10-1 アッピア動く
アンリの身のまわりも少し落ちつき、ふたたび歴史に絡んでいくアンリです。
ぼくの婿入り騒動からひと月ほどたって、アッピアが本格的な動きを見せ始めている。前々から予期していた女王国への派兵が近づいてきているとみえて、ボルダン周辺への動員が本格化してきていた。
婿入り自体については二人の間では決着した。ベアトリーチェの婿取り宣言から二週間後の週末、ぼくは彼女に「婿入りしてニートとなる決意」を告げている。侯爵家との調整はこれからだが、ニスケス侯爵の思惑から考えれば、彼にとってさらに好都合ですらあるはずだ。
「うれしい。そして、ホッとしちゃった。正直に言うと、ちょっと怖かったの。少しだけわたしのこと、特別に思ってくれている気はしたのだけど、いきなりとんでもない提案しちゃったから、呆れられちゃったらどうしよう、って」
彼女は心から嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言った。
「とんでもないって自覚はあったんだ? 『もちろん受けるわよね?』っていわれているようにしか思えなかったけど?」
「そんなはずないじゃない! 帰りの馬車の中でも急に怖くなって、少し泣いちゃったのよ? 何かあったんじゃないかって、侍女に心配されちゃったわ」
ベアトリーチェの笑顔が少し拗ねたような表情に変わり,そしてぼくに寄り添ってくる。ぼくが軽く彼女を抱きしめて彼女を見ると、上目遣いの視線とぶつかった。
「カトリーヌ姉様は『格上の家のお嬢様をつかまえてブラブラ遊んでる男なんてたくさんいる』って言ってたよ? 普通すぎておもしろくないってさ」
「お目にかかったことはないけど、とてもかなわないわ。でも、よろしくね、わたしの甲斐性なしの旦那様」
「それはっきり言うのやめてよ! けっこう心にチクチク痛いんだから!」
侯爵家次女という、結婚に関して自分の意思をもっとも通しにくい立場であるはずの完璧少女ベアトリーチェは、ほぼ百パーセント自分の力で自分の望む結婚話を学生のうちに成立させ、しかも親にそれを祝福させるという離れワザをやってのけることになる。この世界の貴族社会では驚天動地といってもいいだろう。
ベアトリーチェに結論を伝えた翌日の一の日の午後、、ぼくは懸案の相談のために、図書館裏の広場にマイヤを呼び出した。マイヤはベアトリーチェから大まかな話を聞いていたらしい。
「あいかわらず姑息にうまく立ち回りやがりましたね」
ぼくに対して、以前にもまして言葉に遠慮がなくなったマイヤが、ため息をつきながら言った。というか、実体的には日本の大人同士の会話だしな。
「けっこうあれこれ大変だったんだぞ? あまり人に言えないようなネタもいくつかあったしさ」
「そういえば、紹介された人たちはかっ飛んでいる人ばかりで、ハーレムらしきものは見当たりませんでしたね。やはり転生者のお約束としてどこかに持っているのですか?」
たしか、マイヤを連れてきたときにはローラとリュミエラは隠しておいたんだっけな。わざわざ教えてやる必要もない。
「コメントは差し控えさせていただく。人に言えない話というのがハーレムがらみの件以外にない、という勘違いはやめていただきたい。というか、お約束といってもマイヤは持ってるのか?」
「わたしはハーレムを持つことには興味はありません。男の園を観察していられればそれで十分です。それと、ハーレムを隠し持っているなら、ベアトリーチェ様と結婚するときには身辺をすっきりさせておいてくださいね」
心配されるまでもない。すでにベアトリーチェにはバレているし、公認となってしまっているぞ。三人でぼくを共有するらしい。
「そんなことより、マイヤとぼくらの関係はどうする? ぼくはきみの出した課題をクリアしたぞ?」
「そうですね。結局アンリさんがグズグズ動けず、わたしは作業場だけもらってまるもうけ、という結末を期待していたのですが,そううまくはいかなかったようです」
やっぱり狙ってたのかよ、それ!?
「そこら辺のマイヤの考えについてはあとでじっくり話し合うとして、ベアトリーチェに話を持っていかなきゃいけないよね? 全部が全部、いま話せる内容じゃないし、どういうアプローチでいこうか?」
マイヤは少し考えこんでいたが、フッと顔を上げてぼくを見た。微笑も浮かべているが、いつもと違ってあまり邪気は感じない。
「そこはわたしがまかされましょう。何とかします」
「どしたの? どっか体調でも悪い?」
「アンリさんもたいがい失礼ですね。単純にそうしたほうが話が早いと思ったからそう言ったまでです」
「わかった、そういうことにしておく。で、話を合わせておくようなことはある?」
「話をあわせるということは、ウソをつくということを含みます。アンリさんはベアトリーチェ様に対してウソを突き通す自信がありますか?」
「いや、まったくない」
マイヤは深く深くため息をついた。
「胸を張って言われても困りますが,つまりはそういうことです。アンリさんは中途半端に知っているよりも、まったく知らないほうがいいと思います」
「り、了解したよ」
結論から言えば、マイヤは言ったことはきっちりやるコだった。五の日にはぼくらのところにやってきて、翌日の六の日にはビルハイムのシャナ王女のもとを訪問した。シャナ王女は予定よりも早い決着を喜び、腐った話に花を咲かせた。その通訳をさせられたぼくのメンタルはかなりのダメージを負ったのだが、自分の目的に鑑みた相応の代償ということで理解している。ただ、早いうちにマイヤには女王国の言葉をマスターしてもらいたい。
「ベアトリーチェにはマイヤのライフワークのことはカミングアウトしたわけ?」
ぼくはいちおうその部分を確認した。
「趣味、ということしか伝えていません。ですので、わたしの作業場のある別棟のほうにはベアトリーチェ様を近づけないようにしてください」
ちょっと待て。作業場はすでに存在するのか? 仕事が早いな。
アッピアの動きが激しくなってきたのは、シャナ王女とこちらの行き来が始まってからひと月ほどたってからだ。ボルダンでは、すでに千を超える兵士が街の外苑部に集結しており、物資の取引も活発になってきている。
ペドロの報告では、諜報関係の要員も多数投入されており,女王国の諜報員の摘発に動き回っているらしい。きっとエマニュエルが作った自白剤も役に立っているに違いない。もちろんこれは、出来るだけ軍の動きが女王国に伝わるのを遅らせようという狙いで、それなりに徹底した対策が行われているらしいが、残念ながらぼくらにはズルズルに筒抜けになっている。
「シャナ王女はこちらのお願いを聞いてくれたらしい」
こちらに逐一入ってくるボルダンの状況は、適当に間引きをした上で、先日ニスケス侯爵から譲り受けた二人の情報エキスパートのうち、シンシアを通じて女王国の王宮に流している。そういうことが可能かどうかいちおう事前に尋ねてみたが、「できます」というので、それ以上は訊かなかった。実際、情報は王宮のみに静かに伝わっているから、完璧な仕事だったのだろう。
聞いた話では、第一王女のシャーリーと第二王女のブリギットはすぐにでも兵を率いて出て行きそうな勢いだったらしい。それを周囲が身体を張って止めた上で、シャナ王女に話が回ってきて、こちらとの打ち合わせどおり、レイハナを取らせてからすぐに取り返すプランを提示したとか。王宮の人たち、上二人の脳筋王女の制御にそれなりに苦労しているんだな。
ただ、いちどレイハナの街を明け渡すことについては賛否が割れたらしい。守ろうと思えば守り切れそうな街をあえて明け渡すというのだから、確かに納得しない人もいるだろう。あえて身を切って危機感を煽るなんて、頭の中が攻め一辺倒の上の二人にはとても理解できないはずだ。ましてや、アッピアが戦果をどう評価するかなど、考える意味すら認めないんじゃないかな。シャナ王女は、レイハナを戦場にしてしまうことのデメリットを強調して乗り切ったらしい。
「さて、シャナ王女がしっかり仕事をしてくれた以上、こちらもやることをやらないとね」
「どう暴れるでありますか?」
シルドラが久しぶりに楽しそうだが、それはたぶん違うぞ。
「前線の分隊レベル程度の小競り合いならともかく、軍同士のまともなぶつかり合いとなると、ちょっとぼくらの出番はないんじゃないかな」
腐ってもビットーリオは「軍」に籍を置いていた人間だ。戦場というもの、そこでなにができるか出来ないかを知っている。こういう話だと頼りになる存在である。
「ぼくもそう思う。現状、ぼくらの最大火力はテルマ、そしてニケだ。だけど、どちらも使うとぼくらが存在として目立ちすぎる。それに、おおざっぱすぎて相手に与える損害を細かく計算出来ない。こういう戦場で暴れるには、もっと計算できる火力が必要だよ。だから、大暴れはナシ」
「ガッカリであります……」
最近派手に暴れる機会があまりないため、シルドラもストレスがたまっているようだ。
「じゃあ、ぼくらは高みの見物、ってことかな? それもシャナ殿下に全部押しつけちゃうようで申し訳ないね」
「いやいやローラ、やることはけっこうあるんだ。シャナ王女は確かにこちらの考えを反映した案を通してくれた。でも、彼女の案もあくまで軍の基本的な動きを中心にしたものだから、脳筋の人たちがそれを実践すると、レイハナの人たちの避難はどうしても後回しになるし、逆襲の時も、ちょっと間違うとけっきょく街に被害が出る。アッピアの軍が街に立てこもって徹底抗戦、なんてことになったら目も当てられない」
「ということは、早めに街に入りこむ必要がありますね……」
まさにリュミエラが言ったとおりだ。ぼくらの役割は、レイハナの人たちの避難を急がせること、それと、レイハナを取り返すときに、アッピアの部隊に組織的な抵抗をさせないことだ。どちらも、街自体をじゅうぶんに理解し、把握しておく必要がある。
「避難を急がせる、といっても、ぼくらになにができるんだい? よそ者がいきなり『アッピアが攻めてくるから逃げろ』と言ったって、誰も聞いてくれないだろう?」
「女王国で、こういう場合に市民が耳を傾けるような存在って、あるのかな」
「ある程度はギルドが役に立つと思いますが、末端の人々まで耳を傾けるとなると、教会ぐらいでしょうか。それも、街によってはむしろ疎まれる存在だったりしますから、あまり当てにはなりませんが」
ローザの回答にぼくはちょっと気が重くなった。ラノベ的には、こういう世界での教会が役に立ったことはあまりないんだよな……。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
初めて国と国の正面からのぶつかり合いに関わるアンリたち、どう立ち回ることになるのでしょうか。
(いや、考えていないなんてことはありませんよ?)




