7-4 教育的指導
早いもので、もう六十話を越えてしまいました。話としては先はまだまだですが、長さとしても自分として未知の世界に突入しています。頑張らなければ!
「ええと、どこに向かってるの?」
しばらく黙ってぼくのあとをついて歩いてきていたベアトリーチェが、ついにぼくにたずねてきた。
「森の奥に小屋があってね、おもしろい人が住んでるんだ」
「おもしろい人って、森の中も学舎の敷地でしょ? 無関係な人が住んでるの?」
「行けばわかるよ」
言っている間に、開けたところに到着した。セバスチャンが小屋の前を掃除している。
「アンリ様、いらっしゃいませ。おや、きょうはかわいいお客様もご一緒ですか?」
「ジルはいますか、セバスチャンさん?」
「いらっしゃいますよ。いまはお茶を楽しまれているところですので、どうぞお入りください」
そう言ったセバスチャンが、先導するように小屋の中に入っていく。
「あのかた、どこかで……。それに、セバスチャンという名前は……」
ベアトリーチェが首をかしげながらぶつぶつ言っている。そういえば、ジルも『ニスケスの嬢ちゃん』とか言ってたよな。知りあいかもな。
小屋に入ると、ジルが甘味をパクつきながらお茶を飲んでいた。
「なんじゃアンリ、平日なのになんか用かの? ん? そっちにおるのは……おお、ニスケスのところのベアトリーチェじゃな。こりゃまた美人になりおって」
「ザ、ザカリアス様!? どうしてこんなところに?」
「わしゃ、ここ五年ほど、ずっとここじゃ。マッテオと相性が悪かったから引っ込んだんじゃが、これがまた居心地よくての」
居心地というか、サボり癖だよね、それ?
「で、きょうはどうしたんじゃ? おまえが学舎のものを連れてくるのは、なにか考えがあってのことじゃろ?」
「彼女がね、総合課程の魔法の授業じゃレベルがあわないんだよ。たぶん、時間をものすごくムダに使ってる。ポイントを教えてあげられないかな? あと、剣術も同じ。セバスチャンさんに少し指南してもらえばだいぶ違うと思う」
「魔法課程の授業も傍聴できるじゃろ?」
「あ、あの……アンリさん? ザカリアス様?」
「ほかの時間は総合課程の授業でビッシリだよ。少しでも時間を節約させてあげてほしいんだ」
普通ならありえない話だが、ベアトリーチェは美少女だからな。
「ふむ、教官は特定の生徒をひいきしてはいかんのじゃが……美少女は別じゃ」
やっぱり。ホントにダメだこの爺さま。
「わたくしにできることであれば、喜んでお力になりますよ」
さすが、セバスチャンさんは頼りになるぜ!
「あの、アンリくん!! だから……」
「あのさ、ベアトリーチェさん」
「は、はい!」
ぼくになにかを言おうとしていたベアトリーチェは、逆にぼくに呼びかけられて完全に不意を突かれたらしい。
「ジルとセバスチャンさんにカンどころを教わるといいよ。授業で教わるくらいのことは、すぐに身につく。だから、もう授業は選択を解除しちゃいなよ。それくらいの空き時間を作った方がいい」
「え、でも、少しズルくないかな。みんなは同じ条件で勉強してるのに……」
「そういうベアトリーチェさんもカッコいいけどね。ベアトリーチェさんほどたくさんの戦場で戦っているひとはいないよ? 少しくらいのズルは許されると思う。身体壊したりしたら元も子もないじゃない? いまも顔色悪いよ?」
「か、顔色って、わかるの?」
ああ、そういえば、実質三十過ぎだから顔色隠しの化粧、ということを思いつくが、十三歳だと難しいかな。
「お化粧しても、完全には隠せないよ。むしろちょっと不健康な感じが出ちゃう。ベアトリーチェさんは、ふだんが健康的だからよけいに目につくんだ。いい成績を取りたいんじゃなくて、自分のものにしたいんでしょ?」
「ベアトでいい」
「はい?」
「わたしの名前。ベアトでいい」
「あ、はい、じゃ、ベアトさん」
「さん、もいらない」
「わ、わかったよ。ベアト、しばらくこれでやってみたら?」
大丈夫かなぁ、侯爵家令嬢を愛称で呼び捨てって、厳しい人に聞かれたらそれだけでヤバい気がするんだけど。まわりに人がいないときだけだな。
「うん、そうしてみる。ありがと、アンリくん。また相談させてね」
あれ、こっちもいつのまにか「くん」に。ベアトさん、敏感な人は気づくから、まわりに気をつけてくださいね、お願いします。
「エマニュエル・バッターノの実家である薬問屋は、経営状態も良好でこれまでは危ない商売に手を出してきた様子はありません。いまの時点で危ない橋を渡らなければならない事情はないと思います」
リュミエラが思考の基本的な条件を確定する。
「とすれば、もうすこし積極的な理由、ということか。半年前にはギエルダニア。そして、いまはそれには限らない、と。なにかの動きに噛んで、自分の商売を伸ばそう、ということだね」
ビットーリオが皆の思考の方向づけをする。
「女王国がまたなにやら企んでいるでありますよ。今度の相手はギエルダニアはなく、アッピアということであります」
シルドラが一足飛びに結論に近づく。
「ここでうちを相手になにかやれば、関係は完全に修復不能になるからね。四カ国にらみ合いの情勢の中では危険が大きすぎるよね。それよりはアッピアを孤立させたほうが意味が大きい」
ぼくが誰でも言えるようなまとめを言う。ざっといつもこんな感じだ。そう、あくまでもぼくは他人に寄生して生きていくのだ。
「それについてひとつ聞き込んできたことがあります。そのふたつの国の境、アッピア側にあるボルダンという街なんですが、ここ数ヶ月、急にスラムの動きが活発になってきています。すべてが、というわけでもないんですが、騒ぎのいくつかに組織的な扇動の痕跡があります」
リュミエラの指示のもとにあれこれ動き回っているヨーゼフが口を挟んだ。
「そこにこれまでよりも大きな騒ぎを起こすとして、誰にどんな利益があるんだい? いまのところ想像がつかないね」
ビットーリオがヨーゼフに問い返す。
「大きな騒ぎを起こすつもりなのか、それともスラムをきれいにするのか、そこがまずわからないとなんとも言えないですね」
ヨーゼフが妥当な意見で切り返す。うん、これだけではなにも言えないね、たしかに。
正確な地図でもあればボルダンの地政学的な位置づけとかもわかるかもしれないが、この世界にそんなものはない。せいぜいが大ざっぱな、子供の塗り絵のような絵地図だ。
「逆に言えば、バッターノかその実家が、うまく動きを隠している、ということだね。実家のほうはそのままさぐりを入れ続けるとして、これはやっぱり直接当たってみるしかないか」
「直接当たって吐かせるでありますか? 手伝うでありますよ?」
シルドラがなぜかワクワクした顔でぼくを見る。
「そうだね。これは彼がカルターナを離れてすぐ、力ずくで聞かせてもらうのが早いね。たまにはシルドラといっしょにやろうか?」
「承知したであります! 久しぶりでありますな、拷問も」
楽しみにしているのはそれかよ!
「エマニュエルが学舎をやめる、ってうわさを聞いたけど、知ってる?」
ぼくは総合課程の数少ない男子生徒、それも多少なりとも見知っている第一クラス出身のやつに話をぶつけてみた。ほかの六人は、いくらなんでも話しかけるのがはばかられるくらいの疎遠さだからな。
「え、ああ、来月の初めくらいには、って話を聞いたな」
突然親しげに話しかけてきたぼくに戸惑いながら、そいつは教えてくれた。なるほど、あと半月くらい、ということだな。ちょっとずつ準備を始めておこう。
六の日の午後、ジルの小屋を訪ねてみた。話を勝手に進めたものとして、いちおうベアトリーチェの様子を見に来たわけだ。
ジルとセバスチャンとベアトリーチェは当然そこにいたが、それに加えてタニアがいた。しかも、ぼくが小屋に入った瞬間、凍りつきそうな視線を投げつけてきた。
「おやアンリ様、いらっしゃったばかりで申し訳ありませんが、少しお時間を拝借できますか?」
え? え? ちょっとまって? すごくイヤな予感がするけど、ちょっと待って?
もちろんタニアが待ってくれるはずもなく、ほとんど耳を引っ張られる感じで小屋の外に引きずられていった。
「アンリ様の学舎での生活は、ジルにおおまかなところを聞いております。全体としてなかなかよい生活を送られているようですね」
「そ、そう言ってもらえると嬉しいよ」
「そこでひとつうかがいたいことがございます。あのベアトリーチェという娘はどういういきさつでジルのところにいるのでしょう?」
「え、あの、相談に乗って、その問題の解決が、ジルに頼むのがいちばん手っ取り早かったから」
「リュミエラを連れてきたときも申しあげましたね。べつに女を連れ帰るなとは申しません。買おうがだまそうが、わたしはまったく関心はありません」
いや、買ってもだましてもいないです。そもそも、そういう意味で連れ帰っているつもりすらないです。たしかに、こういう見解自体が、ありがちな鈍感系主人公への道だというのは認めますけど。
「ですが、学舎に入られる前に、アンリ様は友達を作ることが難しい、ということは申しあげましたね? あれは、惚れさせた女ならいくらでも大丈夫、ということではないのですよ?」
「そ、そんなことわかってるよ。惚れさせてるつもりもないし」
「どう考えても、あのベアトリーチェという娘はアンリ様に強い関心を抱きはじめているように思えますし、アンリ様もあの娘を、ヨーゼフやローザよりも自分に近しいもの、ととらえているように見受けられますが、いかがなものでしょう?」
「あ、いや、その」
「アンリ様に関心を抱いた女のあつかいについては、ローリエという娘でずいぶんと苦労されたとうかがっておりますが?」
誰だよ! リュミエラか? シルドラか?
「十代半ばくらいの女は、年上の男に強い関心を抱きやすいものです。アンリ様はご自分が中年男性である自覚をもっとお持ちください」
「いや、さすがに中年じゃ……」
「なにか?」
「何でもありません……」
「次の長期休暇は、少し新しい趣向の訓練を用意しておきますので、楽しみにしてお待ちください」
ああ、次の休暇のぼくの運命は定まった。ぼくは何回死ねるのだろうか。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!




