと気づくと、わたしのまわりにマイヤだけがいない。話が途切れないようにしながら目を走らせると、部屋のスミのほうにあるイスにぽつんと一人で座っていた。
「あの、マイヤさんはなぜお一人でいらっしゃるの?」
わたしは、まわりの子たちに訊いてみた。すると、みなが一様に彼女に対して否定的なことを言い始める。雰囲気がくらい、とか、話していてつまらない、とか、何を考えているのかわからない、とか、とにかく一度口火が切られてしまうと止まらなくなってしまった。考えていることを見透かされているようでイヤ、という子もいた。
「待ってください。みなさんはマイヤさんのことをどれくらいご存じなの?」
こう訊いてみると、みな歯切れが悪くなる。
「わたし、よく知らない方のことをそういうふうに言うのは好きではありません。わたし、少しマイヤさんとお話ししてきますね」
わたしはそう言ってマイヤに近づき、そばに腰掛けた。
「マイヤさん、少しおしゃべりしましょう?」
マイヤはビックリしたような顔でわたしを見て、そしてオズオズと頷いた。彼女は、はじめはわたしの話すことに相づちを打つだけだったが、次第に少しずつ言葉をふやしてきてくれた。そうすると、会話がとても楽しく進むようになった。わたしが知らないようなことをいろいろ知っていたり、変わった考え方で話を膨らませてくれたり、じつは楽しい子なのだということがよくわかる。
わたしは、マイヤの手を取って強引にみんなのところに連れていった。
「みなさん、わたし、マイヤさんとお友達になりました。わたしのお友達をよろしくお願いしますね?」
わたしがみんなにそう言うと、みんなは最初、決まり悪そうな顔をしながらマイヤに話しかけはじめたが、わたしもそこに加わってしばらくすると、普通に楽しくおしゃべりが盛り上がるようになった。
それ以降、マイヤはときどき遊びに来てくれるようになった。それは本当にうれしかったのだけど、どんなにお願いしてもわたしのことを「ベアトリーチェ様」と呼ぶのをやめてくれないのは、ちょっと勘弁してほしいと思っている。それと、たしかにわたしの考えていることを読まれているような気がすることがあるのは、少しだけ気になる。
八歳になって学舎に入ると、同世代の友達が一気に増えて、急に世界が広がった。
クラス分けは適性試験の結果に従って行われることになっていたが、適性試験の直前にショックなことがあって思うような結果を出せなかった。お父様が仕事で深いつきあいのある、アンドレッティ公爵の長女でいらっしゃるリュミエラ様が亡くなったのだ。わたしよりも十歳年上で、お目にかかったことは二度ほどしかなかったが、綺麗で、聡明で、気配りもお上手な方で、わたしにもとても優しく接してくださった。学舎を卒業するころにはリュミエラ様のようになっていよう、と心に決めた矢先だったのだ。
適性検査は総合で三番目だった。また一番だったリシャールくんは「完璧な騎士の卵がいるとしたら彼」という感じの子で、負けた悔しさもあまりなかった。だから結果として問題はあまりなかったが、入舎式のころまでそのショックは尾を引いていた。
学舎の授業は楽しかった。午前の座学と違って、午後は自由選択の授業ばかりだが、わたしはとれる授業をすべて選択した。剣術とプロトコールはそれなりに参加者が多いが、魔法学の授業はわたしのほかは、同じクラスのルカくんとアンリくんだけだ。教官との距離が近くてトクをした気になる。途中からマイヤさんも参加を希望してきたが、ルカくんもアンリくんも気持ちよく受け入れてくれた。クラス担当のマッテオという教官が急に姿を消す、という事件もあったが、十日もすると学舎にふだんどおりの毎日が戻ってきた。
四人だけで毎週二回授業を受ける、ということもあって、ルカくんとアンリくんとは、ほかのクラスの友達よりも少しだけ親しくなった。
ルカくんは普通に真面目な子だが、アンリくんのほうは少し変わった子だ。ド・リヴィエール伯爵の三男で、お兄様、お姉様はいずれも優秀さで学舎に名前が鳴りひびく有名人だ。
だけど、アンリくんはいつもひょうひょうとしていてつかみ所がない。成績もいつも上の下、といった感じで目立たない。たいていの男の子がとる剣術も、女の子も含めてほとんどが選択するプロトコールも選択せず、その時間は図書館にこもっている。だからといって本の虫かというとそうでもないようで、おしゃべりにも普通に入ってくるし、少し変わった考え方も見せてくれる。そういうところは、マイヤに似ているかもしれない。マイヤはアンリくんについて「あまり気を許さないほうが……」と言っていたが、意味がよくわからなかった。
そんなアンリくんだったが、初めてわたしに強烈な印象を残したのは、夏期休暇が終わって少したったころ、リシャールくんと剣術の勝負をしたときだ。リシャールくんは上級生にも後れをとらない剣の腕前だが、アンリくんはわたしにとっても少し緩いくらいの剣術の授業すらとっていない。なぜそんなことになったのかが謎だったのだけど、差し入れにとお菓子を持ってマイヤと一緒に見学に行ってみると、なんとアンリくんは引き分けてしまった。引き分けといっても、リシャールくんはいまだに「あれはぼくの負け」と言っている。なんなんだろう、この人は? 人を見ていて「底が見えない」という気持ちがしたのは、このときが初めてかもしれない。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!




