11-16 英雄の候補たち
だめです。ピンク色から抜け出せません。蟻地獄にはまってしまったかのようです。序盤はうまく切り替えられたと思ったのですが……。
次話こそ、次話こそは……。
「……今日この日をもって、わたくしはイネス・アナスタシア・ギエルダニアとなり、昨日までのわたくし、イネス・ド・リヴィエールをはぐくんできたドルニエに別れを告げ、この国ギエルダニアと我が夫アウグスト・ギエルダニアにこの身を捧げることを、いまこの場にお集まりくださったすべての皆様に誓いましょう」
おい、誰だよあれ。えらくカッコいいじゃないか。まさかぼくの姉である脳筋イネスだなんて言わないよな?
ラーム伯爵手配の屋敷から皇宮に戻って今日で六日目。昨日まで大小各種の儀式とパーティーが皇宮内で行われていたが、今日は皇宮前広場で一般国民へのお披露目だ。ひな壇からアウグスト殿下に続いてイネスがスピーチを行い、このあとシュルツク市内でパレードが行われる。ぼくが列席する予定になっている行事はこのスピーチまで。パレードが始まってしまうと、ドルニエの人間はカヤの外だ。
実をいえば、今日の夜から明後日にかけても散発的にパーティが行われるのだが、半人前の学生であるぼくは自由参加で、当然ながら不参加を決めている。つまり、ギエルダニアでのぼくの役割はこれで終わりということだ。
一人前の社会人である兄様、姉様たちはほかの行事にも参加するため、カルターナに向けて出発するのは数日後になっている。ぼくの帰路は、ラーム伯爵のカルターナ行きに同行させてもらう、という言い訳で家族から離脱することになっており、そのための根回しとして伯爵の親分格であるボスマン公爵からロベールにひとこと口添えしてもらった。ボスマン公爵もロベールとコネができることをメリットと感じてくれたらしく、ふたつ返事で引き受けたらしい。というわけで、イネスのスピーチが終わった瞬間に、ぼくのモードは遠征対策用に切り替わる。
「……最後にひとつ、お願いがあります。わたくしの心はもはやドルニエにはございません。ただ、昨日までのわたくしのすべては、家族とともにありました。アウグスト殿下が選んでくださったのも、そんなわたくしです。ド・リヴィエールとの繋がりを断ち切ったわたくしは、もはやわたくしではありません。心のほんの一部を、家族のもとに残すことをどうかお許しください。それが許されないと皆様がお考えになったときには、どうかまずわたくしの胸に刃を落としてください。すべてのギエルダニアの人々に、聖母マリーエンの祝福が舞い降りますように」
イネスがスピーチを締めくくり、彼女が語った言葉を大きな歓声が受け止めた。あそこにいるのは、もはやいちばん身近な家族である姉のイネスじゃない。ギエルダニアの人々が誇りに思う、ギエルダニア皇家の一部なのだと、それを否応なく感じさせられた。中年にさしかかったぼくの心もちょっとだけ締め付けられ、目の前が少しだけぼやけた。
ぼくがカルターナの拠点に戻ったのは、イネスのスピーチが終わってから四時間ほどたったあと、夕食時を少し過ぎたあたりだった。シュルツクの屋敷のペトルさんには、十日ほどで常駐者を決めると言い置いている。
「おかえりなさいませ、アンリ様」
迎えてくれたのはリュミエラだった。ラウンジには、ほかに誰もいない。
「ただいま。みんなは?」
「スミルノフ司教の護衛は、ビットーリオさん、ニケちゃん、ヨーゼフさんがローラさんに同行しています。形としてはビットーリオさんをリーダーとしたようです。出発は三日前で六日間の行程だそうですので、明後日にはこちらに到着するかと」
「ニケも行ったの?」
「ちょっとまとまった運動をしたいんだそうで、けっこう無理矢理ついて行ってしまいました。ちなみにエマニュエルさん、ローザさん、フレドさんは外出中です。戻るとしてもそのまま別館の自室に直行するでしょう」
リュミエラが苦笑しながら応える。残ったメンツはいつもどおり、ということだ。
ぼくがラウンジのソファに腰を下ろすと、すぐ目の前にリュミエラが場所を移して立った。彼女の腰から下が目の前に迫る。パンツに包まれた、ローラよりもいくぶんボリューム感のある長い脚がプレッシャーをかけてきた。ここのところ、わりと頭がピンクに振れていたぼくには少しキツい。
「例の件の方はどんな感じ?」
「まず問題のないただの報告事項から。アンリ様が参加する遠征のための食料、薬品、予備の武具については、バルデさんに推薦をいただいた商店に余裕を見て十四日分を発注済みで、出発の二日前に届く予定です。発注元も届け先も学舎内のアンリ様から、ということにしていただいてます」
「完璧だね。それじゃ、これはもう忘れるよ。荷駄についてはメドはついた?」
「お留守の間にいろいろ相談したのですが、やはり一人は背景をわかっているものがいた方がよい、という結論になっています。ですので、ギルドにはEランク二名の募集をかけました。Eの依頼としては報酬を多めに設定していますので、希望者は集まるかと。そこから絞り込んだ二人に、カルターナでいちばん顔を知られていないフレドさんをまぎれこませようと考えています」
「了解。フレドでいいかどうかは、ギリギリまで棚上げしよう。身内を使わないですめば、それにこしたことはないからね」
「承知しました。それから、ローザさんとフレドさんにメルビル森林の下見に行ってもらいました。あとひと月の間に何があるかはなんとも言えませんが、少なくともいまの時点では魔獣の出現頻度を含め、生態系に異常は見られないそうです」
おお、イネスの結婚の儀が終わったらお願いしようと思っていたが、グッジョブだ。
「残念ながら、教会関係はわたくしたちで情報を集める余裕はありませんでした。ギルド関係を中心にビットーリオさんが知りあいに当たり始めていたのですが、シュルツクでの依頼がありましたので……」
「それは仕方ないね。ひょっとしたらスミルノフ司教の護衛の時になにか収穫があるかもしれないし、それを待とうよ」
リュミエラが少し目を細めた。
「アンリ様は、やはり遠征と関連があるとお考えですか?」
「教会が何かしでかすかもしれない状況で、高位の聖職者がやってくるんだから、関係があると思って心づもりをしておいたほうがいいよね」
「わかりました。あとは、こちらを」
ぼくの隣に腰を下ろしたリュミエラが、上着の胸元から封緘つきの封筒を取り出した。その瞬間、扇情的な香りが漂う。いつもリュミエラがまとっている天然フェロモンとはまた別だ。異質の香りが混じり合って非常にまずい。チラと彼女のほうを見ると胸の谷間が目に入ってさらにヤバい。ぼくは全力で雑念を払って封筒の封を切る。
中身はカデルからの連絡文だった。英雄特定の調査の途中経過報告である。
現時点で、カデルは教会との接点から目標を三人まで絞り込んでいた。いずれも十五歳で、ぼくと同い年である。男女の内訳は男一人、女二人だ。
(……引き込むとなると、ベアトリーチェ様の耳にも……)
カルターナにとって返して打ち合わせをしたときにリュミエラに言われたことが頭をよぎる。できれば男であってほしい。
女二人のうちの一人は、教会本部のナンバースリーの枢機卿の孫娘で、幼いころから魔法に才を見せていたらしい。複数の属性の魔法を使ったという情報もある。ある時期をさかいにあまり外に出なくなったようで、その後の評価は難しいが、教会でその姿を見たものは複数確認されている。密かに英才教育を受けていた可能性は高いとのこと。ナンバースリーの孫娘が英雄となれば、彼の教会内での発言力も高まるだろうし、魔法の才が本当ならば、英雄として売り出すことは可能だろう。ただ、少し条件の満たしかたがあからさますぎる気もする。
男は伯爵家の四男。最初の一人とは逆に剣術にすぐれた子らしい。なぜ騎士の道を進むために王立学舎を選ばなかったかといえば、騎士になった三人の兄よりも側室の子である彼のほうが剣の才を明らかに持っていたためだそうだ。学舎入学の年齢から五年間は教会に入れられており、十三歳の時に突然教会を離れて高等学院に入学したようだ。これも少し話ができすぎている気がしてしまうな。
最後の一人は子爵家の次女だが、実子ではなく平民の孤児を養女としたらしい。子爵家に入ったのが十歳の時。学業は優秀らしいが、武術、魔法いずれの能力も不明。ただ、養女とする過程で教会が少なからぬ支援をした可能性があるらしい。ラノベ的にはどう見てもこれがビンゴだが、どんなものだろうか。
「カデルからの報告はこれだけ? 続報はあるみたいだけど?」
ぼくの問いかけにリュミエラが少し姿勢を直して膝がぼくの脚に当たる。見ると彼女も少し頬を赤らめていた。ヤバいヤバいヤバい……。
「わたくしが確認したのはそちらだけです。そちらの机におかれていたのが昨日でした。このあとはアンリ様に直接報告が届くのではないでしょうか」
「了解。ところでリュミエラ……」
「はい?」
「いつもと香り、違うよね?」
リュミエラは恥ずかしそうにうつむいた。
「あざとい真似をしてしまって申しわけありません。こちらに戻ってきたローラさんの雰囲気がすっかり柔らかくなっているのを見て、つい……その……」
雰囲気が変わった理由はすぐにわかったってことか。
「ほかにいま聞いておかなきゃならないこと、ある?」
リュミエラがうつむいたまま首を横に振る。右腕を回して肩を抱くと、そのまま身体を預けてきた。香りはさらに濃厚になり、頭の芯を揺さぶる。彼女はぼくの空いている左手を取って口もとに運び、人差し指を口に含んだ。理性が飛ぶのは、実に簡単だった。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!




