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7-7  「雄」飛

今回、アンリの脳内は一貫してピンク一色です

 エマニュエルが合流してしばらくたった聖の日、ぼくはフェリペ兄様に屋敷に来るように言われた。


 昼食の時間にあわせて屋敷に行くと、なんとカトリーヌ姉様がいた。しかも、胸には乳飲み子を抱えている。ああ、そういえば先日出産した、という話を聞いたな。


「アンリくん、ひさしぶりね。すっかり男らしくなって見違えたわ」


 姉様が極上の笑顔でぼくに話しかけた。ちょっと赤面してしまう。姉コンは治ってない上に、かわいらしい系の美女だった姉様が、もうすっかり大人の女性の色気を身につけている。しかも前世でのぼくの年齢に近づいてきているので、姉であると認識しつつも、どうしても女性としても意識してしまう。ぼくだってお年頃なのだ。


「姉様、お久しぶりです。さらにおきれいになって、ウォルシュ男爵もきっと鼻が高いでしょうね」


「なにを生意気なことを言ってるの。そういうお世辞は、もうちょっと自然に言えるようになってから言うものよ」


 ゲンコツで軽くコツンと頭を叩かれた。そんなやりとりがなんとなく嬉しい。姉コンが治る見込みは当分なさそうだ。




 ちなみに、第一子はみごとに男の子。ロマンと名付けたらしい。初手から将来の侯爵第一夫人として最高の仕事をやってのけ、その地位を確固たるものにしつつある。出産後しばらくたって落ちついたので、父様たちに孫の顔を見せがてら伯爵領に一度戻るらしい。それを許してくれるあたり、旦那様も優しい人のようだ。姉様が首根っこをつかんでしまっているという可能性もあるが。


「ひょっとして兄様もいっしょに帰るの?」


「ああ、姉様の旅にあわせて休暇をもらった。半分は護衛だな」


「フェリペくんに護衛してもらえるなんて、カルターナ中の女の子から嫉妬の声が上がりそうよね」


「姉様、そろそろフェリペ『くん』は勘弁してください」


 兄様が珍しく、ほんとうに情けなさそうな顔で訴えた。


「ちなみにぼくも同行させてもらうことになってね。だから護衛は心配しないでくれたまえ」


 後ろから声がかかったが、これは顔を見なくてもわかる。アウグスト殿下だ。来てたのか。


「全権大使の仕事はいいんですか、アウグスト様?」


「仕事なんか、あることのほうが珍しいのさ。まったく問題なしだ」


 それ、事実だとしても口にしちゃダメでしょうが。


「イネス姉様のほうは、なにか進展あったんですか」


「おお、喜んでくれ、我が心の弟。ここ最近、たまにわたしが出した手紙に返事が届くようになったのだ」


 なんと、そりゃたしかにビックリだ。イネスが手紙を書くところなんて、とても想像できないからな。


「ちなみに、何通出して何通返事が来るんですか?」


「まあ、五通に一通だな。中身は数行だ。だが大丈夫。今回は日程にも余裕を持たせているし、じっくりとイネスさんと話してきたいと思っている。しかも、ウォルシュ男爵令夫人も口添えを約束してくださった。イケる気がするんだよ、わたしは」


 本人の前向きな気持ちは評価するが、先は遠いような気がする。がんばれアウグスト様。いちおう応援しているぞ!




 一児の母となったカトリーヌ姉様は、大人の女性としての破壊力においてけっこうクるものがあったのだが、実はいまいちばんヤバいのがリュミエラだ。シルドラも見た目は間違いなく美女に分類されるが、その性格の残念さとかっ飛び方から女性と意識しないですんでいる。ローザは見た目は良いのだが、漂う小物感がね……。女騎士でもなくなっちゃったし。


 現在リュミエラは二十三歳。カトリーヌ姉様よりもひとつ年上で、姉様を上回るレベルでほぼ完成された女性の魅力をこれでもかというくらいに見せつけてくれている。姉コンの対象が彼女に移りつつあったぼくとしては、非常によろしくない。


 貴族社会のまっただ中にいる姉様と違って、化粧は必要最小限で着ているものも動きやすさ重視の冒険者ルック。申し訳ないくらいに質素この上ないのだが、持って生まれた戦闘力は、そんなものではとうてい隠しきれない。


 姉様とは対照的なシャープな美貌と完璧なバランスを誇るプロポーション、基本はしっかりしていながら少し天然の入った性格と、その戦闘力の詳細は彼女を買い取ったときから自明であり、近い将来にこうなることはわかりきったものではあったのだ。しかし、いざ現実となってみると、肉体的に思春期まっただ中の十三歳には非常にきつい。彼女がそばに立ったりすると、ほのかに漂ってくる香りだけで頭がボーッとしてくる。


 まずいとは思うのだ。まだ基本は学舎の生徒だから、「おれ意識しちゃってるよな」とか自虐的に浸っていればそれですむのだが、卒業して本格的にあれこれ動き始めるとそんなことは言っていられなくなる。思春期の妄想で瞬時の判断が狂ってしまってはシャレではすまない。そしてそんなことを繰り返しでもしたら、まわりにいてくれている人も去ってしまいかねない。たかが性欲といわないでほしい。まさに、この煩悶をどうするかには、ぼくの人生がかかっているのだ。




(いっそタニアがチラッと言っていたように、買ってくるというのも手だよな)


まあ、タニアも別に「買え」と言ったわけではないが、とにかく煩悩を処理する手段があれば、必要以上に彼女を女として意識しなくてすむだろう。


もちろん、買ってくるといっても奴隷ではなく娼婦でなければならない。十三歳の学舎生を普通に受けいれる娼館などあるだろうか? まともな店ではまずムリだ。リュミエラを買うときも最初はハードルが高かったが、ちゃんとした娼館などは門前払いされかねない。




 ちなみに、ちょっと前にフェリペ兄様とこの類いの話をしたことがある。兄様は近衛騎士団に任官されたあと、先輩騎士にその手の店に連れていかれたらしい。どうやらこれは、近衛騎士団における儀式のような意味合いも持つらしく、兄様もおとなしく先輩に従い、無事に大人の階段をのぼったそうな。


 念のために、ほんとうに念のために、その店が十三歳の学生を受けいれてくれそうかをたずねてみたが、黙って脳天にゲンコツを落とされた。その上で、ジョルジュ兄様も王宮魔法局の先輩職員に同じようにお店に連れていってもらったらしいという情報もくれた。どうやら、このパターンはドルニエの貴族社会全体に定着している慣行らしい。そういう用途に特化した、御用達の高級な店があるんだろう。逆に言えば、それまでは待て、ということだ。


 もちろん、もっと簡単かつ確実なルートはある。ビットーリオなら喜んで面倒を見てくれるだろう。だが、ヤツの世話になるのはなんとなくイヤだ。ヨーゼフも手軽な店を知ってそうだが、弱みを見せるのもおもしろくない。そもそも、他人に連れていってもらって、というのに抵抗がある。




「アンリ」


「わあっ!」


 突然うしろからかけられた声に、心臓が飛び出るほど驚いた。ふりむくとそこにはルカが立っていた。あれ、ここどこだっけ? 食堂? なんでこんなところにぼくは座ってるんだ?


「なにブツブツ言ってたの?」


 しかも独り言までつぶやいていたらしい。これはかなりヤバい。


「い、いや、何でもないよ?」


「変なの。あのね、マイヤから伝言。こんどの聖の日にどこかで昼食をご一緒しませんかって。彼女がごちそうしてくれるらしいよ。ぼくとリシャールも一緒に誘われた。理由を聞いたら、アンリにお世話になったからだって言ってたけど、何かしたの?」


 奢りの理由はベアトリーチェのことなんだろうが、なぜそこにルカとリシャールが絡んでくるんだ?


「ああ、このあいだちょっと相談に乗ったんだ。たぶんそれだな」


「ぼくとリシャールは心の栄養分だとか、不思議なことを言ってたけど」


 うん、あの子少しおかしいよね。いろんな意味でとても危険な言動が多い。一度じっくり話し合うべきだろうな。




 週も終わりに近い六の日の夜、相談事があるというのでシルドラの転移で拠点にむかった。


「わたしはすませておかなければならない用事があるであります。終わったら合流するであります」


 シルドラは拠点のすぐ手前でそう言って再びどこかに転移していった。




 いつも打ち合わせに使う応接間に入ると、リュミエラだけが座っていた。


「あれ、ビットーリオやエマニュエルは? シルドラは用事をすませるとか言ってどこかに行ったけど」


 リュミエラは曖昧な笑みでぼくの問いを流した。そもそも、シルドラはともかくほかの二人は家の中にいる気配がないんだけど、なんなんだ? そんなに狭い部屋ではないとはいえ、いまの脳内状況で彼女と二人というのはあまり良くないぞ。




「アンリ様、お話があります」


「は、はい!」


 ちょうどそんなことを考えていたところだったので、背筋が思わずピンと伸びてしまった。


「正直にお答えください。ここ最近、アンリ様にいささか落ち着きがないように見えるのですが、わたくしの勘違いでしょうか?」


「そ、そんなことないよ?」


 声が裏返った。そんなことあるからだ。いつもそうとは言わないが、リュミエラの目にはいつもかもしれない。それに、カトリーヌ姉様に叱られるとき、こんな感じで始まるのを思い出してしまった。


「そうですか。それでは、お隣に移ってもよろしいでしょうか?」


 隣って、ぼくの座っているのは二人がけソファだ。ということは……。


「え、あの、ちょっと待って!」


 待ってくれなかった。彼女がソファの空いた隣に座ると、いつも以上に彼女の香りが濃く漂ってくる。膝と肘が軽く彼女に触れた。自分の顔が熱くなるのがわかる。


 リュミエラは大きくため息をついた。


「アンリ様、こういうことを自分で言うのは気恥ずかしいのですが、ここ最近、アンリ様はわたくしを女性として意識していらっしゃいますね?」


 あ、こりゃだめだ。ごまかせない。


「うん……。知ってたの?」


「おそばに行けばそわそわと落ち着きをなくされるし、妙に距離をとろうとされますし、よほど鈍い女でもなにかは感じるかと思います。わたくしもいまのアンリ様くらいの歳の男の子は学舎で見ておりますから」


 彼女の同級生だったヤツらに同情する。彼女の前ではカッコつけようとしていたんだろうけど、バレバレだったんだね。ここまできたら開き直るか。


「このままではよくないとは思ってるんだけど、これは男の生き様だからどうにもならないんだよ」


「なにを開き直っておいでですか。どうにもならないからこのままでいい、というわけではないと思いますけど?」


「はい、そのとおりです」


「このままではふつうの活動にも差しつかえてしまいます。ですので、わたくしをお抱きください」


 信じられない言葉が耳に飛び込んできた。




「……え?」


 リュミエラを見た。ぼくを真正面から見つめているが、さすがに頬は少し赤い。


「……何度も言わせないでください。アンリ様がわたくしとの距離感を測りかねておられるのらば、いちど距離をなくしてしまうしかありません」


「いや、距離をなくすっていっても、そんないきなり……」


「貴族の社会なら、そのようなことの手ほどきをするしきたりもございますが、アンリ様は貴族として生きていくおつもりではないでしょう? それに、前世で成人されているアンリ様なら、手ほどきも必要ないかと」




 これを突っぱねるのは簡単だ。ぼくはそういう目的のためにリュミエラを買ったわけじゃない。これから彼女をそのように扱うつもりもない。


 でも、彼女はぼくが彼女に与えた役割を理解した上で、その役割をよりうまく果たすために、その障害を排除しようとしているのだ。ぼく自身、いまのぼくの精神状態がマズいのを自覚しているんだから。


「そこまで考えてくれたのは、ほんとうに感謝するよ。ありがとう。でも、リュミエラはそれでいいの? リュミエラだって……」


 彼女はニッコリ笑ってぼくの膝に手を置いた。


「わたくしはアンリ様のものですから」




 次の朝、寝不足の目をこすりながら拠点の食堂に入るとシルドラがいた。目が合うと、彼女はほんとうに華やかで美しい笑顔を見せた。そして……中指と薬指で親指をはさんで見せた。


 僕は頭を抱えてしゃがみこんだ。ふだんはあまり感じさせないが、シルドラの精神構造はオバハンそのものだ。絶対にこいつは何があったか知ってる。



お読みいただいた方へ。心からの感謝を!


雄が飛んだ回でした。R15には十分収まっていると思いますが、問題を感じたら指摘いただければと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リュミエラの素晴らしさをたっぷり描写しながら、即物的な部分は読者の想像力やイメージに任しているところ。
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