5-14 第一の手
予想していなかった展開にしてしまった……
遠征二日目は、朝からさすがに緊張していた。
時系列でことを予想していくと、昼すぎにはだいたいカタがついているだろう。すべてがうまくいくかどうかはもちろん気になる。だが、それ以上に気になったのは、無理矢理巻きこんでしまったローリエが無事かどうかだ。
偶然なんかじゃなく、やむを得ずでもなく、巻きこむつもりで巻きこんだのだから、自分勝手な心配だというのはわかっている。そもそも心配する資格なんかないのだ。女の子だとは知らなかった、と言うのもいいわけに過ぎない。
ローリエの実力を考えれば、そんなに心配する必要はないのかもしれない。彼女の剣は、力で少し劣るだけで、技術ではリシャールにさほど劣らない。並の冒険者では歯が立たないだろう。でも、これは彼女がはじめて経験する命のやりとりだ。万が一の可能性は常にある。
昼食の用意は補助要員の仕事だ。さすがにぼくもこれにふつうに参加する。騎士の遠征食なんておおざっぱなものだし、ぼくは前世でも自炊をしていた時期がある。ふつうならミスをするはずもないのだが、この日は水の量を間違えるわ、皿をぶちまけるわ、さんざんだった。
食欲がない、と言って食事をスキップし、野営地の外れからシュルツクの方向を見る。なにか知らせが来るなら、そっちからのはずだ。瞬きをする間も惜しいような気持ちで見つめていると、遠くに小さい人影のようなものがあらわれた。こちらに向かって走ってくる。ぼくに押しつけられたやっかいごとのために、ローリエはどれだけの距離を走ってきてくれたのだろう。涙が出そうになるのをこらえてぼくも走り出した。
倒れそうなローリエを抱きとめると、彼女はホッとした表情を浮かべて崩れ落ち、そのまま気を失った。大丈夫、彼女が報告する内容は、ぼくがわかってる。
「サンドラさん、教官を呼んできてください!」
ローリエを背負って野営地に戻ったぼくは、彼女の姉であるサンドラを呼び止めた。
「ローリエ! いったいどうして……」
「いいから早く! 非常事態なんです!」
「は、はい、わかりました!」
サンドラさんはきびすを返して走り去る。その場に布を引いてローリエを横たえていると、サンドラさんが教官を連れて戻ってきた。
「どうしたんだ?」
教官が厳しい目でぼくを見た。サンドラさんはローリエのそばに座って、額に手を当てている。
「ここを襲撃しようとしていたものがいたみたいです。そちらの学生の彼が知らせてくれました」
「なんだって!? しかし、なぜシャバネルくんが……?」
「賊はもう、彼と、彼にその情報を教えてくれた冒険者が倒したそうです。生かして捕らえたヤツがいるそうなので、早く現場に行かないと!」
段取りから言ってたぶんこうだ、ということを適当にまくし立てた。
「だが、きみの話だけでここを離れるわけには……」
なかなか教官が決断できないでいる。自分のところの学生が言っているわけでもないので、あたりまえといえばあたりまえだ、しかし、予想が正しければ騎士団が追いつく前に現場に行かないと、なにも残っていない可能性がある。
「先生、お願いですから早く……」
ふりむくと、ローリエがつらそうにしながらも上半身を起こしていた。
「シャバネルくん……。いったいどうなっているんだ?」
「先生、ローリエがここまで取り乱したことはありません。なにが起きたかだけでも確認してください!」
サンドラさんが悲鳴のような声で訴える。ナイスだ。
「全員でここを離れるのがまずいのであれば、ぼくたちが行ってきましょう。遠征の課題の一環だと思えば、いい経験です」
うしろから耳になじんだ声がした。フェリペ兄様だ。ほんとうに兄様は、いちばん欲しいときに救いの手をさしのべてくれる。
「ぼくも同行させてくれないか?」
違う方向から聞き覚えのない声がした。見ると、やはり知らない顔だ。ギエルダニアのメンバーかな?
「ロッセリくん……」
なるほど、これが噂の第三皇子か。そして、教官は皇家を巡る状況をある程度わかっているのか、急に真剣に考えこんだ。さて兄様はどうするだろう。
「イネス、みんなに動く準備をさせてくれ。すぐだ」
「了解、兄様」
イネスはなにも問わずに走り出す。イネスは兄様の判断を心から信頼しているのだ。
「アンリはその子を背負ってでもいっしょに来い。できるな?」
「はい」
もちろんぼくも即答だ。一人を背負っていけるだろうか、ではない。いくのだ。
「アウグスト、すぐに用意できるかい?」
兄様は第三皇子を連れていく決断をした。ここに残して襲撃を受けることの危険を重く見たのだろう。
「もちろん」
第三王子はそう言って天幕に走っていった。いいフットワークだな。
「ド・リヴィエールくん、だね? お願いするよ。ぼくがいっしょに行こう。残った学生たちは、マシュー、きみがまとめてくれ」
遠征の責任者となっている騎士養成学校のベルトーニ教官が、はじめにぼくが話した教官に指示を出す。マシューと呼ばれた教官も黙ってうなずいた。そうしているうちに、ドルニエの四人が準備を整えてやってきた。イネスがぼくの軽鎧と剣を放ってよこす。あいかわらず乱暴だ。だが助かる。
ベルトーニ教官はすでに装備をととのえていた。そして、すぐに第三皇子が天幕から飛び出してくる。ぼくはローリエを背負おうとしたが、彼女は大丈夫だといってそれを断り、ぼくの肩だけを借りていた。かかる重みは軽いものだった。彼女は、こんなに華奢だったんだ。
「いくぞ。遅れるヤツはおいていくから、しっかりついてこい!」
フェリペ兄様がよく通る声で檄を飛ばした。
ドルニエの五人、第三皇子、ぼくとローリエ、そしてベルトーニ教官の九人は早足で歩き続けた。たぶん地球の単位でいえば七~八キロくらい。いまぼくの肩に手を置きながら歩いている九歳の女の子がこの距離を走り続けたと考えると、胸が苦しくなってくる。
「ローリエ」
「なに?」
「ありがとう」
「そのうち返してよね」
「わかったよ」
この瞬間、ぼくの最初の英雄演出は失敗したのだと悟った。形の上では狙った結果を得ることができた。その意味では成功だ。でもぼくはこの先、ローリエと利害関係だけでつきあうことも、つきあいをいっさい絶つことも、たぶんできない。
現場には、拘束された負傷した男と、三つの死体が転がっていた。ローリエに目で尋ねると、彼女もうなずいた。とりあえず、現場の様子は変わっていないらしい。
ベルトーニ教官とフェリペ兄様が相談した結果、死体はとりあえず放置、負傷した男をその場で簡単に尋問した上で,野営地に連れ帰ることになった。できれば早くここを離れた方がいいが、騎士団はすでにこちらに向かっているだろう。その到着までに最低限の情報は引き出さなければならない。
だが、その尋問は意外とスムーズだった。脚を斬られた男がこちらにローリエを見つけ、つかみかからんばかりの勢いで怨嗟の声を上げたのだ。
「こ、このチビ! よくもっ! 殺してやる!」
「ローリエ?」
「うん」
どうやら彼女が無力化した男らしい。じつにチンピラ的な冒険者だったらしく、その後はリーダー役だった者への恨み言をまくしたて、また、「学生を皆殺しにすればいいラクな仕事だと言われた」だの「偉いさんの命令だから捕まらないはずだ」だの、聞いてもいないことをどんどん話してくれた。正直言えば、この時点でもうこの男を確保しておく意味はないくらいだ。
「アンリ」
フェリペ兄様がぼくを呼んだ。兄様の隣には、第三皇子がいた。ぼくはローリエを連れたままそちらに向かう。
「シャバネルくん、だね? サンドラの弟さん?」
「はい、ローリエ・シャバネルです」
「お疲れさま。アウグストが伝えたいことがあるらしいから、なにも言わずに受け入れてくれ」
第三皇子がローリエに無言で頭をさげた。このへん難しいよね。「なにもなかった」から、なにも言えないんだ。お礼を言う理由もないことになっている。
ローリエはさすがに固まっている。
「も、も、も……もったいないことであります!」
おいおい、ローリエがシルドラになっちゃったよ。皇子に頭を下げさせちゃったからな。大人びたヤツだけど、こういう経験はさすがにあまりないらしい。
「アンリ、ぼくはこれで引き上げるべきだと思う。あの男は捨てていく」
「ぼくは兄様の判断に従うよ」
たぶんそれがベストだ。なるべく早く戻って、守りを固めたほうがいい。二の手の襲撃があるとしたら、野営地から移動する余裕のない今夜だ。でも、それを知っているのはフェリペ兄様とイネス。想像がついているとして第三皇子自身。それにしても、兄様はなぜぼくにそれを言うかね。そろそろ兄様はごまかしきれなくなってる、と思った方がいいのかな。
フェリペ兄様がイネスの方に歩いて行くのと入れ替わりに、ベルトーニ教官がやってきた。
「シャバネルくん、ちょっと話をいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「話せる範囲でいいんだ。なにがあったのかを教えてほしい」
ローリエがベルトーニ教官に気づかれないようにぼくを見た。ぼくは少しだけ首を振ってみせる。いまは情報を持っている人間をできるだけ絞った方がいい。
「ぼくもよくわからないんです。知りあいの冒険者が『遠征の学生たちが危ない』という情報を知らせてくれて、ぼくもなんとかしなきゃって……。場所を知ってるのはぼくだけですから、その人にいっしょに来てもらって」
かなりムリすじの言い訳だが、非日常のまっただ中の九歳の子供ならこんなものだろう。ローリエもなかなかいい仕事をしてくれる。
「あの死体はその冒険者が?」
「ええ、ぼくはあのケガしていた男だけ……」
「そうか、とにかく、よくやってくれた。うちの学生はもちろんだが、ドルニエから預かっている学生たちを守れたのは、きみのおかげだ」
「いえ、ぼくはなにも」
ベルトーニ教官はポンポンとローリエの肩を叩いて、フェリペ兄様の方へ歩いて行った。
「もうすこしとぼけてみせた方がよかった?」
「いや、あれでよかったと思う。それより、あのベルトーニっていう人はどんな感じの人?」
「厳しいけど話のわかる人、っていう評判だよ。ぼくは世話になっていないからわからないけど」
「そっか。ありがと」
なんとなく、気になるんだよね。最初の動きから、みょうに流れに乗ったスムーズな対応だった。話がわかる人、と言えばそれまでだが、あの場合マシューっていう人の反応のほうがふつうだと思うんだ。
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