8-14 夏の終わり
侯爵の投げつけた爆弾編、今回で完結です。
「こんな感じでいかがでしょう」
そこにいたのは、死んだリュミエラだった。あ、いや、死んでいるように見えるリュミエラだった。
バルが連れてきたヘレナという魔族の女性は、ぼくらの話を聞くと、助手として連れてきた女性とともに、あっという間にリュミエラを死人にしか見えないようにメイクし、その上で、彼女とそっくりの姿に自らを変えて見せた。
「す、すごいね。どう、リュミエラ?」
「少し気分が悪くなってきました。わたしはいま、こんな顔をしているのですね。やはり死んではダメだ、という気がしています……」
化粧というモノに多少なりともなじんでいるローラやローザはともかく、ビットーリオやエマニュエルといった男衆は、そのこの世ならざるモノだけがもつ美しさに多少腰が引けている。ニケは猫の姿に戻って、部屋のスミでブルブル震えていた。顔面はまさに生気のカケラもなく、ドレスのあちこちに飛んだ朱い色は、五年前の襲撃者の凶行を想起させる強烈なアクセントになっている。
ヘレナが変化を解くと、部屋の中の緊迫した空気が一気にゆるんだ。
「みなさん、お願いですからこちらの方を見ないでください!」
その中でただ一人、死人の装いのままのリュミエラが泣きそうな顔で懇願している。本番でヘレナに変化してもらうまでは、モデルさんはそのままでいてもらわなきゃならないから、しょうがないよね。
「ヘレナさん、本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそお礼を申しあげます。同族の中で役立たず扱いだったわたしに、働く機会を与えてくださって、嬉しく思ってます」
変化を解いたヘレナさんは、どこにでもいる、実に個性のないふつうの女性に見える。聞くところによると、強い個性は変化の邪魔になるのだとか。たしかに、見た目だけをそっくりに写し取ったとしても、内面を同じようにコピー出来なければ、その人に成り代わることは出来ない。彼女は、座興を提供するだけの役立たずとして、同族からつまはじきになっていたそうだ。
「それじゃ、シルドラから合図が来たらお願いします」
「わかりました」
シルドラさんちの姉妹は二日できっちり仕事をしてきた。警備のために設置してある魔法的なトラップは、このふたりにとっては子供のお遊びていどのモノだったらしい。すべての仕掛けを回避して、ネグレド侍従長の私室にまで入りこみ、直接そこに転移できるように段取ってきた。
ただ、二日では生活パターンの把握までは至らなかったため、シルドラが寝室に潜んでいる。侍従長が部屋に戻ったところで彼女が思念を飛ばせば、テルマがそれをキャッチする。そして主演女優たちがテルマとともに転移していくというわけである。
興が乗ったらしく、バルも特別参加することになっていた。設定は、リュミエラのマスター。「復讐を果たした自分の眷属の誇りを、事件を私利のために掘りおこそうとする行為で傷つけられ、マスターはお怒り」という筋書きになっている。バルは、ずいぶんとリュミエラに執着があると見た。エキストラとしてスケルトンを数体提供してくれるらしい。ネグレド侍従長は、自分の部屋の中で、死人と骸骨に脅しをかけられることになる。ご愁傷様だね。
「来た。準備して」
テルマの合図に、ヘレナが再び変化し、テルマが彼女とバルを伴って転移していった。あとは、ぼくらは待つしかできない。
「リュミエラは、もう少しそのままでいる?」
実際のところ、不気味さをこらえてよく彼女を見ると、実に美しく仕上がっているのだ。前の世界であれば、スマホでパシャッといっていたところだろう。
「一刻も早くこの化粧を落とさせていただきます! こればかりはアンリさまの指示でも従えません! タニアさまもご理解くださると思います」
そう言い捨てて彼女は部屋を出て行った。
「この寸劇はこれで片付くとして、今後ニスケス侯爵はどう出るだろうね」
ビットーリオは、この世界でいうビールのような、エアルという発泡酒を一気にあおりながら言った。「片付くとして」と言っているのは、早く過去数時間を記憶の隅に追いやってしまいたい気持ちの表れだろう。
「ぼくはこれが過不足ない返事だと思ってるよ。話したときの感じからすれば、よほどのことがない限り放っておいてくれるんじゃないかな」
「どうだろう。ぼくにはアンリがいい返事を出しすぎたようにも思えるんだけど」
ローラが首を少しひねりながら、独りごちるように言った。
「どういうこと?」
「大人同士の話だったら、アンリの出した答えは完璧に近いと思う。でも、十三歳の子供が出す答えじゃないよね。何もしないか、侍従長を始末するか、どっちかの極端に振れるのが子供の反応じゃないかな。ニスケス侯爵が頭の回る人だというなら、むしろ関心を強めちゃうんじゃないかな?」
ぼくは即答できなかった。たしかにその通りかもしれない。
あそこで侯爵のつぶやきを無視して何もしなければ、たしかにぼくと彼の関係はそれで完結していたかもしれない。だが、彼が手に入れたぼくたちに関する情報の扱いは彼にゆだねられ、思わぬところで使われてしまう可能性がある。
もし侍従を始末するという極端な答えを出したとしても、侯爵はそれを咎めることはないだろう。しかし、王宮の重要人物に手を出すというリスクはかなり大きい。今後の行動に大きな制約となりかねない。
だから、ぼくには両極端の答えはありえなかったわけだが、ローラの言ったことはもう一面の真理だ。今回の対応は、まさに大人の対応だ。
「要するに、なにをしても詰んでいたってことか……」
「もうひとつ、もっときみが考えなきゃいけないことがある。ベアトリーチェのことだ」
こんどはエマニュエルから矢が飛んできた。
「ぼくはこの中できみの次に彼女を知っている人間だけどね、彼女の強さを侮っちゃいけない。きみより距離を置いて彼女を見ていたぼくには、彼女には越えられないカベはないんじゃないかと思えるくらい強い人に見えたよ」
「それはぼくにだってそう見えるよ」
「ならわかるだろ? ふつうの親なら、きみの本当の顔をのぞき見たうえで、娘をきみに近づけようなんて思わない」
その通りなんだけど、とってもひどい言いかただと思う。
「だけど、ぼくはベアトリーチェはいざとなったら侯爵家を捨てると思うよ。そのとき侯爵が直面する選択肢は、『娘ときみを両方失うか、娘ときみの両方を近くに置くか』だ。答えは見えてるような気がするね」
「でも、ぼくの今後に彼女を関わらせるか、という問題になったら、そこで首をタテに振るわけにはいかないでしょ?」
「アンリはギリギリのところで甘いからなぁ」
ローラが、深いため息とともに呟いた。
「どういうこと?」
「きみはぼくを一度拒絶したよね? ぼくもあのときはそれを受け入れた。でも、近衛騎士団をやめて女に戻ったとき、やっぱりきみの見る道を一緒に見てみたいと思ったんだ」
ローラの表情はいつもと少し違う。少年のような少女、ではなく、少女の顔だった。
「あんな猿芝居を打って、それでもきみがぼくを受け入れてくれたときは本当に嬉しかった。今、ぼくは自分が幸せだと思うよ。でも、きみのやり方を貫き通すなら、ほんとうはもう一度ぼくを拒絶しなきゃダメだったよね?」
そうだよ。わかってるんだから言わないでくれよ。ぼくは二度もきみを拒絶する覚悟をもってなかったんだよ。中途半端なんだよ。
「親や兄弟しか使わない呼び方をさせられてる時点で、ローラさんの時よりもさらに抜き差しならないところに来ていると思うなぁ。主導権が向こうにある感じだよ」
「わかった! 真剣に考えるよ! だからもう勘弁して!」
その直後にリュミエラが広間に戻ってきたところで、ようやくこの話題が途切れた。
ヘレナさんたちが戻ってきたのは、地球時間にしてその三十分後くらいだった。
「問題なく片付いたでありますよ。ネグレド某は、腰を抜かして失禁までして許しを請うていたであります」
シルドラの相変わらずの調子に場の雰囲気がゆるむ。ヘレナさんをみると、死人の顔でニッコリ笑って頷いた。ちょっと怖いぞ。
「へ、ヘレナさん、もう変化を解かれてもいいのでは?」
リュミエラの懇願に似た指摘に、ヘレナさんは今さら気づいたようにポンと手を打ち、変化を解いて元の姿に戻った。
「わたしよりも、バルさまがお連れになったスケルトンたちに怯えていたような気もするのですが」
「いや、そんなことはない。ヘレナの演技も実にみごとだったと思うよ。きみがもっていた抜き身の剣が、みごとな小道具になっていたね。あれを突きつけて見せたところで、勝負は決まったと思うよ」
シルドラはウンウンと頷いている。テルマは何ごともなかったようにボーッとしていた。
侯爵に対してぼくの出した答えの評価はまだ定まっていない。ただ、ローラにああは言われたが、ぼく自身は最終的にはこれ以外ありえなかったと思っている。とにかく、これで夏期休暇最後の強制イベントは終わりだ。さすがにこれ以上は勘弁だ。
みんなが自分の部屋に引き上げ、ぼくも今からマルコのいる寮の部屋に戻るわけにもいかないので、アウグスト殿下をダシにここで泊まっていくことにした。部屋の用意をしてくれたリュミエラに礼を言ってベッドに横になろうとしたところで、リュミエラがぼくを呼び止めた。
「なに?」
「個人的な意見ですが、ベアトリーチェさんが納得されるのであれば、ここの一員になってもらってもよいのではないのではないでしょうか。ドルニエはあくまでも王宮を中心とした国です。わたくしもアンドレッティの姓を捨ててだいぶたちますし、社交界を含めた今のドルニエの貴族社会に通じているかたをそばにおかれることは、十分意味のあることだと思います」
「聞いてたのか。でも、ベアトリーチェがそれをウンというとは……ローラも気にするだろうし……」
「ローラさんは、素直じゃないですけどまっすぐな人ですから、アンリさまが彼女を気にかけてあげることを忘れなければ大丈夫です。それから、これはわたくしのカンですけど、ベアトリーチェさんは持ちかければすぐにでも来ると思います」
そんな気もするし、ひと悶着ある気もする。そんなことをグチャグチャ考えていたら、頬にリュミエラの手が触れた。
「ただ……」
「ただ?」
彼女がぼくの耳に顔を寄せてくる。耳に彼女の息がかかった。
「わたくしのこともたまには思い出してくだされば、と」
その夜、ぼくがひとりで寝たかどうかは秘密だ。だが、ぼくはだんだん、古の王が美姫の言いなりになった気持ちがわかるようになってきた……気がする。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
どんどんハーレムチックになっていきます。でも、ハーレム設定はない……はずです。




