8-3 猫
猫耳枠の登場です。しかし、今回の話を書き始めるときは頭にもなかったキャラが出てくるとか、どうしたものでしょうか。
あたりまえといえばあたりまえだが、やることがない。
マルコの件はアレハンドロ騎士団長への挨拶に同行したが、そのあとはマルコ自身の問題だ。実際、それなりにうまくやっているらしい。アウグスト殿下のほうは、ここでおおっぴらに殿下を支援すると、ぼくがイネスに「おまえは誰の味方だ」とばかりにハラスメントを受けてしまうので、控えざるをえない。せいぜい、殿下がイネスに挑むときに立ち会うぐらいである。あとは、マリエールとシャルロット様の話し相手を適当に務める。以上だ。
ぼくをブートキャンプ漬けにする気満々だったタニアは、アウグスト殿下の接遇にマリエールも駆り出されているために、ほとんど本宅に詰めている。マリエールが忙しければ、彼女はぼくのことなど毛ほども気にしない。よってぼくの命も、いまのところ救われているということだ。
「ここでアンリ様が毎日タニア様に鍛えられていたのですね」
「容赦ないね、タニアさんも。これ、幼児にはけっこうキツい道のりだよ」
「でも合理的。身体と魔力の両方が鍛えられる」
ぼくらは、昔ぼくがタニアに連れられて出入りしていた森に来ている。ここ三年ほどは足を向けてなかったこともあり、ちょっと気が向いたのだ。
学舎にはいる直前あたりまでは、果てがないくらいに深く感じた森だが、あらためて踏みこんでみるとそこまでのスケール感は感じない。魔獣はたまに出てくるが、力の差に敏感な獣はあまり近寄ってこない。たまに襲ってきても、あの頃スケルトンがやっていたように、サクサク切り刻んで進んでいける。そして、ぼくがよくスケルトンと剣術の鍛錬をしていた広場に出た。
そこでぼくたちが見た超存在を、いったいどう形容すればいいのだろうか?
虎? いや猫だ。外見的デザインは虎で、サイズ的には虎をさらに上回るグリズリー級だけど、身体をペロペロなめる猫族特有のアクションが、明らかに猫の身軽さをともなっている。あちこちにゴロゴロ転がりながら脚やらお腹やらをペロペロやっているところは、昔自宅で飼っていたマックスという猫そっくりである。表情も、虎のどう猛な感じはなく、飄々(ひょうひょう)とした雰囲気がまさに猫。
その猫とぼくらの目が合った。ピシッと、お互いに固まった感じである。ぼくらもうかつに動けないし、むこうも驚いて次の動きを決めかねている気配だ。
地球時間にして三十秒ほど見合ったのち、猫は跳ね起きて身構えた。そのポーズはまさに獲物を狙う虎。一瞬の油断で死が告知されるスキのなさだ。しかし、微妙に目が泳いでいる。ひょっとしたら、超リラックスしているところを見られて恥ずかしいのかもしれない。
次の瞬間、猫がぼくをめがけて飛びかかってきた。正面からは受けきれるものではない。ぼくは背中にはさんでいた剣を抜いて、受け流すように刃を斜め下からぶち当てる。固い!
直線的な攻撃を斜め下からそらされた猫は、体勢を変えてふわりと着地する。その瞬間、リュミエラの弓の五連射が猫を襲った。すべて命中、だがその毛皮を通した矢は一本もない。リュミエラに狙いを移した猫は、そのまま飛びかかる。それを素早くリュミエラを守る位置に移動したローラが正面から受け止め、両者は弾かれたようにうしろに飛ばされる。猫は引き続き攻撃の体勢を維持し、ローラもリュミエラの前で踏みとどまる。
これは、少しずつダメージを与えていくしかなさそうだ。持久戦に持ちこんだとして、有利なのはどちらだ? 地の利は向こうにある。逃げることはできそうにない。
不意に、ぼくの後ろから異様な気配がした。そして魔力が急速にふくれあがる。テルマだ。この間タニアにぶつけた魔力の量などとうに超えている感じだ。
(わー、待って! 待ってくださいです! 悪気はないです! 皆さんにビックリして我を忘れただけなんです! 抵抗しませんですから、その魔力を使うのはかんべんしてほしいのです!)
頭にだれかの意思が流れ込んできた。だれの意思かは……疑いようがない。目の前で巨大な猫が腹を見せて寝そべっていた。
ヘチャッと這いつくばったポーズで恭順の意を示す猫を、ぼくらは囲んでいた。
(名前とかある? 種族とかもあったら教えて?)
(名前はニケというです。ウチらは自分たちを聖猫族とよんでるです)
「わたしたちは猫魔と呼ぶ。猫野郎というヤツもいる」
魔族にとっては、特別に珍しい存在ではないらしい。ならもっと早く教えてくれればいいのに。
(その猫野郎はかんべんして欲しいのです。たまらなく情けなくなるです。あと、個人的にも女なのに野郎と言われるのはイヤなのです)
目の前の超存在は雌、というか女だったらしい。ちょっとビックリだ。女の子に野郎呼ばわりは確かに気の毒かもしれない。
(ところで、こうやって頭の中で会話する以外に方法はないの? ほかのみんなには聞こえているんだろうか?)
リュミエラとローラがうなずいたので、聞こえてはいるらしい。ふだんの会話にはすごくもどかしいんだが、声を出せないときの意思疎通には良いかもしれないな。
(このままでは発声器官の構造が違うのでムリなんです。ヒト型に姿を変えると話せるようになるですが、いまそれをやるとなにも服を着てない状態になるので、ちょっと恥ずかしいのです)
なるほど、それは無理じいはすまい。ここはこのまま話を聞こう。
(いつ頃からここに住んでるの? ウチの屋敷の裏庭みたいなものだから、三年くらい前まではときどきここに来ていたんだけど、見かけなかったよね?)
(なんと領主様の関係者だったですか? それは失礼したです。わたしは一年ほど前にこちらに来たですが、魔獣の強さが捕食と運動にちょうど良かったので、つい長居してしまったです。最近は魔獣があまり近寄ってこなくなったので、そろそろおいとましようかと考えていたです)
なるほど、相手の強さを見定めている感じの魔獣が多かったのは、一年に及ぶニケとの闘争の結果だったわけだ。
(行く先にアテはあるの? 似たような森がもういくつかあるし、別にそこにいてもかまわないけど?)
(お申し出感謝なのです。でも、こんどはしばらくヒト型で生活するです。でないと、そっちの生活を忘れてしまうです)
「アンリ、アンリ、連れて帰ろうよ! 可愛いよこの子!」
「ローラ、捨て猫を拾って帰るのとわけが違うんだぞ? ニケには自分の意思と、自分の道を切り開く力があり、そしてプライドも……」
「アンリ、この子ホントに可愛い!」
ニケがローラに顔をすりつけて甘えていた。どうやらプライドはないらしい。
「猫魔はこう見えて知能は高い。戦闘力も概して高いし、人間に比べれば魔力も大きい。足手まといにはならない」
想像以上の総合力だ。悪いところが見つからないんですが? 問題があるとすれば、このプライドの低さかもしれない。
(少しはお役に立てると思うです。ごはんを食べさせてもらえるなら、ほかには特になにもいらないのです。あとは、ヒト型になるにあたっての着るものがあれば……)
捕食本能も独立独歩の精神もさほど強くないらしい。そして、すでに一緒に来る気まんまんだ。
「『三匹の豹邸』まで戻れば、ぼくの服を貸してあげるよ」
(ありがたいのですが、ちょっと小さいと思うです)
ニケはローラの胸部を凝視しながら言った。ああ、なるほど。見た目よりはあるとはいえ、標準より小さめであることは間違いないからな。
ショックを受けたローラは、ガックリと膝をついていた。
「では、わたしの服をどうぞ」
リュミエラが言うと、ニケは喉をゴロゴロと鳴らして見せた。問題はないらしい。
(ところでニケ、きみのような種族を連れていくにあたって、確認しておかなければならないことがある)
(な、なんなのです?)
(この耳と、この尻尾だ。これらは、その、ヒト型になるとどうなるのかね? あくまで学問的な関心だが)
ぼくは、耳や尻尾を触ろうとする自分の手を必死で押さえた。これはふつう、やってはいけないことであるはずだ。
(小さくはなりますがこのままなのです。骨格までは変わらないのです)
期待は大、ということだな。
街の近くまで戻ったところで、テルマの力を借りて「三匹の豹邸」からリュミエラが自分の服をとって帰ってきた。ぼくは少しの間ローラに目隠しをされ、それが外されたときには、猫耳少女ニケが完成していた。
森で猫だったときはもっと子供っぽい感じを想像していたが、ヒト型ニケはけっこうな破壊力を持った雌猫だった。長く豊かな髪に少しだけのぞく猫耳は反則であろう。よく動く瞳に悪戯っぽく変わる表情は、まさに猫。背はリュミエラより少し小さいくらいで、体形的にも彼女に迫る凹凸の効き方だ。これに尻尾があるとくれば最高ではないか。
(こりゃ、たしかにローラの服じゃ入らないな)
「アンリ、何か失礼なこと考えなかった?」
おまえもエスパーか、ローラ?
「それで、皆様はここで何をされてるです?」
「三匹の豹邸」の一室に一同が落ちつき、ニケがローラにもらったおやつを平らげたところで、ニケがきいてきた。
「いまは特に何も。ぼくは里帰り中で、みんなはそれにつきあって物見遊山」
「それで三人の娘を連れてるですか。アンリ様はひょっとして人間のクズです?」
いきなりニケが秘孔をついてきた。ぼくはもう死んでいるかもしれない。
「ぼくはいちおうみんなを止めたからね! みんな勝手についてきたんだからね!」
「クズはいつもそう言って責任を回避するです」
追撃もかなり強烈だ。誰もぼくのフォローをしてくれないあたりは、ぼくの人望がその程度だということなのだろうか。
「すごくマジメな話をすれば、二年後に学舎を卒業した後、あちこちでいろいろ暴れるための準備、かな」
「よくわからないのです。でも、暴れるのは嫌いじゃないのです」
「それなら、しばらくぼくらと一緒に来てみてよ。ごはんはめんどうみるから」
「どこまでもついていくです」
ものすごくシンプルだったけど、ある意味、こんなものでいいのかな。タニアと話した「こんな相手」にかなり近い気もする。ただ、シルドラとニケ、二人の食費は心配だ。
ニケがぼくらの食客となった二日後の昼下がり、運命の時はやってきた。
本邸の庭でアウグスト様とイネスが剣を構えて向かい合っている。立ち会っているのはぼくひとり……ではなく、マリエールとシャルロット様が野次馬になっていた。もっとも、この二人はこの勝負に何がかかっているかは知らない。
「はじめ!」
ぼくの合図の声とともに、アウグスト様が弾かれたように駆けだした。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
次回、ついにアウグスト殿下とイネスの因縁に決着?




