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4-10 日常への回帰

チャプター4、予告どおり終了しました。同時に、第一部と言えるパートが終了です。

すぐに第二部相当の部分、書き始めるつもりですが、さすがに明日投稿は苦しいかもしれません。

なにせ、つい半日くらい前まで第二部は冒険者活動中心、とか考えていたのですから。


それでも、いちおうの区切りまで一日もあけずに書き続けられたのは、大きな成果です。

それを後押ししてくださったのが、毎日読みに来てくださった方々です。

いくら感謝しても足りません。

「あ、そうだ」


 ぼくはわりと大事なことを思い出した。リュミエラ・アンドレッティが消滅するまえに考えなきゃならないこと。


「ベルガモはどうする?」


「リュミエラに圧倒されてすっかり忘れていたであります。まだ消滅してはいけないでありますよ」


 しかし、リュミエラはゆっくり首を横に振った。


「いえ、いいのです。たしかにわたくしが申し上げた『すべて』にはベルガモも含まれるのでしょう。ですが、わたくしのような素人には、いくら憎くても顔も知らない相手に対して、心の炎を長い間燃やしておくことはむずかしいようです。さきほどヘラを殺したとき、身体の熱が一気に引くのを感じてしまいました」


「それじゃ、勝手に見つけ出して殺ってしまってもかまわないでありますか?」


 突然シルドラが口を開いた。よく見せているちょっと緩んだような笑いとはちがう、酷薄さを含んだ薄い笑みを浮かべている。


「どうしたのさ、急に?」


「心残りというのは、意外と残っていることが本人にもわからないのでありますよ。この先、冒険者として生きていくことになるでありますから、どこでベルガモと出くわすかはわからないであります」


「わたくし、冒険者になるのですか?」


「そこでボケるでありますか……。リュミエラはどうやって生活していくつもりだったでありますか?」


「あ、そ、そうですね。お金が必要ですよね」


 とんでもないところで、リュミエラが高位貴族のお姫様だったことを再認識だ。生活するためにお金を稼ぐという認識をまだ持っていなかったらしい。


「まあ、アンリ様にたかるという道もないわけではないでありますが、この八歳児は中身はオヤジでありますから、そのうち愛玩奴隷のことを思い出してしまうでありますよ」


「ブホッ………!」


 なんということを言い出しやがりますか、シルドラさん! せっかくみんながその話を忘れていたというのに、ほら、リュミエラも真っ赤になっちゃってるよ。


「それはともかく、どこかで出くわしたときにくすぶっていた火が燃えはじめるたりすると、余計なことに時間と手間をかけなければならないであります。それくらいなら、顔も知らない今のうちにどこかで死んでもらっといたほうがいいであります」


 ま、それはもっともだね。リスクは早めにつぶしておくに限る。


「というわけで、これはアンリ様の訓練に使わせてもらうでありますよ」


「え、ぼく?」


「そうでありますよ。顔の見える相手を殺る訓練はそうそう積めないであります。いまはリュミエラのほうが経験豊富なのでありますよ」


 そういえばそうだ。顔の見える相手なんて、ぼくはマッテオしか殺ってないんだ。盗賊とか、カウントの外だからね。


「了解。情報収集は手伝っておくれよ?」


「もちろんであります」

 


 聖の日、ぼくは久しぶりに心に引っかかりのない、すがすがしい朝を迎えた。ここまでの顛末をジルに説明してしまえば、今回の件は終わりだ。久しぶりに学舎の生徒らしい日々を迎えられるだろう。


「マルコ、朝食に行こうよ」


「ああ? なに言ってんだ? もうじき昼食だよ。何度起こしても全然起きなかったくせに、いまさら朝食?」


 どうやら、目覚めはすごく悪かったらしい。




 昼食をいつもの顔ぶれですませ、裏の森のジルの小屋にむかう。マッテオがうっとうしいから引きこもっていると言っていたし、そろそろ隠れている理由もないような気がするが、どうやらクセになってしまったらしい。


「こんにちは」


「おや、アンリ様。どうぞお入りください。今日はお客様が見えておりますが、アンリ様とも顔みしりの方でございますので」


 セバスチャンが言うが、狭い小屋だ。客がいるのもそれがだれかも見えている。セバスチャンもなかなか天然のところを見せてくれる。ちなみに、ぼくの訓練が終わったあともセバスチャンは小屋にとどまっている。


 来客はタニアだった。


「なんで?」


「今日はマリエール様にお休みをいただきましたので、ジルにアンリ様のご様子を聞きに参りました。アンリ様はまだこのようなところに出入りしておられるのですね」


「なら帰ってくれんか? 朝から押しかけてきて、わしの秘蔵の甘味まで平らげおって」


「アンリ様は、今日はどのようなご用事ですか? 大した用事もなしにこんなところにきても、なにもいいことはありませんよ?」


「だから、そう思うならさっさと帰ってくれい。わしの心がどんどん削られていくわい!」


「ああおっしゃってますが、旦那様はけっこう楽しんでおられるようです」


「あー、うん、そうみたいだね」


「どこを見たらそう見えるんじゃ……。で、今日来たのは、アンドレッティの件かの?」


「うん。もう知ってるみたいだけど?」


「まあの。この手の噂は足が早い。王家の血縁じゃから隠そうとはしているようじゃが、人の口に戸は建てられんの。第一夫人と長女が殺されてすぐエンリケが、となれば、最初の事件もほんとうにただの盗賊だったのか、という話になるわい」


「実際ただの盗賊じゃないけどね」


「まあ、勘ぐるにしてもジェンティーレ伯爵家と結びつけるヤツはすぐには出てこんじゃろうな。やったのかの?」


「うん。昨日の夜、伯爵とヘラを」


「ヘラ? 三女ですか?」


 タニアが疑問を挟んだ。そういえば、このあたりのいきさつはタニアは知らないんだな。


「三女がエンリケの子供を身ごもっておったんじゃよ。シルドラの嬢ちゃんがつかんできたネタじゃな」


「そうですか。あの子も役に立ったようで何よりです。リュミエラの様子はどうでしたか?」


「アンドレッティ公爵を殺るときは、お母さんへのひと言を言わせようと時間をかけてた。でも、殺すことにためらいは見えなかったよ。ジェンティーレ伯爵は瞬殺。ヘラは……ちょっと凄かった。いちばん腹を立ててたのはヘラに対してだったみたい」


「ふむ、ヘラはリュミエラに一方的に競争意識をもっとったようじゃの。それが最悪の形で出たわけじゃ。積もり積もった劣等感が爆発したんじゃろうな」


「競争意識って、はじめから勝負になってないよ。今回のことだって、ヘラがリュミエラを奴隷に落とそうと思わずに殺していれば、うまく運んでいたかもしれないんだ」


「アンリ様、一つ覚えておいていいただきたいことがあります」


 タニアがぼくを正面から見て言った。


「ヘラという娘、たしかに愚かです。ですが、男でも女でも、世の人々の大半は同じ程度か、それ以上に愚かなのです。愚かなものたちがどのように考え、どのように行動するのか、それを見極めてください」


「わかった。それはヘラの行動を見ていて、身にしみたよ。伯爵も地獄で悔やんでいるだろうね」


「アンリ様のように、小手先の小細工で生きていこうとする方にはもっとも大事なことです。うまくいくはずのもくろみが崩れるときは、そこに必ず予想していなかった愚かな思考、愚かな行動があるのです。それすらを読み切ってこそ、運命を逃れられるのではないですか?」


 わかった。すべてその通りだけど、その言いかたはひっかかるからやめてください。


「そうじゃな。それと、わしからも一ついいかの?」


「うん」


「あまり急ぐでない。おまえさんはたしかに八歳児としては異常じゃ。じゃが、それでもおまえさんは八歳なんじゃ。八歳には八歳のものにしか見えん景色がある。それを見逃してはいかん。少し歩く速度を落としてみんか?」


「歩く速度……ですか」


「ジルもたまにはまともなことを言いますね」


「たまには、はよけいじゃ」


「マッテオとやらの件、リュミエラの件、アンリ様はほんとうにがんばりました。わたしも素直に感心しております。ですが、ひと月半でなしたこととしては大きすぎることを忘れてはいけません。まさか、このままがんばれば、などと考えてはいないでしょうね?」


「え、考えてるけど?」


「そのまま走り続ければ、アンリ様の心はすぐに完全な大人になるでしょう。もともとが爺なのですから」


 タニアがひと呼吸おく。


「ですがそのとき、中途半端であるアンリ様は人より少し優れているだけの大人です。子供の時間は能力を伸ばすためだけにあるのではないということを、頭に刻んでください。役に立つことはいつでも学べます。役に立たないこと、小手先の技術ではないことをこそ学んでください。それが子供の時間の特権なのです。その特権をもう一度使えることを喜んでください」


 ぐうの音も出ない。思えば二十年以上「なにが役に立つか」を唯一の基準に学ぶものを選んできた気がする。「役に立たないことを学べ」というのは、そこで完全に捨て去っていたものを学べ、ということと同じだ。


「なに、難しく考えんでええ。もう少し毎日を楽しめ、ということじゃ」




 ジルのところを出るころには、日が少し傾いていた。報告に行くだけのつもりだったのだが、とんでもなく大きなことを教わってきた。教えられてしまった。


 このひと月、ぼくは自分にとって有益な人を見つけ出し、助けをもらい、自分の障害を排除し、この先の道連れをひとり見つけた。できすぎだとは思うけど、学舎にいなければできなかったことはひとつもない。


 ぼくはこの先七年間、学舎ですごすのだ。これまでは制約の多さを嘆くだけだった。でも制約だらけの学舎生活、どうせすごすのなら少しでも楽しもう。そのうち能力が天井に突き当たるぼくが人よりも有利な点と言えば、タニアの言うとおり、子供の時間をもう一度過ごせることだ。活かさないでどうする。




 寮が見えてきた。これまでのぼくなら、この後の時間をどう活用するかを考えはじめ、ここで歩みが遅くなるのだ。まわりに同級生がいるところでは考えごとはやりにくいからね。でも、まわりにマルコがいて、リシャールがいて、ルカがいて、ベアトリーチェやほかの同級生がいて、マイラやほかのクラスの生徒がいて、兄様たちやイネスや上級生がいて、教官がいる。それがあたりまえだ。


 そんなあたりまえに戻ろう。そこで考えるヒマがあったら考えればいい。


 ぼくは寮の部屋まで全力で走った。部屋に駆け込むと、マルコがポカンとこちらを見ている。


「ただいま!」


 マルコはそのままこちらをじっと見る。そしてニッコリ笑った。


「おかえり!」 

あらためて……。読んでくださった方へ。心からの感謝を!

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