5-1 学舎の一日・晩夏
午前の投稿はできませんでしたが、間を空けずに第二部を始めることができました。第二部は比較的短めになる予定です。引き続きよろしくお願いします。
「そこまで!」
イネスの声が響いた。リシャールの剣が飛ばされ、フェリペ兄様がリシャールの胴を薙ぐ姿勢のままで止まっている。ここまでだいたい一分ほど。やはり実力の差は明らかだ。
「正直に言ってびっくりしたよ。まさか四合しのがれるとは思わなかった」
「もう少しがんばれると思ってました……」
フェリペ兄様がイケメンコメントをリシャールに告げ、ぼくらの学年のイケメン代表たるリシャールはうなだれたまま、なんとか言葉を絞り出す。
「おいおい、きみは一回生でぼくは最上級生だよ? これ以上しのがれたら、ぼくは修行をやり直さなきゃならないよ」
リシャールは学年でまったく敵のいない状態だったから、上からたたきつぶされるような今回の経験は生まれて初めてかもしれないね。
「そうだぞ、リシャール。見ろ、マルコなんかイネス姉に一発いれられただけで、まだのびたままだ。ぼくもずいぶんがんばったと思うよ」
「そっちの友達はちょっとわかりやす過ぎるわね。どこに突っこんできて、どこに剣を入れるつもりなのか、動く前にわかったもの。そこにあわせれば一発よ」
「イネスは感覚で動きすぎ。いつか痛い目を見るぞ? もう少し基本も大事にしろよ」
イネスにもフェリペ兄様の指導がはいった。
「はいはい、兄様の仰せのままに」
「フェリペ様、イネス様、ありがとうございました。自分はまだまだなんだな、ということが骨身にしみてわかりました」
リシャールがふたりに深々と頭を下げた。うん、これできみはさらに強くなるね。卒業するころにはフェリペ兄様を越えているかもしれないよ?
「ところで、アンリは剣術を選択していないのか?」
フェリペ兄様がいきなり話をぼくに振ってきた。
「え? ああ、図書館に行く時間がなくなるから……」
「あんた、怠けてるんじゃないわよ。図書館なんて剣術終わってからでも、いくらでもいけるじゃないの。疲れてダメだなんて言うんだったら、なおさら鍛え直さなきゃいけないわね」
ち、ちょっと待ったぁ! それはマズいよ。最近は図書館にいないことも多いんだからさ。時間はいくらあっても足りないんだよ。
「アンリは父様から兄弟でいちばん才能がある、って言われてたじゃないか。学舎に入るまでは続けてたって、父様から聞いてるけど」
ああ、兄様、その話はナシで! 剣には興味がないってことになってるんだから!
「え? ド・リヴィエール伯爵が? そんな話聞いてないぞ、アンリ?」
ほら、リシャールが食いついて来ちゃったじゃないか。こいつはいま敵を求めてるんだよ。
「そうだったわね。二歳の子供にまともな剣術の鍛錬とか、お父様も気がおかしくなったんじゃないかって思ったもの」
「二歳? なんだそれ? おいアンリ、ぼくと勝負しろ!」
ああ、もうダメだ、これ。火がついちゃったよ。
「それはほら、今度やろうよ。ぼくも最近剣に触ってないからさ、身体の動かし方を忘れちゃってるんだ。ちょっとカンを戻したらやるよ」
「絶対だぞ? ぼくは忘れないからな! ひと月後だ!」
「そのときはぼくが立ち会いをやってあげるよ。ぜひ声をかけてくれ」
「わたしにも声をかけてね、リシャールくん。アンリがいやがっても引きずっていくから」
「お願いします!」
この状態をひとは四面楚歌という。この場合は三面だ、とかいうボケは無意味だ。
いまは夏の休暇期間の終わり近く。ことのはじまりはリシャールだった。
「アンリ、一度でいいんだ、フェリペ様と剣をあわせてみたい。半年したら、フェリペ様は卒業しちゃうだろ? そしたら、絶対に仕合う機会なんてない。最後の機会かもしれないんだ、頼むよ!」
リシャールが部屋に押しかけてきていきなり頭を下げた。すごい勢いだ。どこまで兄様ラブなんだよ、おまえ。マルコもちょっと引いてるぞ。
「頼むぐらいはいいけど、さすがに勝負にはならないと思うぞ。兄様の強さはちょっとふつうじゃないからな」
父様も強いが、いまならフェリペ兄様が勝つかもしれない。兄様はカンだけじゃなくて詰め将棋みたいに相手を追い詰めるのがうまいんだ。
「それでもいい! どこまで食い下がれるかやってみたいんだ」
「了解。いつでもいいんだな?」
「休暇中なら、ほかになにがあってもそっちが優先だ!」
フェリペ兄様に話したら、ふたつ返事で受けてくれた。ヒマだから、という理由でイネスもついてきて、イネスがいるならとマルコもついてきた、というわけである。
「あの……アンリさん?」
フェリペ兄様とイネスを見送っていると、不意に後ろから声がした。
「わあっ!」
振りかえると、マイヤが立っていた。リシャールとマルコも唖然としている。いったい、いつの間にうしろをとったんだ? まったく気配はなかったぞ?
「す、すみません、驚かしてしまって……」
いや、その前に同学年にぼくやリシャールを後ろから驚かすことができる人間がいるとは思わなかったよ。自慢じゃないが、すごいことだぞ?
「だ、だいじょうぶだよ。で、なにかな、マイヤさん?」
「ベアトリーチェ様……さんが、ちょっと相談があるみたいで、アンリさんとルカさんに来てもらえればと……」
「いいよ、どこにいるのかな、ベアトリーチェさん」
「たぶん、今は図書館にいると思います」
あれ? 呼んでくるように言われたんじゃないの? でも、考えてみたらベアトリーチェって、他人をそういうふうに使ったりしないよな。用があれば自分で呼びに来る。
「わかった。リシャール、ルカは今どこにいるかな?」
「たぶん図書館だよ。えっと、第二クラスのひとだよね? リシャール・モンゴメリです」
「マルコ・ロッシュ。よろしくね」
「は、はい、マイヤ・ジレス……です。よろしく……お願いします」
ふーん、オドオドっ娘のわりに、リシャールのオーラにも動じないな。不思議な娘だ。
「じゃあ、図書館に行こうか。リシャール、マルコ、あとでね」
図書館でルカをみつけて声をかけ、閲覧室の隅で本に囲まれているベアトリーチェのところにむかった。声をかけると、ベアトリーチェはポカンとした顔をした。いつもスキがない彼女のこういう表情は新鮮だ。
「あれ、みなさん、どうなさったのですか?」
やはり、マイヤはベアトリーチェの考えていることを察して、ぼくらに声をかけたんだね。
「ベアトリーチェさんが、なにか相談事がありそうな予感がしてね」
横でちょっとマイヤがびっくりしたような顔をしたが、なにも言わなかった。
「どうしてわかったんですか? まずマイヤさんに相談しようかどうしようか迷っていたんですけど……そうですね、今日みなさんに相談しちゃいましょう!」
ベアトリーチェはニッコリと笑った。
「魔法学の授業はわたしたち四人しか選択していません。ということは、わたしたちの希望にもある程度こたえてくれる可能性があるんだと思うのです」
人のあまりいない食堂に移動して、ベアトリーチェはぼくらひとりひとりの顔を見ながら話しはじめた。
「もちろん、基礎の勉強は大事だと思いますし、それを一生懸命やることは当然です。そのうえで、わたしたちの希望が一致するテーマがあれば、手ほどきをいただけるよう教官にお願いしてみてはどうでしょうか?」
いや、どこまでも前向きで学ぶことに貪欲なベアトリーチェさんだ。
「賛成だよ。でも、ぼくはすぐに思いつくようなテーマはないんだけど、ベアトリーチェさんはどうなの? 頭になにかあるから、こういうことを思いついたんじゃない?」
ルカはなかなか鋭い。たぶん彼女は、かなりはっきりした希望を持っている。
「言い出したのはわたしです。自分の希望は、、みなさんから特に意見がなければ申しあげます」
彼女は首を横に振った。八歳児とは思えない気の回し方だ。ほかの希望があれば、自分の希望は棚上げするつもりだろう。あいかわらずだね。
突然、マイヤが手を上げた。珍しいな、自分を主張するのはそう。
「わたし、身体を動かすのが苦手で……そういうのをカバーする魔法があれば、ぜひ教わりたいな、と思います」
うん、なかなかいいところを突いている。身体強化魔法は、ぼくも最初にタニアに仕込まれた。魔力の使い方に難しいひねりがなく、とっつきやすいはずだ。とりあえず、ぼくも賛成しておくとする。
「いいんじゃないかな。ぼくも身につけられるなら身につけたい」
「そうですか……違った考えが出たらおもしろいな、とも思っていたのですが……実はわたしも同じ意見なのです。属性魔法は、まだわたしたちでは難しいと思いますし」
そうだったのか……って、あれ? ちょっとひっかかるな。
「ぼくもそれでかまわないけど、ベアトリーチェさんは、どうして身体強化に興味があるのかな?」
ルカが素朴な疑問をぶつける。
「恥ずかしいのですが、剣術の実技などでどうしても男性に力でかなわないところがあって……その差を埋めたい、と思ったのがきっかけなのです」
ベアトリーチェはほんとうに恥ずかしそうだ。ちなみにリシャールに聞くと、ベアトリーチェがかなわない相手というのは、リシャールとその他二、三人だそうだ。マルコはいい勝負をされてしまっているらしい。
「べつに恥ずかしいことはなにもないと思うよ。むしろ、そういう目的があったほうが身につくんじゃない? それに、そういうことならぼくにも必要だね」
「自分のためにみなさんを利用するようで、気が引けてしまうのですが……いいのですか?」
「気にしないでよ。いいと思うよ」
とりあえず背中を押した。それに、平然とそういうことをする人はいくらでもいるんですから、それがわかってさえいればいいんです。はい。
「それでは、言い出したものの責任で、わたしが教官に相談してきますね。みなさん、ありがとうございました」
ベアトリーチェは丁寧に頭を下げた。
ルカとベアトリーチェはもう少し図書館にいるらしい。ぼくとマイヤさんはふたりで外に出た。ちょうどいいから、確かめてみるか。
「マイヤさん、ひょっとしてベアトリーチェさんがなにを学びたがってるか、最初からわかってた?」
お読みくださった方へ。心からの感謝を!




