8-12 突きつけられた問題
アンリとニスケス侯爵の腹芸の打ち合いです。
「冒険者……ですか? あまりぼくたちに縁のない人たちですね。そのリアンという冒険者が、どうかしたのでしょうか?」
ぼくの背中は悪い汗でビッショリだ。ごまかすことを考えてはいけない。ニスケス侯爵はたぶんぼくがリアンであることを知っている。ごまかすのではなく、シラをきり通すのだ。
「そうだろうね。学舎にかようような子供が関わり合う連中ではないだろう。変なことを言ってしまったね。重ね重ねすまない」
「とんでもない。お気になさらないでください」
「なんでも、さきほどのローリエくんに似た子供が目にとまったのが、その子がリアンという、やはり年少の冒険者と行動を共にしていたところだったらしいのだよ。年の頃がきみと近いし、名前も少し似ているので念のために訊いてみたのだ。なんでも、十三歳だというのにもうじきランクBに昇格しそうな、優秀な冒険者だそうだ。一緒に行動している仲間が腕利きばかりだそうだし、そのおかげかもしれないけどね」
侯爵は貴族の子弟にありがちな、いわゆる促成栽培を引き合いに出したが、それを本気で考えているのかどうかは疑わしい。本当にそう思っていたら、こんなことを言う必要もない。
たぶん、逃げ道らしきものを開けてみせているのだ。「そんな金は持たされていないし、人違いだ」とでも言ってしまうと、その先には、さらにぼくを追い詰める材料が待っているだろう。「仲間」をどこまで把握しているのかも問題だ。深入りはしたくない。
「ランクBというと、どれくらい強い冒険者なんでしょうか? あと、まわりが腕利きだと昇格が早いというのはどういうことでしょう?」
あえて冒険者の話題に踏みとどまってみた。侯爵の表情が少し怪訝そうな色を帯びる。ちょっとだけ流れを引き寄せられたか?
「まとまった人数で行う必要のある仕事のリーダーをまかせられるレベル、という話はきいたことがあるね。そして、そのくらいのランクになると、ほかの冒険者との関係でも、ギルドとの関係でも、一目おかれる存在になるようだ。だから、強い仲間を雇って難しい仕事を受けて、ランクが早く上がるようにする人もいるらしい。興味があるのかね?」
「はい。ぼくも六回生ですので、将来を考える時期に来ているのですが、ぼくの家は兄も姉もみな優秀なので、ぼくが果たさなければならない役割が見当たりません。父や兄からも、自由に生きてよいと言われてしまっています。本当は、なにか使命のようなものを与えられたほうがラクなのですが」
ぼくは肩をすくめて苦笑のような笑いを浮かべてみせた。
「いまの話をうかがって、冒険者という生き方も悪くないか、と思った次第です」
「娘に冒険者の友人ができるかもしれないなどと、考えてみたこともなかったな」
侯爵は軽く笑ってみせた。真意はわからないが、歓迎はしないだろうな。
「妙な話で時間を取らせて悪かったね。わたしはそろそろ仕事に戻らなければならないが、応接の間まで一緒に行こう。ベアトがお茶を用意させているはずだ」
食堂を出て応接の間にゆっくり歩いて行くあいだ、話題はベアトリーチェのことに終始した。その間の侯爵は、普通の父親だった。いや、普通じゃなくて、そうとうの親バカの父親だった。
乗り切った……か? いや、この人は油断ならない。ぼくが使わせなかった隠しダマもひとつやふたつではないはずだ。気を抜くな、ぼく。
応接の間につくと、侯爵は自らぼくのたまに扉を開けた。扉の向こうには、ホスト席に腰掛けてこちらをじっと見ているベアトリーチェがいる。テーブルにはすでにお茶が用意されており、カップは二つだ。
「わたしは申し訳ないがこれで失礼する。あとはベアトリーチェとゆっくり話でもしていってくれ」
侯爵はぼくに頭をさげた。ぼくもお礼とお別れの言葉を述べて、応接の間のほうに身体を向ける。
「五年前に起きたアンドレッティ公爵家の事件が再調査されるかもしれない。夫人と令嬢の襲撃事件、それから公爵の死に疑問をはさむものがいる」
応接の間に歩を進めかけていたぼくに、特大の爆弾が投げかけられた。振り向いたぼくの首は、ひょっとしたら「ギーッ」という音を立てていたのではないか。
「事件のことは知っていますが……なぜそれをぼくに?」
「公爵が亡くなって王室関係の財務もわたしの管轄になったのだが、それがおもしろくない人がいるみたいでね」
そう小声で言った公爵は、そのまま振り返ることなく歩み去って行った。
「アンリくん、本当にごめんなさい。こんなつもりじゃなかったの」
ぼくに茶をついでくれた侍女を下がらせたベアトリーチェは、チェアに座ろうとしたぼくに近づいて服の袖口をそっとつかみ、うつむいて涙声でそう言った。肩が細かく震えている。いつも強い光を放っているように見える彼女が、こんなに小さく見えるのは初めてだ。こんなに自分を追い詰めていたのに、食事が終わるまで崩れなかった彼女の強さはたいしたものだ。
「ベアト、顔を上げてよ。そんなこと気にしちゃダメだ。ぼくは気にしてないから」
ぼくは袖口をつかむベアトリーチェの指をそっと外し、彼女の両肩を軽くつかんで元気づけるように少し揺すってみた。ベアトリーチェがゆっくり顔を上げ、涙が浮かんだ碧い目がこちらを見る。
うわー、やべえ。可愛い。押し倒したくなるくらい可愛い。ちょっと自制心に自信がなくなったぼくは、あわてて肩においた手をはずした。
「お茶、いただくよ。今日はほとんど話せなかったし、そのぶんも話そうよ」
ベアトリーチェはコクンと頷いた。
ベアトリーチェが話をニスケス侯爵にもっていったときは、侯爵もさほど目立った反応は見せなかったらしい。段取りも、ベアトリーチェがぼくをお茶に招待して、そこに侯爵が顔を出す、ということになっていたそうだ。このへんは、ぼくが想像していたとおりである。
それが、しばらくすると急に侯爵が動き始め、いつの間にかホストもベアトリーチェから侯爵になり、お茶が昼食になっていた。あわてて侯爵を止めようとしたベアトリーチェは、逆に「お茶で済ませようなんて非常識だ」と叱責を受け、罰としていっさいの外出および外との接触を禁じられてしまった。ふだんは妹に甘いシルビア様とエミリオ様も、今回はいっさいベアトリーチェに助け船を出さなかったそうだ。
「本当に怒っていたというよりは、ベアトがぼくに連絡をとらないようにする口実だったんだろうね」
「そうなのかな。お父様がなにをお考えなのか、さっぱりわからなくて。こんなに叱られたのも初めてなの」
ベアトリーチェと侯爵を見る限り、こんなに、というか、叱られたこと自体初めてなのではなかろうか。それほど侯爵は娘にメロメロだ。
「そうだよ。でなきゃ、こんなふうにベアトがぼくに種明かしをする時間をくれるはずがない。ぼくが『お茶でも気楽でよかったかもしれない』と言っていたって、文句を言ってごらんよ。もう口もききたくない、とでも付けくわえとけば、ものすごい勢いで謝ると思うよ」
「そうね。やってみる。わたしが食堂を出たあと、二人でなにを話していたの?」
ベアトリーチェは少し元気が出てきたようだ。だが、これはネタばらしをするわけにはいかない。
「ベアトのことだよ。侯爵はホントにベアトを可愛がってるんだね。いろいろ教えてくれたよ」
ベアトリーチェは急に狼狽し始める。
「な、な、なにを話したの、お父様は!?」
「絵のモデルになっていたパウラ様のポーズを真似して、ツンとアゴをあげて気取ってみせたら、反り返りすぎてコテンとしりもちをついた話とか」
これは食堂を出たあとに聞いたホントの話。三歳ぐらいの時のことらしい。
「お父様ーっ!!!」
真っ赤になった彼女は、ふだんとまったく違った子供っぽい可愛さだった。
しばらくベアトリーチェとおしゃべりをしてから、彼女と侍女に見送られてぼくは侯爵邸をおいとました。彼女もやはり女の子で、食いつきがもっともよかった話はアウグスト殿下とイネスの婚約話だったが、今のところ、彼女に全貌を話すわけにはいかない。特にぼくの果たした役割とか。
帰りの馬車ではジョフレにいろいろ訊かれるかと思ったが、彼は特に立ち入った話には触れなかった。このあたり、さすがに一流の使用人である。
「アンリ様、すぐれた貴族ほど、無駄な言葉は口にしないものです」
ジョフレがこの昼食に関して言ったのはこれだけだった。
それなら、今日ニスケス侯爵がぼくに言ったことは、なにか目的があって口にした言葉なのだ。たかだか十三歳の子供を脅すだけだったり、自分の力を見せつけるためだったり、ということは決してない。なによりわざわざ脅す理由がない。現実にそれが出来るかはともかく、侯爵の目から見れば、ぼくなど脅すまでもなく邪魔になったときにすぐたたきつぶせるような存在だろうからね。
「アンリ様、次のご訪問も是非このジョフレをお連れください。アンリ様の未来の奥方様がそこにいらっしゃると思うと、いても立っても……」
だからそんな話になってないってば。台無しだよ、ジョフレ。
ぼくは屋敷で簡単に次第をフェリペ兄様に報告した。兄様も、「そうか」と言っただけで、特に深く突っこむこともしなかった。そしてぼくは屋敷を出てみんなのところに急ぐ。
「アンドレッティ公爵家の一件がほじくり返される可能性があるらしい」
シルドラの目が剣呑な光を帯び、リュミエラが凍りつく。
「それがぼくたちにどういう関係があるんだい?」
ビットーリオがふざけた様子もなく訊いてきた。あれぇ?
見ると、ローラは顔に「?」を貼りつけているし、ローザとヨーゼフも似たようなものだ。事件は知っているはずのエマニュエルも、その意味合いに気づいた風はない。テルマは興味なさそうに外を見ているし、ニケは……昼寝中だ。
「アンリ様、みなさんにはまだそのあたりは話していないはずでは?」
そうだっけ?
「いままで、特にそこに触れる必要がなかったでありますよ」
そういえばそうだった。復讐劇はリュミエラとぼくとシルドラだけでやったことだし、ほかに知っている者もタニアとジルだけだ。ほかのみんなは、その余波すら消えた後に集まった顔ぶれだ。
ぼくが事の次第を簡単にみなに説明すると、さすがに場は静まりかえった。
「そんなことがあったんだ……」
ローラはさすがに衝撃を受けているようだ。ビットーリオも頷いて口を開く。
「衝撃だね。リュミエラさんは愛玩奴隷だったのか……」
「いま触れなきゃいけない点なのかな、それ!?」
思わず絶叫してしまったあと、リュミエラの様子が気になって目をやると、落ちついたものだった。
「アンリ様、それはそれで事実ですから」
再び場が静まりかえった。先ほどよりもさらに静かな気がする。最悪だ。いや、その、そりゃあ、あの一回だけですむはずはないよ? ぼくだって血気盛んな十代だしね? でも、ここで明言することかというと、一考の余地はあると思うよ、リュミエラ?
「最低ですね、アンリ様」
ローザがボソッとつぶやく。
「ローザは今ごろ気づいたでありますか?」
シルドラがとどめを刺した。ぼくはもう立ち直れないかもしれない。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
腹芸合戦は、どうにかドローにアンリが持ちこんだ感じでしょうか。ですが持ちこまれたやっかいごとの行方はいかに?




