8-8 バル
バルさん、状況的に完全に詰んでますね。気の毒になってくるぐらい追い詰められてます。
「バル、ゴルドノフはどこ?」
見えないヒモを操りながら、テルマがバルに問いかける。無表情なのに部屋全体にピリピリしたさっきが走り抜ける。
「く、首! 首をゆるめてくれ!」
王宮にもそのまま行けるような正装に身を固めたバルがのたうち回り、首をかきむしりながらやっとそれだけを口にする。
「あなたがゴルドノフの命令でゴソゴソ動き回っているのはみんな知っています。その扉の向こうには、どうせ転移の魔方陣があるのでしょう?」
問い詰めるタニアの目には一片の慈悲も感じられない。
「いや、それは……」
「あるのでしょう?」
バルは黙り込んだ。するとこんどはテルマが追い込む。
「なら死ぬといい。わたしとノスフィリアリなら、時間をかければ魔方陣の構造を解析できる」
テルマはバルの頭を踏みつけ、見えないヒモをグイッと引き絞るアクションをした。
「や、やめてくださいいい!」
バルは目をひっくり返らせて痙攣をはじめた。すると、タニアはテルマにいったん締めつけを緩めさせ、バルの目の前に膝をついてしゃがんだ。先ほどの冷たい目つきを一変させ、近しいものを慈しむようなまなざしでバルを見つめる。
「バル、あなたがゴルドノフにいつもムチャを言われているのはわたしも知っています。今回もおおかた、人間の領域に手をのばす拠点を作って死守しろ、とでも命令されているのでしょう? わたしはただ、わたしのお仕えしている方を危険にさらす行動が、だれの意思によるものなのかを知りたいだけです。魔方陣を作っているのはゴルドノフであってあなたの意思ではない。そうなのでしょう?」
ヤクザだ。ヤクザのやり口だ。とりあえず肉体的にも精神的にも一気に追い込んでおいて、スッとそれを緩めて相手に逃げ道があるように錯覚させる。しかもこの問いにうなずけば、魔方陣が彼の背後にあることを認めているも同じで、知りたいことはほぼわかってしまう。テルマの言うように魔方陣を解析することができるなら、起動するようにもできるだろう。その先はゴルドノフとやらに通じている。バルが生きていなければならない理由はどこにもない。そもそも、殺さないとも言っていない。
だが、最初の追い込みは、そういうところで冷静な判断ができない状態にする効果もあるのだ。かくしてバルはタニアの手の中で踊る。縋るようなまなざしで、タニアにうなずいてみせた。
「そうですか。それでは、ゴルドノフのところに連れていってくれますね?」
タニアが依然として優しく言葉をかけ、続いてテルマがバルの顔を踏みつける足に力を入れる。見事なコンビネーションだ。バルは必死でうなずいてみせた。
ここでぼくはタニアの宿題に取りかかる。
このバルという魔人、さっきは「欲の皮以外をまとっていない、どうしようもない主人」と言っていた。ならば、ゴルドノフとやらに対する忠誠心はそこに存在しない。それでは、彼がここでゴルドノフのために働いている理由は何か?
「タニア、テルマ、ちょっといいかな?」
「なに?」「なんでしょう?」
二人がこちらに向けた視線は、鉄板十センチを打ち抜くほどのキッツいものだった。声をかけたことを思いっきり後悔したが、あとの祭りだ。始めたものはやり抜くしかないよね。
ぼくは二人をちょっと離れたところに呼んだ。テルマはシルドラに魔力のヒモを渡して何ごとか囁いてからやってきた。見ると、シルドラは猫型ニケに思いっきりバルの腹を踏みつけさせている。タニアに頼んで結界を張ってもらってから、小声で切り出してみた。。
「ひとつ確認したいんだけど、ゴルドノフってヤツは殺すんだよね?」
「当然」
テルマは間髪を入れず答えた。
「そのあと、ゴルドノフの領地はどうなるの?」
「領主のいない無法地帯になるでしょうね。そんな腐れた土地がどうなろうと、わたしの知ったことではありませんが」
タニアの答えもあっさりしたものだ。
「バルが自力でゴルドノフを倒して領主になれた可能性はどれくらい?」
「ムリ」
自分の力で領地を手に入れることは難しいとなれば、それが転がり込んでくるなら、尻尾を振るのではなかろうか? そのくらいの欲はバルにあると見た。
「バルにゴルドノフの領地をくれてやることは可能かな? もちろん、ここの魔方陣は破壊させるし、思いっきり恩に着せた上で、脅しもかけなきゃならないけど、ここまでの彼を見てると、意外と乗ってきそうな気がするんだ。タニアが仕えている人の子供がぼくで、テルマの妹がシルドラだってことを教えてあげれば、勝手に怯えてくれる気もするんだよね」
「すがすがしいまでの他力本願ですね。その一連の流れに、アンリ様が流す汗はあるのですか?」
タニアが少し顔をしかめてぼくをにらみつけた。背中に汗をかきながら、必死でそのプレッシャーをスルーする。
「前の世界に『立っているものは親でも使え』っていう言葉があってね。どうせゴルドノフを殺す流れなら、やってみても損はないかなって思うんだ。うまくいきそうになければ、そこで処分すればいい」
「どうしますか、テルマ?」
「わたしはゴルドノフを殺せれば、あとはどうでもいい」
「アンリ様、わたしたちはここで待っていますから、バルと話してきてください。おひとりでバルを言いくるめられれば、アンリ様のお考えに従いましょう」
やりたきゃ自分だけで話をつけてこい、ということだ。身震いがするね。あ、シルドラはいてもらおう。
「こんにちは」
ぼくはシルドラに踏みつけられたバルの顔の前にしゃがみこんで声をかけた。
「に、人間の子供がなんの用ですか? わたしには……あなたに用はありません……よ?」
「まあまあ、そう言わずに聞いてよ。あなたはゴルドノフとやらに心から従ってるわけじゃないんだよね? でなきゃ『欲の皮しかまとっていない』なんて言わないよね?」
バルはぼくから目をそらした。
「あそこにいる二人は間違いなくあなたの主人を殺すよ。忠誠を捧げてもいない相手につきあって死ぬのはバカバカしくない? 生き残ってこそ、いい目も見られると思うんだけど」
「あ、あなたは……あの二人の恐ろしさを知らないのです。こうなった以上、わたしの命運は尽きました。あなたの世迷い言をきく理由もない」
タニアもテルマもどんだけなんだよ? なにをすればここまで怯えさせることが出来るんだ?
「じゃ、なぜ魔方陣のことを認めたの? どうせ死ぬと思ってたなら、さっさと殺されれたほうがラクだったでしょ? 勝手知ったる自分の本拠にたどりつけば、ひょっとしたら逃げられるかも、とか思ってたんじゃない? だとしたら、あなたのほうが甘いよ」
いったん顔を上げたバルだったが、ふたたび黙り込んだ。こりゃ図星だったね。
「そんなことをしても、一生逃げ続けなきゃならないよ? それよりもさ、ぼくの提案に乗ってくれれば、あの二人にあなたを見逃してくれるように話してあげるつもりなんだけど、どう?」
「あの二人がそんなことを認めるはずがないでしょう」
「そんなことないよ。ぼくがあなたを説得できたらあなたは殺さない、って言ってた」
バルは目を見開いた。こんどこそ、話の展開が彼の想像のはるか上を言ったようだ。シルドラに目配せをして、顔を踏みつけた足をすこし緩めてもらう。
「説得とは……わかりませんな。いったいどんな条件を出せば、あのふたりがわたしを見逃す、というのです?」
「そんなに難しいことじゃないよ。むしろ、あなたにとっては美味しいかもしれない。ゴルドノフがいなくなったあとの彼の領地を、あなたのものにして治めるんだ」
「は? そんなことをして、あなたがたはなにを得られるというのです?」
「もちろん無条件じゃない。まず、あなたは確実に、小細工なく、あのふたりをゴルドノフのところに連れていくんだ。それをしなきゃ、ぼくがなにを言ってもその場であなたは死ぬ」
「それはまあ……この状況では覚悟していますよ」
「つぎに、ここにある魔方陣を破壊する。でなきゃ、テルマはよくてもタニアがあなたを生かしておかない」
「タニアとは?」
「ああ、あなた方にとってはノスフィリアリだったね。それそれ。で、次は、あなたが住む場所とぼくたちの家を魔方陣でつなぐ。もちろん、あなた自身は権限を持たない。勝手にこっちに来られても困るからね」
「あなた方は自由にこちらに来るというのですか?」
「状況を考えてよ。それぐらいは受け入れてほしいな。最後に、ぼくがなにかお願いごとをしたときには、不可能なことでない限り聞き入れてくれること」
「同族を裏切ってあなた方の手引きをしろ、と?」
「勘違いしないでほしいな。ぼくは魔族領に力を伸ばそうとか、そんな夢みたいなこととは一切考えてない。せいぜい、たまに遊びに行くときの拠点にさせてほしいという程度だよ」
魔族と戦う羽目になる前に天寿をまっとうしようとしているのに、こっちから暴れに行ってどうするよ?
「最後に、こっち側の世界でどうしてもあなたの力が必要になったときに、ちょっと力を貸してほしい。それ以外は、普通に領主としてふんぞり返っててくれていいんだけど、どう? 悪い話じゃないと思うんだけど」
「それは……そうですが、そこまでこちらにとって利の多い話だと、逆に慎重になってしまいますね。あなたの本当の狙いはなんなのですか?」
「言ったとおりだよ。ぼくは力を集めてる。あなたをそのまま殺させるのはもったいないと思っただけ。そのためなら……そうだな、死霊の材料を提供してもいいと思ってる。盗賊とか、そういったこっちの世界に不要な人限定だけどね」
「わたしが裏切ったら? 魔方陣を破壊できれば、あなたは簡単にわたしのもとには来られなくなります」
「やめた方がいいと思うよ。ちなみに、ぼくはタニア……ノスフィリアリの仕えている人の子供だし、このシルドラはテルマが溺愛している妹なんだけど」
効果はてきめんだった。バルの顔はタニアとテルマがいきなり登場したあの瞬間以上に蒼白になった。
「わ、わかった。あなたの言うとおりにしましょう」
「ちなみにゴルドノフって、どのくらい強いの? あのふたりとどっちが?」
「わたしより強いといっても、しょせんゴルドノフは辺境の領地でいい気になっている小物です。将来の魔王候補ともいわれるあのふたりでは格が違います」
あのふたり、想像以上の大物だった!
「じゃあ、商談成立だね」
バルは素直にぼくたちをゴルドノフのもとに連れていった。結果から言えば、ゴルドノフはひねり潰された。それも、ほとんどテルマひとりにだ。タニアはその存在でゴルドノフを恐怖に陥れたが、以後はほとんど手を出さなかった。そして、ふたりの口添えで、バルは無事に領主の座を引き継ぐことになった。
魔方陣は、タニアの部屋のゲートでカルターナに移動したりして、新しいものを設置したあと、遺跡側から完全に破壊した。そもそもの目的だった金稼ぎについては、死体からカッパいだ紅玉や、デュラハンが残した武具で窮地を脱することが出来た。デュラハンは蒼玉も落としたが、これはギルドに報酬と引き替えで提出している。なにはともあれ、めでたしめでたしだ
「肩の荷が下りた」
テルマは「三匹の豹邸」に戻ったあと、ボソッと口にした。
ゴルドノフは、テルマが敬愛していた師匠を、罠にはめて惨殺したらしい。それ以来、ずっとゴルドノフを殺す機会を狙っていたということだが、卑劣なヤツにありがちな用心深さで、なかなか近づけなかったそうだ。今回、内側から接近する手段を得たことによって、ついに宿願を果たしたわけだ。
「アンリのおかげ。お礼にわたしもしばらく力を貸す」
「そ、それはどうも」
心強いんだか、危なっかしいんだかわからないが、どうやら家の住人がひとり増えるようだ。エマニュエルの言うとおり、ぼくの住む家はほかに用意した方がいいかもしれない。それから、ジュゼッペはもういいのかな?
お読みいただいた。心からの感謝を‼
これで、伯爵領編は一段落です。




