8-9 夏の終わりの小さな騒動
領地から帰ったら夏期休暇変は終わりかと思っていたら思わぬ事態に!(無責任な作者だな)
久しぶりにカルターノに戻ってきた。アウグスト殿下やマルコと一緒だったので、到着の夜は屋敷のほうに帰ったわけだが、フェリペ兄様とジョルジュ兄様ににアウグスト殿下が顛末を報告すると、あんのじょう屋敷全体に衝撃が走った。そしてその晩は、旅の疲れがあるにもかかわらず、夜を徹しての語り合いとなった。
だいぶ酒が進んだフェリペ兄様は、アウグスト様が思いを成就させることはおそらくあるまいと思っていた、と白状した。
「引き分けでいい、という条件を出したところで、イネスはその気になっていると気づくべきだったんだな。考えてみれば、そうでなければあのイネスが、引き分けなんて曖昧なことを認めるはずがないんだ」
あまり酒を飲まないジョルジュ兄様も、今晩はグラスのピッチが速い。
「アウグスト様には失礼だけど、引き分けでも可能性はかなり薄い、と思ってました」
ジョルジュ兄様が頭を下げたのを、アウグスト殿下は笑い飛ばした。
「なに、わたし自身がそう思っていたからね。その弱気をたたき直してくれたのがアンリくんだよ。本当に感謝してる」
「そういえば、引き分けなら目はある、とアンリだけが言っていたんだよな。一回生の時にリシャールくんと引き分けたときもそうだったけど、おまえのその、せめぎ合いのギリギリの分かれ目を見切る力は本当にすごいよ」
「剣でフェリペ兄様、頭でジョルジュ兄様にかなうはずないから、そういうごまかしに走ってるだけだよ」
そりゃぼくが生き残る上で絶対必要なものだからね、と心で思いつつ、ここは兄様を立てた。
「オレはアンリが余計なことをしやがって、と思ってるけど」
イネスの結婚決定にショックを受けていたマルコが、ジュースをちびちび飲みながらボソボソとつぶやき、思いきり笑いを誘う。
「しかしイネスが他国の皇家入りか。考えてもみなかったな」
フェリペ兄様は感慨深げだ。
「わたしは継承順も第三位だし、皇位を継ぐ気はさらさらない。それに、兄貴たちの疑心暗鬼を生まないためにも、当分はカルターノに居つづけようと考えている。いまとあまり違いはないさ」
「そう願いたいですね」
ジョルジュ兄様とぼくはしみじみと言った。
夜を徹した騒ぎのあと、朝食を食べてマルコと一緒に学舎の寮に戻ると、ふたりでベッドに倒れ込んで泥のように眠った。さすがに馬車の長旅のあとの徹夜はキツい。一昼夜ふたりで寝続けて、起きたら次の朝だった。
「帰っているはずなのに、何度ノックしても起きてこないから、死んでるんじゃないかと思ったよ」
朝食のテーブルでリシャールがそう言った。ルカと交代で何度も部屋に来てくれていたそうだが、ノックぐらいで目覚める程度の疲労じゃなかったからな。
「死んでもいいよ。イネス様の結婚が決まっちゃったし……」
「しつこい。いいかげん終わりにしろよ、マルコ」
マルコはまだ引きずっているようだが、同情は湧いてこない。こいつは騒いでるだけで一度もアプローチしていないのだから。具体的なアクションなしの片思いだったやつに、まわりを巻きこんでドンヨリした空気を作る資格はない。
「たしかに、衝撃的な情報だよね。ぼくらが入舎したときの在舎生代表だったジュリア様が卒業後すぐに結婚して以来の騒ぎになるんじゃないかな」
ジュリア様……あ、金髪縦ロールの美人さんか。たしかにそんな報せが次の年に駆けめぐったな。上級生でショックを受けていた人がけっこういたと聞いた。
「まあ、イネス姉の話はいいよ。リシャールは近衛、どうだったんだ?」
「一糸乱れぬ規律、というのかな。厳しい世界だよ。表でも裏でも競争が激しいみたいだしね」
そりゃそうだ。近衛をこころざす時点で上を目指す意欲満々だってことだからな。
「でも、最高幹部の人たちは、やっぱりすごい実力だよ。力があれば上がっていける、ってことがわかったよ」
「リシャール。その人たちは、力があって裏にも強い人たちだ。実力者でも裏に弱いひとは蹴落とされるぞ。フェリペ兄様だって、裏の足の引っ張り合いを一つ一つ潰しながら上がっていってる。いずれは近衛を退いて伯爵家を継ぐ兄様がそれだけ注意してるんだ。スキを見せないようにじゅうぶん気をつけろよ」
「そうか……そうだよね。わかった、気をつけるよ。甘いな、ぼくは」
リシャールがコツンと自分の頭を叩いた。なんだかんだいって十三歳だ。そこまではなかなか見通せないかもな。
「あと十日もすれば新学期か。長いようで短かったな」
マルコがいちおう立ち直ってそうつぶやいた。なんだかんだでバタバタした夏期休暇だったから、ちょっとゆっくりしたいものだ。
午後になり、みんなのところに顔を出すために寮を出ようとしたところで、ぼくに客が来ているという連絡があった。行ってみると、メイド姿の女性が礼をして待っている。
「アンリ・ド・リヴィエールです。お呼びとうかがいましたが」
「ご足労いただき申し訳ありません。ニスケス侯爵家の使いのものでございます。本日はこちらをアンリ様にお届けに参りました」
手渡されたのは招待状。ベアトリーチェが言っていた件だ。わざわざ使用人を使ってニスケス侯爵家からの招待状が届けられるということは、決していい加減に扱ってはいけない案件になってしまったということだ。
「たしかに拝領いたしました。ニスケス侯爵様とベアトリーチェ様に、間違いなくうかがわせていただく旨をお伝えください」
「かしこまりました。それでは」
女性がふたたび深々と一礼したので、ぼくはそのまま一度部屋に戻った。中をあけてみると、二日後の昼だ。ぼくがいつ領地から戻るかはわからなかったはずだから、学舎に戻った日から三日後、という形で予定していたに違いない。侯爵の日程をそういう形で押さえるのは大変なことだ。間違っても失礼があってはならない。昼にしたのは、せめてものベアトリーチェの配慮だろう。休暇の最後にとんでもない大イベントになってしまった。
「明後日の昼、ニスケス侯爵のお屋敷に呼ばれました。申し訳ありませんが、馬車と使用人をひとり、使わせてもらえるでしょうか?」
みなのところに行く前に、城の近衛騎士団の詰め所に行ってフェリペ兄様に急な無理をお願いした。さすがにすこし体面をととのえなきゃいけないからね。
「それはかまわないけど……ニスケス侯爵? そんな大物がなぜアンリを?」
「次女のベアトリーチェと学舎の同期なのは兄様も知ってますよね? 前期、彼女がすこし悩みを抱えていたので、その解決を手伝ったのですが、とても感謝してくれて……」
「ちょっと待ってくれよ。アンリにもそんな話が出てきてるのか? ぼくとジョルジュの立場はどうなる?」
「そんな大げさな」
「大げさなものか。相手が長女ならともかく次女なら、その場で婚約とかいう話が出てきてもぼくは驚かないぞ?」
ですよね。その可能性アリとは思ってましたよ。
「とにかく了解した。当日はジョフレを連れていってくれ。あと、いちおう父上にも連絡を入れておく」
うわ、どんどんおおごとになってきた。ジョフレはカルターナの屋敷の筆頭執事で、江戸時代の大名の江戸家老のようなものだ。それを伴っていくということは、他の貴族の屋敷を訪れるとき、これ以上の礼の尽くしかたはない。
「アンリ、これは父上も同じことを言うだろうから、ぼくから言っておく。婚約という話になったら、おまえは自分のことだけを考えて決めろ」
ああ、まずい、クギを刺されてしまった。
「受けるならもちろんかまわない。おまえが世話を焼いた子なら間違いないだろうし、ニスケス侯爵も個人的な部分で悪い話は聞かない。だが、伯爵家や家族のことを考えて受けるようなことはするな」
ただなぁ、伯爵家の三男にとって、侯爵家の次女は過ぎた相手だ。普通は断ることはありえない。ましてやベアトリーチェは超優良物件だ。
「でも兄様……」
「心配するな。もしニスケス侯爵の不興を買ったとしても、父上やぼくやジョルジュが受け止めてやる。三男坊にそんな苦労をさせるものか」
だめなんだ、これじゃ。ぼくがみんなを守るつもりで生きているのに、守られてばっかりじゃないか。早く、もっと強くならなくちゃ。
「ありがとう、兄様。すこし気持ちがラクになったよ」
ぼくがそう言うと、突然フェリペ兄様が表情を崩した。
「で、正直なところはどうなんだ?」
「さすがに、まだ結婚とか考えるとは思ってなかったから、わからないよ。ベアトリーチェ自身は、性格を含めて非の打ち所がないお嬢さまだね。プチ・カトリーヌ姉様という感じ」
ぼくもそうだが、フェリペ兄様もシスコンだ。かなり複雑な顔をした。
「それはまた……困ったものだな」
「突然ですが、婚約をすることになるかもしれません」
ようやく皆のところに行って、いきなりこう言った。そう狭くない家で、そう少なくない人数がそろっていたのだが、完全な沈黙が訪れてしまった。
「アンリ様、話がまったく見えないであります」
そのほかのメンバーも、ほとんどはシルドラの言葉にコクコクと頷いている。どこ吹く風で平然としているのはテルマとエマニュエルだ。平然としているというより、興味がないのだろう。ニケはあくびをしている。
ぼくは帰郷直前の一件から先ほどのフェリペ兄様との話までをかいつまんで説明した。最初に反応したのは、このテの話にいちばん詳しいリュミエラだ。
「それは、フェリペ様のおっしゃる通りかと思います。いきさつがどうあれ、ベアトリーチェさんではなく、ニスケス侯爵がアンリ様を招待されていますから、ニスケス侯爵側にアンリ様に話すことがある、という意味です」
「話すことって?」
ローラが手を上げて質問した。いや、きみも貴族のお嬢さまだろ? ああ違った、もと長男か。貴族の娘だったことはなかったんだった。
「娘が世話になったお礼、という可能性はないわけではありません。ですが、侯爵が伯爵家の三男であるアンリ様を、それだけのために正式に自分の屋敷に招待するということは、わたくしの感覚では普通ではありません。娘とその相手が一緒にいるところに顔を出して、というのがせいぜいでしょう。そのほかにあり得る用件といえば、婚約か仕官くらいしか思いつきません」
リュミエラに、貴族の行動様式という観点から事態を整理されてしまうと、ますます逃げ場が見えなくなってくる。帰郷前の時点で、ベアトリーチェに完敗した、という意識はあったが、想像以上の惨敗だった。プチ・カトリーヌ姉様どころか、へたすると姉様より大物かもしれない。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
まさかアンリの学舎生活にベアトリーチェがここまで食い込んでくるとは。当初想定していませんでしたから、彼女自身の努力なんでしょうね。キャラが作者を説得した、ということかもしれません。




