15-4 再びの「前夜」
本番前日。二回目なのに慣れるということのないアンリくんでした。
「……じゃあ、エリーゼさんを迎えに行ってくるね」
ホゥッと熱いため息を一つついて、囁くように言ったベアトがぼくから躰を離した。
打ち合わせを終えて三階に上がったぼくとベアトだったが、自分の部屋で外出の支度の確認をするかと思っていたベアトが、掴んだぼくの腕を放すことなくぼくの部屋までついてきた。そして部屋に入るなり抱きついてきた。
「ごめんね、ごめんね、アンリくん。わたしにまかせて、なんて偉そうなこと言ったのに、アンリくんに迷惑かけちゃった。二年前から、なにも成長してないよ、わたし……」
ベアトは泣いていた。たしかに、こんなに弱々しいベアトは、二年前にニスケス邸によばれて侯爵にしてやられたとき以来だ。
「なんの問題もないよ。困ったら助け合うのが夫婦だろ? 困ったベアトを助けられたのなら、こんなに嬉しいことはないよ」
ギュッと彼女を抱きしめ返すと、彼女は背伸びをして唇をぼくに押しつけてきた。しばらくそのまま舌を絡ませたまま抱きあった。
ベアトが少し頬に赤みを残したまま部屋を出ていくのを見送った後、ぼくも次のモードへの切り替えを急ぐ。簡単に身なりを整えてフェルナンデス家に向かうベアトを見送ると、エリーゼを迎えるために明日も着る予定の白の礼服に着替える。大和民族が着ると大道芸人にしか見えない衣装だが、幸か不幸かいまのぼくは金髪碧眼だ。
庭に出ると、使用人が準備に忙しくしている。すでに一度こなしているのでみな手慣れたものだが、客の数が多いだけに手間は膨大である。ちなみに予算も結構なものだ。しがない男爵家には結構キツい。やはり、身の丈に合った生活というのは大事であり、第二夫人を迎えるなどというのは、本来なりたて男爵には分不相応のことなのだと実感させられる。
厨房でも調理人たちが仕込みに忙しい。さまざまな食材が出す香りが混じり合って結構匂いがすごいことになっているが、これが明日には絶品の料理になっているかと思うと楽しみである。
「旦那さま、邪魔だからどこかに行ってください」
「……はい」
つまみ出されてしまった。しかも、つまみ出された先でロジェに見つかった。
「アンリ様、エリーゼ様をその服でお迎えになるのなら、どこかでおとなしくお待ちください。動き回られるのなら、どうかお着替えをお願いします」
少し前に目を潤ませてぼくを見た残滓はまったくない。ただの口うるさい執事だ。ぼくはおとなしく、二階ラウンジにお茶の用意がされつつあるのを確認して、スゴスゴと部屋に戻り、ちょっと気取った程度の訪問着に着替えた。こういう場で男にやることがない、というのはどこも同じだと実感してしまった。
「アンリ様、エリーゼ様がお着きになります」
二階のラウンジに戻ってウトウトしていたところをロジェに起こされた。あわてて身なりを確認し、正面玄関におもむくと、馬車からベアトが降りてくるところだった。続いてジュリオラ様がエリーゼの手を取って降りてくる。圧巻だった。あのふたりを合わせるとローラ何人分だろう。
「娘をお預けしますわね、フォーゲル男爵。かわいがってあげてくださいな」
ニッコリ笑って悪戯っぽく口上を口にするエリーゼママの後ろで、エリーゼは顔を真っ赤にしてうつむいている。エリーゼママにうながされて、ガバッという感じで顔を上げた。この子はときどき動きが体育会系になって、それがじつにかわいい。だが、よく見るとひと月ほど前とは少し違う。顔は少し細くなって大人っぽさを増し、髪も一時短くしたころに比べると伸びている。細かった腰はさらに引き絞られ、反対に胸部装甲はさらに厚みを増した感がある。
「フォーゲル男爵、いたらないところの多い自分ですが、よろしくお願いします」
頬を赤らめたまま笑顔を浮かべるエリーゼは破壊力抜群だった。
ベアトの先導でエリーゼ親子に屋敷の中を案内した後、ぼくたちは二階ラウンジでお茶を頂き雑談。その後食堂に移動して早めの夕食を頂きながら雑談。そして女性陣は明日の準備のためにいったん引き上げる。その間ぼくはまたぼっちである。
二階ラウンジでボーッとしていると、ローラに肩を叩かれた。
「大変だったね。でも、ボーッとしてちゃダメだぞ。明日はエリーゼの晴れ舞台なんだから、最高の日にしてあげなよ」
「わかってるよ。拠点のほうはどんな感じだった?」
「みんなそれぞれに何をするか考えてたみたい。シルドラとか、ニヤニヤしながら身体を動かしはじめて怖かった。一番怖かったのは、テルマさんがいつもどおりなのに魔力だけ出し入れしてて……」
けっこう一触即発のところまで行ったようだ。シルドラは殺る気まんまん、テルマはぶちかます気まんまんだったというところだろう。
「なにかありそうなら、ボクらが力ずくでも止める。だから、アンリはなにも心配しなくていいよ」
泣きそうだった。ローラが頬に這わせてきた手をギュッと握る。顔を引き寄せようとして、エリーゼのことを考えて思いとどまり、その手に軽く唇を当てた。
「ありがとう」
ローラはもう一度ぼくの頬を撫でて、ラウンジを出て行った。
それからさらに四半時ほどぼっちの時間をすごし、ベアトとエリーゼママにエスコートされたエリーゼがラウンジに現れた。
昼の時間の陽光に映えそうなレモンイエローのドレスはひとことで言えば「あざとい」ものだった。サラリとした薄手の生地は、躰のすべての動きを女性的な魅力に変換している。歩けばお尻から下の動きが浮き出し、上半身を少し捻れば胸部装甲に少しだけ力がかかって形を変える様子がうかがえる。装飾品は華美すぎず地味すぎずの絶妙なバランスだ。首から提げるものをつけていないのは、胸部装甲の扱いが難しいからだろう。
着る人と時間によっては下品になってしまいそうな一品だったが、どこまでも上品なたたずまいのエリーゼが昼の時間にこれを着て歩けば、自然な形で人の目を釘付けにすることだろう。ただ、いまは夜が更けつつある時間で、いかなエリーゼでもこれを扇情的にならずに着こなすことは出来ていないのだが……。
「エリーゼ、すごく綺麗だ」
ぼくは月並みな褒め言葉しか言えなかったが、それでも彼女は嬉しそうに笑ってぼくに躰を寄せ、腕を絡めてきた。
「あらあら、エリーゼったら、アンリさんがいればそれだけでいいみたいね」
「お母様……」
「すこしベアトリーチェさんと家の中を歩かせてもらってきなさいな。どこでも綺麗に歩けないと、嫌われてしまうわよ?」
「わかりました」
エリーゼはベアトに手を取られ、綺麗な歩様でラウンジを出て行った。
「アンリさん、今日はほんとうにお疲れさまでした。ロベルトから伺っています」
エリーゼの姿が見えなくなると、エリーゼママは急に表情を引きしめてぼくに向き直る。
「いえ、自分の心に従っただけで、勝手なことまで言ってしまって迷惑をかけるのではないかと心配しているのです。エリーゼは今日のことは?」
「まだ知らせていません。少し落ちついてから、あまり深刻にならないような形でわたしから伝えようと思います。お委せいただけます?」
「もちろんです。えーと、フェルナンデス夫人、にお委せすれば……」
「フフ、もう『お義母さん』でいいですよ」
「す、すみません。すべてお義母さんにお委せします。お義父さんは?」
「もう間もなく着くころですよ。あの人は明日立っていればいいだけですから、別に今晩来なくても良いのですけどね」
男にやることがないのは、花嫁側でも同じらしい。
エリーゼが戻り、いよいよ本格的にリハーサルの時間となった。本番ではぼくとベアトがエリーゼを挟んで動き回ることになるわけだが、自由自在に自分の歩様をコントロールできるベアトは、いまはぼくを挟んでエリーゼの反対側にいる。そこで厳しくぼくに歩き方を指示する。すなわち、
「アンリくん、速すぎる。エリーゼさんがついていけないわよ、それじゃ」
とか、
「アンリくん、小股でチョコチョコ歩かないで。みっともない」
とか、
「アンリくん、そういうふうに急に方向を変えると、外側にいるわたしはどうするの?」
とかである。
「やはりアンリさんとベアトリーチェさん、同級生なのだな、ということを実感しますわ。空気が独特で、とてもうらやましいです」
休憩を取ったとき、エリーゼがぼくとベアトを見て、ニコニコしながら言った。
「ベアトって、お嬢さまで優等生のわりに気さくで、学舎に入ったころから誰にでもこんな感じだったからなぁ。八年間ずっとこんな感じで、すぐには変わらないよね」
実際、ベアトの話し方は、彼女がお嬢さま中のお嬢さまであることを考えるとかなりフランクといっていい。相手を緊張させない、といってリラックスさせすぎることもない、優れた対人スキルの持ち主だ。
「アンリくん……わたし気持ちが変わっていって、アンリくんとの接し方とかずいぶん変わったと思っていたんだけど、全然通じてなかったと思っていいのかしら?」
「え……あの……」
エリーゼがクスッと笑った。
「わたくしから見ると、アンリさんはどんな相手にも自然体で接していらっしゃるように見えましたの。でも、ほんとうの自然体は違ったのですね。明日になる前に、またひとつアンリさんのことがわかってとっても嬉しいですわ」
「あ……ちが……」
「エリーゼさん、アンリくんはいくつも顔を持ってるのを知ってるでしょ? 自然体だって、何種類も持ってるのよ?」
「だから……ねえ……」
「そうでしたわね。楽しみですわ。わたくしはいくつ見つけられるのでしょうか」
「あのさっ……」
「さ、お休みは終わり。がんばりましょうね」
「はいっ」
もう……死ねと言って……。
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